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空襲下のレジャー昭和十九年十一月十二月

…か、と嬉しい。・・・菊田の話では、陸軍記念日のモットーは、今年は『撃ちし止まむ』であったが、来年はぐっと趣きが変わり、『明朗敢闘』となる由。又今日、海軍さんの意見でも、一月中位に、もっと娯楽は明朗なるべしといふ方針になるだらうと、いふことであった。」 三十一日、「『では今年の放送を終ります。良年を迎へ下さい』。然し、間もなく『東部軍情報/\』と始まった。敵は京浜地区に侵入、と言ってる間に、ブルーンブルーンといふやうなB29の唸り、カン/\と退避の半鐘。高射砲ドン/\と響く。・…

欲しがりません勝つまでは、レジャー自粛の昭和十七年秋

…館「大東亜戦跡めぐり菊花大会」 19日Y 日本野球争覇戦終わる、燦たる巨人軍 三日明治節、「この夜十二時より酉の市なり。浅草上野辺の電車は昼の中より乗客おびただしく乗る事能わざる由」と。また、五日は、「水天宮戌の日の賽日にて参詣の人織るが如し」と、永井荷風は、この頃、市内の人出が多いことを記している。 鉄道省は、行楽旅行・買出部隊抑制のため随時、乗車券発売制限・乗越禁止などを指示。十四日から、乗車指定券がないと週末・祭日の旅行ができなくなった。また、同日の正午、市内の梵鐘15…

太平洋戦争突入も変わらぬレジャーの昭和十六年秋

…か。また、「国技館の菊人形を見物」と、健在が二十八日のロッパの日記からわかる。ただ、前日の日記、「六区へ出、来々軒で五目そば、うわー不味くなった」から、食べ物屋は食料不足で質の低下が進んでいた。 荷風の日記から五日、「公園に入るに日曜日の人出多く酔漢亦少からず・・・オペラ館昼間より大入にて大入袋一円八拾銭の由踊り子の語る所なり」と、興行の入りは良い。十五日の「防空演習・・・浅草に至り見るに小春の天気好きが故にや、人の出盛ること日曜日の如し」と。二十一日、「正午の頃の銀座通は男…

紀元二千六百年祝賀に躍らされる十五年秋

… 7日Y 多摩川園の菊人形、入場者約二万人で賑わう 10日ka 金比羅祠の縁日を歩む。群衆の雑沓酉の市に劣らず 13日A 「静かなる雑踏」お会式に四十万人、迷子二十六件、すり六件、検束十六名 14日A 日独伊三国結盟国民大会、日比谷公園など六会場に十一万人、二万人の行進 16日ka 招魂社の祭今年は臨時なりとのことなれど此神社の祭りに晴るる日は少なし 19日y 早慶戦 21日A 競歩大会に熱汗絵巻、六千人の進軍 21日Y 日本野球優勝大会、後楽園で巨人軍とライオン激戦、四万観…

戦時体制でも減らぬ人出の昭和十四年秋

…」 3日t 国技館の菊花大会、初日から非常な賑わい 13日a お会式御逮夜 万灯は一人持ちに制限 雨天となって午後二時までに自粛の参詣者三万 14日A 靖国神社臨時大祭 見世物に代わって聖戦パノラマ 15日a 富士館日活系「土と兵隊」満員御礼 16日T 「秋晴れに人出百万!」 19日A べったら市 21日a 早慶戦 徹夜組は三百名 内野席は五分、外野席一万二千枚は八時半に売り切れ 23日T 後楽園で凱旋ニッポン感謝報告会に会衆五万人 29日a 浅草帝国館等「残菊物語」他連日満…

レジャー自粛で盛り上がりを欠く昭和十三年秋

…多摩川園の「躍進日本菊花大会」に観衆二万 9日Y 全日本陸上競技大会第一日、三万観衆 11日A 米国女子野球団、賑々しく入京 12日A 日本劇場「エノケンの西遊記」他満員御礼 13日a 事変下のお会式、参詣者十五万余の殺到を予想 17日ro 後楽園の職業野球の合間に紛れて撮影 18日ka 昨今九段坂上招魂社祭礼にて地方より上京するもの夥しく九段付近雑遝甚しと云う 20日A べったら市、日本橋大伝馬町の大通り賑やか 20日A 靖国神社臨時大祭「敬虔な人波・二百万」夜半まで参拝者…

続く戦捷祝いに託つけて遊ぶ十二年の秋

…礼 2日A 国技館の菊大会「輝く皇軍」、大人60銭3a浅草電気館等「美しき鷹」他満員御礼 4日Y “軍国調多摩川園菊花大会”秋晴れにどッと繰り出た行楽群、一万三千人 5日y 日比谷映画劇場「ラプーブの大学生」他満員御礼 13日a 非常時のお会式、正午に既に八万 22日a 新宿映画劇場「海の魂」他連日満員御礼 24日ro 九段を通ると招魂社のお祭りで賑やかだ 25日Y 六大学リーグ戦、早慶戦で閉幕 28日a 「歓喜・帝都に爆発!昼の旗行列に続いて夜は感激の提灯行列」 29日a …

再び盛り上がる十一年秋の市民レジャー

…の国技館や多摩川園の菊人形、展覧会などが催され、また四日から二十五日の千秋楽までロッパの有楽座『ハリキリボーイ・河内山』が満員。市民レジャーは九月より活気を取り戻したが、前年ほどの盛り上がりは感じられない。 ───────────────────────────────────────────────昭和十一年(1936年)十一月、国会議事堂完成⑦、日独防共協定締結(25)、明治節等久しぶりのイベントに市民レジャーは盛り上がる─────────────────────────…

再び盛り上がる十年秋の市民レジャー

… 4日Y 多摩川園の菊花天国、六万人の入場 4日ka 夜半より酉の市なりと云う 13日a 国技館、菊花大会カルケットデー、60銭 16日a 帝都座等「大菩薩峠」満員御礼 17日a 浅草帝都館等「せめて今宵を」他満員御礼 19日Y 巨人軍最終戦万連勝す、月曜にもかかわらず観客は相当につめかけた 23日a 浅草電気館等「暁の麗人」他満員御礼 27日Y 多摩川園の菊花天国、福引デー大繁昌 29日a 新納御誕生奉祝、二重橋前には旗行列の波 景気の改善を反映して、結婚式が増え、東京駅か…

何故か人出のある九年秋

…気 10日Y 日比谷菊祭、入場料30銭 11日Y 日米野球第三戦、六万大観衆ただ夢心地 18日a 浅草電気等「修羅時鳥」他満員御礼 21日y 帝展淋しく店閉い、入場者二十万人割る 24日y 歌舞伎座で東北凶作義援コロンビア実演大会、会員券3~1円 26日A 日比谷新音楽堂で全日本柔道選士権大会 二日、ベーブ・ルースをはじめとする大リーガー選抜チームが来日。日比谷新音楽堂で歓迎会、神宮球場の第一戦から「六万観衆」が興奮して観戦。ただ、試合内容は、日本選手は三振の連続、八回まで外…

世知辛い遊び方が増えた五年秋

…戦役二十五周年記念」菊大会、開館 13日Y お会式の人出 三十五万人、賽銭泥棒3百余人 17日A 「帝展不景気混雑記」1枚の招待券で六十人入場など午前中に六千人突破 17日A 「近郊各地の紅葉便り 臨時列車が増発」 19日A 「早慶戦始まる」粉擾の解決未だし 20日y 中山競馬三日目天気に恵まれ大入り 23日ki 靖国神社大祭へ・・すこぶる賑わっていた 30日A 明治神宮鎮座祭体育大会始まる 31日A 明治神宮賑わう 市民レジャーも不景気を反映する記事が多い。十二日の池上のお…

大恐慌もまだ市民の遊びには影響少の四年の秋

…二日には、庭を掃き「菊花紅葉正に佳なり」と日記に書いている。この頃具合がすぐれなかった岡本綺堂は、植木屋を入れたり、花壇の整理をさせるなど、荷風よりもガーデニングに熱を入れた。愛好者が多いのだろう、釣りや園芸はしばしば新聞に紹介されている。 三日の明治節は日曜と重なり、秋晴れ、市内から日光、筑波、箱根、房総、奥多摩、湘南方面に数万の人々が出かけた。市内は、明治神宮参拝者が「三十数万」や「体育競技最終日の外苑に十万近い観覧者」A④などの人出で賑わった。そのため、新宿駅は夕方に乗…

盛り上げた人出がピークとなる三年の秋

…ヶ谷、栗拾いは小机・菊名、鴻巣・本宿・桶川など。ただ、日曜は雨になりせっかくの案内も役立たず。郊外の賑わいは次の日曜と十七日に延びた。 十二日のお会式は賑わい、池上電車が輸送できぬくらいの「人出五十万」人。その日の事件は、賽銭泥棒35人、迷子25人、泥酔30人、風俗壊乱27人、スリ2人と、雑沓した様子が伝わってくる。十四日の日曜、綺堂は混雑した新宿の布袋百貨店を覗き、どこも人出が多かったらしいと、日記に書いている。 東京朝日新聞主催の「国際水上競技大会」は、十三日の玉川プール…

昭和のレジャー環境の一面・二年秋

…T 国技館の日本八景菊花大会、三万五千の大入 17日T 連休で「秋を慕いて 各駅の繁盛」 17日A 帝展が初日、一万五千人が入場 24日A 神宮球場の慶明戦、3対3の引き分けで満員の盛況 26日ka 荷風、人形町の夜店を見歩く 30日Y 上野池之端の新日本殖産博覧会、大人気 30日ka 観艦式とやらにて市中賑なり 30日Y 日本館「天界の魔王、十巻」モンロー・サルスベリー氏実演満員御礼 31日Y 観艦式に三十万の人出、迷子36人スリ3件 市民レジャーは、引続き活発である。池上…

変わりゆく大正時代の娯楽・レジャー

…西郷諸氏や俳優の尾上菊五郎、帝劇の森律子などのほか、外国大使館員や学生、藝妓……と、様々な人々が滑っていた。一方、約11m四方のスケートリンクの階上では、一杯五銭のコーヒーを飲みながら他の人がスケートするのを見物していた。 作家・有島武郎の「観想録」には、大正五年七月十五日に二人の子供を連れてローラースケート場に出かけたことが書かれている。といっても彼らが実際にすべったわけではなく、最初、日比谷公園に出かけたところ、子供達がまったく元気がなくなったため、急きょスケート場に連れ…

大正時代に衰退する娯楽・レジャー

…に流行ったジオラマや菊人形などは衰退した。それらに変わって飛行ショーや自動車競走など新しい趣向の興行が登場した。そうなると、国技館の樺太展のように納涼園に入場したものの、展示を見るだけではなく自らアイススケートもするという、見世物とは明らかに性格の異なるものに変わっていった。 祭もレジャーとして大きく変わった。「祭」は、季節の変わり目にあたる日に、神霊を迎え奉る、神に奉仕するところに原義があった。明治時代から徐々に宗教色が薄れ、大正時代には本来の意味すら問われなくなった。明治…

大正時代の三大レジャー

…日より日比谷音楽堂で菊五郎一派の野外舞踏11月 まっさきに明く仮小屋の宮戸座12月 浅草の野外劇 お堂を取巻く幾万人 予想外の人気に活気立つキネマ界大正十三年(1924年)1月 天幕劇場、新国劇で満員御礼 興行界記録破りの大景気 オペラ館「ベッスリア女王」他満員御礼2月 オペラ館「金色夜叉」満員御礼3月 電気館「嬰児殺し」他大好評満員に付日延べ 大東京「清水次郎長」他満員御礼 演技座、澤正の「松永弾正」他連日満員御礼4月 演技座澤正の「松永弾正」連日満員御礼5月 帝国館「大乱…

大正十五年後期 大正時代終焉の娯楽

…た。恒例、国技館の大菊花園も満員続き。 十二日の池上本門寺のお会式は、前年より人出が多く30万人になるだろうと。ただ、不景気を反映してか賽銭泥棒が多く、午後九時までに十八人も捕まった、ということはそれ以降もいたのだろう。迷子は5人。 十四日の上野は、愛玩動物鑑賞会などあって午前中に3万人も詰めかけ賑やかであった。二十三日からは靖国神社大祭で朝から大混雑。二十四日は秋晴れの日曜ということもあって、郊外に出かける列車は満員。三十一日は大祭、朝からすがすがしい観兵式日和となり、明治…

大正十四年後期 商業娯楽が浸透し始める

…讀賣)に「国技館の大菊花 都人士の人気 菊人形に集る」との広告がある。 市民の行楽は盛んと見えて、十七日の帝展初日は5千5百人の入場者、その翌日は雨天にもかかわらず休日とあって1万人以上が訪れた。市村座で公演されている宝塚少女歌劇も人気を呼び、大入り満員。順延の続いた早慶戦は十九日、正午までに6千7百枚もの切符が売切れ、満員の戸塚球場で催され、結果は早稲田の大勝。観衆は2万人ともあるが、そのほとんどは学生。翌日も大勢の観衆のなか慶応の惨敗。・十一月、市民は神宮競技大会より映画…

大正十三年後期 復興を感じさせるのは娯楽

…25読 日比谷公園の菊の大会復活 31読 明治神宮競技大会開会式、選手4千人11月3読 明治神宮競技大会四日目、観衆6万人 3読 一の酉は日曜、盛んな前景気 3読 帝国劇場で梅蘭芳こんども大入り 5朝 四大選手国際競技会が明治神宮競技場で開催、観衆3万人 6永 荷風、道玄坂・・帰途百軒店と称する新開 地を歩む。博覧会場内の売店を見るが如し 7朝 千代田館「ユイタバ・ラ」他連日連夜満員 10読 帝国劇場「伽羅先代萩」他連日満員 23朝 鶴見飛行場で自動車大競走会 24読 目黒競…

大正十二年後期 すぐに取り戻す庶民の娯楽

…子劇場の市村座若手連菊十郎等の一座その他いづれも大入、活動写真も東京市内外を通じて全部で百二十一館あった中四十四館が焼け七十七館が残ったが、その中現在僅か五六を除く外は全部開館して居り、寄席や演芸場も市内及府下で百五十五の中六十が焼け九十五が現存して居りこれも追々開場されつつあるが、いづれも押すな押すなと云う景気である。・・・大入りは、娯楽物が如何に要求されて居るかがよくわかる」。以前はなかなか大入りにならなかったところも満員になる盛況ぶり。また、演し物は明るいものが受けてい…

大正十一年後期 コレラ警戒の中、スポーツや行事は行われる

…た。秋の行楽、恒例の菊人形は根強い人気で、特に国技館の大菊花園はたびたび新聞に載った。「国技館の大菊花園でお名残の大福引デー」(二十四日付東朝)の料金は、大人60銭、小人30銭。これは、レジャーとは趣が異なるが、来日中のアインシュタイン博士が神田青年館で第二回目の公演を行った。開会と同時に2500席の開場が満員となり、300名以上が開場に入れないというほどの人気であった。・十二月「今年の芝居見物 四百余万人」二十六日付讀賣 十二月も半ばを過ぎると「鶴見花月園の氷滑り」、園内の…

大正十年後期 不景気の中の庶民娯楽

…また、国技館で恒例の菊人形の催しが行われるなどや菊花の観賞も盛んである。新聞にでているだけで、楽天地の菊人形(十八段返し、客席から美人の出現が呼び物で盛況)、花屋敷の菊人形(雪月花八段返し等)などがある。菊花の観賞では、日比谷公園の菊花大会や赤坂離宮観菊御会。離宮観菊御会の招待状は3千であるが、これに夫人令嬢が加わって8千人に増え、皆白襟紋付きで陪覧したとのこと。学生や中流以上の人々など、一部のレジャー活動は盛んになっているものの、市民全体としては沈滞傾向にあった。・十二月「…

大正九年後期、庶民の遊びは盛り上がる

…音楽堂で海軍軍楽隊、菊花大会場で初代ぼんたの娘手踊、剣舞・太神楽・奇術・住吉踊・茶番・素人相撲など、園内はギッシリと身動きもできないほど。夜に入ると露天活動写真が上映されて、日比谷公園は終日賑わった。明治神宮への参拝者は前日に続き、老女が1名神宮橋で肋骨を折り危篤になるなど、負傷者が200名も出して大混乱であった。 結局、七日までの参拝者は6百万人と発表、明治神宮参拝は東京だけでなく全国から隊をなして訪れた。ただ、この6百万人という数値は、早朝六時から午後五時まで、神宮橋を毎…

大正九年中期、メーデーは労働祭

…と重なり、明治神宮や菊花壇などの仕掛け花火があることから、警官400名が120艘の小船で警戒し、陸上にも350名の巡査を配置した。事故は、迷子4名のほか、せいぜい川の中に8名が転落した程度であった。人出の減少は、不景気もさることながら、名物の浜町河岸より新大橋までの河岸の露店が禁止されたことも影響したのではなかろうか。・八月「魚河岸のお祭りが七十万円」八日付以下讀賣 水神祭は不景気の中70万円をかけて行われた。社寺の祭に関する記事が減少している時期に、深川八幡の祭を差し置いて…

大正八年後期、庶民の遊びは続いている

…種制度撤廃 19読 菊花拝観者範囲広まる 20万 彌生座「忠臣蔵」初日以来満員 21万 帝展の入場者数、十九日迄で22万7千人12月2読 生活改善展覧会に入場者1万人 11万 歌舞伎座の竹本越路太夫大入御礼で日延べ 15万 深川八幡の歳の市 15読 白木屋・高島屋、下足番が汗だくだく 20万 明治座の奈良丸満員御礼 23読 白木屋で百円の羽子板が四枚売れる 25報 景気の良いのは料理屋と芸妓許り 27万 相撲の観覧料を春から値上げ 31永 表通には下駄の音猶歇まず。酔漢の歌い…

大正八年中期の庶民、まだ自由な感覚がある

…見る 5芥 龍之介、菊池寛と小柳で伯山の講談を聴く 16朝 賑やかな安全日、初日の市中は何処も彼処も御祭り騒ぎのよう 19読 浅草公園の芝居は紀伊国屋の全盛 21読 演技座「中堂焼討ち」大当たり 21読 準備成った水泳場 月島は五軒を増す 然も今年が最後 23朝 歌舞伎座「一谷嫩軍記」満員御礼7月1森 鴎外、妻子と小石川植物園に往く 2読 代々木原頭で平和観兵式、帝国ホテルで市主催平和祝賀会 2読 帝国劇場の女優劇、初日満員 5読 玉川の花火、数百本 11読 上野不忍池畔で平…

忍び寄る制裁や弾圧前の大正七年後期の庶民

…0月5永 浅草観音に菊供養あり 13読 池上お会式、観物小屋10軒・露店少ないが人出例年なみ 16読 文展初日午前中に5千名、記録を更新 20朝 ベッタラ市賑わう、小一本10銭大30銭 25読 靖国神社大祭最終日、外苑の観覧物・飲食店・露店等賑わう 29読 成金令嬢たちの恐ろしく贅沢な演奏会 29読 浅草花屋敷値上げ、大人15銭・小人10銭 31朝 キネマ倶楽部「護国の少女」連日満員 11月1読 日本晴れの天長節、至る所大賑わい 4読 日比谷公園の菊大会、時ならぬ賑わい 11…

大正六年後半も浮かれる庶民

…間(約36m)もある菊慈童の大山車や人形舞台など、「景気は成り金祭り」と書かれるほど。続いて、彼岸の墓参りと共に参詣者の多い大師詣と六阿弥陀の案内。大師は、下谷区上野町一乗院・池之端實生院・谷中自性院・同多實院・谷中上三崎町長久院・同明王院・同観音寺・同西元寺・同初音町観智院・日暮里長福寺・同浄光寺・下尾久村阿避院・根岸不動堂・浅草区金栄町仙蔵院・同本智院・浅草区南松山町大乗院など21ヶ所。六阿弥陀は、(東方)上野広小路常楽院・田畑興栄寺・西ヶ原無量寺・元木西福寺・沼田延命寺…

戦争景気に踊らされる大正五年後半

…館納涼園大入りなれど菊花壇準備で閉園 6万 戌の水天宮、安産帯は直ちに、守り札は午前十一時頃1万余なくなる 7森 鴎外、子供達と小石川植物園に往く 9読 花香苑で盆踊りの稽古、見に来た客も仮装して踊る 12万 コレラ流行の兆しで海水浴場へ遠慮の勧告 12万 帝国劇場「いがみの源太」他連日満員御礼 16読 演技座、連日大入りのゲンソー液デー 27森 鴎外、類を伴い浅草に往く 31読 悪疫流行のため、浅草大増が満員の盛況 31読 天長節御祝祭 9月2読 目黒花壇の秋草見ごろ、客絶…