江戸の盆栽 4

江戸の盆栽  4
「たこ作り」と「しの作り」(盆栽の値段 3)
イメージ 1  次の百五十文の植物に、「たこ作り」「しの作り」という言葉が出てくる。江戸時代の盆栽に、蛸作り、篠作りという樹形があったのだろう。現代の盆栽の本などで示される樹形としては、「直幹」「模様木」「斜幹」「蟠幹」「双幹」「ほうき立ち」「吹き流し」「懸崖」「多幹もの」「株立ち」「寄せ植え」「文人木」「石付き」などがあげられ、これらの樹形に対しては、図や写真、コメントがつけられている。だが、「たこ作り」については、現代では作られないためか図や写真が掲載されている例を見たことがない(小生の勉強不足のせいかもしれないが)。ただ、説明文の中に「江戸時代の蛸作り」というような表現は数多く登場する。そこでは蛸作りは、時代遅れというか、あまり良くない評価がなされているようだ。
イメージ 2  では、江戸時代の蛸作りとは、一体どのような樹形だったのだろうか。岩佐亮二は『考証盆栽史大網』に、「蛸作り」の例として『草木育種後編』の盆梅(左図)と『市美弥景姿の福贔屓』の盆松(上図)を紹介している。この樹形が「蛸作り」であるとすれば、目の敵にするような樹形ではないような気もするが。
  「蛸作り」の盆栽を特に非難しているわけではないかもしれないが、「必然性がない針金仕立てのタコ作り」とか、「ゼンマイのように針金で曲げたタコ作り」というような表現を見ると、ちょっと気の毒な気になって弁護したくなってくる。岩佐は「明治中期の頃、大阪の好事家通称『淀亀』が針金掛けを創案し、これを大阪の業者が採用して改善を加え、さらに針金を掛けたまま幾鉢かが東京へ運ばれてこの地の業者に踏襲され、続いて全国的に普及」と記している。針金で強引に樹形を作るやり方は、明治後期に盆栽需要が多くなって、それに応えて短期間で樹形を作るために行ったものである。しかし、江戸時代の「蛸作り」は、そのような強引に作られた樹形ではなく、当時の人々にとって馴染みやすい樹形であったと思われる。
イメージ 3 ではもう一つの「しの作り」とはどのような形だろう。岩佐は、江戸時代の資料からは解説せずに、『培養手引書』(今井兼角  明治二十三年)から「篠(寄)作り」一名「箒作り」(右図)と示している。彼の蒐集力をもってしても、江戸時代の園芸本や浮世絵などから探すことができなかったようだ。示された図を疑うわけではないが、「しの作り」は本当にそのような樹形だったのかとやはり疑問が残る。
★百五十文の植物
 「たこ作り桃」は、果実ではなく、花を鑑賞するためのモモであろう。桃は江戸時代の初期から園芸植物として栽培され、『花壇地錦抄』(元禄九年1695)には十九品種の桃が紹介されている。これらの桃の中には、「紅桃」「白桃」のように、実のなるものもあるにはあるが、やはり花の鑑賞を中心にしている。「たこ作り桃」は、樹形の整った花桃であればよく、種類を特に指定するものではなかったと思われる。
  「萬両」は、ヤブコウジ科の「マンリョウ」であろう。値段が百五十文ということから、現代の貨幣価値に換算すると四千六百八十七円となる。前記の桃が作り物であったことから、「萬両」も樹形の整ったものと思われる。
  「しの作り梅桃類」は、前記「たこ作り桃」と同様、花を観賞するウメやモモであろう。ウメやモモの品種は定めていないが、おそらく樹形の整えられたものだったと思われる。
  「王不留行」は、『本草綱目啓蒙』によれば「スゞグサ  道灌草」とある。ナデシコ科「ドウカンソウ」のことか。ドウカンソウの種子を乾燥したものを王不留行(オウフルギョウ)という。薬草で、通乳・通経・止痛などの作用があるとされる。『牧野新植物図鑑』によれば、「[日本名]道灌草。昔、江戸郊外の道灌山に薬園があったとき、支那産のこの種を植えていたのでこの名がついたといわれる。支那の北部にはふつうにみられるそうである。[漢名]麥藍菜、王不留行は別のものである。」とある。
  「漢種鬼督郵」は、中国産の鬼督郵(キトクユウ)のことだろう。「鬼督郵」は、『本草図譜』には「ハグマ」、『本草綱目啓蒙』によれば「ハグマ  カサナ  トチナ  ユフダチガサ  オニノカラカサ」とある。また、『和漢三才図会』(寺島良安・第九十二巻末 山草類  下巻)には山草類として記されているが、よくはわからない。『牧野新植物図鑑』には、キク科のクルマバハグマの項に、「[漢名] 鬼督郵をあてるのは誤りで、支那に本種はない。」との記述がある。生薬「鬼督郵」として、「鬼督郵」の別名にラン科のクマガイソウの名がある。また、生薬「赤箭(セキゼン)」となる、ラン科「オニノヤガラ」の別名にも「鬼督郵」の名があるという。さらに、生薬「徐長卿」となる、ガガイモ科「スズサイコ」の漢語別名にも「鬼督郵」がある。
  「狗脊」はよくわからない。『本草図譜』に「狗脊  いぬがんそく」。『牧野新植物図鑑』に、ウラボシ科「イヌガンソク」がある。これと同じ植物と思われるが、『大植物図鑑』(村越三千男)には、「コモチシダ」とある。さらに、生薬「狗脊(クセキ)」は、薬草のカカワラビ科「タカワラビ」の根茎を輪切りにして乾燥したものと書かれている。『和漢三才図会』には、「狗脊(ぜんまい)  『本草綱目』(草部山草類狗脊[集解])に次のようにいう。狗脊(シシガシラ科オオカグマ)は山野に生える」とある。また、『大和本草』には「コガネワラビ」とある。
月下香(ゲッカコウ)」は、リュウゼツラン科「チューベローズ」であろうか。チューベローズは、夏季に乳白色の花を咲かせる。芳香を放ち、月下香の別名のように夜間に香りが強くなる植物。
 「胡盧巴」は、『本草綱目啓蒙』に「[一名]腎曹都尉  腎曹都護  胡巴」とある。生薬の「胡盧巴(コロハ)」は、薬草として日本に入ったものらしく、マメ科「フェヌグリーク」であろう。なお、現代では香辛料の一種としての方が知られている。
 「唐白朮(カラビャクジュツ)は生薬名。キク科の「オオバナオケラ」か。
 「唐蒼朮(カラソウジュツ)も生薬名。キク科の「シナオケラ」か。前記生薬の白朮は、国産のオケラとオオバナオケラを基原植物、蒼朮はホソバオケラとシナオケラを基原植物とするようだ。
 「コアツモリ」はラン科の「コアツモリソウ」。鉢植されたものであれば、百五十文(四千六百八十七円)という値段は高額ではないだろう。
  「唐シュロ小木イケマ」。唐シュロはヤシ科の「トウジュロ」だろう。その後の「小木イケマ」は意味不明である。なお、「唐シュロ小木」と「イケマ」が分かれていれば、「イケマ」はガガイモ科の「イケマ」であろう。しかし、イケマは、次の二百文の項に出てくる。
  「石下サボテン」は、石付きサボテンのことではないか。サボテンの種類は特定されていないが、いわゆる石付き盆栽であろう。百五十文は少々高い気もするが、サボテンが珍しかった当時としては不思議ではない。
 「サゞン花」は、ツバキ科の「サザンカ」。「サゞン花」は「地堀」と付記されていないことから、花ものとしての盆栽であろう。
★二百文の植物
  「ツバキ」は、ツバキ科の「ツバキ」。特に記載がないことからヤブツバキだろう。サザンカより値段が少々高いのは現代と同じである。値段は二百文という、換算すると今の価格では六千二百五十円となる。
 「大名オモト」「千筋オモト」は、ユリ科の「オモト(万年青)」である。万年青は、江戸時代には人気があり、『草木奇品家雅見』に「大名しま二種」「千筋じ」、『草木錦葉集』に「大名」「千筋おもと」の名がある。
  「ヒネリサゞンクワ」は、ツバキ科の「サザンカ」の園芸品種であろう。花か葉に「ひねり」があるものと思われる。
  「絞りダンドク」は、カンナ科の「ダンドク」。今ではあまり見ることのできない花であるが、江戸時代には普通に見られたのだろう。ダンドクの花は、緋色、橙色、黄色、桃色、白などとともに、絞りもある。
  「たこ作り櫻」は、バラ科のたぶん「ヤマザクラ」の作りものではなかろうか。
 「海棠」は、バラ科の「ハナカイドウ」であろう。
  「骨碎補」は、よくわからない。『和漢三才図会』と『本草図譜』に「骨碎補」の図が描かれているが、両図は同じ植物を描いたようには見えない。『本草綱目啓蒙』に「骨碎補  詳ナラズ。[一名]生樟  石騮薑  骨補  胡孫良薑  骨砕」と。さらに「海州骨碎補ハ、シノブグサナリ。」とある。『本草綱目』では「ウンリョウシダ」とあるが、どのようなシダなのかはわからない。
 「岩カゞミ」は、イワウメ科の「イワカガミ」。
  「仙茅」は薬草であろう。『本草綱目啓蒙』に「キンバイザゝ」とあり、「ヒガンバナ科の「キンバイザサ」。
  「芍藥」は、ボタン科の「シャクヤク」。
  「ハブソウ」は薬草、マメ科の「ハブソウ」。北米南部の原産、江戸時代に渡来。
 「風蘭」は、ラン科の「フウラン」。                           
 「朝顔替り物」はヒルガオ科の「アサガオ」で、変化朝顔であろう。
イメージ 5  「八重ナデシコ」は、「ナデシコ」の八重咲きの園芸品種。『野山草』(橘保國)にはいくつもの園芸品種(左図)が描かれている。
 
 
 
 
 
 
 
  「斑入アリドホシ」は、アカネ科の「アリドオシ」の斑入り。アリドオシの別名として「一両」がある。葉に斑が入っていることで、人気を呼び二百文の高値で売られたものであろう。
  「白黄フダン菊」、フダン菊はキク科の「シュンギク」ではなかろうか。花の色も、白と黄色がある。
  「イケマ」はガガイモ科の「イケマ」であろう。イケマ(牛皮消)は、利尿、強精、強心薬となる薬草である。
  「刺なし山椒」は、ミカン科の「サンショウ」であるが、刺のない品種であろう。
イメージ 4  「唐木香」は中国産の「木香」か。「木香」は、『本草綱目啓蒙』によれば「[一名]大通緑  東華童子」とある。生薬の「木香(モッコウ)」は、キク科の植物「モッコウ」の根。また、『広益地錦抄』(伊藤伊兵衛平政武)には、「木香(もつこう)」とあり、図(右図)が付されている。なお、『本草綱目啓蒙』には「木香」の他種名として、バラ科の「モッコウバラ」を紹介している。
 「朝鮮五味子」は、マツブサ科の「チョウセンゴミシ」。薬用として販売したものか。
 「白蘞」は、ブドウ科の「ビャクレン」であろう。中国産の薬草で、「白蘞」はビャクレンの根から作られるらしい。
  「蓬莱カヅラ」は、フジウツギ科の「ホウライカズラ」であろう。『牧野新植物図鑑』には、珍しい植物なので名付けられたとある。
    
 二百文の植物を見ていると、ツバキ、オモト、イワカガミ、シャクヤク、フウラン、変化朝顔などが二百文、現代の価格でいうと六千二百五十円程で売られていたようだ。イワカガミやシャクヤクなどは、今では量産されているのでかなり安なっている。一方、当時と比べて、希少価値の高くなったオモトや変化朝顔などには、この金額では入手できないものもある。