菊 の検索結果:
…鳥春錦絵』羽左衛門・菊五郎が大当たりする。 ・六月、江戸に大地震が起きる。 ・七月、浅草寺での鎌倉永谷貞昌院開帳を含め2開帳が催される。 ・秋頃、森田座で『春駒』『山かつ』が十月十六日まで大入りとなる。 ・十月、長谷川平蔵が盗賊改を命じられる。 ・十月、深川八幡で勧進相撲が催される。 ・冬頃、阿多福餅売り出され評判 ○川柳に「江戸っ子」という言葉が初登場する。 ○浅草寺町源空寺開帳(開帳期間不明)が催される。 ○深川永代寺に高野山を写す庭できる ○浄瑠璃宮古路薗八江戸に下り流…
…小普請山崎縫殿助の伜菊三郎、彼は白山神社で旗同心西山勇次らと争って負けたらしく、二刀を奪われて、大恥をかいた上に押込処分に処せられた。 これらはいずれも、勤務時間外に起きたものと思われる。わかるのは、武士の生活がいかにすさんでいたかということである。遊ぶとは言っても一時の憂さ晴らしにすぎず、前向きの遊び方ではなかったのだろう。 さて、こんな事件ばかり見ていると、江戸の町はどうしようもなく荒廃した場所のように思うかもしれないが、町人たちは闊達に遊んでいた。八代将軍吉宗から公認の…
…』、団十郎・宗十郎・菊之丞三人の三千両の顔見世となる。 ○牛込神楽坂行先寺開帳を含め3開帳(開帳期間不明)が催される。 ○上野風月堂(東京都台東区)が創業する。 ・延享五年(1748年)二月、上野不忍池が改修され、池之端新地が造成される。 ・三月、三田台町泉福寺開帳を含め3開帳が催される。 ・五月、中村座で『義経千本桜』四日目より大入り客止めとなる。 夏頃、目黒祐天寺開帳を含め5開帳が催される。 夏頃、中村・市村座で『菅原伝授手習鑑』が大当たりする。 ・七月、朝鮮人風の衣裳を…
…、市村座で『女雷神』菊之丞大当たりする。 春頃、上野清水堂観音開帳を含め4開帳が催される。 ・六月、山王権現祭礼が催される。 ・六月、諸大名の留守居役らが、茶屋などで遊興することを禁止する。 夏頃、浅草西福寺での京清水圓養院開帳を含め8開帳が催される。 ・七月、芝浜松町で草市が始まる。 ・七月、中村座で『吉例佐々木鐙 』が大当たりする。 ・七月、湯島社内での大阪天王寺開帳を含め4開帳が催される。 ・寛保四年(1744年)一月、疱瘡が流行する。 ・二月、中村座で芝居興行開始百二…
…月、吉原角町の名妓玉菊の三回忌に灯籠が出て、年中行事になる。 ・九月、風水害で両国橋流失する。 ・十一月、神田明神祭礼が催される。 ○撃鉦先生『両巴巵言(リョウハシゲン)』を刊行し、洒落本の始めとなる。 ○下野高田専修寺開帳(開催地・開帳期間不明) ・享保十四年(1729年)一月、中村座で団十郎の『矢の根五郎』が大入りを続ける。 ・四月、天一坊が獄門となる。 ・四月、法恩寺で近江錦織寺が開帳を催す。 ・五月、中国商人が移入した象を将軍らが見物する。 ・六月、山王権現祭礼が催…
… ・九月、中村座で『菊重金札ノ祝儀』の異見せりふが大当たりする。 ・十月、吉宗、吹上の御覧所で朝鮮人の馬の曲乗りを観覧する。 ・十一月、御殿山の上り口で繰芝居興行が催される。 ○上野厳高寺の開帳が催される。 町人が勢力を伸ばし、遊びの文化が飛躍的に発展した時期といえば、やはり「元禄」をおいて他にないだろう。が、それは幕府が町人の遊びを奨励したとか、寛大さを示したからというわけではない。むしろ、綱吉は、町人の台頭を快く思っていなかったらしく、治安維持の名目で舟遊びに関する規制や…
…る方法である。 ・「菊のるひ」は、他の植物にも増して栽培について詳しく述べており、当時の関心の高さを示すものであろう。 ・「深山しきみ」の記述に「分け木」がある。この「分け木」は、草花などの株分けに対応するものであろう。他の樹木では、株分けに対応する語として「分け木」を使っていない。なぜ「深山しきみ」だけに使ったか、特に意味があると思えない。 ・「百合草るひ」(ユリの類)は、本文に37品も紹介しているだけあって、詳しく解説している。当時は「ゆりの根」球根を、「玉・とち・れんげ…
…するものだろう。 「菊のるひ」はキク総称名、本文中の「菊のるひ」と同じ表記である。 ゆ 4品 「ゆつりは」はユズリハ、本文中の「ゆつりは」と同じ表記である。 「百合草るひ」はユリ総称名、本文中の「百合草るひ」と同じ表記である。 「ゆわう草」はクサレダマ、本文中の「ゆわう草」と同じ表記である。 「ゆきの下」はユキノシタ、本文中の「雪の下」に対応するものだろう。 め 0品、記入なし。 み 3品 「深山しきみ」はミヤマシキミ、本文中の「深山樒」に対応するものだろう。 「水葵」はミズ…
…じ表記である。 「寒菊」は、本文中の「寒菊」に対応するものだろう。「寒菊」は冬期に咲くキクの総称名。 「かんらい草」はハゲイトウ、本文中の「雁来紅」に対応するものだろう。 「からけいたう」はケイトウ、本文中の「唐鶏頭」に対応するものだろう。 「杜若るひ」はカキツバタ類、本文中の「杜若のるひ」に対応するものだろう。 「がま」はガマ、本文中の「蒲黄」に対応するものだろう。 「かるも」は本文中の「かるも」と同じ表記であるが、『牧野新日本植物図鑑』に該当する植物名は不明。 「かいるゑ…
…ゲ科)。 「しうめい菊」は、シュウメイギク(キンポウゲ科)。 「淡雪」は、オオバショウマ(キンポウゲ科)か。 「千日向」は、センニチコウ(ヒユ科)。 「小車」は、オグルマ(キク科)。 「野こま」は不明。 「弟切草」は、オトギリソウ(オトギリソウ科)。 「白頭草」は、ジャノヒゲ(ユリ科)・変種?。 「くわんをんさう」は、キチジョウソウ(ユリ科)か。 「ひごたい」は、ヒゴタイ(キク科)。 「姫ひごたい」は、ヒメヒゴタイ(キク科)。 「風鈴」は、フウリンソウ(キキョウ科)と思われる…
…ヒガンバナ科) ○夏菊のるひ 「夏菊のるひ」は20品あり、すべてに説明がある。「江戸版」「京都版」とも同数でほぼ同じである。これらは、「夏秋論・水揚妃・黄水揚・屋うくわ水揚・玉牡丹・砂金・たいしよくわん・小紫・宇治川・ありあけ・黄太白・きりん・黄一文字・ありま山・南京紫・ほつうけ・南禅寺・雪わり・黄兩面・黄正」の品名がある。以上の中で、『牧野新日本植物図鑑』で確認できた品名はない。 ○水草のるひ 「水草るひ」は26品あり、すべてに説明がある。「江戸版」「京都版」とも同数でほぼ…
…ムラサキ科)。 「春菊」は、ハルギク(キク科)?総称名?。 「紅黄草」は、コウオウソウ(キク科)。 「踊子草」は、オドリコソウ(シソ科)。 「おだまき」は、オダマキ(キンポウゲ科)。 「金風花」は、キンポウゲ(キンポウゲ科)。 「もじづり」は、モジヅリ(ラン科)。 「路宿草」は、サギゴケ(ゴマノハグサ科)。 「黄花鬘」は、キケマン(ケシ科)。 「布袋草」は、クマガイソウ(ラン科)。 「熊谷草」は、クマガイソウ(ラン科)とすると重複することになる。アツモリソウより花の色が薄いと…
…青実実の先に色あり、菊とじとも重輪白とも云」 「児牡丹」綱は「白の八重咲き小輪なり」 ・「高麗」錦は「大りんかさね少し、内に色あり」 「高麗牡丹」綱は「大輪なり」 ・「飛入」錦は「弐重うす色にて赤とび入りあり」 「飛入」綱は「弐重薄色に赤飛入有」 ・「黄牡丹」錦は「単色の花の色」 「黄牡丹」綱は「壱重かううの花の色」 ・「白牡丹」錦は「八重二重しろしじく付のトコロに紫色なり」 「白牡丹」綱は「八重二重白花」 ・「唐牡丹」錦は「大りん五重内に付少しあり」 「から牡丹」綱は「大輪…
…もしれない。 ・「夏菊」「寒菊」 「夏菊」「寒菊」には、序文および本文にも仮名は振られていない。『牧野新日本植物図鑑』にはナツギクの記載はない。「夏菊」の説明で「其品種四十種ほどあり」とあるように、夏期に咲くキクを総称しているものだろう。したがって、キクとして総称名とする。 「寒菊」は、『牧野新日本植物図鑑』によれば「アブラギクから園芸化してできたもの」とある。益軒の記した「寒菊」が園芸品種であるとの確証はなく、「夏菊」と同様、冬期に咲いている菊を指しているものと推測する。 …
…(安永二年)で「孩兒菊」と記される。 ・「白粉花」・・・目録に「ヲシロイ」、本文に「をしろいはな」と仮名が振られている。「白粉花」はオシロイバナ(オシロイバナ科)とする。 オシロイバナの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『花譜』(1698年)とある。 花材としての初見は、『生花枝折抄』1773年(安永二年)で「紫茱荊」と記される。 ・「鹿鳴草」・・・目録に「ハギ」、本文に「はぎ」と仮名が振られている。「鹿鳴草」はヤマハギ(マメ科)と推測されるが、総称名…
…(アオイ科)。 「丈菊」は、ヒマワリ(キク科)。 「龍胆草」は、リンドウ(リンドウ科)。 「赬桐」は、ヒギリ(クマツヅラ科)。 「紫苑」は、シオン(キク科)。 「睡蓮」は、スイレン(スイレン科)。 「白粉花」は、オシロイバナ(オシロイバナ科)。 「午時紅」は、ゴジカ(アオギリ科)。 「鹿鳴草」は、ハギ(マメ科)。 「木芙蓉」は、フヨウ(アオイ科)。 「木犀」は、モクセイ(モクセイ科)・ギンモクセイ。 「女郎花」は、オミナエシ(オミナエシ科)。 「獨頭蘭」は、シュンラン(ラン科…
…345による。 「夏菊」は、キク(キク科)・総称名。 「石榴花」は、ザクロ(ザクロ科)・総称名。 「蜀葵」は、タチアオイ(アオイ科)。 「錦葵」は、ゼニアオイ(アオイ科)。 「黄蜀葵」は、トロロアオイ(アオイ科)。 「五月菊」は、コンギク(キク科)。 「鷹爪」は、レダマ(マメ科)。 「合歡」は、ネムノキ(マメ科)。 「蓮」は、ハス(スイレン科)。 「百日紅」は、サルスベリ(ミソハギ科)。 「鳳仙花」は、ホウセンカ(ツリフネソウ科)。 「風蘭」は、フウラン(ラン科)。 「百合」…
…、『花壇地錦抄』の「菊」について調べた例から示す。『花壇地錦抄』には、「夏菊のるい」として20品、「菊のるい 末より冬初」として230品、合計250品が記されている。『花壇綱目』には79品、『花壇地錦抄』と同じであると思われる品名が32品ある。この数を多いというか少ないと判断するのは難しいが、他の書(花伝書)『茶之湯三傳集』や『花の巻』に比べると倍以上多い。十七世紀後半には多分三百以上の品名があったものと推測され、それらが種々の機会に編纂されて記されたものであろう。その記され…
…麗集818年 ・秋冥菊 シュウメイギク(キンポウゲ科)・・・種名・・・シュウメイギクの初見→文明本節用集1500年頃 ・棕櫚 シュロ(ヤシ科)・・・種名・・・シュロの初見→本草和名918年頃 ・薑 ショウガ(ショウガ科)・・・種名・・・ショウガの初見→新撰字鏡900年頃 ・菖蒲 ショウブ(サトイモ科)・・・種名・・・ショウブの初見→蜻蛉日記971年 ・芝蘭 シラン(ラン科)・・・種名・・・シランの初見→毛吹草1645年 ・沉丁花 ジンチョウゲ(ジンチョウゲ科)・・種名・・・ジ…
…の前栽植物には、「霜菊・春菊・夏菊・野菊・眞菊」などキク類であることがわかっても現代名で確定することのできない名前がある。また、「金態・玉態・金徽草」等、不明な名称が10以上ある。記された名前から、現代名にできたのは94である。その中には、『草木名初見リスト』の記述より前に記されている植物名(「庭柳・玉柳」等)があり、再度の検討が必要である。 『古本節用集』 『古本節用集』は、国立国会図書館デジタルコレクションによれば、「文安元(1444)年以後文明(1469-87)頃までに…
…草」「もちすり」「濱菊」「こんきく」「細針」「ささゆり」「弁慶草」「夏はせ」の10種である。 「仙台萩」は、マメ科の多年草センダイハギしとた。 「るかう」は、ヒルガオ科サツマイモ属つる性多年草ルコウソウとした。 「丁子草」は、キョウチクトウ科多年生草本チョウジソウとした。 「もちすり」は、ラン科ネジバナ属多年草ネジバナとした。 「濱菊」は、キク科常緑多年草ハマギクとした。 「こんきく」は、キク科シオン属多年草コンギクとした。 「細針」は、ウマノスズクサ科多年草サイシンとした。…
…(水)。晴。・・・與妻歩不忍池上。 十月二十三日(火)。晴。與妻、杏奴、類遊植物園。 十一月十一日(日)。晴。・・・予與妻及二女國技館(菊見)・・・ なお、鷗外は、この他にも椿山荘や上野動物園に出かけている。そこでも、当然何らかの植物は目にしているだろう。また、天気のよい日には、小石川や本郷など近在を散策し、江戸川、神田明神、諏訪神社などを訪れている。一月は九日間、二月は半月以上、三月から八月まで毎月十日以上散歩をしている。こうした傾向は、前年の八月頃から見られることである。
…紅葉」、「萱草」、「菊」、「ぎぼうし(玉簪など)」、「苔」、「櫻(さくら)など」、「石榴」、「歯朶、しだ」、「升麻」、「竹」、「蓼」、「蔦」、「躑躅」、「椿」、「撫子」、「萩」、「藤」、「ほととぎす」、「まき」、「松」、「蜜柑」、「水木」、「もくせい」、「桃」、「柳」、「ゆり」、「蘭」などの呼称も、類似する同じような植物を指しているものと思われる。 異なる植物を同じ名前(漢字)で示す例 それに対し、明らかに異なる植物を同じ名前(漢字)で示している例がある。そのような例を『仙傅…
…、十一日(火)には観菊会のため赤坂離宮に出かけた。 ガーデニングとは直接関係ないが、十二月二十五日の日記には、「・・・夜樅の木に燭火を點してNoël の祭の眞似をなす。」とある。この樅の木はどこから入手したのだろうか、息子の類(『鷗外の子供たち』「茉莉の結婚・父の死」)によれば、「冬は植木屋が来てビールの空箱に樅の木を植えて洋室にはこぶと、すぐにクリスマスが来た。」とある。当時の新聞を見ると「我家のクリスマス」という記事(23日付読売新聞)はあるが、家族でクリスマスの行事を楽…
…見附けた。桔梗や、濱菊や、射干や待宵草が咲いてゐる。併し花が咲いていて札を立てて無いのもある。札が立ててあつて、草の絶えてしまったのもある。ある草が自分の札の立ててある所から隣へ侵入してゐるのもある。門にゐるお役人と同じように、花壇を受け持つてゐるお役人も節力の原則を研究してゐるものと見える。草苅女と見える女が所々をうろついてゐるが、それを指圖をしているような人は一人も見えない。暫く苗床の間を廻って見ても、今頃市中で売つてゐる西洋草花は殆ど一種も見當らない。木村はいよいよ失望…
…・母と於菟と國技館へ菊を看にゆく。・・・妻と茉莉と連れ立ちて出で、團子坂の菊を看、・・・」 この年の菊人形は、東京中の話題をさらった。国技館や団子坂などに見物客が殺到。国技館では、名古屋黄花園が四十日間にわたり、電気仕掛けの菊人形(経費四万円)を興行した。開園は朝八時から夜の十一時までと長く、入場料は大人二十銭、小人十銭というから、庶民にとって決して安い値段ではなかった。 団子坂では大人十銭と国技館に比べて割安。舞台がせり出し、七段八段もと場面を替え、義太夫の出語りまでつくと…
…寒いが晴れた日は丁度菊の頃の日和のやうで好い心持がする。昨晩など満月だから庭に出て長く見て居た・・・」 十一月十五日 佐々木信綱宛 「・・・(九月の櫻花とは今年九月末東京にかへり花咲きぬとの事をいふ何日頃なりや)・・・」 明治三十八年 四月十五日 森於菟宛 「おとろへの秋ならなくにまづ黄ばむ青柳の芽をもてはやすかな」 四月十五日 森於しげ子 「・・・けふはじめて柳の木の少し靑く見える。又草の芽も少し出て来た。・・・」 四月二十五日 森しげ子宛 「・・・こちらも草がだんだん靑く…
…日曜日に丁る。後圃の菊始て開く。南の縁端に兀座して日暮に至る。 菊畑や暮れのこる白のところゞゝゝ・・・」。この菊は、十一月二日に出した、母、森峰子への手紙によれば、 「十月二十八日。・・・四五日雨勝なりしが今日は晴天にて小春びよりの氣に御座候庭の菊は雨にたゝかれ好き花は皆痛み申候。・・・」とある。 十一月 「三日。・・・寺は長濱の東の丘上に在り。宮本武藏の碑を観る。不老菴に入り、村醪を酌みて還る。此邉の海岸には橐吾の野生して花を開くもの多し。」の「橐吾」は、キク科のツワブキ。…
…植木屋の別名(柳宗元・種樹郭橐駝伝『角川漢和中辞典』より) 「五日(金)。紅蜀葵開く。・・・」 紅蜀葵はモミジアオイ。花畑で咲いていたものと思われる。 「二十日(土)。萩開く。 「二十一日(日)。芙蓉開く。 ハギ、フヨウが咲きはじめ、花畑はそろそろ秋の花となる。 ・九月 「八日(木)。向日葵開く。」 花畑でのヒマワリの開花の記録をもって、明治三十一年の観潮樓の花暦は終了する。 花の記述としては、十月に 「二十日(木)・・・青山御所を過ぐ。園丁の菊を養ふを看き。微雨。」がある。
…んな所に茶園鷗、と思われるかもしれないが、『明治庭園記』に「江戸旗本屋敷上地に付て、庭園破壊し、桑茶植附の事」にも記されているように、明治二年、東京府による殖産振興策として茶の栽培が奨励されていた。 『吾輩は猫である』の中には、庭の植物名がいくつか登場する。アオギリ、キリ、サザンカ、ヒノキなどの樹木と、枯菊が散見されとあるが、この程度の植物では、漱石の庭は、鑑賞に耐えうる庭とは思えない。しかし、猫にとっては、葉を繁らせたアオギリが蝉取り場となり、まさに“我が輩の庭”であった。