大正四年~六年日記


『大正四年日記』
 この年、五十三才。『山椒太夫』など発表、詩集『沙羅の木』を刊行。
 四月になって、しばらくぶりに庭の記述が復活。
「四日(日)。晴。今年に入りてより始て園を治す。・・・」
 しかし、その後の日記には、庭の植物についての記述は何もない。
 ただ、鷗外が植物に接したと思われる記述は以下のようにある。
「二十五日(日)。晴。・・・妻子と小石川植物苑に往く。」
五月「九日(日)。陰。柏木幸子、妻、茉莉、杏奴、類と植物苑に往く。・・・」
七月「十八日(日)。晴。牽牛花を椿山荘に送る。・・・」
八月「二十九日(日)。晴。杏奴、類を伴ひて小石川植物園に往く。」
十月「三日(日)。薄曇。妻、茉莉、杏奴、類を伴ひて、柏木にゆく。花洲園に憩ふ。」

『大正五年日記』
 この年、母峰子が三月に死去。医務局長を辞任。『高瀬舟』『寒山拾徳』などを発表、『渋江抽斎』『伊澤蘭軒』などを連載。
 この何年か観潮樓の庭は、鷗外よりも峰子の管理によって美しさを保っていたようだ。於菟は『父親としての森鷗外』「鷗外の母」に、
「・・・少しの暇があれば庭に出て落葉を掃き雑草をむしり、なお庭の一部に草花をつくって終日楽しげに身体を動かしていた。」と書いてある。
 鷗外は、四月に医務局長を辞任し、自宅にいることが多くなった。そのため、庭に出て作業する時間的な余裕は十分あったと思われる。しかし、前年同様、日記に庭の草花の記載はない。鷗外の庭への関心が薄れたのかとも思うが、植物との関わり合いは依然続いている。観桜会(4/19)、小石川植物園(4/21・5/14・6/26・8/7・8/21)、井の頭公園(5/11)、日比谷公園(7/11)、上野公園(7/19)、飛鳥山(9/10)などの他、自宅周辺を歩きながら緑や花のある場所にも好んで訪れている。さらに、かなり遠出もしていて、飯能多峰主山(10/24)にも登っている。
 鷗外の植物への関心は、以前にも増して深めている。それは、六月から東京日日新聞に連載中の『伊澤蘭軒』に出てくる植物名を見ればよくわかる。彼は、数多くの植物名を『本草網目』など昔の植物関連図書を参考に同定(対照させて名前を示す)しながら『伊澤蘭軒』を書いていたと思われる。
当時の小説の中で、『伊澤蘭軒』より多くの植物名が出てくる作品はないと言えるだろう。

『大正六年日記』
 この年、鷗外は五十五歳。『伊澤蘭軒』を九月まで連載、続いて『北条霞亭』などを連載。
 また、大正六年の、日記にも庭の植物のことはなにも出てこない。それでも、あちこちで花は見ていたようで、シャクナゲやハス、ツツジなどの名前が日記に記されている。五月二十八日に出かけた三河嶋喜樂園では、スイレンの花を見るだけでなく、蘭草(フジバカマ)を入手。当然のことながら、鷗外は自分の庭に植えたものと思われる。
 植物があり、花の咲いていそうな場所に鷗外が出かけていった日数を数えると、実に約三十回にもある。植物の名前の書かれていない日もあるが、花を見たであろうことは、出かけた場所から推測して明らかである。そこで、鷗外の出かけた日記を以下に示す。
 二月八日(木)。晴。類と日比谷公園に往き・・・
  十四日(水)。晴。妻と類を率いて龜戸菅廟(亀戸天神)・・・
  十九日(月)。晴。類と日比谷公園に往く・・・
  二十四日(土)。晴。・・・日比谷公園に憩ふ・・・
三月十一日(日)。晴。與妻茉莉類杏奴歩日比谷公園。・・・
   十二日(月)。陰。與妻類遊浮間原・・・
   二十二日(木)。陰。・・・夕独歩不忍池畔・・・
   三十日(金)。晴。與妻茉莉杏奴類遊多摩川・・・
   三十一日(土)。晴。與妻茉莉杏奴類遊植物園・・・
四月五日(木)。晴。遊浮間原・・・
   六日(金)。晴。南風勁・・・予妻類遊上野。櫻花盛開・・・
   十七日(火)。晴。往新宿御苑・・・
   十九日(木)。晴。與妻並類往芝公園・・・
五月三日(木)。晴。與類並級友遊植物園。
   十六日(水)。晴。・・・夜至日比谷公園。観杜鵑花。
   十七日(木)。晴。與茉莉杏奴類往芝公園・・・
   二十七日(日)。晴。・・・夕與茉莉、杏奴、類往日比谷公園・・・
   二十八日(月)。晴。與妻往三河嶋喜樂園。獲蘭草歸。園地睡蓮盛開。尤可愛也。
   二十九日(火)。晴。與妻往新大久保躑躅園・・・
六月一日(金)。初陰午後晴。與妻往堀切園。
  七日(木)。晴。與妻往目黑花園・・・
七月二十二日(日)。晴。爽率妻孥歩不忍池上。夕再歩池上。
  二十五日(水)。晴後陰。溽暑。與妻兒至不忍池上。
  二十九日(日)。晴。微凉。朝率妻兒往不忍池上看蓮。
八月五日(日)。晴。夕小雨。暑甚。與妻兒至目黑植物園・・・
  七日(火)。晴。・・・夕率妻兒往不忍池上。
   十一日(土)。晴。向島百花園有放蟲會。率三小兒而往・・・
九月二十六日(水)。晴。・・・與妻歩不忍池上。
十月二十三日(火)。晴。與妻、杏奴、類遊植物園。
十一月十一日(日)。晴。・・・予與妻及二女國技館(菊見)・・・
 なお、鷗外は、この他にも椿山荘や上野動物園に出かけている。そこでも、当然何らかの植物は目にしているだろう。また、天気のよい日には、小石川や本郷など近在を散策し、江戸川、神田明神諏訪神社などを訪れている。一月は九日間、二月は半月以上、三月から八月まで毎月十日以上散歩をしている。こうした傾向は、前年の八月頃から見られることである。