十六世紀以前の花材

十六世紀以前の花材
★十五世紀の花材
 生花の花材、さらには茶花を加えて、日本人がどのような花を飾ってきたかを知りたい。そのような資料として、花伝書は最も適していると考えられる。「生花」が成立した当時の花材(http://blogs.yahoo.co.jp/koichiro1945/28191858.html)については、『仙傳抄』『山科家礼記』にまとまって記されている。この2書を十五世紀の花材とすると、114種となる。『山科家礼記』には、花材に使用された以外の植物があり、それらも実際は使用されていた可能性は十分にある。『仙傳抄』に記された花材も同様に、記された以上の植物が使われていただろう。また、花伝書に共通して言えることとして、花材は実際に使用された植物をもとに記されていると思われるが確証はない。
 注目するのは、『仙傳抄』『山科家礼記』に共通して記されている花材である。33種あり、これらは実際に使用されていたと判断できる。さらに、『山科家礼記』は日記なので、活けた回数から使用頻度がわかる。5回以上使用された植物は16種あり、これらを示すと、最も多いのがマツで43回、ヒノキ24回、キク19回、ウメ18回、シャガ16回、キンセンカ15回、ツツジ12回、オモト10回、センノウ7回、ギボウシスイセン6回、オウバイケイトウ・タケ・ヒバ・フキ5回となっている。
 当時の花材から、「たて花」「立花」などと称される形態であることが推測できる。個人的な好みもあったのであろうが、ウメ・キク・シャガ・キンセンカツツジなどが好まれたことがわかる。さらに、センノウやケイトウなどの花材も、当時の流行りを感じさせる。花道書の少ない時代の花材として、『仙傅抄』『池坊専應口傳』は、十五世紀までのと花材を十分に反映していると考えられる。

★十六世紀以前の花材を初期の花材とする
 次の百年後、十六世紀以前の花材について調べる。十六世紀の花伝書は、『池坊専應口伝』(1543年)と『続華道古書集成』の『花伝書』(1567年)がある。『花伝書・座敷莊嚴之図』は、『池坊専應口伝』に良く似ており、参考にして書き直したような感じがする。花材も8割以上同じで、文字の筆記型も同じで、新たな花伝書と判断しにくい。そのため、十六世紀の花材を示す花伝書としては、『池坊専應口伝』だけとする。
 十六世紀以前の花材を論じるには少ないが、『仙傅抄』『池坊専應口傳』『山科家礼記』の3つを資料とする。『山科家礼記』に登場した花材は80種である。『仙傅抄』の花材は67種、『池坊専應口傳』の花材は71種である。これらの資料から、重複する花材を除いた十六世紀以前の花材は138種となる。
 138種の花材について、まずその植物の初見を『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)から検討する。138種の中で、初見が見つかった花材は120種(87%)で、18種は不明である。なお、花材の植物、初見時期に疑問のある花材は11種あり、以下のように判断した。
 クサソテツ(ウラボシ科)の初見は、『大和本草』とある。『大和本草』は宝永七年(1709)に刊行されている。しかし、『池坊専應口伝』(1543年)に「雁足」と記された花材がある。「雁足」は「クサソテツ」を指すものと考えられる。したがって、『大和本草』を初見とすれば、クサソテツが『池坊専應口伝』に記されているのは矛盾する。ちなみに、『大和本草』より前に作成・刊行された『立花大全』(1683年)に「鴈足」、『立花正道集』(1684年)に「かんそく」、『抛入花傳書』(1684年)に「雁足」、『立花指南』(1688年)に「鴈足」と続いている。「雁足」と記された花材はクサソテツと推測され、『大和本草』を初見とするのは疑問である。
 サワギキョウ(キキョウ科)の初見は、『池坊専應口傳』(1543年)とある。しかし、『山科家礼記』の明応四年(1492)八月廿四日に「サワキゝヤウ」の記載がある。『山科家礼記』の方が『池坊専應口傳』より前に記されているとされており、サワギキョウの初見は、『山科家礼記』になるものと考えられる。
 ナツハゼ(ツツジ科)の初見は、『諸国産物帳』とある。『諸国産物帳』は、1735年から1738年頃に作成されたものとされている。しかし、『山科家礼記』の延徳三年(1491)五月廿四日の記載に、「夏ハシ」とある。「夏ハシ」は「ナツハゼ」であると考えられる。したがって、ナツハゼは『諸国産物帳』以前に『山科家礼記』に記されていたことになる。なお、「夏ハシ」は「ナツハゼ」以外に該当しそうな植物名はないと判断したが、ほかの植物である可能性が全くないわけではない。
 ネジアヤメ(アヤメ科)の初見は、『本草綱目啓蒙』とある。『本草綱目啓蒙』は、享和三年(1803)に刊行されている。もし『本草綱目啓蒙』が初見であれば、『山科家礼記』の延徳四年(1492)五月廿四日に記されている「ハリン」は、ネジアヤメとは異なる植物となる。しかし、ネジアヤメは、『仙傅抄』(1445年)に「れん」と、『替花傳秘書』(1661年)に「ばりん」、『抛入花伝書』(1684年)に「馬蘭」と記されている。その他にも複数の花伝書に記されており、『本草綱目啓蒙』が初見とは考えられない。
 ハンカイソウ(キク科)の初見は、『花壇地錦抄』とある。『花壇地錦抄』は元禄八年(1695)に刊行されている。しかし、『山科家礼記』の延徳四年(1492)五月廿四日に「テウロサウ」記載がある。「テウロサウ」は「チョウロウソウ(ギンセンカ)」かと考えたが、「御座花心テウロサウ」と「心」にすることからハンカイソウとした。
 ヒオウギ(アヤメ科)の初見は、『訓蒙図彙』とある。『訓蒙図彙』は寛文六年(1666)に成立したとされている。しかし、『山科家礼記』の延徳三年(1491)六月廿四日に「カスアフキ」、七月五日に「カラスアフキ」と記されている。したがって、ヒオウギの初見は『訓蒙図彙』以前にあると考えられる。
 ヒムロ(ヒノキ科)の初見は、『毛吹草』とある。『毛吹草』は正保二年(1645)に刊行されている。しかし、『仙傳抄』に「ひむろ」とする花材が記されており、ヒムロとした。したがって、ヒムロの初見は、『毛吹草』以前であると考えられる。
 マダケ(イネ科)の初見は、『日葡辞書』とある。『日葡辞書』は慶長八~九年(1603~4)に刊行されている。しかし、『仙傳抄』に「にが竹」とする花材が記されている。『仙傳抄』は『日葡辞書』刊行より一世紀以上前となり、「にが竹」はマダケかメダケか、断定できないが「にが竹」はマダケであると判断した。
 ミヤマシキミ(ミカン科)の初見は、『山科家礼記』とある。文明十二年(1480)の記載に「立花上申」「たてはな上候」「立はな遣之」などがある。これの記述を「ミヤマシキミ」の初見としているらしく、それ以外に「ミヤマシキミ」らしき記載を見ることができなかった。なお、翌文明十三年には「御たてはなの事申之」、文明十八年に「立花一見申」などの記載はあるものの、これらは植物名とは思えない。したがって、「ミヤマシキミ」の初見を『山科家礼記』とするのは問題があると考えた。
 ミズアオイミズアオイ科)の初見は、『花壇綱目』とある。『花壇綱目』は寛文四年(1664)に初稿が作成されている。しかし、『山科家礼記』の延徳三年(1491)十月二十四日に「スイレウ」とする花材が記されている。「スイレウ」はミズアオイであると断定できないが、「スイレウ」はミズアオイを指すものと考えられる。
 ヤブランユリ科)の初見は、『用薬須知』とある。『用薬須知』は享保十一年(1726)に刊行されている。しかし、『山科家礼記』の延徳三年(1491)七月七日に「ヤマスケ」、明応元年八月二十四日に「山スケノミ」などとする花材が記されている。この記述から、花材「ヤマスケ」は、花と実を観賞する植物であり、ヤブランを指すものと推測する。
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★初見の不明な花材
 初見が定かでない花材は、以下の17種である。
イトススキ(イネ科)・・・変種名、9書に記載。
イヌザクラ(バラ科)・・・種名、4書に記載。
イワナシ(ツツジ科)・・・種名、4書に記載。
カジノキ(クワ科)・・・種名、14書に記載。
カヤノキ(イチイ科)・・・種名、1書に記載。(正確には「カヤ」であるが、イネ科の総称名「カヤ」萱などと混乱するため「カヤノキ」と表記する。)
クロチク(イネ科)・・・種名、9書に記載。
シモツケバラ科)・・・種名、24書に記載。
セキショウサトイモ科)・・・種名、24書に記載。
センダン(センダン科)・・・種名、8書に記載。
ツガ(マツ科)・・・種名、10書に記載。
ネズ(ヒノキ科)・・・種名、1書に記載。
ハナザクロ(ザクロ科)・・・種名、18書に記載。
ハマスゲ(カヤツリグサ科)・・・種名、6書に記載。
ヒバ(ヒノキ科)・・・種名、3書に記載。
フシグロセンノウ(ナデシコ科)・・・種名、13書に記載。
マキ(マツ科)・・・総称名、12書に記載。
 以上の中で気になるのは、一度しか登場しないネズとカシワである。ネズは、『山科家礼記』の貞享三年(1489)六月二十四日に「心ムロ」、延徳三年(1491)五月二十七日に「前ムロノカフ」と記されている。『牧野新日本植物図鑑』によれば、「ムロ」はネズ(ネズミサシ)の古名とある。「ムロ」はヒノキ科の針葉樹、ネズ(漢名・杜松)の別名であると判断した。
 カヤは、『山科家礼記』の延徳四年(1492)四月三日に「栢木」と記されている。「栢木」は『和名抄』に、「榧子 本草云柏實(柏音栢)一名榧子(榧音匪和名加倍)」とある。また、『樹木大図説』に、カヤ(イチイ科)は、「栢」「椈」などの別名が記されている。再び『和名抄』を見ると、「柏 兼名苑云柏一名椈(百椈二音和名加閉)」とある。以上から、花伝書に1回しか出現しないが、「栢木」はカヤ(イチイ科)指すものと判断した。