森鷗外のガーデニング


はじめに
 森鷗外の趣味がガーデニングであったことは、ほとんど知られていない。だが、彼の書いた小説や戯曲などを読むと、花が大好きであったことに気づく。さらに、彼が遺した日記を見て、ガーデニングに熱中する姿を確認し、私は確信した。
イメージ 1 たとえば、明治三十一年の日記には、植物に関連した記述が実に四十五日分も残されている。その三十五日は、鷗外の庭に咲いた花の記述である。ついでに言えば、日記に「新たな花が咲いた」ことしか書いていない日が十九日もある。実際の庭作業についても、花の種を蒔くとか、花壇を広げるなどの記載が四日に及ぶ。この庭作業は、片手間ではなく、その日の大半を費やす大仕事である。鷗外は、その他にも軽微な作業を日記に描かなくても、行なっていたことは間違いない。と言うのは、日記に苗を買ったという記述があるものの、植えたという記載がないからである。鷗外のことだから、そのまま放置していることはあり得ず、自分で植えた違いない。
 また、『阿部一族』『佐橋甚五郎』を発表、『ファウスト』『マクベス』などを次々に刊行するなど、多忙を極めたであろう大正二年には、三月十六日から実に四週連続で日曜日に庭の手入れを行っている。これは、現役を退き、時間的に余裕があるか、よほどのガーデニング好きでなければできない所業である。
  イメージ 2そして、何と言っても極め付きなのは、年代は不明であるが二月から九月まで、庭の開花を記した花暦を書き遺したことである。鷗外は、ほぼ毎日のように自庭に新に咲いた花を観察し、花の種類は優に67種を数えている。他の日記などから推測すれば、100種を超える植物が彼の庭に生育していたことは確かである。
 多作を持って知られる鷗外の著作にざっと目を通してみたところ、なんと350種もの植物が登場していた。このような数多くの植物を小説などに書き入れた作家は、他にいるだろうか。しかも、その植物は正確な知識を踏まえ、彼ならではのこだわりが感じられる。植物は、作品の質と味わいを高めるために記されている。推測すると、鷗外作品の特徴の一つは、植物にこだわりを持って書くということとであろう。
イメージ 3  そこで、「花」(植物)を一つの切り口にして、森鷗外について探ることにした。とは言っても、私は文学者ではないので、小説家や軍医としての鷗外より、園芸愛好者ならではの視点から注目したい。第一に、鷗外が花や樹木を心から愛していたことは、期せずして彼の人生を豊かにしたことは間違いないだろう。特に超多忙、今でいうところのマルチな才能にあふれた鷗外にとって、ストレスも無縁であったはずはない。花を通しての家族とのふれあいは、彼にひとときの安らぎ、生き甲斐になっていただろう。鷗外の生涯を語る上でも、彼と花との関わり、思い入れに関する逸話は欠かすことができない、と私は考えている。私も同じガーデニング愛好者の端くれとして、その辺のことをおいおい紹介したい。
  そして、私が鷗外に近親感を感じたのは、観潮樓の庭に植えていた植物の7割が私の庭に生育していたからである。偶然ではあるが、好きな花も共通しており、赤の他人ではないような気にさえなった。特に、植物への接し方が私と同じであること。それは、植物を自分の意のままに取り扱わないようにすることである。植物と対峙する姿勢も等しく、植物から得る自然の感性にも強く共感した。
  私は、何か運命的な結びつきを意識せざるをえなくなり、鷗外のガーデニングを紹介することに駆り立てられた。そこで、彼の遺した花暦をもとに『鷗外の花暦』という本を養賢堂から出版する幸運を得た。さらに、彼の生まれ故郷にある「森鷗外記念館および旧宅」の修景設計を行なうことにも廻り逢えた。これから示す内容は
、「文京アカデミア講座」で『園芸のプロ・森鷗外』と題して講演した話を編集したものである。