★安永九年春・一月~三月

江戸庶民の楽しみ 53
★安永九年春・一月~三月
★一月
九日○九過より(略)浅草参詣(略)神明参詣(略)保福寺前(略)谷中通山内屏風坂、車坂の門より出(略)三河屋に休み田原町中小路並木へ出、風神門内群集、直に参詣(略)柳屋十次郎鄽(略)伊勢屋に休む(略)帰路広小路より例の如し、孔雀屋(略)山下より中町手打そはへ立寄(略)客甚多し(略)女坂より上り伊勢屋江行(略)地蔵・聖廟拝し西門より(略)土物店(略)吉祥寺前(略)暮前帰る
十八日○九過より浅草参詣(略)土物店(略)加賀門前より天沢寺(略)聖廟拝し男坂伊勢屋に休む(略)女坂より下る中町(略)弘徳寺より甚賑也(略)田原町二丁目(略)御堂前(略)風神門内参詣多し、直に観音拝し御手洗へ鰻放し下向、伊勢屋に休む(略)御堂前(略)孔雀屋江立寄、客多し(略)車坂より上る(略)大師参詣(略)法住寺橋にて竹に付たる煎餅買ハせ、首振坂(略)富士前(略)奥の口より帰る
廿日○九過より一ツ目金毘羅参詣(略)土物店に太神楽舞ひ人込合、湯島参詣(略)男坂を下り御成小路に(略)上野参詣(略)松永町(略)藤堂前、新橋、柳原、両国(略)金毘羅参詣、帰りに丸屋へ立寄(略)薬研堀不動参詣、浅草見附前へ出柳原通(略)筋違橋(略)御成小路(略)数寄屋町小道具屋ことに立寄、中町手打蕎麦へ(略)湯島切通し下駄屋毎に立寄(略)加賀脇より本郷通(略)大番町(略)帰廬七半過
廿五日○九時より湯島参詣(略)吉祥寺前(略)本郷(略)湯島甚群集直に参詣、男坂伊勢屋に休む(略)植樹を見、地蔵拝し女坂より下り(略)中町へ出(略)山下鄽(略)松屋鄽(略)上野へ入る、吉祥閣(略)寺町諾所(略)谷中門(略)千駄樹(略)御鷹匠前(略)八半少過帰慮
廿八日○九ツより珠成同道浅草真崎へ(略)上野日長原(略)車坂より下り広徳寺前御堂うち賑ゆへ通り、浅草広小路にて大なる葬礼を見る、供百人余、尋さすれハ森下町山田屋と云酒家の由浅草賑也(略)参詣(略)海老屋に休む(略)聖天町より穢多町へかかる(略)浅茅原(略)裏通り仙石屋へ行(略)吉原前より根岸(略)乞食坂へ(略)登畢(略)瘡守前より桟崎通り暮少前帰家、
廿九日○九時よりお隆同道日暮里へ(略)表門より妙喜坂笠志茶屋に休み、野通り道灌山(略)山の下り際より青雲寺裏迄泥濘如沼女花子多く集居て往来に下駄を借す様子(略)桜屋に休み青雲寺より(略)法華寺芝上にて開宴(略)浜田屋きんとん取寄(略)いろは二町を廻り谷中通、桟崎にて笹に付し煎餅求め(略)世尊院前身代地蔵を過、松悦方へ立寄暫休み、暮少前帰廬
 この年の正月は、九日が最初の外出、その次が十八日と、例年より出かける日にちがゆっくりしている。出かける先も、一ツ目金毘羅や日暮里などいつもの年とは少し違う。変わらないのは浅草などの人出、月初めの観察がないので断言できないが、前年にも増して賑わっていたのでは。その中で気になる記述は、廿八日の「浅草広小路にて大なる葬礼を見る、供百人余」で、酒屋の葬礼が大々的に催された。町人は財力だけでなく、その存在もアピールしているということであろう。その他として、廿九日の道灌山で「女花子多く集居て往来に下駄を借す様子」と、下駄のレンタルが商売となっていたのだろう。信鴻が日記に逐次記しているのが道路の泥濘、いかに当時の道が歩きにくく大変であったかを示している。そのような道路事情もあって、「下駄を借す」ことに着眼したのだろう。
★二月
四日○九ツより浅草参詣(略)鰻堤にて定泉寺・正行寺(略)本郷(略)湯島参詣、聖廟拝し地蔵も拝し、女坂より中町広小路(略)山下より広徳寺前孔雀屋へ(略)直に浅草参詣(略)芳屋に休む(略)並木を一町下り田原町後ろ町小道具屋(略)紅担河孔後屋(略)山下手前広徳寺西(略)広小路へ出、池端竹細工の鄽(略)広小路石焼豆腐新鄽へ(略)広小路にて喧嘩を七八人(略)池端通り首振坂より世尊院(略)吉祥寺(略)帰廬暮前
十五日○九前(略)涅盤会に(略)谷中通観善寺火除不動尊入寺参詣群集(略)常行堂涅槃像拝す(略)車坂より下る、塗中惣而行人賑し、孔雀屋掛札を見、浅草参詣甚群集、芳屋に休む(略)観音拝し(略)後堂涅槃像を拝し、寝仏へ参り並木を下る、甚賑也(略)第六天内より両国へ出、橋上人群集、回向院参詣、本堂談議にて熟閙、玄関に涅槃像在、人を分て拝す、開帳のことく賑也、門より南折一目弁天・金昆羅参詣(略)両国渡り柳原新橋より三絃溝西折、加藤生駒前竹町宝王山末木弥陀参詣(略)中町卵麺へ(略)切通しへ(略)加賀脇より本郷通(略)七半過帰廬
十六日別録○市村座頑要
十八日○九ツより浅草参詣(略)谷中通観智院へ入一覧、屏風坂より下る、下寺宝勝院大師参詣、近年の大群集(略)爰より浅草迄行人市の如し、車坂門より出、田原町(略)戸繋伊せ屋に休む、因果地蔵参詣、本堂を拝し(略)奥山廻る、吉原禿廿人計山の茶屋へ行、先刻寺町にても大勢見掛る、又矢大臣門より禿十四五人来る(略)寺町(略)今日孔雀庵甚熱閙、鄽外に菓子鄽なと出し新に茶汲少女なと見ゆ(略)山下より竹町へ掛り三枚橋へ出植樹を見る、渡都に命し梅紅白接分棒木を直を付させ(略)中町手打へ(略)湯島女坂(略)お清茶鄽に休む(略)聖廟参詣、開帳仮店普請最中(略)本郷より帰る(略)七半過帰廬
廿七日○九半比よりお隆同道野遊に出(略)表門を出銚子や鄽へ(略)和泉境より建部の間抜野へ出、四辻より(略)畝道にて娵菜・蒲公・田芹を摘、滝川寺へ入(略)崖下へ下り窟を拝し、土橋を渡り(略)向崖上の民家の前に床机貸り弁当遣ひ酒を飲(略)爰より日色翳故王子へ出、権現拝し崖上より流川を望み、飛鳥山磴道を登り蒲公を摘(略)山を下り、本道(略)一本桜手前(略)笠志茶鄽(略)暮前帰廬
三十日○九半前より他行(略)土物店通湯島へ行、聖廟拝し(略)大坂屋へゆく、前乞食相撲人立在、明日より開帳の由(略)風強き故(略)女坂より下り中町鄽共を見、大槌屋雛鄽へ立寄(略)日野屋(略)広小路にて彼岸桜立花を穴沢に買ハせ(略)黒門(略)谷中通り首振下(略)千駄木植樹屋へ立寄、動坂植木屋(略)煙を弄し七ツ前帰廬
 二月は、特別なイベントはないものの浅草などの盛り場は賑わいを呈し、信鴻は興味深げな光景をいくつも記している。十五日は恒例の涅槃会、例年より丹念に訪れているようで、また賑わいも増している。その他には、廿七日の野遊び、残念ながらまだ寒く堪能できたとは言えないが、花見の前の行楽であろう。また三十日、雛人形を身の回りの人にプレゼントしたのであろう、その補充に十軒店(雛人形の店が連なる)へ出かけようとしたが風強くあきらめている。    
★三月
四日○九半前より湯島・浅草参詣(略)土物店本郷通り湯島開帳参詣、上毛此良田威徳山惣持寺本尊十一面観世音(略)縁起を求め普門品納め、聖廟拝しお清鄽に休む(略)地蔵拝し女坂より中町広小路(略)山下(略)浅草参詣(略)伊勢屋に休む、今日参詣多し(略)孔雀庵へ寄り句を付る(略)車坂より入、初め鰻堤より所々彼岸桜・桃花満開、護国院前より善光寺坂根津千手観音開帳へ行(略)参詣甚少し、身代地蔵より(略)御鷹部屋前より行、富士前(略)七半頃帰廬      
九日○八前よりお隆同道西原へつみ草に(略)笠志門前畝道煉菜・芹を摘、無量寺に入如来観音を拝し、(略)笠志方へ行弁当(略)畝道へ出草を摘、小魚をすくふ(略)龍志西隣勝蔵院(略)境内へ行、庭に大樹の彼岸桜満開、かしこの井にて手を洗ひ七杜の山へ升り本道へ出、笠志茶屋に休み(略)牡丹花や前へ行南折、又草をつみ黄昏に成ゆへ田のあせより螢沢橋江出、暮比帰廬
十日○八少前よりお隆同道つみ草に(略)殿中辻より山王山を下り田畑堤にて娵菜を摘、中里村へ入牡丹屋前(略)無量寺前より草を摘、三町はかり西の畷前後にて芹を取、七頃笠志方へ行、笠志迎に出、彼処にて弁当つかふ(略)仮山を廻り茶鄽の口ヘ出遠望、此頃桜花・桃季・辛夷満開(略)笠志前導草を摘ながら行、無量寺前より南行、石橋を渡り洞津侯長屋の間へ出暮時帰廬
十六日○九過よりお隆同道摘草(略)西門より出巣鴨通りへ(略)御鷹狩御成にて(略)根岸彼処辺も御狩場の由(略)摺鉢山へかかり、具茨旧邸前にて娵菜つみ、巣鴨かみ新田にて娵菜・芹を取流にて洗ひ、雑司谷御鷹匠屋敷前の畷にて又摘草、所々忍冬を取、白鳥稲荷にて烟を弄し、御鷹部屋より千年堂下の三辻へ出、茗荷屋脇にて又摘草、和泉屋(略)亭主庭に植し由桜草数株貰ふ(略)鬼子母神参詣(略)茗荷屋裏にて娵菜沢山摘(略)本通を帰る、護国寺外を廻り大学館径道裏門(略)猫また橋より六半前西門より帰廬
二十日○九前より浅草参詣(略)門前花見遊客多し、谷中妙法寺千部にて大挑燈左右に掲け参詣賑也(略)上野中人叢引も切らす、残桜所々に在、車坂より下り孔雀屋鄽先に(略)三河屋に休む(略)池の妙音寺に開帳ゆへ行(略)本堂にて談議聴衆二三十人(略)御堂裏誓願寺前より田原町へ出、風神門(略)参詣、御手洗へ鰻を放し、裏門外海老屋に休む(略)聖天町より新町を行抜、浅茅原より裏通り仙石屋へ(略)土堤より金杉へ出、町家へ寄山崎町へ(略)植樹屋を見、小野照崎参詣、裏門より出、根岸門より信濃坂を登る、塗中人叢夥し(略)千駄樹植樹屋を見、動坂上へ(略)入相比帰家
 二月末、廿八日「お隆折詰雛菓子貰ふ」、廿九日「例の通雛棚造、明日飾る」、三十日「槌屋雛鄽へ立寄」など雛飾りに関する記述が多かった三月になって、雛祭りとは記されていないが、月初めの行事のようになっている。三日には、「穴沢を此問槌屋にて気に入し雛買に遣ハす○萩原・野田・蔵持・山本に雛見せ廿糠遣ハす(略)捨・甚三郎へ小人形遺ハす、煮染・白酒・吸物等を出し夜餉喫(略)新雛穴沢求め来りお隆へ遣ハす」とある。小宴が有り、お隆だけでなく甚三郎、男の子にも人形を遣わしている
 三月は開帳のシーズン、『武江年表』には「三月朔日より湯島社地にて、上野世良田感徳山惣持寺十一面観世音開帳○麻布善福寺冠纓聖徳太子開帳、親鸞上人筆八字名諕を拜せしむ○千駄が谷八幡宮神功皇后春日明神開帳○三月朔日より市谷柳町光徳院千手観世音開帳○同日より池の端妙音寺祖師開帳○三月十五日より、青山善光寺にて、攝津難波堀江一光三尊佛開帳、和光寺○三月十六日より、永代寺にて、葛飾郡吉川延命寺地蔵尊開帳」が記されている。信鴻も四日、湯島で惣持寺十一面観世音開帳に訪れている。その他にも『武江年表』に記されていない開帳にも訪れている。
 三月は、花見のシーズンであるが、信鴻は「つみ草」の方に熱が入っている。六義園の中だけでは物足りなかったのか、九日、十日、十六日にも摘み草に出かけている。
 その他のイベント・出来事として、深川卅三間堂で勧進相撲が興行されている。十二日に地震があったが、特に大きな被害はなかったようである。