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…滲透」。特派員発で「梅雨と泥海ついて 言語に絶する苦闘 敵航空勢力著しく増強」とある。 二面に「戦ふ〝住〟に不安なし」と、「罹災堅牢建物も活用 戦時住区を選定」などに触れる。「食糧 端境期の作戦」として、「自家生産で捕捉」「偏る代替配給も我慢」と。「味噌、醤油の配給量が変わる」「六割で済む濃厚醤油も登場」のように、厳しくなっているようだ。 朝日新聞は「大里南方 高地で劇戦 敵の滲透邀へ猛反撃」と、沖縄戦の戦況だけで、我が軍の被害どころか米軍の被害にも触れていない。 二面には、…
…血に築く魁け」。「〝梅雨将軍〟と戦う」「恨み深し〝雲の壁〟 腕を撫す猛鷲 沖縄の仇は本土上空」との記事。また、全軍に布告として、「単機B29八機を屠る」との殊勲を示す。そして「大漁 浜に勇士のお手伝」と、唯一の明るい記事が写真入りで載る。 朝日新聞は「沖縄県民の血闘に学べ」と、沖縄の民間人が戦ったということを、初めて言及したと思われる。ただ、県民の被害に関する情報は、全く触れていない。戦いによる悲惨な状況が、もし本土の国民に伝わっていれば、翌日十五日付の一面に「本土決戦こそ最…
…五日の読売新聞は、「梅雨近く風雲の沖縄」題し、「触発せん特攻陣」「奄美列島第二戦場化の敵企画」「来れ一挙初動に砕かん」とある。米軍は、本島の「与那原(東海岸)に侵出 我軍全線で邀撃敢闘中」。「敵戦艦等六隻屠る」「正空母二、特設三隻 この弱勢 敵機動部隊の正体」としている。なお、二十四日の東京爆撃、「B29二百五十機夜襲 主力帝都暴爆 五十七機撃墜破」も記されている。 二面に「敵狼狽の焼夷弾盲爆」「胸すく我邀撃陣の敢闘」とあり、「〝指揮官機先頭〟の闘魂炸裂」「屠龍夜戦隊・忽ち廿…
…ツ(午後8時)に出、梅本既にみせを仕廻ふ故、戸を叩おこし暫く休む」。「広小路虫売等を見、ふしや脇より山下へ出、一銚子鄽を見」る。そこからまた藤や(茶屋)で「蕃麦・冷麦等を皆々に喫せしむ、風凪南より雲出、月色朧々、四ツ(午後10時)聞へて、かしこを起行」している。また、夏の早朝には日の出前から湯島参詣を済ませ、、「女坂より中町池端へ出、弁天参詣、南茶屋に休む、荷花満開、東風甚涼、池端より帰る」と、早朝のハスの開花を見ている。 秋に訪れた信鴻は、「池端通り今日蓮切にて人多し、橋向…
…が良く、亀戸妙義社の梅屋敷は花盛りで非常に賑わったという。町人は夜間の押し込みや追いはぎ などを警戒しながらも、正月を楽しむことは止めなかったようだ。また、芝白金清正公門 前明地に、牝ライオンの見世物も出たらしい。 縁日も正月からは見世物、相撲、歌舞伎などがあることから、江戸の町々にあっただろう。二月の末になると、諸物価が高騰するなかでさつまいもだけが安く、焼き芋 が大流行した。 五月の末から六月の始めにかけて打ちこわしがあった。それによって、この年は、魚河岸にサンマがたくさ…
…ないようだ。 六月は梅雨ということで、人出は少ない。ただ、九年の東郷元帥の国葬には184万人、18年の山本元帥の国葬にも50万人以上の人が出ている。 七月は花火と海水浴、花火の最大は七年の100万人、海水浴は十四年の150万人。八月も海水浴で、四年、五年に70万人という記録がある。 九月の人出は、関東大震災の発生した一日、四年と八年に被服厰跡には60万人もの人が参拝する。秋の行楽として、二年に二日間で200万人、十五年も二日間で300万人という人出があった。 十月は、お会式と…
…ウイークが特に多い。梅雨に入ると外出がおっくうになるためか、著しく利用者が少なくなり、梅雨が開けて、子供たちの夏休みが来ても春のようには多くの人が訪れない。秋なると再び来訪者が増加し、冬になると急激に利用者は減少し、翌年の春まで、まるで動物たちの冬ごもりと同じように、ひっそりとした動物園になってしまう。この間入園者数の変化は、明治十五年に開園してから、現代まで百年以上になるが、ほぼ同じようなパターンを見せている。 もちろん、上野動物園の年間入園者数は開園以来増加しており、当初…
…員御礼A 7月6日「梅こよみ」歌舞伎座連日満員A 8月22日「歌舞伎座は大入り」ki 8月24日「金色夜叉他」帝国劇場の新国劇好評演続Y 10月30日「天界の魔王、十巻」日本館モンロー・サルスベリー氏実演満員御礼Y昭和3年(1928年)の演劇関連事象 1月1日「空気饅頭」築地小劇場座 2月 「舞台の人々他」松竹座 2月11日「刃光他」浅草劇場高木新平実演大入りY 2月14日「裏表忠臣蔵」市村座人気沸騰多大の好評日延べA 2月25日「本郷座に予約を入れたら、売り切れ」ka 3月…
…新たなスター、芝翫、梅幸、二代目左団次などが出現し、古典と新作を並列して上演することが試みられた。歌舞伎の新しい時代への模索は、作品だけでなく、帝国劇場の全席椅子席、切符の前売り制度、茶屋の廃止などとっいた興行体制の改革にもおよんだ。さらに大正二年(1913)、松竹が歌舞伎座を入手し、その初興行を契機として、直営案内所の設置、席券は一人でも場所割表を見せて、随時に前売りをするという方法など、関西人的な感覚で運営され、近代的な興行へと導かれた。演劇界が旧習を打破する積極的な対応…
…参拝 2日y 大劇、梅島昇の「兒故の春」他満員御礼 14日a 乃木将軍三十年祭 16日a 日比谷公園で満州建国十周年式典 18日Y 二子玉川読売落下傘塔に一万名の女学生 『スラバヤの太鼓』『男の花道』を上演している有楽座、二日初日からよく入っている。二十二日は、天候が「荒れ模様なのに大満員、二十二日は魚河岸の休み、花柳界の休み」、ということもあって大満員。二十七日は、「夜は満員・・・何うも嫌な芝居だった」が「千秋楽らしい気分」を味わったとロッパは書いている。 二十六日から東宝…
…報の途切れる時は大学野球などのスポーツを掲載している。梅雨ということもあるが、市民のレジャー気運は湿りがちであった。 そんな市民の気持ちを晴らせてくれたのは、エノケン。浅草を基盤にして活躍していたエノケンが松竹から東宝へと移籍によって、初めての日本劇場公演が実現した。その人気は、劇場の周囲を観客が五重に取り巻くような大入りの記録を作った。なお前年、松竹から東宝へ移籍した林長二郎(長谷川一夫)が顔をカミソリで切られたことから、エノケンは転社の完了するまで慶応病院に入院していた。
…員御礼 6日A 蒲田梅屋敷身売り、さびしい“安売り”の立て札 6日a もみくちゃ水天宮、朝の人出「十万」を超え、正午までに御守り1万5千枚、腹帯2千本 9日A 西新井大師、七草迄に「ざっと百五十万」の参詣者 10日a 浅草帝国館等「花嫁かるた」他満員御礼 15日a 出初式、消防署員一千三百人・消防組員六千一百人参加、日本橋では前日に管内出初式 16日a 浅草電気館等「美人国のぞ記」満員御礼 16日a 大相撲初日、朝六時に入場券売切り 17日A 「ブタ汁を乗せて」初のスキー列車…
…の黒豹脱出(25)、梅雨空が続き、一部の興行を除いて市民レジャーは低調───────────────────────────────────────────────7月2日y 早大球場で職業野球選手権大会、大隅候の始球式、すし詰め一万のスタンド 5日a 浅草電気館等「破れ合羽」他満員御礼 16日a 浅草電気館等「大地の愛」他満員御礼 16日a 麻布松竹等「入婿合戦」他満員御礼 16日a 帝国劇場館等「極楽浪人天国」他満員御礼 16日y 藪入り「水と山の遠出が流行」谷津海水浴場…
…京 8日a あすから梅見列車 12日ro 日劇へ着いてみると、もう大半満員「凸凹放送局」「ガラマサどん」「さらば青春」 20日ro 日劇十日間昼夜二回、完全に満員 23日A 「春うらら 郊外に押出した市民 ざっと四十万」 27日a 大勝館等「ヂャングルの王」圧倒的大満員 27日y 社交ダンス、ホール以外法度、家庭パーティも弾圧 30日a 満都、ファンの陶酔、熱戦、春風とともに「運動デー」野球やラクビー まだ、二・二六事件が解決していないのに、浅草にはすごい人出。六日、チャップ…
…へ行った“夏”まるで梅雨型の変態気圧」とある。日米対抗水上競技大会「水の世界王者争覇戦」と大々的に取り上げ、満員の神宮プールの写真が掲示されている。初日(十七日)の気温は24℃、一般市民が大挙して観戦しているようには見えない。こんな処にも、新聞は、日米の対抗意識させる書き方で、「千五百に日本全勝 堂々七点リード」と優越感を誘っている。 八月の末からは、台風で江東方面は1万6千戸が浸水。さらに九月は、雨(0㎜以上)が23日と八月より悪化した。二十四日には、市内で5万余戸も水浸す…
…ールの一斉取締り⑧、梅雨に入ってもスポーツ・映画に盛んな人出───────────────────────────────────────────────6月1日a 多摩川の闇にかがり火、押し出した約3千 2日a 浅草電気館等「自活する女」他満員御礼 3日A 月島の埋立地で空の曲芸、観衆二万、無料 9日y 早慶一回戦「名物応援」一切お断りでも球場沸く 10日y 浅草帝国館・麻布松竹・新宿松竹「お琴と佐助」他満員御礼 10日a 早慶第二回戦、内野席15円外野席5円のプレミア付く…
…が先が不安な九年夏 梅雨明けが遅れ、天候が不純なため、市民の行楽活動は低調。それでも、市内で遊ぶ人が多かったらしく、劇場や映画館の入場者は増加し、この年の年間入場者数は400万人にも及んだ。 地域の夏のイベントは少ないようで、市民の八月四日の夜から五日の暁にかけて非常時青年の意気を示す、江戸川区青訓練生の連合野外攻防演習の記事が掲載されている。徐々にこのようなイベントが目立ちはじめ、市民を動員する人数も多くなってきた。また、市民に灯火管制(夜間の空襲に備えて、照明の使用を制限…
…、堵列した人々の後の行動について触れていないが、銀座や浅草などに流れて行くことは想像にかたくない。ロツパの日記に、「市内の大劇場は皆休みであるが、浅草はアクどい・・・やっぱり此ういう日は浅草の書入れになる」とある。 市民レジャーは、鮎解禁にはじまり、花菖蒲の見ごろなど恒例の行楽がある。ロッパが『にんじん』を十一日に見て、評判だけあって中々いいと日記に書いているように、劇場や映画館なども梅雨に入った割には活発だ。ただ、新聞には、やたらと自殺の記事が多く、暗いムードが漂っていた。
…公園で名木、名花の「梅の展覧会」 12日a 建国祭「街には十万の奉祝行進」 16日A 築地東京劇場「仇討心中噺」他満員御礼 池上本門寺など著名な寺社では歌舞伎役者や女優を呼び、恒例の豆まきは年々派手になっている。また、成田山の追儺式は、「十五万人」で不夜城の盛況と賑わいを増した。建国祭には大勢の人が動員され市内は賑わったがたが、十二日の金龍館は「流石に入り悪し。然しエノケンの方よりいいとか」とロツパの日記にある。また、荷風は「浅草公園は内外ともに人影稀にてむかしの吉原の大引過…
…歌劇団ストライキ⑮、梅雨でレジャーが停滞するなかレビューガールのストが話題となる───────────────────────────────────────────────6月11日ka 日曜日なれば銀座通の雑遝最甚し 12日A 日由比ヶ浜早くも賑わう 13日Y 日仏拳闘第二回戦、国技館開設以来の大観衆二万の観衆を魅了する 17日Y 浅草松竹座、レビューガールのストに対し突如興行を中止、浪曲大会に変更 18日y 東京劇場「お夏清十郎」初日以来連日満員 六月に入り、芝居の入り…
…く七年夏 七年の夏は梅雨空が続いた、湿ったムードはレジャーにも及び、七月の人出は少なく、特に浅草は寄席をはじめ沈滞したままであった。市内は、これといったイベントもなく、あるのは国技館の満州博覧会と川開きの花火くらいである。満州博覧会、所詮官製の宣伝イベント、この時点での入りはあまり多くはなかった。雨が降り、藪入りに行く場所のない人が博覧会に蘆を運んだ。 川開きは、数字の上では百万人の人出。しかし、「事故調べ」などの数値からは、そのまま信じられないような気がする。そして、「呼物…
…堂を一般興行場に⑰、梅雨空を吹き払うような熱気の早慶戦人気───────────────────────────────────────────────6月2日A 玉川電車初電に一千人乗車「太公望連繰出して ほくほくものの郊外電車」 14日A 第一回早慶戦に観衆五万人、売れたのは応援歌の扇子と弁当に冷しコーヒー 19日T 「減俸の暗い影」遊覧客の激減の私鉄 21日A 「笑いの中に涙 落語家も減俸 木戸銭引下げから」 22日Y 上野美術館で「女性美展」 24日A 日比谷公会堂で…
…あてに成らぬ あすの梅日和 スキー列車もでない」 節分は、細雨が降るという中、「豆まき列車繁昌」t⑤と、川崎大師に「十三万人」も出かけた。東京劇場の「改訂金色夜叉」が「初日以来連日満員御礼」、歌舞伎座も「義経千本桜」が「連日満員御礼」の広告が出されているが、市民レジャーが盛況なのはその頃まで。 十一日の建国祭、「壮観!七万の長列 雪を蹴って大行進」とあるが、その多くは動員されたもの。年々盛んになるとあるが、実態は盛んにしているのであって、イベントの少ない時期にすることで関心を…
…16日a 「きょうは梅日和」盛り場は藪入りの前景気で賑わう 昭和五年の正月は、申し分ない天候に恵まれて市内の盛り場はものすごい人出。特に、浅草興行街の三箇日は、「レコードを破った活動の入」と前年の三割以上も入りが多い。上野動物園も、3万4千人を超え前年より1万人以上も増加。もっとも、交通機関は、不景気を反映して遠出が減少したことで減収。七草まで天気だったので、市内の人出は続いた。 九日の大相撲春場所初日は、恒例の「民衆デー」で早朝四時開場、十時には満員という盛況。二日目は恒例…
…式 5日A 明治座「梅雨小袖昔八丈」果然大好評 15日A 「カフェーに昨夜から禁札」 15日ka 氷川明神祭礼なり・牛込築土明神の祭なり 16日A 久しぶりの秋晴れ、日曜と十五日が重なったことから市内はすごい人出 22日A 「タケ狩り 栗拾い 二日続きの遊び場案内」 一日は関東大震災の追悼式、被服厰跡には「夜をかけて六十万人」が参拝した。東京府市主催の盛大な追悼式が被服厰跡で、その他、東西本願寺、回向院、浅草寺などでは法会が催された。本所公会堂、日本青年館、日比谷音楽堂等では…
…は市民のほんの一部。梅雨にかけてのこの時期は、行楽などの人出は減少するが、前年に比べてさらに低調なように感じる。 メーデーの参加者については、昭和二年が5月2日A メーデー、芝の有馬ケ原に26団体62組合労働者約二万人、「平穏に」検束144人。 昭和三年が5月2日a 「強風、空に鳴って メーデーの意気」と芝公園に「一万五千余の大衆」が集会。 昭和四年が5月2日a 赤旗黒旗林立して、意気上がるメーデー 一万の大衆示威行列。 この3年の参加者数は、実際はともかくとして新聞の数字は…
…ダムで開催(28)、梅雨空の川開きに「人出五十万」など避暑の人出が多くなる───────────────────────────────────────────────7月4日A 歌舞伎座「極彩色娘扇」他、連日満員御礼 6日a 東京の水泳場39ヶ所、第三お台場十二日から開放、両国から往復船賃50銭 9日A 向島の流燈会、「とうろう流し」 9日ka 荷風、浅草観音四万六千日の夜市を看る 16日y 藪入りの日曜、婦人子供博と耶馬渓博などが賑わい、炎熱の都を抜けた人「廿四万」 16…
…曜「押出す廿万人」観梅に又郊外散策に各駅を埋める春の人 9日A 久宮薨去当日、市内の主な興行物は休業と開演が相半、陸軍記念日も延びる 18日Y 帝国劇場新国劇「浪人の群」他大入続き 19日A 彼岸入り「冬着を捨てて、日曜の人出」 19日Y 陸軍記念日の軍楽行進、日比谷公園で常陸丸勇士追悼会 23日Y 観音劇場「忠臣蔵」大満員続き日延べ上映 24日a 御大礼記念博覧会に「早くも殺到のお上り客」 26日Y 御大礼記念博覧会、上野に雪崩れる日曜の人、「押寄せた十万の人波」 30日c…
… 6日A 歌舞伎座「梅こよみ」連日満員 12日ka 是夜銀座通草市にて雑遝す 16日A 「浅草の悲哀 やぶ入りにスポーツ流行」 17日A 「海と山とへ 一日百四十万 晴天続きの暑いお盆で」 21日A 二十三日の川開きに、大警戒の陣立て 警察官二千九百名配置 24日a のさばる暑熱「海も山も 避暑地は大賑わい」 24日Y 両国の川開きの人出三十万人 31日Y 明治神宮で「無慮二十万」神苑の虫を聞く 七月に入り、レジャーは暑さとともに活気を増す。二日に大磯町海水浴場の開場広告、余…
…(1927年)六月、梅雨に入ってもなかなか盛んな市民レジャー・・立憲民政党結成大会①───────────────────────────────────────────────╴6月2日朝朝 「多摩川べりへ六千人の太公望」郊外電車満員 6日朝朝 歌舞伎座「水野十郎左衛門」他、初日以来悉く売切御礼 6日朝朝 本郷座「柴田勝家」他連日満員御礼 11日読朝 新橋演舞場「妹背山」他満員御礼 13日朝朝 上野の明治大正名作展「参観実に一万三千名人気高潮」 13日読朝 「泳ぎ場」の許可…