江戸時代の椿 の検索結果:

江戸時代の椿 その22

江戸時代の椿 その22 ★1850年代(嘉永~安政年間) 『剪花翁伝前編』の椿 『剪花翁伝前編』は、挿し花(生花)の花材361品の栽培法を月別にわけ、花期や栽培の留意点、早出し法などを解説している。この書は、嘉永四年(1851)園芸家・中山雄平によってに刊行されている。なお、前編とあるのは、後編も刊行するつもりだったのかもしれない。 『剪花翁伝前編』には、ツバキについて以下のように記されている。 「椿並に山茶花さしきの方 方地ば西北の方を遮り隔て東南の陽面を受たる山麓○岸塘○…

江戸時代の椿 その21

江戸時代の椿 その21 ・『古今要覧稿』その4 和漢三才図会云椿和字(注・・ネットで表示できない文字は○で記している。) (按に新撰字鏡云椿椛揮三同勅屯反豆波水又云○○○三字豆波木とみえたりその三字棒構櫨は本邦にて造りし新撰の字なりといへども椿杶○の三字は慥に西土の字なるを寺島良安の西土の椿字をさして和字也といひしは誤り也) 夫木和歌集に殷富門院大輔の歌「霞立こせの春野のはまつばきつらねもあへず見えみみへすみ」 (按に此歌は万葉集に巨勢山の列々椿つらつらにの歌の詞をとりてよみ…

江戸時代の椿 その20

江戸時代の椿 その20 ・『古今要覧稿』その3 以下に示すのは、『古今要覧稿』巻第三百七である。 「古今要覧稿巻第三百七 ●草木部 椿下 ○和歌・・・(字数の関係もあり省略) 扶桑拾寄葉集巻二十八 百椿図序 藤原光広 このごろ花の中につばきをもてはやす、おもひをたててもろともにきそひもてあそびものとなれり、爰にことこのむ人、春夏秋冬とだえあらせしがため、つくり絵に鴫のはねがきももまでかきあつめしきたへのまくらごととなせり、まことによしあるしはざ、人よりはまさりたりけり、凡日本…

江戸時代の椿 その19

江戸時代の椿 その19 ・『古今要覧稿』その2 以下に紹介するのは、巻第三百六の後半である。その中には、これまでのブログに示したものがあり、重複するため省いている。また、ツバキと直接関係ない記述についても省略する。 「いはゆる大椿及び椿樗の椿の如きはそのよはひ久延なるを以て其花実茎葉は必す不老不死の薬ともなるべきにいづれの本草にもそのよしはみえず、ただその根皮の下利下血帯下疾等の諸病を療するのみなるはこれその天性の功能にして海石榴油の如きは秦始皇の仙術を好みて我邦にもとめし石…

江戸時代の椿 その18

江戸時代の椿 その18 ★1840年代(天保~弘化~嘉永年間) 『俳諧季寄図考草木』『古今要覧稿』のツバキ ・『俳諧季寄図考草木』の「海石榴」 『俳諧季寄図考草木』は、天保一三年(1842)に梅枝軒来鴬よって刊行された図集である。図集は500余点の草木図を季節ごとに配列し、和名と漢名を附した歳時記になっている。その中に、海石榴(ツバキ)と冬海石榴(フユツバキ)が下図のように記されている。 ・『古今要覧稿』その1 『古今要覧稿』は、文政頃より幕命によって、国学者屋代弘賢が亡くな…

江戸時代の椿 その17

江戸時代の椿 その17 ★1830年代(天保年間) 『本草図譜』『桃洞遺筆』のツバキ ・『本草図譜』 『本草図譜』は、岩崎常正によって天保元年 (1830)に刊行された我国初の植物図鑑。約2000種の植物を96巻(5巻から始まるため92冊)に分け、彩色写生し解説している。ツバキは、巻91で以下の65品種を図入りで紹介している。 「灌木類 山茶 つばき 曼陀羅 群芳譜 躑躅茶集解(ヤマツバキ)・センジユ、ウエツマ、ヒイラギツバキ、チリツバキ 石榴茶集解・イセツバキ、ボクハン、カ…

江戸時代の椿 その16

江戸時代の椿 その16 ★1820年代(文政年間) 『遊歴雑記』のツバキ、『江戸白金植木屋文助筆記』の肥後椿 ・『遊歴雑記』 『遊歴雑記』は、十方庵主が江戸近辺の名勝・古跡などを自ら散策し、感想などを綴ったもので、文政十一年(1828)に刊行された。その「初編の巻上の第一」にツバキに関する話の一つとして、「御愛樹の檜の木椿」がある。 「三縁山増上寺本堂の後なる黒本尊に隣りて左の方に出張し御構は台徳廟の御霊屋たり、此御霊屋の外駒ヨセの内左右ににらみ合せて檜椿といへる名樹両木繁茂…

江戸時代の椿 その15

江戸時代の椿 その15 ★1820年代(文政年間) 『シーボルト 江戸参府紀行』『江戸名所花暦』『草木奇品家雅見』『草木錦葉集』のツバキ ・『シーボルト 江戸参府紀行』 ドイツ人医師・博物学者であるシーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold)は、文政六年(1823)オランダ商館付き医師として長崎に着任した。3年後の1826年、彼はオランダ商館長の江戸参府に随行し、道中での動植物や地理などを記した『シーボルト 江戸参府紀行』(斎藤信訳)を…

江戸時代の椿 その14

江戸時代の椿 その14 ★1800年代(寛政~文化年間) 『本草綱目啓蒙』の山茶、『四季賞花集』の「イセツバキ」、『古来椿名寄』のツバキ ・『本草綱目啓蒙』 『本草綱目啓蒙』は、小野蘭山が講義をした『本草綱目』を孫の職孝等が筆記整理したもので、文化二年(1805)に刊行された。その巻之三十二 木之三 灌木類に「山茶」が記されている。 「山茶 ツバキ〔一名〕曼陀羅(群芳譜) 鶴丹(輟耕録) 本邦ニテ古ヨリ椿ノ字ヲ、ツバキト訓ズルハ、タマツバキノ古訓ヲ誤リタルナリ。其タマツバキト…

江戸時代の椿 その13

江戸時代の椿 その13 これまでの記述について 1600年代(慶長年間)からツバキに関する書を中心に追って、1800年まできた。まだ探せばいらでも出てくるだろう、ただ、手持ちの資料に加えるには、新たな調査をしなければならない。並大抵の仕事ではないと思うので、いささか二の足を踏んでいる。たとえば、『椿図譜 迷宮案内』と題するホームページには、「椿花図譜 品種名相関表 重複数順」という表が掲載されている。そして、その表を見るとまだ他にいくつかの資料があることがわかる。 これまで示…

江戸時代の椿 その12

江戸時代の椿 その12 ★1790年代(寛政年間) 『来禽図彙』『津可呂の奥』の山茶、椿 ・『来禽図彙』 『来禽図彙』は、北尾政美によって描かれ寛政二~三年(1790~91)頃刊行された。実物はもちろん、写本等も見ていないが『樹木図説』に、「〔来禽図彙〕山茶、和名つばき、日本古書にツバキを海石榴と書きいつの頃よりか椿をツバキと読み来れり、されども椿はツバキに非ず、香椿とてチンと云ふ、花なく実なし、長崎福済寺関帝堂の前にあり、寛文の頃唐山より来れりと云ふ、其葉両々相対し葉の中筋…

江戸時代の椿 その11

江戸時代の椿 その11 ★1780年代(安永~天明~寛政年間) 『聚芳図説』『大和本草批正』『椿花形附覚帳』の椿と山茶・ツバキ ・『聚芳図説』 著者は未詳、安永九年 (1780) 頃作成されたと推測されている。国立国会図書館デジタル化資料の解題によれば、「薬草・椿・菊・芍薬・松本仙翁などの花銘と線画は、『花壇地錦抄』『増補地錦抄』『広益地錦抄』などからの転写が基本になっているので、江戸染井の伊藤伊兵衛家の子孫か一族である可能性が小さくない。」とある。ツバキは、「古椿地錦抄分」…

江戸時代の椿 その10

江戸時代の椿 その10 ★1770年代(明和~安永年間) 『宴遊日記』の海石榴・つはき、ドレスデンの椿 ・安永二年(1773~79)『宴遊日記』 『宴遊日記』は、柳沢吉保の孫・信鴻が六義園で、安永二年(1773)から天明五年(1785)までを過ごした記録である。日記は、天候の記載に始まり、朝からの行動を詳細に記録したもので、交遊、園遊、演劇、行楽などに関する文章が綴られている。園遊(ガーデニング)の記述中には、ツバキを含む記述がいくつもあり、当時のツバキの種類や使い方などを知…

江戸時代の椿 その9

江戸時代の椿 その9 ★1740年代(元文~寛保~延享~寛延年間)『庶物類纂』の椿 ・『庶物類纂』 『庶物類纂』は、加賀金沢藩の儒医・稲生若水、その弟子丹羽正伯らが編纂した博物書。延享四年(1747)、八代将軍徳川吉宗の命を受け丹羽正伯らによって完成。『庶物類纂』の巻之三十八木属には、「椿」が記されている。ただし、「椿」は「一名 猪椿 香椿 虎目」などとあり、「ツバキ」ではなく「チャンチン」についての記述である。 ★1750年代(寛延~宝暦年間) 『植物の種』のヤブツバキ ・…

江戸時代の椿 その8

江戸時代の椿 その8 ★1730年代(享保~元文年間) 『地錦抄附録』『続江戸砂子』『本草花蒔絵』の椿 ・『地錦抄附録』 享保十八年(1733)、東武江北染井・伊藤伊兵衛は、『地錦抄附録』を刊行した。『花壇地錦抄』や『広益地錦抄』から漏れた花卉と薬草を中心に収載したものである。ツバキは図と共に6品掲載されている。「朝鮮椿(てうせんつばき)・阿蘭蛇白椿(おらんだはくつばき)・鹿児島椿(かごしまつばき)・玉柏椿(たまがしはつばき)・阿蘭蛇紅椿(おらんだこうつばき)・朝霧椿(あさぎ…

江戸時代の椿 その7

江戸時代の椿 その7 ★1720年代(享保年間) 『槐記』『用薬須知』『百花椿名寄色附』の椿 ・『槐記』 1720年代のツバキとして、『槐記』の茶会に記された茶花を示す。なお、『槐記』は、近衛家煕の侍医山科道安が家煕の言行を集めたもので、享保九年(1724)から二十年まで記されている。 以下は、『茶道古典全集〈第5巻〉』(千宗室)にある『槐記』より、ツバキの使用された茶会の日付とツバキの記載を示す。 妙蓮寺椿cabiさん提供 享保九年(1724)十月十六日 妙蓮寺椿 享保十年…

江戸時代の椿 その6

江戸時代の椿 その6 ★1710年代(宝永~正徳~享保年間) 『増補地錦抄』『廻国奇観』『和漢三才図会』『広益地錦抄』の椿、海石榴 ・『増補地錦抄』 宝永七年(1710)、『増補地錦抄』が伊藤伊兵衛(政武)により刊行された。この書には、「卜伴椿・頳縮緬椿・白鷴椿・杜鵑椿」の4種の名称と解説、11種の図が添付されている。このうち、図と解説が重なるのは2種で、13種の椿が紹介されている。 なお、『生活の古典双書 花壇地錦抄・増補地錦抄(増補分)』(編輯 京都園芸倶楽部 八坂書房)…

江戸時代の椿 その5

江戸時代の椿 その5 「ツバキ」の語源 これまでに、江戸時代に入ってからの百年間に書かれた、ツバキに関する資料を紹介した。紹介するにあたっては、なるべく誤解の生じないよう、また、先入観を持たれないようにと心がけたつもりである。しかし、私がここで紹介した資料も、元を辿ればそれ以前に書かれた資料を基にしたものであるから、当然何らかの方向づけされていると考えるべきである。特に、伝承に基づく資料は、資料としての取り扱いが難しい。それは、伝承はたとえ嘘のような話であっても、根拠なしには…

江戸時代の椿 その4

江戸時代の椿 その4 ★1690年代(元禄年間) 『花壇地錦抄』『江戸参府旅行』『農業全書』の椿、ツバキ、山茶 ・『花壇地錦抄』 有川 cibaさん提供 元禄八年(1695)亥初春、『花壇地錦抄』は、江戸染井の植樹家、伊藤伊兵衛(武陽染井野人ノ三之蒸)が書いたもので、江戸大伝馬三町目の志村孫七によって開板された。「花壇地錦抄 二」「椿のるい(木春初中)」として、「ある川・乱拍子・春日野・わかくさ・乱鹿子・通鹿子・月光・とりどり・白見驚・大もみじ・初花・指まぜ・本間絞・あまがさ…

江戸時代の椿 その3

江戸時代の椿 その3 ★1660年代(万治~寛文年間) 椿・ナツツバキの写生・『松平大和守日記』の椿 ・『草木写生』 万治三年(1660)三月、『草木写生』の椿が描かれる。『草木写生』は、狩野重賢(とは言え、この人物は狩野家の系図にはなく、経歴も不明)によって明暦三年(1657)から元禄十二年(1699)にわたって描かれている。その中にツバキは48品(花銘があるのは23品程)描かれている。描かれた時期は、その大半が万治二年から三年である。花銘を示す紹介すると、山茶・岐隼・八幡…

江戸時代の椿 その2

江戸時代の椿 その2 ★1630年代(寛永年間) 寛永のツバキ ツバキの種類が増えたのは、寛永年間(1624~1643年)ではなかろうか。それを証明するかのように、ツバキの図集がいくつも描かれている。寛永七年(1630)、誓願寺の安楽庵策伝は、収集した椿を『百椿集』として著した。その後、京都と江戸で相次いで『百椿図』が出されたらしいが、残念なことに、『百椿集』の図は現存しない。また、『百椿図』について、つぎのような諸説がある。 京都の『百椿図』は、烏丸光広(公卿・歌人・能書家…

江戸時代の椿 その1

江戸時代の椿 その1 ツバキは、日本人の関心が高い植物である。それだけに、ツバキについて書かれたものは膨大にあり、実際の数がどのくらいあるかわからない。ツバキについて読み始めると、様々な話が錯綜してまるで泥沼に入り込んだような気がする。それでも、少し調べ始めると、ツバキの魅力に取り込まれてしまうことも確かである。今回はまだ道半ばではあるが、私なりにわかったことを紹介してみたい。江戸時代を中心に、順に(10年スパンで)追ってみることにした。 ★1600年代(慶長年間) 江戸時代…