★安永八年春・一月~三月

江戸庶民の楽しみ 49
★安永八年春・一月~三月
★一月
三日○五半過(略)森田翁渡し見に(略)神明恵方故神明へ詣、御鷹部屋より身代地蔵江出、土物店礼者多し、湯島参詣、聖廟拝し伊勢屋へ(略)地蔵を拝し、崖上より行、須田町より礼者市の如し、中橋(略)四半頃猿屋へ行、初りハ九過の由云ゆへ酒なと飲(略)猿屋へ祝儀遣す(略)中橋(略)日本橋(略)筋違内旭山に休む(略)本郷五町目(略)六過帰廬
五日○九頃より浅草参詣(略)春色暖和服二にて少しあつし、門内霜鮮塗沼の如し(略)上野中より塗中甚賑也(略)車坂より下る、三河屋に休む(略)浅草甚群集、直に参詣、御手洗へ鰻を放し(略)伊勢屋に休む、客多し(略)ひいとろ簪三つ買ひ(略)九十一歳休翁画と書付休翁守を施し人立多し(略)浅草に在うち八ツの鐘聞ゆ、首振を過て七の鐘聞ゆ、動坂花屋にて烟を弄し七少過帰廬、
八日○九過より湯島へ行、谷中通(略)動坂植樹屋へ紅梅直を付させにやる(略)大師にて山内賑也、屏風坂門より出、山下より広小路へ出、中町にて絵半切・ひいとろ簪五本求め(略)女坂より男坂上伊勢屋に休む、少娘在ひいとろ簪一ツ遣る(略)地蔵拝し聖廟参詣、天沢寺前にて水飴求め、加賀前ひいとろ屋にて簪ニツ求め(略)帰廬の時七ツの鐘聞ゆ
十二日○九過(略)浅草参詣(略)春色暖和(略)土物店より湯島参詣、聖廟并地蔵拝し、男坂伊勢屋に休む、少娘在、中町より山下広徳寺前、塗中甚賑し、直に観音参詣御堂廻り(略)奥山太神宮側に芝居建普請最中、京大坂より子共呼由書附出(略)帰掛伊勢やに休む(略)帰路前塗に同し、田原町に髷かせ求め(略)法住寺前にて鞠と鯛に作りし煎餅の竹に付たるを求め、動坂にて植樹屋治衛門を呼出し梅桜の直を尋ね、七半前帰廬
十七日○九頃より浅草参詣(略)神明中より行、首振坂(略)谷中門(略)屏風坂を下り車坂門より出、三河屋に休む(略)田原町(略)御門内にて胡瓜・梨子・栗土細工を買ひ、仁王門下小野村やにて白毛元結・髷かせ求め直に参詣、今日賑ながら御縁日にハ少し、御堂廻り(略)伊勢やに休む(略)寺町にて大名公子忍ひ二て二十人計通る(略)山下二て人立喧雌有ゆへ少見合せ、浜田屋わきより竹町ふしやへ(略)中町通り男坂より聖廟地蔵拝し本郷通り(略)暮前帰廬、
十八日○七過より北郊閑歩(略)お隆藪より見んとて藪口の鍵取にやる故手間取ん為、庄八庭を見、妙喜坂より甚助を野風呂取に屋敷へ遣ハし、笠志か茶店へ行煎茶遣ハす、米蛙先刻他行御用屋敷の道より来る、暮前帰廬
十九日○五ツより月桂寺・六本木へ(略)西門より(略)氷川より大学前、茗荷谷、大日坂、早稲田、七軒寺町、直に松竹庵へ行、麻上下着御墓拝礼(略)合羽坂松平摂津前(略)伊賀町通一町目へ出、河岸通紀伊国坂二軒目大和茶に休む(略)一ツ木より水野日向前(略)市兵衛町(略)九前来半過表門より起行(略)上邸へ今日ハ延引申遣ハす、天徳寺裏門前、田村小路、土橋河岸へぬけ、弥左衛門町手前より通りへ出、旭山(略)湯島へかゝり、崖上より伊勢屋二休む(略)地蔵聖廓拝し天沢寺前にて水飴買ハせ(略)七過帰廬
廿二日別録○森田座頑要
廿七日○九半前(略)湯嶋・浅草参詣(略)甚暖三月の候の如し、三ツ屋籠屋にて袷羽織に着替、聖廟地蔵拝し地蔵へ鉦の緒小額治め聖廟役人へ渡し、伊勢屋に休む(略)女坂より(略)山下へ出、広徳寺前(略)戸繋いせ屋に休み直に観音拝し御堂廻る、今日参詣夥し(略)並木正直そはへ(略)二町目より御堂前へ出(略)車坂より入、いろは勧善院にて門外挑燈立、不動明日より開扉の札在、動坂花屋植溜を見(略)暮少前帰廬
三十日○九少前り上邸へ(略)吉祥寺前米屋にて綿入に成、本郷通町(略)中橋(略)南伝馬町通称左衛門友庵方へ(略)河岸へ出、山下門新道より(略)幸橋を出、土橋に烏森御猿普請、烏森日比谷幟建る、塩留橋より猿屋へ行、母春ハ霊岸へ行無程帰りし由にて逢ふ(略)本通りへ出、昌平橋(略)中坂より湯島男坂の伊勢やへ行(略)少休み地蔵拝し聖廟参詣西門より帰る、門へ入る時六の鐘聞ゆ
 信鴻は、この年の正月も三日に湯島に出かけ、十五日に万歳が訪れている。出かけた日数も前年と同じで10日、行き先も前記の湯島と浅草、月桂寺と六本木などへ年始、毎年ほぼ同じような場所に出かけている。なお、廿二日の森田座観劇『江戸名所録曽我』は、仲蔵が大当たりを取っている。この年の正月は暖かかったと見えて、長閑で町中に出歩く人が多く、どこも人出で賑わっていたようだ。
★二月
朔日日別録○中村座頑要
七日○九過より浅草参詣(略)谷中通、瑠璃殿後ろより車坂塗中彼岸参多し、御堂手前より左折、清水寺参詣裏門へぬけ、誓願寺うら日輪寺へ詣、観音拝し御経納め、田原町四辻へ出、浅草人閙分かたし、直に拝礼、奥山廻り仁王門下にて白髪元結求め、伊勢やに休む(略)海苔買ハせ帰路例の通、車坂門より入、動坂樹屋へ立寄七半前帰る
十五日別録○中村座頑要
十八日快晴○九ツ時より浅草参詣(略)富士前(略)動坂上三達に開帳挑灯かゝる社内賑し(略)堂右甚五郎彫刻(略)垂桜満開如雪(略)善光寺坂より清水門へ入、山中も大師にて甚熟閙道分かたし、車坂より下る、山下(略)より浅草迄塗中大群集、寺町に尼の丐人泥たらけにて倒居たり、人立在、直に参詣(略)堺屋へ立寄(略)山下より竹町へ出植木を見(略)桜求めさせ、中町通(略)女坂より地蔵天神参詣、本郷ひいとろや(略)鰻堤より暮前帰廬
十九日快晴○九頃より浅草真崎(略)御鷹部や裏村落径路にかゝり、余楽寺辻より道灌山青雲寺裏門より日暮過行、春遊甚多し、感応寺裏門より入表門へ出、谷中門より入、塗中甚賑し、所々桜桃満開、車坂より出、三河屋水茶屋に休み、田原町二丁メより並木へ出観音参詣(略)仙石やへ行(略)総泉寺角にて職人らしき者三人五十余の人葛西躍りを躍り甚よき機嫌の様子、土堤へかゝり金杉町石橋向の植樹屋へ入、八汐楓に直を付れともうらす(略)根岸植木や二軒へ入民家の垂桜に穴沢に直を付させ、芋坂を上り、感応寺内谷中通首振宇平次園中を見、松楓に直を付れ共是も売らす、千駄樹にて二軒植樹屋を見、動坂植樹屋にて二息千汐楓を植居たり、爰にて楓・大膳桜を求め(略)暮過植樹来る、清兵衛三申庵北庭へ植る
廿日別録○森田座頑要
 二月は、観劇が3日、出歩きも3日で全て浅草に出かけている。信鴻は、「尼の丐人」「葛西躍り」など街角の観察、植木の品定めなどをしながら楽しんでいる。町中に際立った催しはないものの、彼岸、花見などの人出で賑わっていたようだ。
★三月
十六日○九半より(略)庄八方雰嶋を見る(略)庄八在、笠志茶鄽へ行(略)牡丹屋へ行、牡丹満開仮山上の床机に休む(略)日暮里へ行(略)樹屋へより余楽寺前より行、青雲寺門へ入見晴し腰懸に休む(略)慈照院庭へ出表門へ行抜瑞応山禅寺へ立寄一覧、桟崎石橋へ出、千駄樹樹屋へ入植木を見、動坂治衛門へ立寄少休み(略)御鷹部や裏五平次庭へ行て見、富士裏より七頃帰る
二十日○九半頃より浅草参詣(略)神明内より千駄樹根津へかかり湯島男坂下(略)与力町広徳寺前より一町下瀬戸物屋脇へ出、三河屋に休み(略)太神宮前にて草花を買ハせ直に参詣(略)仁王門下(略)藤樹を買に風神門へ遺し正直へ行(略)馬道より土堤へ出(略)金杉石橋より裏道へ出(略)三河島入口石地蔵にて休み三河嶋にかかる、道傍娵菜・田芹おびたたし(略)日暮青雲寺わきより道灌山へ上る(略)田畑橋より西折、独木橋を渡り御鷹部や(略)富士裏より暮前帰廬
廿二日○九半時より(略)西門より出、巣鴨通り又五郎辻より野へ出摺鉢山へ掛る(略)畔道王子の通りへ出、巣鴨本村辻老嫗茶を売所にて烟を弄し(略)塗中卯木に掛りし忍冬を夥敷取、本板橋道大道へ出(略)御鷹屋の後白鳥稲荷にて休み御鷹小屋につき梅漬の寺へ出(略)鬼子母神参詣、和泉屋中(略)本巣鴨(略)護国寺うちより大学うら西門より七半前帰る
廿三日○九ツ過より亀井藤見物(略)土物店より本郷加賀脇より南折湯島崖上に(略)長者町より宗対馬前新橋より柳原へ(略)両国渡り一目橋脇丸屋金兵衛方へ行船を云付暫休む(略)二艘にて(略)亀戸橋際へ着、遊船十余艘在、直に聖廟拝す、藤盛過燕子花未半ならす(略)高橋やへ(略)丸屋へ帰り(略)お隆月水不止祈禱を頼み(略)所書渡し七半過起行、柳原通筋違内にて挑灯つけ、鰻堤(略)お茶の水火事知らせの太鼓聞へ(略)吉祥寺後に当て遠火見へ五前帰廬
廿五日○九前より湯鳥参詣(略)本郷通より行、直に聖廟・地蔵拝し、穴沢を残し金魚・草花を買しめ、女坂より中町池の端通り根津へ出、名主門脇水茶屋に休む、老嫗有唐鳥見する、孔雀・休寛・白鷴・朝鮮雉(略)金魚持せ先へ遺し、杜内より千駄樹へかかり樹屋へ奇、黒百合・細辛・萩等を買ハせ、八ツ前帰廬
 三月からは開帳の季節、『武江年表』には「根津権現境内にて、御旅所御本地領世晋開帳、○川崎平間寺厄除弘法大師本堂修復成就に付、開扉」が記されている。川崎は遠いので、信鴻は出かけないだろうが、根津は二十日と廿五日の2回も近くを通っている。しかし、信鴻の日記には、根津権現境内の開帳には触れていない。特に廿五日は、「名主門脇水茶屋に休む、老嫗有唐鳥見する」と、かなりの時間在していた。もし、開帳が催されていたなら気づいただろうに、不可解である。さらに、四月にも根津を訪れているが、五日「参詣賑也」、九日「根津賑ながら此程よりハ人少し」、十四日「参詣甚少し」とある。