華道書(花伝書)の花材と茶花その2

茶花    19 茶花の種類その16
  華道書(花伝書)の花材と茶花その2
『百瓶華序』イメージ 1
  『百瓶華序』は、『池坊専應口傳』に続いて『華道古書集成』に綴られたものである。タイトルの通り、慶長四年十月十六日に催された「百瓶華会」の序文で、慶長五年に書かれたものである。当時の花材を知る上で参考になるものと考え、調べることにした。なお、全文漢字であるため、正確に判読することが出来ず、以下に示す植物名には確定できないものがいくつかあることをお断りしておく。  『百瓶華序』には60種ほどの植物が記され、そのうち44種の名を現代名に該当させた。気になるのは、「百瓶華会」会は十月、シャクヤクなど季節外れの花がいくつもあり、これらの花材が本当に使用されたものか疑わしい。また、樹木の名前も少なく、実際にはもっと多くの花材が使われたと思われる。さらに、これらの花材名は、慶長四年(1599)以前の初見にあるはずで、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)と対照する必要がある。ホトトギス「杜鵑花」の初見は、『花壇綱目』初稿(1664)とある。「紫薇花」がサルスベリであるとすれば、『明治前園芸植物渡来年表』(磯野直秀)によれば1645年頃とされている。以上のようにこれらの植物を慶長年間の花材とするには問題が多く、取り扱いに苦慮することから、以後の花材検討の資料としては扱わないことにする。
 
『極儀秘本大巻』
 そこで、『池坊専應口傳』に続ぐ華道書(花伝書)として、『続華道古書集成』(思文閣第一巻)に記されている『極儀秘本大巻』が参考にできるかどうかを調べることにした。解題に、「書写年代は享保頃が下限であろう。しかし、「中の部」に書写された秘伝の内容は『慶長十一年(1606)六月日  令相伝畢』と記す年月から考察して・・・慶長の風格は感覚出来る。相伝者と受伝者の名前を知ることが出来ない」とある。『極儀秘本大巻』は、室町期の花伝をもとに「立花と砂之物の秘伝」などが記されている。もし、慶長年間の書であれば、『池坊専応口伝』に次ぐものであり、花材について調べる価値があると考えた。
イメージ 3  『極儀秘本大巻』が書かれたと思われる慶長年間は、『池坊専應口傳』より50年以上も経過しており、花材数はさらに多くなっていると思われる。そこで、記されている花材を数えると110種ほどあり、そのうち現代名で示せたのは98種で、次図のようになる。『池坊専應口傳』と比べると、同じ種は44種、新たに加わった花材が54種で、24種減少したことになる。なお、記された花材を現代名に該当させるにあたって、『仙伝抄』『池坊専應口傳』と同様な問題点の記述は重複するので省き、新たな疑問点についてのみ示す。
  『池坊専應口傳』では「百合」と記され、詳細な種は特定できなかったが、『極儀秘本大巻』には「百合」とともに「ささゆり」の記載がある。この二つの花材名は、異なる植物を指している可能性がある。そのため、総称のユリと種名であるササユリの双方を記す。このような科名や属名と、種名で記された花材は、他に、「仙台萩」と「萩」、「濱菊」「春菊」と「菊」、「三葉つつし」と「つつし」(「江戸つつし」はツツジとする)などがある。
  次に、『極儀秘本大巻』に記された花材は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)と対照する必要がある。また、慶安十一年以前に渡来していたかというかということも検討する必要がある。
  「仙台萩」はセンダイハギであろう、初見は『毛吹草』であるから1645年となる。
  「るかう」はルコウソウであろう、初見は『毛吹草』であるから1645年となる。
  「丁子草」はチョウジソウであろう、初見は『毛吹草』であるから1645年となる。
  「もちすり」は、『毛吹草』が初見であるから1645年となる。
  「濱菊」はハマギクであろう、初見は『花壇綱目』であるから1664年となる。
  「こんきく」がコンギクであれば、初見は『本草綱目品目』であるから1672年となる。
「ささゆり」がササユリであれば、初見は『抛入花伝書』であるから1683年となる。
「弁慶草」はベンケイソウであろう、初見は『本草綱目品目』であるから1672年となる。
  「夏はせ」はナツハゼであろう、初見は『諸国産物帳』であるから1735年となる。
  これらの花材は、当然、『池坊専應口傳』には記載されていない。『極儀秘本大巻』は「慶長の風格は感覚出来る」とあるが、花材から見ると享保年間に加筆された可能性もある。ただし、ここでは『極儀秘本大巻』の成立時期を検討しているのではないので、詳細には言及しない。
  『極儀秘本大巻』に記された花材を、十六世紀後半に使用された茶花と比べると、使用頻度の高い花(上位10位まで)の上位5位までが含まれている。しかし、6位のセキチクや9位アサガオや10位モモが欠落している。次に、十七世紀前半の主要な茶花と比較すると、『極儀秘本大巻』には上位10位まですべての種類を含んでいる。
 
『替花伝秘書』
  『替花伝秘書』は、寛文元年(1661)に高橋清兵衛が版行した花伝書である。著者の記載はない。
  『替花伝秘書』は、多くの花材が記された花伝書として、刊行年が『極儀秘本大巻』に次ぐため、検討することにした。記されている花材を数えると170種ほどあり、現代名で示せたのは125種である。

イメージ 2  なお、花材を現代名に該当させるにあたっては、不明な点が多々あり、『牧野新日本植物図鑑』『樹木大図説』の他に園芸古書、花伝書などを参考にした。
「いつつき」は、ヤマボウシとするが、確証はない。
  「きじの尾」は、キジノオとするが、確証はない。
「樗(あふち)」は、センダンとするが、確証はない。
「山うつぎ」は、ノリウツギハコネウツギクサギ、サワフタギ、ムラサキシキブなどの候補があるものの、確定できなかった。
「とうの木」は、クサギタブノキ、ヤブニッケイなどの候補があるものの、確定できなかった。
  「かぶす」は、カボスではなく、ダイダイの一種らしいが、確定できなかった。
その他にも確定できない花材が数多くあり、以後に刊行される華道書などから現代名を確定出来ることを期待したい。次に、『替花伝秘書』に記された花材を『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)と対照したが、「なつはせ」を除き、1661年(寛文元年)以後の植物名はなかった。
  『替花伝秘書』の花材は、それまでの花伝書の中で最も多く、当時の茶花の大半をカバーするものと思われたが、実際にはそれほどではなく45%であった。また、十七世紀後半に使用された茶花の使用頻度10位まででも、6位のボタン、7位のサザンカ、10位のアサガオがない。特別な植物とは思えないボタンやサザンカが、なぜ花材にあげられなかったか不思議である。特にアサガオは、『替花伝秘書』には「・・・萬葉に  朝がほの・・・」と歌を紹介する中には記載しているが、花材としては取り上げられていない。なお、アサガオが花材として取りあけられないのは、『替花伝秘書』だけでなく『仙伝抄』『池坊専應口傳』なども同様である。
  『替花伝秘書』の筆者は、茶道で使用する茶花への関心がなかったとも考えられる。それとも、華道と茶道との交流があまりなかったという方が事実に近いだろうか。