天王寺屋会記の茶花

茶花 2 
天王寺屋会記の茶花
天王寺屋会記』の茶花
イメージ 1  『松屋会記』の茶花を調べて、十六世紀半ばから17世紀半ばまでの約百年間の傾向や変遷がある程度見えてきた。となると、『天王寺屋会記』にも興味がそそられる。ただ、『天王寺屋会記』について、史料という点では多くの専門家が疑問を提示している。そうすると、茶花についての解析など無意味だし、見当違いな結果を導くだけではないかと言われそうだ、それを覚悟で行うことにした。その理由は、『天王寺屋会記』の自会記には350を超える茶会に茶花が記され、他会記にも100を超える茶会で茶花が記されているからである。その数は、『松屋会記』の倍以上であり、茶花について、より豊富な情報があるのではと期待したからである。
 
天王寺屋会記』自会記
 天王寺屋会記は他会記(『茶道古典全集〈第7巻〉』)と自会記(『茶道古典全集〈第8巻〉』)とからなっている。それぞれ、津田宗達・宗及・宗凡の三代にわたって記録された茶会記である。まず、自会記から見ることにする。自会記は、宗達茶湯日記(天文十七年~永禄九年)と宗及茶湯日記(永禄九年~天正十三年)とからなっている。
  天文十七年(1548)から天正十三年(1585)までの期間は、松屋会記の久政茶会記と重なる時期である。久政の茶会記が400回ほどであったのに対し、自会記だけで1500回(重複があるので1450程)ほどと3倍以上が記されている。茶花の登場数も413回(出現率29%)と久政茶会記より圧倒的に多い。年代ごとに見ると、天文年間(1548~55)の出現率は4%、弘治年間(1555~58)の出現率は4%と低いものの、永禄年間(1558~70)には12%になり、元亀年間(1570~73)には49%という高い割合になっている。天正年間(1573~85)は39%で、全期間では28%となる。
 茶花の種類も茶会に多く登場するにしたがって増えている。弘治年間以前のサンプル数が少ないことから断定はきないが、植物の種類は永禄年間から増えたように見える。また、筆者・津田宗達より宗及の方が茶花に関心が高いようで、茶会に活けることが多くなっている。なお、茶花の植物名については、あえて推測しないでそのまま採用し、いくつかある不明なものは削除している。たとえば、「てうしゅん」については、「長春」の括弧書きがあり、コウシンバラではないと思えるが、他会記に「金セン花」との注があるので「キンセンカ」とするように、『茶道古典全集』の記述に従った。また、イチハツやカキツバタなど菖蒲類は、よく似ていて混同しているかもしれないが、茶会記に表記されている名称を採用した。
 以上、不明な茶花を除くと、42種の植物が茶花として使用されている。最も多かったのがツバキで、次いでウメ、キク、スイセンセキチク、ハギ、ヤナギ、モモ、アサガオの順になっている。天王寺屋会記自会記で特徴的なのは、ツバキが圧倒的に多いことである。ツバキの記載名は、薄色椿(薄色・薄色之椿)と白玉(白玉椿)との表記が大半を占めている。淡い色彩の花が茶花として好まれていたのだろう。次に多いウメは白梅が多いが、紅梅もかなりある。紅梅の赤色は、ツバキの赤色より淡い色で、花の大きさも小さいことから使用頻度が高かったのだろう。次に続くキクは、上位2種に比べ半数以下とかなり少ない。また記載名も寒菊、春菊、野菊、紫菊など様々で、同じ種類のキクではない。特に紫菊は、シオンかヨメナなどを指している可能性がある。
  その他の茶花として、キンセンカ、キキョウ、シャクヤク、フヨウ、ススキ、アサヂ(茅)、フジ、ヤマブキ、ユウガオ、苗(稲の苗か)などがある。また、使用回数が1・2回と少ない植物では、カイドウ、バラ、クズ、イチハツ、カキツバタ、ケシ、リンドウ、マツ、ヒメユリ、ナデシコカンゾウサクラソウオウバイ、ナタネ、オオムギ、センリョウ、ムクゲ、などがある。ユウガオは、ヨルガオではなく糸瓜か瓢箪の花ではなかろうかとの疑問はあるが、別にヘチマ、ヒョウタンの記載があるのでそのままとしておく。苗は「なへ」とあり「若稲」らしい。面白いのは、食用にされる植物、例えばキウリ、セリ、ミョウガ、タケノコなども使用されていることである。茶花は、何を使用してはならないという決まりはなかったのではないと思われる。
  では一体、当時の茶人は茶花をどこから調達したのだろう。天正五年三月十日の茶会には、「庭前之桃、生候」と路地に植えてあった植物を生けている可能性がある。アサガオヒョウタンなどは、すぐに萎れてしまうことから、おそらく身近な場所から入手していたのではなかろうか。また、セリやミョウガ、ナタネなども、やはり近くの菜園から持ってきたのだろう。その他には、客が花を持参した例もいくつかあり、それによっても植物の種類が増えているようだ。
 茶花の選定は、自会記ということから基本的には宗達や宗及の好みで選んでいるものと思われる。中でも茶花の使用回数の多い植物は、宗及の好みを反映しているものと思われるので、松屋会記や小堀遠州茶会記集成の茶花と比較してみよう。主要な茶花は、天王寺屋会記がツバキ・ウメ・キク、松屋会記ではツバキ・スイセン・ウメ、遠州茶会記はスイセン・ウメ・ツバキと大きな差はない。そこで、松屋会記の久政茶会記と茶花の種別の使用頻度を比較すると、相関係数は0.55とかなり低い値を示している。また、遠州茶会とは0.53とやはり相関の低いことが示された。遠州とは茶会を催している時代が40年以上差があるから納得できる。しかし、久政茶会記とはほぼ時代が同じであるに、使用された茶花に相違があるのは、宗及の好みが強く反映されているためであろう。
 
天王寺屋会記』他会記
  他会記は、宗達茶湯日記(天文十七年~永禄九年)、宗及茶湯日記(永禄八年~天正十三年)、宗凡茶湯日記(天正十八年・元和一~二年)からなっている。それぞれの茶会記数は、宗達と宗及の割合が97%を占め、宗凡の茶会記数は非常に少ない。また、茶花が登場する茶会数は、宗達茶湯日記が42回、宗及茶湯日記が86回と自会記に比べて非常に少ない。そのため、個々の日記ごとに解析する意味がないと判断、全体として見ることにした。
  まず、茶花の登場する割合を年代別に示すと、天文年間(1548~55)の出現率は11%、弘治年間(1555~58)は12%、茶会記が375程ある永禄年間(1558~70)は11%、元亀年間(1570~73)は15%、茶会記が530を超え最も多い天正年間(1573~85)は12%で、全期間では12%となる。他会記の茶会では、ほぼ同じくらいの割合で茶花が登場していた。
  使用された茶花の種類は31種、自会記と比べると74%と少ない。茶花の使用頻度を見ると、ウメが最も多く、次いでツバキ、キクとなっている。以下は、ヤナギ、スイセンキンセンカとなるが、上位3種とは桁が違う。その他の植物として、アサヂ、キキョウ、マツ、カイドウ、ススキ、アサガオ、イチハツ、モモ、タケ、リンドウ、ボタン、ウツギ、ヒメユリ、ササ、カキツバタ、センリョウなどがある。自会記にない珍しい種として、ミヤマシキミ、フキ、ケイトウ、ヤマタチバナ、アザミがある。
  他会記は、自会記に比べて茶花の使用頻度が低いだけでなく、種類も少ない。他会記が茶会の茶花を漏れなく記していたとすれば、宗及は茶会に積極的に茶花を生けていたものと考えられる。自会記の茶花が種類の豊かなことからも、宗及は植物好きで見識も高かったものと思われる。したがって、宗及は茶会で茶花に関心をもって見ていたのではなかろうか。
  さて、同じ他会記である松屋会記と比べると、久政茶会記の茶花の登場割合は13%であったことから、天王寺屋会記の割合は特別低いとは言えない。植物の種類についても、数だけを取り上げれば久政茶会記の2.8倍あるが、茶会記数も3倍あり、出現率から考えれば差はないと言えそうである。そこで、茶花の使用頻度について相関を調べると、0.64と低い。これは、久政と宗及たちとは互いに異なった茶会に出向いていたということだろう。
  さらに、他会記と自会記の茶花について比べてみたい。双方の会記に共通する種類は22種で、決して多いとは言えないが、ウメ、ツバキ、キクなど使用数の多い植物は双方とも重なっている。そのため、種別の登場割合の相関係数は、0.92と高い値を示している。係数に影響を与えるのは植物の使用数であり、数値が高い値を示した理由はよくわからない。たぶん、偶然でだろう。それに対し、逆に係数を下げるのは使用数に大きな差があるためで、その理由は宗及の好みによるものと考えられる。彼は、ウメやツバキなどを多用する一方で、アサガオセキチク、モモ、ハギなど、他の人があまり茶花として使わない種類も比較的使用していたと言えそうだ。
 
  以上、天王寺屋会記の茶花を調べて、床の間に茶花を飾るか否かなどのルールは天正年間にはほぼ決まっていたように感じる。しかし、茶花に使う植物については、さほど制約がなかったように見える。そして、茶花より花入れの方が主役であり、花入れだけしかない茶会が数多くある。時には、花入れから茶花を引き抜いて、花入れを見せることもある。どうやら、茶花は花入れより自己主張してはならないということらしい。それでも、花好きな人は、同じ花入れに様々な植物を生け、楽しんでいたのではないかと思われる。その他にも、興味ある推測もできるが、茶道に疎いことからこの辺で止めることにする。
  そして、やはり気になるのは、解題に指摘されている茶会の重複記載などの問題である。ただ、個々の事実が訂正されても、茶花のサンプル数が多ければ、統計的に見れば有為なものになるだろう。また、茶花については、大まかな傾向や趨勢がわかれば良いのではないかということも感じたが、この辺も茶道関係の専門家ではないので、これ以上のコメントは差し控えるべきかと思う。