『花暦』4

森鷗外ガーデニング  12
『花暦』4

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六月二十三日 金絲桃 
イメージ 1 「金絲桃」は、オトギリソウ科常緑低木のビヨウヤナギ。漢名は金線海棠。葉は、生薬となる。乾燥させるかあるいは生の葉を煎じつめ、お茶の替わりに飲めば、胆石や結石症に効果があるという。



六月二十三日 松葉牡丹 
 「松葉牡丹」は、スベリヒユ科一年生草本マツバボタン。日中は花が開いているが、夜になると閉じる。花の色は、書かれていないが赤色系かと思われる。
六月二十五日 テッパウ百合 
 「テッパウ百合」は、ユリ科テッポウユリ(鉄砲百合)であるが、園芸品種らしい。テッポウユリの開花は五月中旬で、鷗外が見た時期では遅すぎる。現代では、園芸品種の新テッポウユリがちょうどこの時期に花を咲かせる。鷗外の庭に植えられていたユリは、今の新テッポウユリとは異なるが、園芸品種の一つであった可能性が高い。
六月二十八日 天竺牡丹  ビロウド花(ダリアス) 
 「天竺牡丹は」、キク科多年生草本のダリア。他にも「ビロウド花(ダリアス)」とあることから、違う種類のダリアが咲いたのだろう。
七月一日 百日草 
 「百日草」は、キク科一年生草本ヒャクニチソウ(ジニア)。
七月一日 ガク 
 イメージ 2「ガク」は、ユキノシタ科落葉低木のガクアジサイであろう。鷗外の庭に植えられていたガクアジサイは、野生のガクアジサイに近いものであろう。現在、一般家庭に植えられているガクアジサイは、大きな装飾花をつける園芸品種が多い。



七月三日 センオウ 
イメージ 3 「センオウ」は、ナデシコ科多年生草本のセンノウ(剪秋羅)である。センオウゲともいい、大昔に中国から渡来した植物である。センノウ類は、現代ではあまり注目されないが、江戸時代には非常に持てはやされた花である。特に人気のあるマツモトセンノウの名は、歌舞伎役者・松本幸四郎の紋に似ていることから名付けられたという。よく見ると、色・形共になかなか味わい深い花である。
 鷗外が明治四十五年に書いた、『田樂豆腐』に、「中には弱そうに見えないのは弱くて、年々どの草かに壓倒せされて、絶えそうで絶えずに、いつも方蔭に小さくなって咲いてゐるのがある。木村の好きな雁皮の樺色の花なんぞがそれで、近所の雑草を抜こうとして手が觸れると、折角莟を持ってゐる莖が節の所から脆く折れてしまふ。」という一文がある。この小説の主人公・木村のモデルが、森鷗外であることは間違いない。前述のセンノウがここではガンピに変わっているのは、鷗外の意志なのか、もしかすると鷗外の庭にはセンノウとガンピの両方が植えてあったのかもしれない。
 鷗外が、センノウの花を気に入っていたことは確かで、戯曲『人の一生』にも登場させている。「○これは赤い剪秋羅華ですね。・・・○その花に障るのはお止しなさいよ。その花の上には、あの奥さんのキスが残ってゐるのですからね。・・・○今に御亭主が帰ってきてこの花を見るでしょう。○そして奥さんのキスを花の上から受けるでしょう。・・・」と、意味深な場面に登場させている。
七月七日 玉盞花  
 「玉盞花」は、玉簪花の書き違いであろう。漢名の玉簪花はユリ科多年生草本ギボウシの仲間、タマノカンザシである。しかし、鷗外はオオバギボシのことを玉盞花と書いたのではなかろうか。タマノカンザシは、中国原産のユリ科の多年生草本ギボウシの仲間。江戸時代には、「玉簪」に「ギボウシ」と仮名を振っている。もしかして「玉盞花」は「金盞花(キンセンカ)」の書き間違いとも考えたが、キンセンカの開花は春なので遅すぎる。また、三十一年の日記には、同じ頃に玉簪花の開花が記されている。
七月七日 桔梗   
 「桔梗」は、キキョウ科多年生草本のキキョウ。
七月七日 別種-萱草 
 「別種-萱草」は、五月の萱草とは別種ということで、ユリ科多年生草本ノカンゾウヤブカンゾウであろう。萱草は、別名「わすれぐさ」とも言い、その花を見ると憂いを忘れる、と言う言い伝えがある。
 鷗外は、『山椒太夫』の中で「姉はいたつきを垣衣、弟は我名を萱草じゃ」と厨子王に萱草の名を与えた。これは鷗外の創作ではない。原作とされる説経集『さんせう太夫』に登場する人物名をを採用したものである。漢名で「萱草」はヤブカンゾウである。

七月七日 紫陽花 
 「紫陽花」は、ユキノシタ科落葉低木のアジサイ。紫陽花は漢名。アジサイは、江戸時代にガクアジサイをもとに作られた園芸品種である。一七五五年(宝暦五年)に出された『野山草』に描かれたアジサイを見ると、まだ装飾花(萼)が全開していない。鷗外の庭のアジサイも、今のように改良された大きな花ではなく、飾り花が疎らであったかもしれない。
七月十二日 孔雀草 イメージ 4
 「孔雀草」は、キク科のハルシャギクジャノメソウ)であろう。孔雀草には、キク科の一年、または二年草本ハルシャギクと一年生草本のコウオウソウの別名である。今ではハルシャギクジャノメソウ、コウオウソウはマリーゴールドと呼ばれ園芸品種が多い。鷗外の庭に植えられていたのは、娘たちの話からして「蛇の目草」、つまりハルシャギクであろう。

七月十二日 月見草 
 「月見草」は、アカバナ科のオオマツヨイグサであろう。「月見草」も、アカバナ科の二年生草本ツキミソウ(ツキミグサ)と越年生草本オオマツヨイグサとがある。決めるのはむずかしいが、庭にオオマツヨイグサがはびこったと思われる節もあり、開花時期から言ってもオオマツヨイグサであろう。
七月十五日 鳳仙花 
 「鳳仙花」はツリフネソウ科一年生草本ホウセンカ。名前は、漢名の鳳仙花から来たものである。
七月十五日 トラノヲ 
 「トラノオ」は、サクラソウ科多年生草本オカトラノオと思われる。トラノオは、『牧野新日本植物図鑑』にはゴマノハグサ科多年生草本クガイソウとあるが、サクラソウ科のオカトラノオと思われる。花はクガイソウの方が美しいが、東京では六月中に咲き始める。この時期であれば、オカトラノオが咲いた可能性が高い。
七月十五日 鶏冠草   
 「鶏冠草」は、アカザ科一年生草本ケイトウ(鶏頭)。漢名で鶏冠。明治三十年十一月七日、正岡子規は、鷗外に手紙を書いている。手紙は、鷗外からの問いあわに応えるもので、本題に入る前に、
「此春御惠贈の草花の種早速蒔置候處、庭狹く草多き爲にや初より出來わるく、十分に發育したりしは百日草のみ、射干は三寸餘にて生長をとゞめ、葉雞頭は只一本だけ一寸ほど伸び候のみ誠に興なき事に有之候。・・・」(『子規全集十九巻 書簡二』)と、鷗外から送られた花の種の成長具合について書いている。手紙の百日草とはヒャクニチソウ・ジニア。また射干はヒオオギ(檜扇)。葉鶏頭・ハゲイトウとあるがケイトウではなかろうか。花が咲いたのは百日草だけらしい。ヒオオギは、花の性質からして、発芽した年には10センチ程度しか生育せず、花は咲かない。ただ、ハゲイトウは3センチしか伸びなかったというのは、出来が悪すぎる。そのためもあって、子規はケイトウであることがわからなかったのではなかろうか。

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七月十九日 オシロイ 
 
 「オシロイ」は、オシロイバナ科一年生草本オシロイバナ(御白粉花)。別名ユウゲショウ。花は夕方から開き、朝には萎む。忙しい人が。開いた花を見るのはなかなか難しいだろう。
七月十九日 ミソハギ 
 ミソハギ」は、ミソハギ科多年生草本ミソハギ。禊萩(ミソギハギ)の略で、溝萩(ミゾハギ)ではない。
七月二十三日 凌霄花 
 イメージ 5 「凌霄花」は、ノウゼンカツラ科蔓性落葉樹のノウゼンカツラ。凌霄花は漢名。中国から渡来。花に毒があると言われているが、これは誤り。




七月二十三日 射干  
 イメージ 6「射干」は、アヤメ科多年生草本のヒオオギ(檜扇)。「射干」は、シャガとも読めるが、鷗外が書き記したのは漢名。『広益地錦抄』(享保四年一七四九 伊藤伊兵衛著)には、「やかん」と仮名が振られ、「草花のひあうぎなり」と記されている。葉の形が、扇を広げたような形をしているのでこの名が付けられた。


七月二十三日 ミズヒキ  
 「ミズヒキ」は、タデ科多年生草本のミズヒキ(水引)。名前は、紅白の水引にたとえて付けられた。
イメージ 7七月二十三日 二十八日 檀特   
 「檀特」は、カンナ科多年生草本のダンドクであろう。ダンドクは、江戸時代に渡来した植物で、漢名は曇華。檀特は、梵語である。なお、カンナ(ハナカンナ)も、この字を当てるが、渡来時期(ハナカンナは明治の末)を考慮すると、これはやはりダンドクだろう。




七月三十一日 百合        
 「百合」は、ユリ科多年生草本ヤマユリであろう。この花は、鷗外の好きな花の一つ。『青年』『サロメ』『王の子供達』など若い頃の作品にしばしば登場する。
八月一日 石竹  
 「石竹」は、ナデシコ科多年生草本セキチク。石竹は漢名。カラナデシコともいう。ちなみに、オランダセキチクとはカーネーションのこと。現代では、セキチク類(ナデシコ類)は園芸品種が数多く作られており、鷗外の庭に咲いた当時と同じ花を見ることは難しい。
八月十二日 紅蜀葵 雁木に葉染マル 
 「紅蜀葵」は、アオイ科多年生草本モミジアオイ。紅蜀葵は、漢名。明治初期に渡来したものである。名の由来は、葉の形がモミジに似ているため。
八月十五日 向日葵         
 「向日葵」は、キク科一年生草本のヒマワリ。向日葵は、漢名。ヒマワリは、「ひぐるま」とも呼ばれ、北米原産であるが江戸時代には渡来していた。
八月二十二日 木芙蓉        
 「木芙蓉」は、アオイ科落葉低木のフヨウ(芙蓉)。中国原産で、木芙蓉は漢名。鷗外の庭には、フヨウ、モミジアオイ、ゼニアオイなどアオイ科の花が多い。アオイの仲間は、鷗外の好みだったようで、トロロアオイムクゲが小説や日記に登場する。

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八月二十六日              
 「萩」は、マメ科落葉低木のヤマハギのことだろう。萩という字は、国字。 漢名は胡枝花。ヤマハギは、日本のほぼ全域に分布している。秋を告げる花にふさわしく、草冠に秋と書く。古くから日本人に親しまれ、「万葉集」に詠まれた花のなかで最も多いのがハギである。ハギの名前は「生え芽(はえぎ)」を意味し、枯れたような古株からでも芽を出すため、はえぎがハギになったという。
九月十日 秋海棠 
 「秋海棠」は、シュウカイドウ科多年生草本のシュウカイドウ。中国から渡来したもので、秋海棠は漢名。この花は、『カズイトチカ』『鳥羽千尋』『伊澤蘭軒』に出てくる。
九月十五日 紫苑             
 「紫苑」は、キク科多年生草本のシオン。紫苑は漢名だが、日本にも自生している。