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…建こそ第一であると」娯楽施設の復興をはかることとなった。映画や演劇などの娯楽を再建させて、街や職場に「うるおい」を取りもどそうとの掛け声である。これまでの禁止一辺倒ではなく、臨機応変に映画や演劇を行うことができそうになった。 読売新聞も「従容・牛島最高指揮官の最期」の見出しで、追悼記事が掲載されている。他に「本土決戦を前に」と、海軍少佐談「許すな破壊暴撃 近接の敵を地獄へ」。閣議決定として「本土戦場化に備へ 緊急措置発動」などが記されている。 二面は一面受けるように、「本土決…
…事がある。これまでの娯楽引締め一辺倒を更める気配が窺える。 読売新聞は「首里北方の我堅陣へ 敵全兵力挙げ猛攻 兵站部隊も投入の激戦」との沖縄戦況。「敵も正に必死 戦力鍔競合ひに勝て」、「関頭」分かれ目と言うものの勝敗は見えている。 二面には「血闘する沖縄島民の姿 征く特攻機に合掌」とある。さらに、「怖るな敵の手並 固めよ応変の防空態勢」をせよと、具体的な対策もなく、怖がるなとの指示するだけ。 風太郎は勇太郎さんと顔見合わせ「家に味噌も醤油も塩もまったく尽きたり。醤油は五月分い…
…して、「決戦に生活と娯楽」との記事、「形式などは二の次 欲しいけふの気持ちに訴えるもの」をとある。「演劇は美談が多く紋切型で人間味に乏しく」など、これまでになかった発言が新聞に現われた。 朝日新聞は「機動部隊を発見 神風隊突入す」「敵、再び全線で総攻撃」。さらに「敵二割を斬込殺傷 」「タラカン攻防戦本格化」と戦況を伝える。 高見は戦況報告に、「なんともいえない口惜しさ、腹立たしさ、焦立たしさを覚えさせられた。 敵に明らかに押されているのだ。敗けているのだ。何故それが率直に書け…
…敢闘 空襲にめげず目標二倍増産運動」など、食糧についての記事。「焼けぬぞ日本人の信仰心 参詣者ひきもきらぬ観音さま」と、浅草に訪れる人の多いことが記されている。新聞は信仰心に結びつけているが、社殿の消失後も訪れるのは、焼け残った娯楽施設を目当ての人が多いことは言うまでもない。 政府や軍は、国民がドイツの敗戦を知り、劣勢の沖縄戦などに、先行きに不安を感じる人が増えることを恐れている。人々の不安が浸透しつつあることを認め、国民の動揺を和らげるような記事が必要と判断したのであろう。
…す記事が少なく、特に娯楽は禁止に近い状況であったのが、風向きが少し変わり始めた。 古川ロッパは、昭和二十年四月二日の東京新聞に次の意見を掲載している。「われらチンドン屋、古川緑波。こうなってから、実に、こうなってから、われらの滑稽芝居は、娯楽本来の姿に立ち返ることを許された。もはや、国策を説く教訓の書は、要求されずに、お子様の喜ぶポンチ絵本を、提供することを許されたのである。かくて、われらアチャラカ芝居、と蔑称され、低級喜劇(もっとも高級と呼ばれたことも一度ある。それは高級娯…
…"に徹せん』、讀賣は『今 にあり勝機の把握』社説の題目は、朝日『勝機に立つ試』、毎日『絶好の機到る』、讀賣『生産陣奮起せよ』」との、報道を記している。 帝国館は十九日から有料興行を開始。「東京新聞の芸能欄を見ると、小屋(劇場)が昔と比べて十分の一ぐらいになっている。それでも、東京の罹災から考えると、随分と沢山ある。不思議に焼けてないと思われるところがある」と、高見は日記に書いている。空襲が続き、東京は焼け野が原、生活を建て直そうとする市民は食べるだけでなく、娯楽も求めていた。
…苦労している、だから娯楽などもってのほか、辛抱しろと、耐久生活を強制した。 八日の朝日新聞は、「鈴木内閣成立す」「新内閣の性格」「陸海両相に逸材 重臣、強力に支持」とある。 高見は、「新聞に内閣の顔触が発表された。政治に暗い私には、前内閣とどれほど『強力』な顔触れなのかよくわからない。第一、どうして前内閣がやめなくてはならなかったのか、さっぱりわからない。新聞記事だけでは、国民にはさっぱり納得できない。・・・特攻隊の攻撃しきり。夜、久しぶりにラジオが海軍マーチ(註=軍艦マーチ…
…て開くのだと言う。映画の方も、もう何をやってもいゝ、アチャラカ結構と言って来た」と、期待している。 前述(二十九日)、内務省よりの命令「何でもいゝ明朗闊達にやれ」は、市民の心情を慮っての判断であろう。しかし、市民の娯楽を制限してもしなくても、市民の戦争遂行にはあまり関係ないことに気づくことになる。にもかかわらず、政府・軍は戦時中ということで、自粛から禁止と制約を強めて行った。その理由は、娯楽に内在する反戦的な言動を防ぐためであり、自由な表現の拡散を防ぐためであったのであろう。
…ろう。 沖縄戦の記事が本格的に出始める三月二十九日 朝日新聞は「沖縄作戦に敵空海の全力を傾倒」と、米軍の動きを示す。 沖縄戦が過酷な状況になる中で、古川ロッパは「・・・内務省より、マイクの使用も差支えなし、歌手の服装もおかまいなし、何でもいゝ明朗闊達にやれといふ命令があった。然らば、せめて『あなたと呼べば』あたりの日本のジャズソングを歌ってもいゝかと、お伺いを立てさせてゐる。アトラクションも停止されてゐたのが、今回復活となった。・・・」と、これまでの娯楽締めつけが緩んでいる。
…ある。 ロッパは、「娯楽の変貌は又甚しく、最近、警視庁の寺沢が、軽演劇のシミ金などを呼んで、時局がかうなったから、アチャラカを許す、大いに辷ったり転んだりしろと申し渡したと言ふ」ことを日記に書いている。戦局は日増しに悪化、流言が増加してきた。また、このまま戦意向上を押しつけるだけでは行き詰まりを感じたのか。確か、二日付の新聞には、「勝利の日まで享楽お預け」と出していた。当局の指示は、混乱しているのか、その場凌ぎの思いつきなのか。 二月八日の朝日新聞は「壮絶マニラ市街戦 我精鋭…
…のはラジオから流れる娯楽番組や映画・演劇などであった。また市民は、面白いものに加えて、好奇心を求めており、多少怖くても楽しもうとする人は少なからずいた。 二月一日から日比谷公園でB29が「曝し物」となった。 読売新聞は、日比谷公園で「B29曝し物」と、一日から二十日までB29の機体が展示されることを紹介。首都防衛が行なわれており、その成果として展示したものであろうか。でも逆で、このような巨大な飛行機が襲来すれば、日本の飛行機では太刀打ちできないと感じる人が出ることを想定してい…
…入り、それでも都民は娯楽にも関心を向ける余裕が出てきた。戦後映画の第一号とされる『そよかぜ』(朝日四日・高見二十三日)が上映、映画の批評とはよそに主題歌の『リンゴの唄』は、当時の人の心を捕らえ、その後空前の大ヒット(レコードは三ヶ月で七万枚)となる。 十月一日、朝日新聞は「陸軍内地部隊の復員八割以上完了と」。二面に「新日本建設のため 文化騎士の解放 真の自由はいまだし」と。 高見は、読売新聞「季節風」にある、電車内の出来事を紹介している。「さる二十九日の夕刻・・・米兵がすこう…
…記されている。都民の娯楽は、徐々に復興していくようだ。松竹『そよかぜ』の広告。 九月二十四日、朝日新聞は、連合軍司令部よりの「日本管理政策の正文発表」を掲載する。「現存の統治形態利用 賠償は物資と施設で」との方針を示す。また、「新聞紙法を指示」を掲載。 二面に「陸軍外地部隊の復員 あす第一船帰る 内地の主力も七割復帰」と、深刻な社会問題とある。 また、「米国との貿易再開 原料輸送に米船舶の援助を」との中島商相会見記の記事。 「映画に盛る”新日本” 連合軍、制作の方針を指示」を…
…建こそ第一であると」娯楽施設の復興をはかることとなった。映画や演劇などの娯楽を再建させて、街や職場に「うるおい」を取りもどそうとの掛け声である。これまでの禁止一辺倒ではなく、臨機応変に映画や演劇を行うことができそうになった。 六月二十九日、朝日新聞は、大本営発表で「沖縄の玉碎」がラジオ放送で伝えられていたのに、「航空部隊 廿七日も沖縄敵艦連襲」と戦いを掲載している。また、「活かせ沖縄の戦訓」も記している。 六月二十八日、朝日新聞は「敵、久米島上陸」と、沖縄戦の続きを掲載してい…
…続いている。 しかし娯楽は、ラジオが歌謡曲や軽音楽の放送を再開し、相撲、野球、庭球など明朗体育も復興の兆しがある。人々への娯楽への制限が少しずつ緩められ、久しぶりに米国映画を見ることができるようになると。 九月七日、朝日新聞は「民需生産は全力再興 沖縄、小笠原基地」など、米軍当局が広汎な計画を言明している。 二面に「米人記者のみた広島」に「生存者の憎悪の眼」と「夏の太陽の下・廃墟に漂ふ死臭」の記事。 他に「誤解招く娘の笑顔粋な素足も挑発的」との注意喚起もある。同じように、読売…
…が滅入る中、あれだけ娯楽を制約していたのに、劇場や映画館などが復活したり、復旧中の記事が増えている。 七月三十一日、朝日新聞一面は「敵機動部隊三たび関東へ」と、空襲が続いていることを告げている。 二面に「国民皆農の尖兵たれ」とある。また「どんぐり五百万石を採取」家庭で加工しませう。「私有山の出入もお構ひなし」と、食糧事情が改善してないのであろう。国民はドングリを食べて凌ぎ、国家はそれでも戦争を続けようとしている。 七月三十日、朝日新聞は「砲爆撃下敢然戦ひ抜かん 最善の作戦を遂…
…真実の一幕と、街中の娯楽も記している。 朝日新聞二面には、「愛と誓ひ」東宝映画、「最後の帰郷」大映映画の広告がある。 また同紙二面には、「われら鉄道戦闘隊」「『戦』の一字誇らかに」と写真入りで。 「航空灯をつけた敵機 爆音で味方機と識別しよう」と、「新手の偽騙行動」に注意喚起している。 「疎開学寮中心に」「学童集団疎開を恒久化」それに伴い「残留好調も地方へ」。「都内への再入校認めず」として「疎開学童の食糧は十分」との記事。食糧事情は改善していないのであろう「乾燥野菜の作り方―…
…、国民はラジオからの娯楽放送が聞けるようになる。 この時点になって、「原子爆弾被害地の惨を見る」との見出しで、広島、長崎の被害が掲載された。広島は「全戸数の九割は倒壊」「蚊一匹残さぬ殺戮ぶり」「死者五万二千」などについて、長崎は「横穴壕も蒸し焼き」「死者、行方不明二万三千」など悲惨な状況が記されている。 高見は、聞いた話として「予備学生上りの若い将校に喧嘩を売ろうとしていて、若い将校などはすり抜けるようにして去って行ったという。水兵上りの年輩の下士官は予備学生上りによほど反感…
…、「街を明るくせよ、娯楽機関の復興を急ぎ、また親書などの検閲を即座に停止せよ・・・」を示す。 二面に、衆議院議長島田敏雄談として「新日本へ心の切り換へ」の見出し、「朝夕、詔書を奉読し 再建へ驀直進前 男らしく輝かせ人間味」と続く。そして、「何事にも 戦後の困苦に堪へよう」と。「心の切り換へ」述べながら、結局は「戦後の困苦に堪へよう」、戦中と同じような提言と感じられる。精神論によって、もう国民は動かなくなることに気づかず、またわかっていたにもかかわらず、繰り返している。これが軍…
…に和らげるか、それは娯楽である。戦時中も、徹底して制限したが、娯楽を無くすことは出来なかった。戦意高揚の官製イベントであっても、そこに楽しみを見いだし、大勢の人が参加していた。 しかし、十七日の朝日新聞には、戦闘による「犠牲者の援護喫緊」と、これから戦後に立ち向かう人々の夢や希望を提供するより、戦争による犠牲者の援護を訴えている。戦時中と同じ叱咤激励では、国民は動かないことをまだ理解しようとしていない。勿論、戦争犠牲者の援護を否定するものではないが、現時点で困窮している国民も…
…心を引き継ぎ、遊び、娯楽の要素が高くなる。 では物見遊山は、どのように理解されているだろうか。辞書を引くと、「気晴らしに見物や遊びに出かけること」、「見物して歩くこと」などとある。その使い方は、気軽に遊覧や行楽をすることで、「漫遊(気の向くままに訪ねまわる)」と同じようである。そして、「物見遊山に来たのではない」などの使い方で、否定的な印象を持ち、あまり好ましくない行為にみられることが少なくない。そのためか、最近は物見遊山という言葉を聞くことが少ないような気がする。特に若い人…
…儀式や寺院が大衆的な娯楽と混じりあい、それを助長するようにされている奇妙なやりかたこそ、私の確信を裏づける証拠のひとつである。寺院の境内では芝居が演じられ、また射的場や市や茶屋が設けられ、花の展示、珍獣の見せ物、ベーカー街のマダム・タッソー館のような人形の展示が行われる。こういった雑多な寄せ集めは、敬虔な感情や真面目な信仰とほとんど両立しがたい」との見解を示している。 とは言うものの、「にもかかわらず日本人が、 表向きは宗教的目的をもつ巡礼に病みつきだということは、一方では、…
…任な記事である。 また、「映画や演劇どしどし再建 街や職場へうるおいの進出」とある。「生活のきびしさに堪え、戦列に踏止って明るく戦い抜くためにはすさび勝ちの心をうるおす慰安機関の再建こそ第一であると」娯楽施設の復興をはかることとなった。映画や演劇などの娯楽を再建させて、街や職場に「うるおい」を取りもどそうとの掛け声である。これまでの禁止一辺倒ではなく、臨機応変に映画や演劇を行うことができそうになった。 新聞は、この時点で初めて、国民の要望に応えた記事を書けたと思ったであろう。
…身分によりそれぞれの娯楽があり、その魅力は精神の鎮静や弾力、熟練などを発達させることにあるのである」と、日本人の遊びに対する積極性を高く評価している。このパワーこそ、人生における様々な困難を乗り越えて行く原動力と言えるだろう。本当に大切なのは、物質的な満足ではなく、自分が楽しい気分でいられる遊びを知っているかどうかということである。イタリア使節のアルミニョンは 「下層の人々が日本ほど満足そうにしている国は、ほかにないといえるだろう」と書き残した。 人の幸せを物の豊富さではない…
…らの年齢にふさわしい娯楽を十分に楽しみ、大人ぶることがない。かれらはひょうきんな猿を背負った旅芸人を追っかけてゆくし、そのような楽しみからえられるような幸福より重亭な幸福は望まない」と、日本の子供は恵まれていることを記している。 ・まるで子供のような庶民気質 アンベールは、「日本の庶民階級の人々は、まるで子供のように、物語を聞いたり歌を唄うのを聞いたりすることが非常に好きである。職人の仕事や商品の運送などが終るころ、仕事場の付近や四辻などで、 職業的な辻講釈師の前に、大勢の男…
…とを示すのが、遊び、娯楽の変質である。 確かに、遊びや娯楽の場は、江戸時代と同じであるが、そのスタイルや内容は明らかに異質なものが出現した。寄席についていえば、落語(おとしばなし)は、三遊亭円朝に次ぐ落語界の大御所、初代柳家燕枝は、一興行十五日間連続の続き噺しをかけていた。明治になって、「また次の楽しみ」といった旧時代的なスタイルの話に観客がついてこなくなった。また、江戸の庶民生活に根ざした噺や音曲などをわからない人が多くなった。そのため寄席は、時代の変化に対応し新しい感覚の…
…に使う時間が奪われ、娯楽の形態や質にも影響をおよぼした。 なお、長時間労働、休日が少ないこと、これは江戸時代から続くものと思う人がいるが、決してそうではない。江戸時代の農民にしても、職人にしても、明治・大正から昭和中頃迄に比べれば、働く時間は短く、ゆとりがあった。江戸時代には、いつも慌ただしく働くことは、決して好ましい事ではないと思われていた。それが、いつのまにか、忙しいことが善で、暇な時間があることは悪、と言うようなムードが浸透してしまった。 そもそも、江戸の庶民は、仕事と…
…査するようになった。娯楽はもちろん、庶民の生活全般についても干渉するべく、そのための体制が整いつつあった。 次いで、明治五年(一八七二)十一月に、違式註違(いしきかいい)条例(軽犯罪法の前身)が発布され、その二五条に「男女相撲並ビニ蛇遣ヒ其他醜体ヲ見世物ニ出ス者」という条文によって、相撲から蛇遣いまでが禁止された。前述したように、相撲は後に禁令を解かれたが、全体的に見世物等への風当たりが強くなっていることがわかる。 明治六年(一八七三)六月にも、不具者の見世物が禁止されたが、…
…繰りだすなど、庶民の娯楽は徐々に活気を取りもどしつつあった。 十月には、天皇が東京に御着。翌月には、東幸を祝って東京市民に酒やスルメなどが振る舞われた。もらったのは名主などごく一部の人ではあったが、町内では山車が曳きだされ、踊りなどが催され、久々の大騒ぎが始まった。なかばお上公認の祭ということで、しばらくおとなしくしていた庶民も大いに浮かれ、なかには仕事を放り出し、三~四日も騒ぎ続けた町もあったらしい。またその数日後、薩摩侯陣営内にある稲荷社の祭礼では、相撲が興行。参詣の庶民…
…して当然でしょう。 娯楽・レジャーは、社会における不満や欲望の単なる捌け口と評価されがちです。経済成長に直接寄与しないし、生産性のないものとして軽んじられがちです。しかし、人々が働く意欲を支える原動力に、レジャーは欠くことのできないものです。 大多数を占める大衆が、どのようにレジャーを展開していたかは、歴史的には重要でないと、研究や評価はあまりされていないようです。しかし、戦後社会を理解するには、大衆の生活実態を客観的に捕らえ、明らかにしなければなりません。そこで、日々の動向…