江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)282
本当の参加者が分からない祝賀行事
警察は、大衆が集まることに神経をとがらしており、たとえレジャーであっても容易に許可しなかった。祭りでさえ、必ず警察に届けなければならなかったし、通行の混乱や喧嘩などの騒ぎを起こさないようにとの名目でしっかり警護された。江戸時代の天下祭りは、町人たちが独自に取り仕切り、侍の警護や誘導などという無粋なものは何も無かった。それが明治になって、江戸の祭りの灯が消えるなか、政府は官製の祝賀行事によって、大衆が楽しんではならないということをはっきりと示した。
明治・大正時代の大衆は、小学生の頃から官製の行事に参加させられた。しかし、大人になると、官製行事に誘われても、仕事が休みにくいこともあって、江戸時代の祭りのようには加わらなかった。だから昭和になってからも、ことあるごとに催される官製行事に、まず動員されるのは学生と小学生というのが恒例となっていた。
昭和二年二月八日付けの新聞は、「大正天皇大喪儀」(東朝)という見出しの記事で一面すべてが埋められていた。「宮城前大広場は各大学専門学校を始め団体奉送の大群十数万御道筋をはさんで遙に連なり……」とある。それにしてもなぜ学生団体が先頭にあげられているか、不思議でならない。
大正天皇の柩が沿道を通過するのは、午後6時を過ぎているから、仕事帰りの人々でも十分に間にあったものと思われるが、「沿道幾万 奉送の群は……」と書かれているものの、そうした人々についての具体的な数字は見当たらない。
同年十一月四日付の新聞には「菊花さかりて秋晴れの明治節」(東朝)とある。この日は始めての明治節に当たり、「暁から人波を打って 大混雑の明治神宮 午前中の参拜早くも二十五万人」とあり、日中50万人、夜も30万人の参拝者があったとされる。この賑わいを写したものだろう、「明治節に賑ふ全市」とのタイトルで、明治神宮の入口の鳥居前付近の写真が掲載されている。しかし、その写真に写っている人込みは意外にもまばらで、一時間に5万人が訪れるほどの規模の人出ではない。他に群集した写真がないところをみると、組織的な大衆動員はなかったのであろう、また、小学生などによる恒例の旗行列や提灯行列もなかったものと思われる。
昭和三年十一月十一日付の新聞には「灯の海、人の大波に 不夜城の東京全市 提灯行列に万歳とゞろいて わき返つた奉祝いの夜」(東朝)と十日に行われた天皇即位を祝う様子で紙面がうめられている。「……街から街をねり歩く学生、青年団、町会等の提灯行列……帝都近年になき稀に見る人出であつた」とある。そして、「奉祝高潮」という見出しがついた写真には、「赤坂離宮前に集つた小学生の旗行列」ということで、動員した子供たちによって埋められていた。また、「提灯行列の大群衆 続々三方面から押し寄せて 大賑ひの二重橋」「明治神宮の参拜者十数万人 提灯の火に埋められた 青山渋谷の大通り」「花電車を待つ 人の波に埋る 身動きならぬ銀座 正に街頭への市民総動員」という文面も見えるが、こうした情景は、即位を祝っていると言ってもいだろう。さらに、当日の記事は、市内各地の奉祝情景も伝えているが、「交通途絶の賑ひ 花火と昂奮の上野付近」の騒ぎや「花電車も立ち往生 浅草の賑ひ」などと、祝いを口実に自分たちが楽しむ以外のなにものでもないと思えるような状況もあった。
また、昭和五年三月二十七日付の新聞には「歓喜の乱舞の中に 沸立つた全帝都 昨日の人出実に二百万 素晴らしい復興の首途よ!」(東朝)「銀座街を中心に殺人的な大群衆 電車、自動車もバスも動かばこその人波」「空もこげよと打ちふる提灯の海 夜空を彩る花火に相和して 延々二万人の行列」「音楽大行進 陸軍軍楽隊を先頭に 人気の中心となる」「市民公徳運動 大行進の頭上を飾る五色のテープの雨 街頭巻起る共鳴のあらしに 威力都大路を圧す」とある。これらは、関東大震災から立ち直ったことを祝う都復興祭と、それに関連して朝日新聞社が主催した市民公徳運動大行進の記事である。「二十六日午後、郊外から山手から渦の如く殺到した大群衆は銀座丸之内一帯を完全に埋め盡した、本社の公徳大行進を始め広告行列音楽行進、花電車および小学生の旗行列等あらゆる催し物が総動員されて日比谷へ、銀座へ、上野へと突進したのだからたまらない。全東京が空き家になつたかと怪しまれる程の空前の賑はひだ・・・狩りだされた二千人の警官、青年団は交通整理に・・・ザット見積つたところではきのふの人出は二百数十万だろうといはれている」と、あいかわらずの不況が続いてはいたが、その時期、これといった官製行事もなかったので久しぶりのお祭りとして賑わった。なお、「公徳運動の大示威 銀座通りを行進する盛観」という見出しがついた写真は、2万人の規模がどの程度かをハッキリと示している。
以後も官製の行事は数多く続くが、新聞は独自の調査をしないで、警視庁などの発表する数値などをそのまま掲載していたようだ。そのため、行事や集会などの参加者数は、残念ながら以後の記事では多ければ多いほど信頼しにくいという一面がある。もし、正しい数値を知ろうと思うなら、警察官の動員数や迷子件数などをもとに、規模を推測するしかない。