江戸の盆栽 7

江戸の盆栽  7
盆栽(はちうゑ)の値段 6
★貳分 
  貳分という額は、今の10万円に相当する。その大半は、盆栽仕立のものであろう。
  「長島オモト」は、オモトの園芸品種であろう。徳川家康江戸城入城した際に、三河の国の長島長兵衛から贈られた斑入りのオモトを、床の間に飾ったとの故事がある。
  「松葉蘭(持込)は、マツバラン科の「マツバラン」。(持込)の意味はよくわからない。
  「筋星ハラン」は、ユリ科の「ハラン」。葉に筋と星の斑が入ったものであろう。
  「七面芙蓉」は、アオイ科「シチメンフヨウ」。花の色が変化し、花形や色の変化は様々。
  「一位ガシ」は、ブナ科の「イチイガシ」であろう。
  「イソマツ」は、イソマツ科の「イソマツ」。
  「細葉天仙果」は、クワ科の細葉の「イチヂク」「イヌビワ」らしい。『本草図譜』には「いぬびわ 天仙果 てうせんいちぢく なんきんいちぢく」とある。漢名「天仙果」はイヌビワらしい。
  「燕尾仙」は、ナデシコ科の「エンビセンノウ」ではなかろうか。
  「朝鮮木賊」は、朝鮮産のトクサ科の「トクサ」であろう。
  「寒蘭」は、ラン科の「カンラン」であろう。
  「側柏」は、ヒノキ科の「コノデガシワ」であろう。
  「沈香」は、クワ科の「アコウ」ではなかろうか。なお、ジンチョウゲ科に「ジンコウ(沈香)」がある。
  「白八重芙蓉」は、アオイ科「フヨウ」の白花八重咲きではなかろうか。
  「大葉辨天ツゲ」は、ツゲ科の「ハチジョウツゲ」。
 
★参分 
  参分は、今の15万円に相当する金額である。
  「素馨」は、モクセイ科の「ソケイ」。
  「湘妃蓮」は、ハス科の「ハス」。「湘妃蓮」は『清香画譜(坤)』に描かれ、別名「芍薬蓮」。
  「オガ玉ノ木」は、モクレン科の「オガタマノキ」。
  「鉤藤」は、アカネ科の「カギカズラ」か。『牧野新植物図鑑』には、「[漢名]鉤藤を当てるのは好ましくなく、鉤藤は支那に産する本種の近似種でトウカギカズラの名がある」とある。
  「千年木」は、ユリ科の「センネンボク」。
  「サビナ(唐イブキに似たり)は、『本草図譜』に「いぶき 一種 サビナ」とある。ヒノキ科ビャクシン属の「サビナ」らしい。
  「玳琩竹」はわからない。玳琩は亀の「タイマイ」を表す文字なので、「亀甲竹」の可能性もある。
  「南京菩提樹」は、南京産シナノキ科「ボダイジュ」。
 
★壹貳兩 
  壹兩と貳兩を分けていない、今の金額にすると20~40万円相当というところか。
 「橄欖」は、カンラン科の「オリーブ」。
  「番石榴」は、フトモモ科の「グァバ」。
  「ツグ」はわからない。「ツグノキ」ということであればホノトノキ科「ホノトノキ」であろうか。
  「人面蘭」は人の顔に似た蘭だと思われるが、具体的にはわからない。
  「カウヤマキ(地堀)は、スギ科の「コウヤマキ」。掘り取りのまま、養生されていないもの。
 
★三兩は、「ソテツ  高さ一丈芽五ツ六」とソテツ科の「ソテツ」。最も高いのが約3メートルほどの樹高で、5~6本が束になっているもの。今の価値では60万円程になる。この価格はいくら樹形の優れたものであっても、かなり高額だと思えるが、運搬・植栽費用も含んでいたとすれば、あながら高いとは言いきれない。
 
★五兩は、今の100万円にもなるもので二品ある。二つとも、どのような植物であるか、よくはわからない。
  「刺なし肥皂莢」は、「肥皂莢」がマメ科「サイカチ」の一種であれば、「トウサイカチ」の刺ナシの品種であろう。
  「白無患樹」は、ムクロジ科の「ムクロジ」で白花であろうか、よくわからない。
 
★七兩。単純に計算してきた金額をそのまま示すと140万円相当となる。
  「薩州より来る、ヱラン」は、蘭の一種であろうがわからない。
  「真の唐楓樹」は、カエデ科の「トウカエデ」。
  「相思子」は、『本草図譜』に「とうあずき 相思子 とうあづき なんばんあつき てんじくささけ」とある。マメ科の「トウアズキ」「ナンバンアズキ」か。
  「濱斑入りヲモト」は、濱斑入りのユリ科「オモト」。
  「コタンリン(嶋らんなり)は、蘭の一種であろうがわからない。
  「唐ツガ」は、中国産のツガであろうか、よくわからない。なお、マツ科「バラモミ」の別名(『樹木大図説』による)とも考えられる。
 
★十兩、200万円となる。
 「数年持込手間多く懸りたる大松の類」は、形状がわからないので即断できないが、現代でも仕立物の松であれば、これ以上の金額になるだろう。
  「斑入り紫ヲモト」は、ツユクサ科の「ムラサキオモト」の斑入りか。当時は、今と違って「ムラサキオモト」自体が高かったために、このような高額になったのだろう。
 
★十五兩・・・・★二十兩・・・・の品は記載されていない。
 
★三十兩
  三十兩、600万円相当の植物について、以下のような記載がある。
  「其地に初めて冬枯れざる草木にて斑入になりたる品又格別に葉形替りたる物。阿蘭陀、唐土琉球等より日本へ初て渡りたる草木類。
 以上の価格表を記録した岩崎常正は、『本草図譜』を作成しており、『本草図譜』を見れば植物の名前がかなりわかるものと期待していた。しかし、販売商品になった草木の名前は、『本草図譜』にはあまり載っていない。表示されている植物名は、植木屋が付けたか、当時呼ばれている名のためか、多くが現代の名称とは異なっている。
  名前の傾向としては、生薬名、漢名で記されている植物が多い。また、産地とおもわれる名を冠する植物もいくつかある。記されている名前からではわからない植物もあるので、現代では入手できない植物もあるのではなかろうか。特に「漢種」とされるものは、当時でも入手しにくいものが多かったようだが、現代ではさらに需要も少なく、名前を確認することが困難になっていったものだろう。
  植物の価格は、需要と生産能力によって決まるもので、需要が多くて生産量が多ければ安くなり、需要があっても生産が難しければ高価になる。江戸時代は植物の量産能力が低いため、安価な植物であっても現代より割高に感じる。最も需要があったと思われる「野生の花物  薬草」が二十四文、現代の金額で七百五十円、七十二文の「シシガシラ・水前草・唐防風・瓜防已・川草解」などの薬草にしても、一朱のブドウ・カキ・リンゴなどの果物も、量産されていれば、もう少し安くなったであろう。たぶん、当時でも薬草は、割高に感じていたのであろうが、欲しいときに簡単に手に入る薬草はかなりの需要があったものと思われる。
  植物の価格が高かった理由として考えられるのは、江戸時代は盆栽を贈答品として頻繁に使われていたことである。したがって、値段は高額であってかまわなかったらしい、むしろ高額である方が人気があったのではなかろうか。贈る側にとっても、貰った側にとって、世間で価値のあるものとして通っている貴重なものであることが不可欠であろう。その感覚は現代でも同じで、薔薇や胡蝶蘭などは、贈り物として不変の人気を保っている。そして、その理由は、単に花の美しさだけでなく、高級感のある点が高く評価されているのである。