『花道古書集成』第一巻の花材その1

『花道古書集成』第一巻の花材その1

 『花道古書集成』には、多くの花材名が記されている。ただ、その名は当時の呼称であり、現代の植物名とは違う。そこで、花道古書(花伝書・花道書)の花材を現代名に置き換えようと試みた。なお、花伝書の成立や刊行年代については、書に記された情報から判断、そのため年限の正確さに問題がある。
 花材の現代名は、『牧野新日本植物図鑑』(北隆館)に記されている植物名を使用する。種名、属名、科名などについても『牧野新日本植物図鑑』の記載を使用する。なお、補足的に『樹木図説』(有明書房)の記載を使用する。その他の資料として『茶道古典全集』(淡交新社)、『小堀遠州茶会記集成』(主婦の友社)、『伊達綱村茶会記』(中央公論社)、『川上不白利休二百回忌茶会記』(『茶器名物図彙』文彩社)」などを参考にする。
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『仙傳抄』
  書頭に記されている「仙傳抄に就いて」に、「三条殿御秘本義政公依御所望文安二年(1445)三月廿五日富阿弥相伝」とある。その記載から、『仙傳抄』は、十五世紀中頃の花材例を示すものと考えた。『仙傳抄』に記されている花材を数えると70ほどあり、その68種を現代名にした。なお、記された花材を現代名に該当させるにあたっては、いくつもの問題のある。
  まず、花材名と現代名の関係。たとえば「あし」、花道古書には「芦、葦、蘆、莠、阿し、あし、ヨシ、氷室草、なには草、さされ草」などアシを指す花材がいくつもある。これらをどのように使い分けていたのだろうか。現代でもアシとヨシは違う植物と思っている人がいるように、当時の人もわからなかったのではなかろうか。現代の植物分類では、ヨシ属とススキ属を分けているが、そのような区分をしなかっただろう。また、似たような植物の名前は、曖昧なままで使われていただろう。詮索すれば、次々に問題が出てくる。花道古書の記載だけからは判断できない問題はあるものの、「あし、よし・・・」等の現代名はイネ科ヨシ属アシとする。
  次に、アヤメとハナショウブである。花伝書には、「菖蒲・あやめ・せうぶ・花シヤウフ・紫羅欄・花菖蒲・白昌・水宿・吹喜草・花志やうふ・はなせうふ・花水剣」など、多様な名称が記されている。アヤメとハナショウブを見分けるには、花を詳細に観察するか、開花時期から判断する必要である。花伝書には、植物の絵も描かれているが、アヤメとハナショウブを見分けるほど正確には記されていない。また、開花時期についても、正確には示されていない。アヤメの開花は、旧暦の四月中頃からで五月中頃まである。ハナショウブは、五月初旬から六月初旬までである。重なる期間があることから混乱し、特に五月の節供に記される「菖蒲・花菖蒲」などは、文章からだけでは判断しにくい。
  そこで注目するのが、茶会記である。茶会記には、いつどこで催されたか、どのような人が参加したか、床飾りや道具建て、会席膳の献立などとともに、茶花が記されている。茶花は、当日咲いていた植物である。茶会記の具体的な記載を示すと、以下のようになる。
松屋会記・久好茶会記』1586年(天正十四年)卯月廿日、「花シヤウフ」と記す。
小堀遠州茶会記集成』1628年(寛永五年)卯月廿六日朝、「あやめ」と記す。
片桐石州会之留』1672年(寛文十二年)五月十六日、「菖蒲」と記す。
伊達綱村茶会記』1705年(宝永二年)四月十五日晩、「菖蒲」と記す。
『学恵茶会記』1717年享保二年)四月十一日晩、「あやめ」と記す。
『槐記』 1726年(享保十一年)四月十九日、「菖蒲」と記す。
川上不白利休二百回忌茶会記』1782年(天明二年)五月三日、「せうぶ」と記す。
   なお、「菖蒲」は茶花なので、サトイモ科のショウブを指していない。「菖蒲」と記してあるがアヤメ科のアヤメである。茶会の開催日から、これらの花は、すべてアヤメと判断した。また、茶花には、ハナショウブではなくアヤメを活けることが当時の慣例であったのだろう。したがって、『松屋会記・久好茶会記』の「花シヤウフ」は、開花時期から推測してもアヤメである。
 『仙傳抄』に「五月五日のしんにはなしやうぶ。下草には菖蒲」との記載がある。この「はなしやうぶ」はアヤメ、「菖蒲」はショウブである。五月の節供に飾られる花はアヤメで、花伝書『花ふ』には、「五月五日あやめ」と図にハッキリ記されている。
 なお、花道書で、アヤメとハナショウブの両方を記した書は、1681年に書かれた『抛入花傳書』 (刊行は1684年・貞享一年)が最初である。アヤメは「菖蒲(あやめ)」、ハナショウブは「花水剣(はなしやうふ)」と記している。
  次に、「いちご」は、キイチゴモミジイチゴ)と推測されるが、確証がないので総称名としてイチゴした。
 「楓」「もみじ」「かえで」は、本当は種名で名称を記すべきであるが、わからないので総称名として属名のカエデとする。なお、「もみじ」などはカエデ属ではない場合があり、慎重に判断しなければならない。
 「くはんそう」は、ノカンゾウヤブカンゾウなどのカンゾウ類ということであろう。名前からは、判別できないので総称名としてカンゾウとする。
 「柘榴」については、『攅花雑録』によれば「ざくろは花ざくろの事也」とある。ザクロとハナザクロは異なると思えるが、この解説によると、当時の花材は実のなるザクロではなく、ハナザクロを使用するのが一般的であったらしい。つまり、ハナザクロを「柘榴」「ザクロ」と呼んでいたようだ。そこで、ザクロの実を花材とした場合はザクロ、花を花材とした場合をハナザクロする。なお、この区分には無理もあるが、花道書の図や文脈などから判断する。
 「ふゆ梅」「早梅」「梅」など、ウメについては多様な名称が記されている。それらの種名は、すべてをウメとする。
  「氷室椿」「つばき」「椿」など、ツバキについても多様な記載がある。それらの現代名は、トウツバキなど異なる種を除き、椿類は総称名としてツバキとする。
 「しやうひ」「ついばら」など、多様なバラ類の花材名が記されている。「長春」「月季花」などようにコウシンバラと種名の判断がつく花材は少ない。そこで、形状によって分け、「荊薔薇」「ついばら」などの茨類はノイバラ、判別しにくいバラ類は総称名としてバラとする。この区分は、花伝書の記載や図(花の大きさなど)から判別する。
  「をそ櫻」など、花材にはサクラが数多く使用されているが、花伝書の記載名は多様で、詳しい種類がわからない花材が多い。そのため、種の判別できないサクラは、総称名としてサクラとする。
  『仙傳抄』に登場する花材の現代名は、以上のような検討をもとに示した。さらに、それらの植物名について、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)の記載との矛盾がないかを調べ、十五世紀中頃の花材を示すものと考えて良いだろう。

『義政公御成目』
  『義政公御成目』は、花材がほとんど記されていないので省く。

池坊専應口傳』
 『池坊専應口傳』は、「池坊専應口傳に就いて」によれば「池坊家の秘本を江州岩蔵寺圓林房賢成の所望に依って老年の池坊専応が天文十一年(1543)十月朔日に自署したもの」である。池坊専応は、京都頂法寺六角堂の池坊に住房した僧侶で、当時の立花(たてはな)の名手である。『池坊専應口傳』には、当時の立花の花材が記されており、十六世紀前半の花材を知るには適していると考えられる。
  『池坊専應口傳』には、75余の花材が記され、70種の名前を確認した。確認にあたって、以下のような疑問や問題点がある。まず、花材に記しているものは、必ずしも植物名だけではなく、「雑木、雑草、四花、四葉・・・残花」などもあり、これらは花材名から除く。
  次に、同じ植物と思われる花材に、たとえばフキを「欵冬」「ふきのたう」のように複数名が記載されている場合がある。
  「蓮花」「荷葉」はハス。
 「岩比」と「岸比」はガンピ。
  「寒菊」「菊」などのキクの花材名が記されている。「寒菊」は、種名としてカンギクという名はあるが、現代名の種と同じ植物であるかどうか疑わしい。以後の花伝書にも、「春菊」「夏菊」「秋菊」などの花材が登場する。これらについても、明らかに種を決定できるもの以外は、総称名として科名のキクとする。
  「百合」は、種が不明なため総称名のユリとする。
  「瓜」は、種も属も不明なため総称名のウリとする。
  「岩躑躅」は、『日本庭園の植栽史』(飛田範夫  京都大学学術出版会)によると「サツキ」とある。だが、「岩躑躅」が現代のサツキである根拠は確認できない。サツキについての記述は、『樹木図説』(有明書房)によれば『和漢三才図会』『本草綱目』『和漢三才図会』『大和本草』などにあるが、それが「岩躑躅」であるとの指摘は見られない。『草木名初見リスト』によれば、サツキの初見は1645年『毛吹草』とあり、それ以前、サツキが「岩躑躅」と呼ばれていたとは考えにくい。
  花伝書にサツキが登場するのは、最初が『立花正道集』(1684年刊行)と『抛入花傳書』(1684年刊行)、『立花指南』(1688年刊行)と続く。『立花正道集』には「さつき」と「岩つゝじ」の記載がある。他にも、『深秘口傳書』に「さつき」と「岩つゝし」が記されている。そのため、「さつき」と「岩つつじ」「岩つつし」とは異なるツツジであると考えられる。
  なお、『立華指南』には「いはつゝじは山岡の岩そひに春咲くつゝじの花の事ぞ又いはでの森のいはつゝじと云は此紅葉の事とかやともあれ爰に云は紅葉なりつゝじはつもしの下に見えたり」と記されている。サツキの開花は、その名のとおり五月で春ではない。したがって、春咲く「いはつゝじ」が「岩躑躅」であれば、「岩躑躅」はサツキではない。ただ、「岩つつし」がツツジ科のイワツツジであるということについても、確証はない。
  したがって、「岩躑躅」「岩つつし」などの現代名は確定できず、総称名のツツジとする。
  以上の他に、不明な植物名として「唐水木」「蔓淑」「菁義」などがある。「唐水木」は、中国産のミズキらしいがよくわからない。
 『池坊専應口傳』に登場する植物名は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)から見ても矛盾なく存在し、十六世紀中頃の花材を示すものと考えて良いだろう。そこで、当時の茶花と比較する。茶会記の関係から十六世紀までの茶花として、『天王寺屋会記』『松屋会記』『宗湛日記』などに登場した種類は64程で、『池坊専應口傳』と大きな違いはない。
 さらに詳しく比較すると、同名の植物は32程ある。その中には、茶会で良く使用される茶花の上位8位(ツバキ、ウメ、キク、スイセン、ヤナギ、セキチク、ハギ、キンセンカ)が含まれる。また、32種が占める全茶花(十六世紀までに記された茶花数)での使用割合は87%と、約9割を占めている。『池坊専應口傳』の花材として記された植物は、茶会でも主要な茶花として使用されていると言っても良いだろう。これは、同時代であることを示すもので、当時の花の流行や好みを反映したものと思われる。
  次に、『仙傳抄』と十六世紀までの茶花についても比較してみよう。『仙傳抄』に記された花材で、十六世紀までの茶花と同じものは、29種程あり、主な種のツバキやウメはあるものの、全茶花での使用割合は58%に減少する。時代が下ることで、植物の種類が増えたこともあるが、人々の花の好みが変化していることも影響しているものと思われる。
  時代によって花材も変化しているのではと、『仙傳抄』と『池坊専應口傳』の花材を比べてみた。『池坊専應口傳』の花材で、『仙傳抄』に記された同じ植物は半数以下の30種しかない。『仙傳抄』と『池坊専應口傳』の花材に、関連性があるとは言い難い。池坊専應は、『仙傳抄』を参考にしたのだろうか、花材は、やはり時代流行や華道家の好みによって大きく異なるものと思われる。