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大衆レジャーが本格的になる四十五年

…が見られた。初午や観梅など、三月も引き続き大衆のレジャーは盛んで、陸軍記念日の余興に九段偕行社で行われた相撲には約3万人の見物があった。彼岸時には、一足早いヒガンザクラの上野や浅草観音などの盛り場に行く人々で、大賑わいだった。四月は、上野や飛鳥山などが花見で、何時もにましてに賑わい、水ゆるむ東京湾に大勢の潮干狩り客、ツツジ、ボタン、フジと花の便りに誘われて、人々はあちこちと出歩いた。 東京湾の潮干狩りは、非常に賑わい、市民レジャーに定着した。船を使うと少々高いが、大伝馬船を借…

盛んに遊ぶ四十三年

…末から亀戸天神、江東梅園、吉兵衛梅園、次郎梅園などのウメの便りを皮切りに、三月には墨田堤が7百余本の八重桜に2千基のガス灯が設置されるなど、続いた。四月になると、「気の早いサクラを求めて」と「さくらだより」が紹介され、「向島では六分~八分咲き」と大衆の行楽気分を盛り上げている。十日の向島・隅田川方面は、赤白の幔幕を張った花見船が四五十艘、言問団子屋下に繫がれた船では「手拍子揃えて花やかに・・」と、団子の売れ行きは一日5万個を超えるとか、賑わいを伝えはじめた。 また十日は、上野…

大恐慌四十二年の娯楽

…軒出店、江東、木の下梅園、臥龍梅探梅へも人出/読売1月 米国人エルジット夫妻が明治座で自転車曲乗りを昼夜二回興行、大入に付景品一等自転車1月 岡本小美根一座が宮戸座で源氏節芝居を興行、余興に梯子乗り、活動写真もあって満員2月M亀戸、深川、浅草等で様々な追儺式催す2月M憲法発布二十年祝賀会、日比谷公園に10万人余、山車や仮装行列、住吉踊りや娘手踊り等が出る2月M開盛座や演技座などで都新聞連載の天狗太郎を興行3月M都新聞の女義太夫投票で竹本綾乃助が19万票を獲得3月M三越子供博覧…

娯楽も戦時色の三十七年

…だす/毎日2月M臥龍梅、木戸銭5銭となり、実利主義との声2月 子供のあそびに「戦争ごっこ」流行2月 東京かるた会の第一回競技会開催3月E東京座で坪内逍遥の「桐一葉」が興行され好評/日本演劇史年表/国民3月M演技座や国華座など日露戦争もの上演し大入り3月M浅草公園に瀬戸物細工美術人形開設、日露戦争・満州の兵火・道成寺・紅葉狩等4月Yサッポロビール、吾妻橋にビヤガーデン開設4月M上野公園に軍国花見茶屋が設けられ、軍人無料、余興に江戸節や手踊りなどが催される4月Y花見時、天候に恵ま…

三十六年の娯楽に感じる忍び寄る戦争

…本新聞)6月 二代目梅ヶ谷藤太郎・常陸山谷右衛門が横綱を免許される、相撲の明治期黄金時代到来6月M浅草鳥越神社大祭、神酒所で争い6月M歌舞伎座で歴史活人画興行、七月も活人画と活動写真6月Y日本チャリネ、回向院で公演延長、7月神田和泉町、8月平河町等で興行7月M回向院で信州善光寺の開帳、日々数千人の参詣7月 東洋活動は、昼に真砂座、夜に市村座にて着色発声浮出し写真、評判良く興行する7月M藪入り、上野・入谷等賑わい、鉄道や一銭蒸気いづれも満員8月J日比谷公園、夏の夜間開放を十二時…

20世紀に入るも変わらぬ庶民の娯楽

…2万人の賑わい2月Y梅ほころぶ向島、令嬢の自転車隊現れる3月Y深川で女剣舞者の剣先で見物の少年が軽傷3月M上野花見茶屋、掛台料2銭、菓子3銭、ラムネ2.5銭、酒8-10銭、麦酒10-20銭4月X向島白髭前広場にて、第一回労働者懇親会が参加者三万人余で開かれる④/二六4月Y花曇りのなか、今を盛りの花見客どっと繰りだす4月F大久保のツツジ園に加藤清正の花人形などがでる/国民4月 歌舞伎座、大入でも団十郎の容体悪化延長なし5月M市ヶ谷新坂下に釣堀開業、一日30銭5月M靖国神社大祭、…

多様化が進む娯楽に三十二年頃から取締

…又帝釈天や亀戸の臥龍梅を見ようとする人で賑わった。次の日曜日は穏やかな日和だったため、各地の梅園などにさらに人が出た。花見の人出が多くなるにつれて、警視庁の取締りも厳しくなり、三月、異様な仮装行列や大騒ぎなどが禁止された。しかし、いざ花見シーズンに入ると、警視庁の訓示もどこえやら、どの行楽地も大変な賑わいで盛り上がっていた。たとえば、東京魚商組合は、大旗を押し立て、股引き半天に打ち扮した若者数十名が楽隊を連ねて上野公園に乗り込んだ。なかには、英国の議員が選挙に用いる魚形の紙帽…

二十九年の上流階層と庶民の遊び

… 六月の末になると、梅雨を逃れて日光、中禅寺湖へリゾートに出かけ、九月の半ば、東京が涼しくなるまで過ごしている。公使夫人という地位にふさわしく、中禅寺湖でハイキングや湖での舟遊び、男体山登山、日光見物などと実に優雅な夏休みを送っている。避暑地には、皇太子をはじめアーネスト・サトウなどの上流階級の人々も訪れたというから、別世界であった。日光から戻ると、在京外国人による東京演劇音楽協会のメンバーとして活躍し、自らも出演するという忙しい生活に戻る。十月以降も、観劇、花見、旅行、晩餐…

戦争に便乗した二十八年の娯楽

…惣」が台湾征討、「植梅」が大舞台仙台萩、「植重」が国性爺紅流し、「燻風園」が日清戦争大箱庭数個、と趣向を凝らしている。 ─────────────────────────────────────────────╴ 明治二十八年(1895年)の主なレジャー関連の事象─────────────────────────────────────────────╴ 1月X浅草講演六区に西洋幽霊、元旦より開場1月Y藪入り、明治座客止め、各座も大入/読売1月Y亀戸の初卯参り、花柳界の人多く…

二十七年には娯楽にも戦時気分が

…も亀戸、向島などへ観梅サイクリングの記事がある。五月に深川警察は小僧や大憎が自転車を乗り回すのでこれを取り締まる。七月には宮田自転車が起業一周年の販売広告を出している。十二月には、自転車は馬より早いという記事。以上のようにこの年は、自転車の記事がやたらと目につくが、実祭には、まだ一部の人しか乗ることができなかった。当時の自転車は、庶民には手の届かない高級品であり、八年後の明治35年でも自家用自転車は、府下にわずか4571台しか普及していなかった。 三月、松旭斎天一が木挽町の厚…

二十六年は娯楽のピークか

…阿弥陀や亀戸近くの観梅に人出/読売4月M浅草観音開帳、葦簾張りや天幕が禁止され大傘500が並ぶ、五月まで日延べ4月Y神武天皇祭、灌仏会、花見と市内が賑わう4月M団子坂で菊人形までのつなぎに桜人形などを催す4月Y上野東照宮の祭礼、学生運動会などに多数の人出4月M四谷須賀神社の臨時祭礼、軍楽隊や手踊り5月Y演劇に似た見世物の興行禁止の通達5月H歌舞伎座の洋風建築が落成、初日、団菊左三俳優の顔合わせで大入り5月H新富座、初日無代、二日より大入場5銭5月Y日本美術協会の展覧会入場者2…

二十五年頃から庶民演劇に変化が

…は活発で、新聞には、梅見の屋形船の予約が多いという記事も、また初午の水天宮や上野公園の賑わい、佃沖や御台場の潮干狩り、サクラ・ボタン・フジ・ハナショウブ・アサガオ・ハスなどの花の便りが続いた。四月の学生の運動会は一日に10校も開催され、五月の藤見では「くず餅」が大人気。六月には、本所の東花園が東海道五十三次の盆景を出した。入谷の朝顔人形は、この年も大がかりな舞台が仕立てられた。盆踊りは、浅草観音や八丁堀の広小路などで流行し、夜中の十二時頃まで踊り歩いていた。このように四季折々…

分からぬ憲法に浮かれる庶民年

…田・亀戸・向島等の観梅に相応の人が訪れているが、まだ男性が大半を占め、女性は二割以下であった。三月になると、向島梅屋敷は、観梅に訪れる人で、休日でもないのに腰掛けが足りないほどだという。四月の花見は、どこも朝から人の山と書かれるくらいの人出。品川・台場付近の潮干狩りの賑わい。五月には、これまで無料で見せていた大久保のツツジを有料にするとの記事。大勢のファンの要望に応え、義士討入の活人形や吉良邸門を赤躑躅でつくるなど趣向を凝らした興行になった。夏の風物詩、入谷の朝顔市は、榎本武…

東京庶民の明治二十一年の楽しみ

…二月には、まだ早い観梅に人出と、行楽の足は絶えない。三月になると、東京各地の梅園に人出があり、特に彼岸には多かった。四月、上野から王子(飛鳥山)へと花見の臨時列車が運行、墨堤では花見のため諸車通行禁止、向島では混雑して渡しの桟橋が落ちる騒ぎもあった。五月には、小梅村の長春園では数百種のバラ園の便り。六月にもハナショウブの便り。七月の本郷・菊坂下の釣り堀では、数万匹のホタルが放たれた。猛暑であったことから、納涼場はどこも大繁盛で、花火もたびたび催された。 六月の氷川神社祭礼は、…

運動会が広がる明治二十年

…葛飾に新設された立春梅園のウメが満開となり、風流な庭園を多数の見物人が訪れた。四月に曳舟四ツ木の花やしきが開園。大久保のツツジは再び注目され、年々華やかになった。五月、堀切のショウブ園などへ多くの人が出かけていった。夏の風物詩、入谷の朝顔市は、華族から庶民まで続々と来訪し繁盛した。九月には、秋の七草で有名な向島百花園だけでなく、柳島の萩寺にも多くの人が出て賑わった。秋は、各地の菊人形に加えて、品川・海晏寺の紅葉も数十本植えましたこともあって見物客が多かった。このように江戸時代…

賑わいを取り戻す明治十九年

…初春興行。当時人気の梅坊主のカッポレを団十郎らが踊り大喝采を浴びた。藪入りは快晴で、市内は公園をはじめとして賑わい、各劇場は大入り、飲食店も繁盛した。二月の初卯は、早朝より店を出し参詣人も続々と訪れた。涅槃会(釈迦の亡くなった日)と初午が重なり、天気もよかったので寺社は賑わった。ウメがほころぶと、亀戸の臥龍梅へと観梅客が訪れ、日に40円の収入になったと。ちなみに、一月からそれまでに梅干し百樽を売りつくした。年間の収入は、花と実で千五百円、その他に梅酢で30円程あったと。 浅草…

明治十七年・江戸の遊びが変わり始める

…家」についての解説、梅ケ谷の優勝記事などがのり、再び人々が注目しはじめた。初日の木戸銭は、21円20銭(観客238人)と低調であったが、六月には十日間で3203円(観客3万8千人程度)の収入にまで増加した。これは三月に、平安末期以来絶えていた天覧相撲が芝浜離宮(芝延遼館)で開催されたこともあって、相撲の人気が再び盛り上ったことによる。前年までの相撲興行期間は、柳橋の茶屋や船宿、待合などが繁昌することはなかったが、この年の五月からは違うと書いてある。新聞には「相撲見物の質向上か…

コレラが及ぼす十五年の庶民の楽しみ

…報知2月Y亀戸の臥龍梅、小村井の梅園などかなりの人出/読売2月○東京府、劇場取締規則が布達2月C南葛西郡で狐踊りが大流行/朝野3月Y品川のサーカス、初日から大入の人気3月U上野公園内に博物館(日曜5銭平日3銭)動物園(日曜2銭平日1銭)が開園/上野動物園百年史3月Y竹沢藤治が浅草奥山で曲独楽興行し、大評判をとる3月 開店や大売出しに景品を出すことは、富籤類似行為と取締り3月Y本郷の春木座、総幕が出揃い大入4月 浅草本願寺で、観古美術博覧会(3~7銭)、天覧を賜る4月H回向院の…

現代より遊んでいる明治十一年の庶民

…東京絵入3月Y蒲田の梅屋敷、巣鴨の群芳園のウメ盛り4月Y芝の出世弁天祭礼、甘酒や接待や神楽で賑わう、矢場の女目当ての客も4月C西南戦争の狂言が流行⑨4月K上野と芝の東照宮祭礼賑わう/かな4月K新井薬師開帳で大賑わい、延長を申請5月Y深川と佃島の漁師が船祭、品川の台場近くまで出て飲めや歌えの騒ぎ5月Y横浜根岸競馬場で外国人が競走、観客多数5月Y築地海軍操練場で外国人が運動会6月L亀井町亀甲亭で、矮人(小人)の見世物の興行/東京絵入6月Y浅草浅間神社祭礼、麦藁の蛇売れず6月Y水泳…

新たな遊びが増える中、江戸の遊びが制約される

…の名所である大森村の梅屋敷が賑わい、彼岸の浅草は、天気がよいこともあって大賑わいだった。四月は花見に開帳。向島では、女装や高歌放吟で逮捕者がでるほどの騒ぎであった。州崎の浜には潮干狩りの人の群れができた。ハナショウブも人気があったと見えて、五月に向島の「八百松」と亀戸天神、六月に堀切・菖蒲園と向島・愛国園の花の便りが載せられている。七月の川開きは年々賑わいを増しているらしく、「両岸の提灯は何万という数が知れず、両国大橋は勿論、両側は爪もたたない見物」と花火の様子が記事になった…

江戸の終焉・明治七年

…近、府下第一群集し、梅桜植付け勝景を添えん2月H回向院の大相撲、給金トラブルで延期3月H上野東照宮境内で榊原健吉が剣術の奉納試合を行う3月H浅草松葉町本覚寺で京都本国寺の釈迦・白蓮の像の開帳3月○築地海軍兵学校寮で競闘遊技会(運動会)を催す3月H官立学校は日曜日を休日とする4月H湯島天神、臨時祭で活人形数多く、参詣人多し4月H回向院で上総国芝山村観音寺仁王像(賽銭一日25円)、荏原郡古川村子育薬師如来の開帳4月H吉原仲の町に、恒例のサクラが植えられる4月H上野東照宮参詣著しく…

太陽暦が始まる明治六年

…い2月B浜町一丁目に梅園、茶亭設け遊観客を招く/武江年表3月B浅草寺町経王眼病守護日朗上人像、上野慈眼堂、谷中大円寺瘡守薬王菩薩の開帳3月B上野花見の頃、山内茶屋舗、去年よりも多数出店する3月○数寄屋橋門櫓の取り壊し布告、以後、各城門櫓が取り壊される4月B深川永代寺で成田山、小石川白山大乗寺鬼子母神、愛宕下鏡照院本尊身代不動尊の開帳4月B大川端川口橋の西に池鯉鮒明神観音堂が営まれ参詣人多数4月B小網町二丁目小あみ稲荷祭礼、飾り物あり、参詣多数4月B新大橋西詰を菖蒲町と呼び、水…

…B浅草寺御蔵前で観世梅若能興行3月B浅草伝法院で博覧会3月B浅草三社祭礼、山車伎踊等出る3月B富士山北口、4月~8月まで女性の参詣許され、諸国より参詣人多数4月B高輪河岸の葦簾張茶店等その他残らず取払われる4月B芝金杉多聞院毘沙門天開帳4月○教部省より、人々の啓蒙を勧める「三条の教憲」発令5月B招魂社落成し祭礼、競馬・相撲・半蔵御門外で昼花火5月○祭礼の競馬に懸賞、袂時計・羅紗戒服・フランケットを各5/兵部省達5月B深川浄心寺で身延山久遠寺祖師七面菩薩、回向院で下総幸手宿の辺…

明治四年の東京庶民

…黴毒院が開設、遊女の梅毒検査実施8月B市谷八幡宮祭礼、山車11輌、伎踊練物等出て賑わう9月B神田大神祭礼、神輿と山車14輌神田橋御門入る(伎踊は入らず)見物群集する9月B牛込赤城社祭礼、神輿渡り・山車18輌・伎踊等出て賑わう9月B染井巣鴨団子坂に菊の造物あり9月B招魂社祭礼、競馬・相撲・菊花壇・飾り物等、参詣人多数9月B南御楽園が染井村植木屋の庭になる、菊花壇や盆種見せる9月B麻布広尾笑花軒で菊花の造物を見物させる9月○新貨幣御鋳造(一銭、半銭、一厘鋳造)布告10月B招魂境地…

徐々に始まる明治の東京

…は、正月早々、早くも梅の花が咲き、中旬には紅梅の開花のたよりも伝わっている。 戦いの後長らく閉じられていた上野山内だが、二月の中頃になってようやく参詣や花見などの立ち入りが許された。そうなると戦いの跡を一目見ようという見物人が、日を追って増えていった。また、下旬には、江戸城吹上御苑の拝観が許された。終日大勢の人々が訪れ、あまりにも多く集まり群衆の中のうち8人が死亡したとある。行楽シーズンに先立って、高輪泉岳寺で十一面観世音摩利支天の開帳、須田町二丁目広場では相撲興行が催された…

東京庶民が始まる

…月E五代目菊五郎が「梅照葉錦伊達織」を襲名上演する/日本演劇史年表 9月○改元、明治元年となる 9月B堀内妙法寺祖師開帳、参詣人多数 9月E歌舞伎界不況打開に、中村座と守田座が合併興業を行う 9月○市村座の策師参謀・河原崎権之助が惨殺 10月B御鳳輦(ホウレン)東京に着き、貴賤老稚児道路に輻輳して拝し奉る 11月Ⅹ興行場内の帯刀禁止/太政官日誌 11月B天皇、東幸を祝し東京市民に酒・鯣など下賜 11月B山下御門内薩摩侯陣営の稲荷社で祭礼、相撲見物もあって町人参詣し、酒下賜され…

お蔭参りとええじゃないか騒動

…月 守田座で『魁駒松梅魁曙幑(イチバンノリメイキノサシモノ)』大当たり 5月 回向院で陸奥金花山大金寺開帳(見世物一時参詣人多シ)を含め開帳2 6月 赤坂氷川明神祭礼、神輿のみを渡す 7月 芝薬王寺開帳 9月 中村座で勘三郎が芝居寿狂言興行大入り(前年カラ延期) 9月 神田明神祭礼、産子町職人が許可なく附祭を催し罰金 11月 雑司ヶ谷鬼子母神境内鷺明神で酉の祭始まる(以来年々賑ワウ) 11月 回向院で勧進相撲、五・六日目の見物人1万3千人 冬頃 調練場まで西洋風の太鼓を鳴ら…

幕末庶民の食糧事情

…にできた。また、浅草梅園院境内に栗ぜんざいの「梅園」ができている。そして、中ノ郷業平橋の手前に、庭内に湯滝のある料理茶屋「在五庵」が開店している。 ・安政二年三月、牛込に居酒屋が始めて開店する。十月の安政大地震が起きたが、「近頃、あらづきのくろ米の菓子を紅梅焼と名付けて売る家が多いが、これは香餅と言うところを誤ったのではないか」と記述がある。 ・安政四年には、日本橋に和菓子屋の「栄太楼」が開店している。 ・安政五年に、佃島の漁民が売り物にならない雑魚や貝を醤油などで煮つめて保…

外国人と幕末の庶民

…中は混乱なく、蒲田で梅林に立ち寄って梅花の塩漬けを買ったり、梅花を浸した湯を賞味したりしている。 江戸に入り、日本橋に近づくころには、沿道の両側に人垣ができていた。「見物の老少、面を以て垣とす」と、武江年表に記述があるように、見物人が多かったようだ。外国人を近くで見られると期待していたものの、ハリスは駕籠のなかで、見ることができなかった人の方が多かったのでないか。ハリスは、「私が駕籠の中から見あげたり、見おろしたりするとき、群集は男女の大きな塊りのように見えた」と日記に書き残…

世相を映す幕末の見世物

…のは赤い生地に「松竹梅」の名を模様にした粗末な着物で、これといった芸もなく、ただ小屋の中で臼を挽いて、麦こがしを売るだけ、というたわいのない見世物であった。 江戸の庶民は、老いも若きも女も男も、何が始まるだろう、何が見られるだろうと好奇心のかたまりであった。と同時に、寛大な気持ちも持ちあわせていた。最初からインチキくさいとわかってはいても、金を払って「なんだ、何でもないじゃないか」と笑って帰っていく。そんな馬鹿馬鹿しさを楽しむおおらかさを当時の人々は持ち合わせていた。 安政三…