★天明四年冬・十月~十二月

江戸庶民の楽しみ 72
天明四年冬・十月~十二月
★十月
朔日○九過よりお隆同道浅草参詣(略)富士前より(略)日長原にて烟を弄し(略)車坂より出、元良院墓を見る(略)風神門(略)伊勢屋に休む、少しあつき故小袖一つに成 単羽織着る、薩埵拝し(略)御手洗へ鰻廿七本放し、源水鄽にて十一、二の調市こまを廻すを見、涅槃堂念仏を聞き榧八幡拝し又伊勢屋にて弁当遣ひ浅草糕取寄(略)前路を帰る、車坂下(略)暮時帰廬、
三日○七過よりお隆同道近郊閑歩(略)妙義坂銀八菊を見る銀八出る、笠志に鄽上にて逢ひ道濯山より田畑村、安部侯御部屋隠居所にて溝口を遣し菊を見んと申遣せしに見せす、御鷹部屋裏道、植樹屋門内にて烟を弄し富士うらより暮時帰る
九日○八時より(略)西門より出、猫魔橋姥か床机に休み波切坂にて飴を伸すを見、護国寺薩埵拝す、塗中甚群集門外にて女乞食つく、爰にて鷹を遣ひ居るを大立留り見る容子、御岳飾物を見、雑司谷磴下にて拝す、寺々の飾物例の如し、別当飾物を見る時人叢中十二三の坊主五十許の町人の腰の財布の紐を切見付打擲するを見る(略)花子杉暁・杜若をつかひ居るを立留り聞、又跡へ引返し鳥居西脇坂の末の茶屋(略)六郎僧寺の挿花を見、直に茶屋二階へ行、田楽云付弁当つかひ窓下へ声色遣ひ二人呼寄(略)村外にて茶屋かりお隆小鮮、茶を飲みやけ行々買ひ藪茶屋前にて右折大学わき(略)六過帰家
十三日○九半過よりお隆同道瑞林寺会式へ(略)谷中にて八の鐘聞ゆ、瑞林寺群集、飾物例のことし、本堂ハ読経最中、参詣多けれハ堂左脇にて烟を弄し北風出寒き故前路を帰る、妙法寺門に挿花の札を出す故入て見る、障子の穴よりみれハ僧俗七八人唯今花を建居たる故直に出、世尊院前へかかり大観音参詣、松悦方へ立寄茶をのみ七過帰る
十六日○八前よりお隆同道上野湯島へ(略)富士裏小径より行谷中門へ入、今日法華常行堂開き僧徒多く集り参詣も有ゆへ問すれハ文仏説法の曼陀羅出来初て常行堂へ掛る由ゆへ内に入拝す、大幅掛地也(略)池端町にて小サき物を売みせへ立寄(略)中町金物屋鄽をも見、湯島女坂(略)聖庿地蔵拝し(略)松か根屋二階へ(略)七半頃迄遊ふ(略)西門より意成院前、霊雲寺に付右折、加賀辻番前の路次より出(略)六丁目(略)三軒屋(略)浅香町(略)松悦方へ立ち寄り、今日口切りの客有て(略)酒・時雨蛤なと出す(略)六半頃帰家
十八日○九過よりお隆同道浅草参詣(略)辻番前(略)御手鷹丁町(略)坂下(略)原町二丁ノ通りを行、風神門前より東折小梅浄泉寺参詣(略)水戸侯舘わき甚賑也、浄泉寺本堂にて烟を弄し(略)御墳墓の鍵取寄直に参詣(略)水戸侯邸(略)珠数屋へ寄(略)伊勢屋へ行小休み、薩埵参詣群集也(略)榧八幡因幡地蔵参詣、又伊勢屋へ(略)帰路広小路(略)西中町へ入、田原町二丁目通り(略)車坂門(略)いろは(略)帰家暮時
二十日○四半時より森元町へ(略)小石川通り、一つ橋、大手より和田倉(略)西下、内桜田、虎門、西久保、土器町より森元町表門より入る、行平鍋・難卵・隅田川濁酒造ハす、九半前来る(略)八半過起行、炳袋貰火裏門より出、長井町切通し、田村小路、土橋、加賀町(略)中橋(略)桐長桐芝居の板行売行を求め本郷通り、伊豆蔵向、加賀屋(略)相原門前(略)六半前帰る
廿二日○八前よりお隆同道雑司谷へ(略)西門より出、猫また向の老嫗か腰掛に休み野通り、藪蕎麦前へ出、坐光寺を和泉屋へ(略)予彼処へ行時客皆帰る、婦四五人駕釣らせ御家人らしき四五人見ゆ、雑司谷参拝百度参群集也、和泉屋にて吸物等(略)先の百度参の婦大七八人先たち行(略)護国寺裏門手前にて廿計の婦人袖頭巾被り黒縮緬を着たる(略)参詣し物を買ふうちに連を見失ひ(略)由云ゆへ何処へ行と問ヘハ萱場町の大の由云ゆへ道を委く教へつかハす、又猫またの嫗か床机に休み暮時西門
廿四日○九半過頃よりお隆同道堺町へ(略)大番町木戸(略)永楽屋久助旅装束にて風呂敷負ひ迹より来る(略)本郷中程(略)旭山に休む(略)白銀町地蔵参詣、新材木町より葺屋町(略)桐坐櫓上り鼡木戸出来普請最中(略)中村紋看板(略)高麗屋路次より入永楽屋脇口に上る(略)楽屋新道より和泉町玄冶店へ入り下の路次へ出、真宿へ行(略)稽古最中子共三十人計在、母も有(略)永楽屋(略)人形町角(略)伝馬町橋(略)小柳町より挑灯つけ柳原坂の上(略)五前帰る
 この月のイベントは、菊見と会式だろう。出かけたところは、そこそこの賑わいがあり江戸の町は平穏十月たと思われる。出かけ先では、信鴻ならではの観察が記されている。その中でも「稽古最中子共三十人計在、母も有」は、どのような身分の子供かはわからぬが、母親が稽古を見守る姿を見ている。30人もの子供全員ではないだろうが、教育ママの江戸番を感じさせる。
 この月、市村座が借金で芝居を休演したので、控櫓桐座が仮興行を始める。
★十一月
二日○九過よりお隆同道浅草参詣(略)富士前(略)内海前より神明へ掛り谷中門(略)御門主前を過、東の松原中車坂を下り広徳寺前より塗水道吹出し(略)戸繋いせ屋に休む(略)浅草拝し(略)念仏を少聞き榧八幡拝し因果地蔵参詣、又い勢屋にやすみ弁当っかひ酒を呑(略)前路を帰る(略)車坂くくりより入る(略)神明脇にて挑燈っけ門を入時六の鐘聞ゆす
五日○九過よりお隆同道王子参詣(略)笠志鄽(略)王子拝し磴下にて大神楽舞を奉るを見る(略)右側の山を登り大道へ出、王子橋より飛鳥山槌屋に休む、田楽等云付弁当つかひ酒を飲、七半頃起行、巣鴨加賀向御家人の母の由、跡につき清寿等と話し来る、又笠志方に立寄、暮頃帰る
七日○九半頃よりお隆同道湯島松根屋へ(略)竹町通、春本町森田屋に休む、二階に武士客有様子にて姉妹階より下来る、聖廟参詣、松か根屋にて吸物・さかな数種云付、蘭麺・お清鄽の幾世餅取寄(略)七半過起行中町にて少き焙熔・茶焙網なと手遊ひを買ひ鄽々を見、池端通り、首振坂にて桃灯つけ神明脇にて六の鐘聞え奥口より帰る
十一日別録○同座頑要
十五日別録○中村座頑要
十七日○九前よりお隆同道浅草参詣(略)富士反畝(略)屏風坂下(略)光厳寺参詣(略)与力町より広徳寺前、水道溢塗所々溝を堀水をおとす、板橋有、戸繋伊勢屋に休み薩埵参詣、群集也、又いせ屋に休み酒を飲(略)浅草もち前(略)所々鄽を見、風神門(略)誓願寺前より御堂造立見に行、大門込合ゆへ掖門より入る、大群集屋上迄足代を莚道の如く造り二十間余に幅三尺厚五寸はかりの板をしやちにて巻上る、堂上にも数百有て引く容子也、暫見る(略)池端己巳の日にて甚群集、吉田侯門(略)首振坂にて挑燈つけ御鷹部屋にて六の鐘聞へ六過帰る
廿一日○八前よりお隆同道雑司谷へ(略)西門より出る、猫また坂上にて少休み護国寺参詣、直に雑司谷へ詣、和泉諧にて田楽等云附酒を飲、門建直し壁を塗り普請最中、匹主に牛房貰ふ、七半頃起行、藪そは前より右折、野通りを帰る、けふ猫また姥出さるゆへ坐光寺を姥か宿へよせ茶遣ハす、猫また橋にて水のう売来るを買ハせ原町にて挑灯つけ六比帰家
廿三日○八前より御堂、浅草参詣(略)富士反畝(略)神明うちより行、上野御本坊前より東の森内、車坂、山下より塗中群集、御堂前より熱閙分かたし(略)戸繋伊勢屋に休み薩埵拝す、参詣夥し、榧八幡拝し鰻十二尾放し、並木を下り(略)三島門前、安部川町、立花前より竹町(略)藤屋へ(略)帑蔵を建る故普請最中也(略)二階へ行蕎麦契、中町にて(略)下駄を買ハせ跡(略)湯島切通し、本郷通り(略)円通寺前(略)逸見前(略)奥口より帰る
廿五日○九半頃より湯島参詣(略)北風大烈、森川宿土烟朦朧、聖廟拝す、お清鄽客三人在故植樹を見る今日甚少、参詣稀也、客帰りてお清鄽に休み女坂より池端咀英前(略)八半過帰家
廿六日○八半前よりお隆同道村井長屋へ(略)酒遣ハす、お隆硯蓋さかな遣ハす、踊等賑(略)九半頃帰る
廿八日別録○桐座頑要
 十一月は、観劇に3日を加えて10日も出かけている。浅草は相変わらず賑わっており、芝居も二十八日に見た『重重重(じゅうにひとえ)小町桜』は大入りであった。『武江年表』によれば「○十一月より五年の間、仙台にて角銭を鋳らる、○十一月、桐長桐芝居櫓を改に時、馬揃と云狂言をなす、〇十一月、東本願寺再建棟上」とある。他に、回向院で勧進相撲が興行されている。
★十二月
朔日○九少過よりお隆同道浅草参詣(略)辻番前(略)内海辻(略)谷中にて寒垢離願人三人のうち一人酔漢にて骸血なと出争ひ居る様子、車坂より出戸繋伊勢屋に休む、今日観音御畳替例年の如し、薩埵拝し西磴道を下り榧八幡拝し又伊勢屋に休む、お隆ハ人形鄽を見(略)茶屋へよひ逢ふ、日本橋辺江昏礼の添萍に行由(略)御堂裏門より入御普請を見る、群集なり、車坂(略)谷中門(略)坐光寺(略)奥口より七半頃帰る
三日○九半前より両大師参詣(略)谷中通、谷中門(略)屏風坂より下り仁王門脇、普門院大師参詣、広小路にて売樹を見、ふきの毫かハせ横町より数奇屋町へ出、男坂より湯島地蔵拝しお清鄽に休む、窓より御堂普請直下に見ゆ、御家人らしき者一人休み居たり、御堂にて昨日三百人許にて大喧嘩有、今日化我人の検使あれハ普請休む由云、聖廟拝し霊雲寺地蔵へ詣、豆蔵前へ伊出、竹町通(略)土物店八兵衛店(略)富士前(略)七少過かへる
七日○九過よりお隆同道湯島参詣(略)谷中通、上野内、池端町(略)女坂より聖廟・地蔵参詣、松かね屋へ(略)遠目鏡にて御堂上梁を見、七過迄遊び帰掛楊弓やに弄玉有挨拘、西門(略)森田屋(略)竹町通(略)道門内(略)白山辻茶碗鉢やへ(略)吉祥寺前駄菓子屋へ寄栗焼おこしを造るを暫く見、暮前奥口より帰る
九日○九半頃よりお隆同道雑司谷参詣(略)西門より(略)塗大滑門外より所々好、猫また姥か床机に休む(略)幽霊橋の方を大名通らる、大学垣辺にて石宝生雲の扇を拾ふ、護国寺参詣、裏門より出、和泉屋に客有、雑司谷鳥居前に緋羅沙・狭箱・長刀・駕の者なと有(略)大成奥方婢の肩にかかり髪蓬乱怪き様子にて婢七八人侍つき下向(略)内陣にて拝和泉や(略)藪そは前通り、波切坂(略)猫また老姥帰りを待居たる故床机に休む(略)大学脇(略)加賀門前(略)和泉境より表門へ入、奥口より六過帰る
十二日○九半頃よりお隆同道お為髪置に下谷へ(略)辻番手前(略)千駄樹(略)上野中三枚橋東の坂にかかり佐竹脇(略)貞操院・お隆同道、暮頃より声色つかひ喜惣治・吉太郎・小膳・盲法師みき来り声色数番、用役大兵衛も遣ふ故側へ呼酒与ふ、盲人みきも側へ呼び土鳩・蝉なとの物真ねをする、迹にて浮世一番、
五半前表門より起行(略)加藤脇にて五半拍子木聞え池端通、善光寺前の町を過て四の鑓聞えお隆駕に乗る、下谷より送りの駕来り広小路より帰す、四半時帰る
十七日○四半頃よりお隆同道(浅草市略)谷中より上野、屏風坂、幡随院後ろ通り、明石反畝より矢太臣門海老屋に休む、甚群集、寺内熱閙ならす(略)内陣にて拝す(略)南方欄干より群集を見、北磴道を下り阿弥陀堂後ろの萱簾囲腰掛に休む(略)藤棚前より又矢太臣門を出鐘楼わきより伊勢屋に休む(略)並木通り(略)鳥越より三絃溝裏門へ(略)夕餉(略)絃水橋前(略)竹町中通より池端、富士(略)六頃帰家
十八日○九過より浅草へ(略)本郷より湯島、聖廟拝し(略)男坂より竹中通(略)観蔵院前(略)三河河屋に休み(略)爰より群集、田原町二丁目より並木、人叢熱閙、風神門内大に込合、横町へぬけ裏口よりいせやに行、又裏口より矢大神門へ入、東磴道より上り内陣にて拝し後磴道より下り山内を廻る、人昨日の十倍也、又矢太臣門を出、伊勢屋裏口より(略)又風神門より並木通(略)旅籠町へ出橋を渡り又観蔵院前より三河屋に休み(略)塗中賑也、車坂(略)谷中通暮前帰る
二十日○九時より上邸へ(略)本郷通り旭山にて休み(略)青物町(略)両替町より河岸へ出山下門より入(略)玄関より安元方へ瑕乞に行、母・妻に逢ふ(略)幸橋より木挽町猿屋へ行(略)戸口にて(略)通町を行神田井筒やに休む(略)本郷六丁メ(略)門前(略)六過帰る
廿三日○九過より用有て永楽屋へ(略)本郷通筋違旭山に休み富山丁より白金地蔵・観音参詣、楽屋新道より行、中村やへ根岸・松田かつら取に遣ハし爰にて支度、真を呼にやり来る、鬘一つ求め七過起行、人形丁にて真に暇迫し穴沢・根岸のこり前路をかへる、竹町通り、本郷(略)帰家入相頃
廿八日○九過よりお隆同道浅草参詣(略)谷中通、屏風坂より光岩寺参詣、月々の掛銭納む、大般若経飾今日軽読の様子(略)広小路、風神門外物干場に大成水茶屋出来、伊せ屋に休む(略)薩埵参詣少く内陣に老女一人在故心静に普門品読誦し御堂廻り因果地蔵参詣、鳩・雞にお隆親餌を与へ鄽にて箸箱買ひ(略)又伊勢屋にて(略)節分御札并摩訶吉祥の札貰ふ(略)帰掛手遊鄽にて色々買ひ(略)並木を一丁下り田原町(略)車坂門(略)坂上(略)谷中通りを暮前帰る
 十二月は、浅草、湯島、雑司ヶ谷などに10日も出かけている。どこも賑わっており、特に十八日の浅草は、田原町付近から市でごった返していた。『武江年表』には「○十二月六日夜、太白足星歳星を犯す、○同月十一日、月五車を犯す、○十二月廿六日夜戌下刻、八代洲川岸より出火、西北風烈しく大名小路、新橋、数寄屋橋、弓町、紺屋町辺、八官町の辺。尾張町より木挽町芝居、仙台侯御藩邸の辺、北は京橋辺迄、鉄砲洲、築地海手、西本願寺、南小田原町辺迄類焼、廿七日申刻、源助町辺にて火鎮る、大小名藩邸町屋にい穴る迄夥しさ焼亡也、○十二月廿八日夜、赤坂氷川門前より出火、麻布坂辺片まで焼る」とある。