江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)
『戦後復興 日々の楽しみ』刊行のお知らせ
来年は2025年、敗戦後80年を迎えます。
この80年は節目です。
日本の出来事を見ると、約80年周期で続きます。
80年前は1945年、敗戦から復興、経済発展・・・そして今日へ。
160年程前が1867年、大政奉還から明治維新へ・・・世界に飛躍して、世界大戦へ。
240年ほど前、1785年前後が天明の大飢饉、多数の餓死者を出す。
320年ほど前、1707年に富士山噴火・・・300年以上噴火が無い。
・・・
言う迄もなく、地球温暖化、各地の紛争激化、これからの変化の兆しがあります。
誰もが今年より来年は良くなりますようと願うものです。
しかし、必ずしも良くなるとは期待できません。そんな世相が浸透しているように感じます。
歴史はやはり繰り返されるようだ。
そこで、1945年からの復興をもう一度見直してみましょう。
そのような観点から『戦後復興 日々の楽しみ』を刊行しました。
この書は、『江戸庶民の楽しみ』『明治東京庶民の楽しみ』『大正ロマン東京人の楽しみ』『軍国昭和 東京庶民の楽しみ』に続く書です。
『戦後復興 日々の楽しみ』の基底には、今は亡き母の感慨があり、それを辿ったものです。
それは、敗戦後の東京は、全てが焼けて本当に何もないようなところから始まりました。都民は着の身着のままの生活を強いられ、その日の食事すら満足にできませんでした。人々の関心事はまず食べ物であり、それも親は自分をさておき、子供を飢えさせないことでありました。国家の将来や戦争責任の追求より、まずは腹を満たすことに全勢力をつぎ込みました。
日本の復興は、幸運に恵まれたといえるかもしれない。そして、さらなる発展が達成できたのは、リーダーシップのある有能な政治家のお蔭ではありません。大半を占める庶民は、国家の威信や企業の繁栄を目指して一生懸命働いたのではありません。政府のさまざまな施策に翻弄されながらも、自分たちの生活を少しでも良くしようと努力したからです。人々は希望があれば、どんな困難にも負けずに将来に立ち向かえるものです。
では、その希望とは何か、家族そろって元気に暮らし、子供の将来夢見て、日々生活に楽しみを見いだすことです。次の休日に子供とどこに出かけようと一緒に考えるのは、至福時です。日々の生活が苦しくても、レジャーが充実していれば、結構満足するものです。敗戦による生活苦は、子供の責任ではありません。子供の成長に将来を託すという選択は、敗戦国の親として当然でしょう。
娯楽・レジャーは、社会における不満や欲望の単なる捌け口と評価されがちです。経済成長に直接寄与しないし、生産性のないものとして軽んじられがちです。しかし、人々が働く意欲を支える原動力に、レジャーは欠くことのできないものです。
大多数を占める大衆が、どのようにレジャーを展開していたかは、歴史的には重要でないと、研究や評価はあまりされていないようです。しかし、戦後社会を理解するには、大衆の生活実態を客観的に捕らえ、明らかにしなければなりません。そこで、日々の動向を新聞から把握し、それを補い、確証するため当時の日記などから探ることにいたしました。
二十一世紀に入り、IT(情報技術)革命を受け入れ、如何に克服するかに邁進している。その先に何があるか、何を目標とするかについて、国民の同意はもちろん、全く分からないまま進んでいます。
ただ経済発展しかないように見えます。庶民は、賃金の上昇、休暇の増加を期待しています。しかし、生活の充実感はあるでしょうか。復興期に味わったような満足感や達成感はあるでしょうか。物欲で麻痺させるような情報に翻弄されていることに気づいてはいないようです。次々に新しいものを求め、新しいものを得ることだけに熱中し、得ることによって失うものに気づいていないようです。
気づいたとしても、気づいたときには遅いということ。抜本的な対応は困難であり、対症療法(その場凌ぎの)で改善するより方法がありません。確かに、日本の国力は増強され、国民は豊かになったと思い込まされたと言えそうです。しかし実際のところは、豊かさの反動として、国民には閉塞感が漂い、個々の人が生きる目標を定めにくくなっていませんか。
恐れるのは、昭和初期と同じように、列国と競い合い、それも政府、陸軍や海軍などがバラバラであったように、統制なく国民を誘導している。そして、昭和初期、戦争を始め、国民がまっしぐらに進んだ軌跡をたどるような体制にはならないようにと、願うばかりである。