アチャラカを許す二月六日から八日

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)341

アチャラカを許す二月六日から八日

昭和二十年二月六日の朝日新聞には、「マニラ北部に的肉薄、わが出血作戦本格化」。二面に「必勝歌」発表会、二月十一日日比谷公会堂

 高見は、「新橋から地下鐵で渋谷へ行き、東横線に乗った。車掌が男なのが変だった。以前なら当たり前なのだが今日ではもういつの間にか省線も都電も車掌は残らず若い女の子になっている」と、女性の職場進出は著しいもので、工場などでも多数働いていた。

 

二月七日の朝日新聞には「マニラ一角へ敵侵入 わが軍、激撃奮戦中」とある。

ロッパは、「娯楽の変貌は又甚しく、最近、警視庁の寺沢が、軽演劇のシミ金などを呼んで、時局がかうなったから、アチャラカを許す、大いに辷ったり転んだりしろと申し渡したと言ふ」ことを日記に書いている。戦局は日増しに悪化、流言が増加してきた。また、このまま戦意向上を押しつけるだけでは行き詰まりを感じたのか。確か、二日付の新聞には、「勝利の日まで享楽お預け」と出していた。当局の指示は、混乱しているのか、その場凌ぎの思いつきなのか。

 

二月八日の朝日新聞は「壮絶マニラ市街戦 我精鋭”出血”に奮迅 猛火狂う修羅場」とある。二面に“不正缺勤”へ制裁、無届十五日以上にお米を減配。

 高見は、「東宝地下室の国民酒場が早くも再開していて、人々が行列を作っている。何か逞 しい感じであった。日比谷公園へ墜されたB29の展覧を見に行った。今さらながら大きいのに驚く。一緖に日本の戦闘機が出してあつたが、今さらながらその小さいのに驚い」ている。

 清沢は、「雪降る。本年は世界あらゆる方面で五十年ぶりの寒気といわれる。東京で家の中の水が全部凍るという如きは三十年の東京生活で知らない。炭はなく、本年の寒さは誰にもこたえる。本年の冬を通じ、先頃、一俵の木炭の配給があっただけである。幸いにして我が家にはまだある」と。