江戸の観葉植物

江戸の観葉植物
 
・江戸園芸の特徴、斑入り植物の流行
 江戸時代の園芸文化の特徴的なことの一つに、観葉植物の流行がある。観葉植物といえば、現代ではポトスやヤシ、ベンジャミンなど南洋リゾート的な植物をイメージする人が多く、そうしたものに江戸の人々が親しんでいたとはちょっと考えにくい。確かに、当時そういった植物はなかったが、代わりに日本ならでは観葉植物があって、葉の美しい植物を栽培し鑑賞していた。そこで、我々が真先に思いつくのはオモト(万年青)である。しかし、観葉植物としてのオモトは、江戸時代後期から明治にかけて流行したもので、変わり葉といってもびっくりするようなものは少ない。複雑多岐に及ぶという面では、それ以前から鑑賞されていた観葉植物の方がはるかに江戸時代的であった。
イメージ 5 たとえば、18世紀初めのカエデ類や18世紀末からのタチバナなど、樹木の姿(樹形)、葉の形と色や模様に注目すべき点がある。カエデの葉については、大きさや切れ目など葉の形態と色、また、「斑」といって葉の中に現れる、白や黄色などの様々な模様(斑入り)に関心が持たれた。江戸時代の観葉植物は、なぜかこの「斑」をありがたがり、鑑賞するという面が強かった。斑入り植物への関心は、花の美しさだけではあきたりない武士の好みの一方向として、17世紀ころから目立っていったものと考えられる。当初、斑入り植物はただ珍しいという希少性だけが優先したのであろうが、徐々に変わっているだけでなく、やはり植物としてながめて美しいという、当たり前のことだが求められるようになった。ただ、斑入り植物は、当時でも玄人好みで少数派であったには違いない。したがって、現代では、江戸時代の観葉植物を見ても、「変わった植物だな」というくらいにしか感じない人々が圧倒的に多いとだろう。
イメージ 1 これから紹介する図は、江戸時代の園芸書に載せられている観葉植物の一部でだが、これは素敵で美しいと感じ、わが家にもぜひ飾ってみたいと今の我々が思えるようなものがあるだろうか。「渋すぎる」とか「古臭い」と感じる程度ならまだ良いが、仰々しいとか、悪趣味だとか、さらには気持ちが悪いと思う人も出てくるかもしれない。しかし、これは美意識の問題で、江戸時代の園芸植物と普段なじみがないために理解できないだけの話である。このような美意識の違いによって、美醜の評価が異なることは、現代だってたくさんある。たとえば、女子高校生のルーズソックスやガングロ化粧など、一般の中年男性が見れば、むしろ見苦しいだけである。もっとも、彼女たちの側からしてみれば、キチンとした美意識があって、時代を先取りしたオシャレを考えて実行に移しているつもりなのかもしれないが・・・。いずれにしろ、自分が持っている美的価値観を一変させなければ、相互理解はむずかしいだろう。
 そこで、江戸時代の観葉植物の美しさや評価について、少々主観的ではあるがなるべくわかりやすく解説したいと思う。
 
・西欧庭園で人気がある斑入り植物
 西欧でも観葉植物への関心は高かったが、かの地では樹や葉の形よりも葉の色に注目していた。だからといって、斑入り植物が日本独自のものかといえば、そうではない。西欧でもよく使用され、室内はもちろん、庭園にもたくさん植えられている。むしろ彼らは、現代の日本人より斑入り植物を好んで植える傾向があるといってもいいくらいだ。日本人、というより日本の造園屋さんは、斑入り植物に対する先入観がつよい。それは、日本庭園の植物材料として植えるには、斑入り植物は個性が強すぎて、他の植物や石組みなどとの調和が取りにくいということである。また、斑入り植物を庭に植えると、庭に品がなくなるとも思っている節もある。確かに、「わび」「さび」といった伝統的な美的センスを重視すると、変化に富む斑入り植物はなかなか難しいかもしれない。
 これまでは長らく江戸時代の園芸が忘れられていたため、斑入り植物も受け入れられにくい一面はあったものの、ハーブやドラセナなどの鉢植えが室内に飾られるようになって、徐々にではあるが江戸の観葉植物にも陽が当たる可能性がでてきた。西欧では、日本よりも斑入り植物が珍重され、アオキ、ヤブコウジギボウシなどの人気が高く、庭園にたくさん植えられている。こうした背景をもとに、西欧では、斑の入り方についての分類がきちんとおこなわれている。たとえば、イギリス、オックスフォード植物園の四百種の斑入り植物リスト(1970年)によれば、それらは以下のように7つに分類されている。
  ☆周縁キメラ型:大理石模様型:縞型:黄金型:斑紋型:ウイルス型:形態型(フィグラータ)となっている。
 以上の分類は、発生のメカニズムによるより、形態や色彩から分類とれたものである。なお、わが国でも「斑」の分類は、古くから行われており、そのためか、分類方法自体がいくつもある。また、分類数も定説はなく、葉の種類によって異なり、その区分数を詳細に見ると数十種におよぶとされている。
 
・斑入り植物の歴史
 わが国で斑入り植物がいつごろから注目されたかということを、当時の園芸本から見ていくと、天和元年(1681)に出版された『花壇網目』(水野勝元著)に一種(スジシャガ)が登場する。元禄八年(1695)の『花壇地錦抄』(伊藤伊兵衛三之丞著)には、「白青紅(ハクセイコウ):花と葉萱草にて、葉に白き筋あり、故にかんぞうともいう。花八重なり。色紅」とヤブカンゾウの葉に白い斑の入ったものが示されている。宝永七年(1710)の『増補花壇地錦抄』(伊藤伊兵衛政武著)には7種加わって17種、享保四年(1719)の『広益地錦抄』(伊藤伊兵衛政武著)にはさらに12種加わり、享保十八年(1733)の『地錦抄付録』(伊藤伊兵衛政武著)には合計38が種程度が取り上げられている。また、1735年の『草木弄葩(ろうは)集』(橘保国著?)にも斑入り植物が掲載されている。少なくとの園芸好きを自認するような人々は、この時期、皆斑入りを育ててみたいと思ったのではないだろうか。
  その後斑入り植物を記載した園芸書は少なくなるが、栽培自体は続いていたものと思われる。というのは、寛政年間に入ると観葉植物が著しく脚光を浴びているからである。観葉植物は、盆栽(はちうえ)として流行し、幕府もあまりの過熱ぶりを憂慮して、高額での売買を禁止するに至ったくらいである。その流行の最中、寛政九年(1797)に出版された園芸書が『橘品類考』である。この書は、観葉植物である橘(カラタチバナ)の70余品の名称(内16品の図入り)、と特性や栽培法を示したもの、さらに葉形を8種、「斑」の入り方を8種、下図のように分類している。
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                                                                        『橘品類考』より
 以後、観葉植物は、葉だけに限らず花や実の変化も含めて数多くの品種が作りだされた。その逸品を集めて出版したのが文政十年(1827)の『草木奇品家雅見』(緊亭金太著)である。『草木奇品家雅見』には、500以上という驚くべき数の奇品が集大成され、葉や花の形にも確かに変わったものが多いが、秀逸なのはやはり「斑」の見事さだろう。そして2年後、なんと今度はその倍千種にせまる奇品を集めた『草木錦葉集』(水野忠暁著)が出版された。ただし、『草木錦葉集』は「いろは」順に紹介されているが、いったん「む」で終わり、「う」より後は「近刻」としたまま、日の目を見ることはなかったのは、非常に残念である。   
  観葉植物の流行は、1830年の『金生樹譜』(長生舎主人著)、1831年の『小不老草名寄七五三』(水野忠敬著)、1835年の『長生草』(秋尾亭主人著)、1836年の『松葉蘭譜』(長生舎主人著)などから本格的に始まり、嘉永五年(1852)には小万年青の3両以上の売買が禁止されているように、幕末まで続いていた。
 
・斑入り模様のいろいろ
 斑入り模様の分類は、出る位置とその形から分けることができる。位置は、葉全体か一部、一部といっても葉の先端、周囲、中央部などがある。
①全体に斑が散在するものを「散り斑」
②葉の中央部に斑が表れるのを「中斑」
③葉の周囲に斑が表れるのを「覆輪」と呼んで識別している。
次に斑の形から、④細かい点状になるものは「星斑」
⑤斑が島状になって表れるのを「島斑」
⑥刷毛で掃いたように表れるのを「掃け斑」
⑦筋または線状に表れるのを「縞斑」として区分する。
 また、さらに植物によって、細かく分けることが行われている。たとえば、③「覆輪」のなかには、先端だけの斑を「爪斑」、その爪が深く入っていれば「深爪」というようになる。また、「星斑」にしても、非常に細かければ「砂子斑」、「島斑」の島が黄色で虎皮のような模様なら「虎斑」など、細かくいうと、数十に分けることも可能である。
イメージ 4 そこで、世界に類を見ない園芸書ともいうべき『草木奇品家雅見』から、ヒサカキの「斑」を中心に見てみよう。この盆栽は、図が原寸大とすれば20センチほどで、10種ものヒサカキが接ぎ木されて一本の木になったものである。これを見ていいと思うかどうかを別として、やはり一種の芸術品には違いあるまい。そして、このヒサカキこそ、江戸園芸を代表する観葉植物なのである。
 最上部の葉は、「大葉白斑ひさき」。斑の位置は、全体に散在し、中心部に向かって掃け込むように入っていることから「掃け斑」である。葉の大きさは10種のなかで最も大きい。
 上から二番目は、「貴斑ひさき」とある。「掃け斑」であるが、左側の葉が真ん中を境にして半分が斑という珍しさから「貴斑」と呼んだのだろう、一名「切斑」ともいう。
 三番目は「すなごひさき」。葉全体に星を散らしてように斑が分布し、その斑も砂のように細かいことから「砂子斑」である。
 四番目は「大葉きゃら引きひさき」、葉の色は浅黄にして砂子覆輪を帯びて雲母を引きたるが如しとある。
 五番目は「むらさきひさき」、これは葉の色が紫色がかっていたためだろう。
 六番目は「茶ふくりんひさき」、葉の縁に沿って斑の表れる「覆輪」で茶色がかっていたものだろう。
 七番目は「砂子ふくりんひさき」、葉の縁に沿って表れる覆輪が「砂子斑」である。
 八番目は「船底ひさき」、葉の形が船底のようになっている。
 九番目は「後黄ふひさき」、「掃け斑」の色が黄色である。
 最後は「日向もちひさき」、斑の形は「掃け斑」で、葉の形状が「日向もち?」に似ていたか。
 この他にも数多くの斑の形があって、園芸書などを見ると、江戸時代の人々がいかに「斑入り」ということに価値をおいて、それを育てたり、ながめたりすることを無上の喜びとしていたことが伝わってくる。こうした斑入り植物を見て、どこかの国の税関がてっきり病気の一種だと思い、「伝染しては大変」と説明も聞かずに没収してしまったという話もある。何をもって美しいと思うか、それは十人十色で、たとえ自分が美しいと思う植物でも、美的価値観が異なっていれば、わかってもらうのはなかなか困難である。
 江戸時代に一世を風靡した「斑入り植物」などは、その際たるものだが、ここまで追求してやまなかった大勢の人々の熱意に敬意を表して、時には先入観をもたずにこれらの絵を、しみじみながめてみるのもいいかもしれない。