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…10隻に、兵隊7千人が犠牲になるというものであった。なお、この作戦に、現場の指揮官たちは作戦に猛反発したとされている。詳細は、戦後幾つもの本などに紹介されているが、当時の新聞にはその経緯などについて、手がかりとなる記事を見つけることができない。 二面に、菊池寛の「まづ国民を納得させよ」「我らにも武器を」との時局随感が掲載されている。 「何でも軍が東京に飛行滑走路を造るために、大きな道路を造るのだそうだ。戦争というものは、個人の権利もなにも全く認めない」と、清沢は批判している。
…ている。 東京への空襲が激しく続くことからであろうか、ロッパは、東横映画劇場の「座へ近づく、渋谷の駅から道の家々は皆、丸に疎の字のマークをつけられてゐる、今月一杯位で立ち退けといふ強制疎開である。此の辺は、東横だけ残ることになるらしい。・・・」と、強制疎開について記している。 三月二十五日、国民義勇隊組織を発表 朝日新聞には「太平洋を隠密挺身 在泊敵艦隊を覆滅」とある。 高見は、「新聞に国民義勇隊組織のことが発表されている。・・・神潮特別攻撃隊、菊水隊、金剛隊」と記している。
…の前はいずれも行列。菊屋橋通りに近いところに鹿島屋という外食券のメシ屋があり、ここは珍しく行列がない。(あとで倉橋君が、行列の長い外食券の食堂ほど、おかずがいいのだと言った。)倉橋君は一枚だけ外食券を持っている。生徒のなかに半島出身 のもので外食券で食っているのがあって (外の食堂で食事をしている中學生があるということは私を驚かした) 、それが、券の残りを勝ってくれるのだという。──私は弁当持参だった。そこで倉橋君が食堂でおかずだけ貰って(食堂では米が大事なので、おかずだけと…
…を示している。「尾上菊五郎公演」前売り広告 高見は、「皇陛下がマッカーサー元帥を御訪問されたその新聞記事を見て驚いた。敗戦国である以上何もおどろくに当らないことかもしれないが」と記している。 九月二十九日、朝日新聞は天皇とマッカーサーの写真掲載、「聖上 米記者に御言葉 全世界平和に寄与」と示す。「民生を確保 社会的安定を達成を」など掲載。 二面に「文化外交『音楽祭』へ 心も躍る前奏曲 生まれ出る日本音楽連盟」がある。 九月三十日、朝日新聞は「新聞、言論の自由へ」と、連合軍司令…
…古川ロッパ、松竹尾上菊之助、吉本ひばり隊など十九隊で本月中旬から九月上旬にかけて一府県約十回位上演し戦災者の士気を鼓舞する・・・」とある。実際に興行されたかは不明である。芸能は、戦争の士気を妨げると、何かと禁止したり、制限していたのに、ここに来て「鼓舞する」に変更した。 高見は、「新聞読んだ? 」 と、聞いてみたら読んだという。広島の爆撃のことが出ていたかと聞くと、 「出ていた――」 「変な爆弾だったらしいが」 「うん、新型爆弾だと書いてある」 「原子爆弾らしいが、そんなこと…
…小路の植木を見て、白菊を求させ、気に入った槇をお共に直(値段)を交渉させ、お供二人を残し、藤屋へ行き、蕎麦喫する。池端蓬莱屋では、庸軒流蘭山門弟の挿花会(生花展覧会)が催されていた。そこでは「賑しき故、直に行て見る、二階、中二階に挿花百種計有、見物込合ふ」と、植木や生花が人々を呼び寄せていた。 冬になると、信鴻は「広小路植樹を見、松・八ツ手を買ハせ」、「今日咀英(咀嚼英華)蓬莱屋にて挿花会ゆへ行、幕に挿花会、其儘庵杜中と染出し二階へ張る、今花ハ済し由いふゆへ、紋衛門来在やと尋…
…社祭礼、競馬、角力、菊花壇、飾り物等あり、参詣人多数 十一月 ☆外神田鎮火社御祭礼、当年より十一月十五日になる 明治五年(一八七二) 一 月 ☆去年同様、六~十一日の間、神祇官への市民参拝あり 三 月 ☆浅草三社祭礼、山車伎踊等出る 五 月 ☆招魂社祭礼、競馬、相撲、半蔵御門外で昼花火あり ☆秋葉神弁財天を本多侯藩邸に移す、翌年八月に社造営、以後毎年十一日祭礼あり 六 月 ☆日枝神社祭礼、神輿三基のうち一基渡す、附祭なし ☆本小田原町で新たに水神祭る、神輿補修し安置、山車を造…
…京に着、12月に京都へ 秋 生活苦の武士、骨董屋や露天商等を開くもの増える 11月 御東行御祝儀で酒、スルメなどが下賜され、数日間山車伎踊等出て賑わう 11月 山下御門内薩摩侯陣営の稲荷社で祭礼、相撲・町人参詣あり、酒下賜される 11月 南八丁堀で西洋の歌舞妓狂言に当たる芝居あり 11月 16日晩~19日朝に新嘗祭執行(18日が当日)、以後毎年執行 11月 写真鏡の技術が広がり、場を構えて客を撮るようになる.この商売は年々増加 11月 菊の御紋を器物等につけることが禁止される
…月四日付の新聞には「菊花さかりて秋晴れの明治節」(東朝)とある。この日は始めての明治節に当たり、「暁から人波を打って 大混雑の明治神宮 午前中の参拜早くも二十五万人」とあり、日中50万人、夜も30万人の参拝者があったとされる。この賑わいを写したものだろう、「明治節に賑ふ全市」とのタイトルで、明治神宮の入口の鳥居前付近の写真が掲載されている。しかし、その写真に写っている人込みは意外にもまばらで、一時間に5万人が訪れるほどの規模の人出ではない。他に群集した写真がないところをみると…
…時の座付作家であった菊谷栄を非常に大事にしていた。たとえば、日中戦争がはじまり、戦時色が強くなるなか、昭和十二年、新宿第一劇場での公演中に菊谷栄に赤紙がもたらされた。すると、エノケンは当日、舞台から客席に向かって、「菊谷栄が出征するので見送りに行ってまいります」と告げた。そして、観客の拍手に送られ一座全員が品川駅に向かうというようなことさえあった。これは実に、エノケンならではの巧みなスタンドプレーであったのに、素直に受けとってエノケンが菊谷栄を、杖とも柱とも頼りにしていたから…
…隆盛をはせた団十郎・菊五郎・左団次というスターを失ったことが最大の原因だと思われていた。また、歌舞伎に対して新しい形式の史劇や舞踊劇をと考えて生みだされた新派や新劇は、「人形の家」「夜の宿(どん底)」など意欲的な作品を上演していたが、観客はさほど動員することはできなかった。明治時代から叫ばれてきた演劇の改良運動による、文芸協会、自由劇場などの試みは、観客の裾野を広げるということに必ずしも貢献しなかった。 その原因は、演劇を制作する人たちが西欧の演劇に目を向け、同じような芸術性…
…兵館」「勝鬨音頭」「菊地千本槍」「韋駄天街道」「雛鷲の母」「決戦」「加藤隼戦闘隊」「母の瞳」「あの旗を撃て」「天狗倒し」「不沈艦撃沈」「父子桜」「水兵さん」「ベンガルの嵐」などが続く。その当時の映画興行時間は、1時間40分に短縮され、そのうえ東京では19の映画館が興行を停止された。ちなみに、使用されなくなった日本劇場や国際劇場などでは、学徒動員の女子学生たちがアメリカ本土を爆撃するための風船爆弾を作らされていた。 昭和二十年(1945)になると、実際もう映画制作どころの話では…
…か、と嬉しい。・・・菊田の話では、陸軍記念日のモットーは、今年は『撃ちし止まむ』であったが、来年はぐっと趣きが変わり、『明朗敢闘』となる由。又今日、海軍さんの意見でも、一月中位に、もっと娯楽は明朗なるべしといふ方針になるだらうと、いふことであった。」 三十一日、「『では今年の放送を終ります。良年を迎へ下さい』。然し、間もなく『東部軍情報/\』と始まった。敵は京浜地区に侵入、と言ってる間に、ブルーンブルーンといふやうなB29の唸り、カン/\と退避の半鐘。高射砲ドン/\と響く。・…
…館「大東亜戦跡めぐり菊花大会」 19日Y 日本野球争覇戦終わる、燦たる巨人軍 三日明治節、「この夜十二時より酉の市なり。浅草上野辺の電車は昼の中より乗客おびただしく乗る事能わざる由」と。また、五日は、「水天宮戌の日の賽日にて参詣の人織るが如し」と、永井荷風は、この頃、市内の人出が多いことを記している。 鉄道省は、行楽旅行・買出部隊抑制のため随時、乗車券発売制限・乗越禁止などを指示。十四日から、乗車指定券がないと週末・祭日の旅行ができなくなった。また、同日の正午、市内の梵鐘15…
…か。また、「国技館の菊人形を見物」と、健在が二十八日のロッパの日記からわかる。ただ、前日の日記、「六区へ出、来々軒で五目そば、うわー不味くなった」から、食べ物屋は食料不足で質の低下が進んでいた。 荷風の日記から五日、「公園に入るに日曜日の人出多く酔漢亦少からず・・・オペラ館昼間より大入にて大入袋一円八拾銭の由踊り子の語る所なり」と、興行の入りは良い。十五日の「防空演習・・・浅草に至り見るに小春の天気好きが故にや、人の出盛ること日曜日の如し」と。二十一日、「正午の頃の銀座通は男…
… 7日Y 多摩川園の菊人形、入場者約二万人で賑わう 10日ka 金比羅祠の縁日を歩む。群衆の雑沓酉の市に劣らず 13日A 「静かなる雑踏」お会式に四十万人、迷子二十六件、すり六件、検束十六名 14日A 日独伊三国結盟国民大会、日比谷公園など六会場に十一万人、二万人の行進 16日ka 招魂社の祭今年は臨時なりとのことなれど此神社の祭りに晴るる日は少なし 19日y 早慶戦 21日A 競歩大会に熱汗絵巻、六千人の進軍 21日Y 日本野球優勝大会、後楽園で巨人軍とライオン激戦、四万観…
…」 3日t 国技館の菊花大会、初日から非常な賑わい 13日a お会式御逮夜 万灯は一人持ちに制限 雨天となって午後二時までに自粛の参詣者三万 14日A 靖国神社臨時大祭 見世物に代わって聖戦パノラマ 15日a 富士館日活系「土と兵隊」満員御礼 16日T 「秋晴れに人出百万!」 19日A べったら市 21日a 早慶戦 徹夜組は三百名 内野席は五分、外野席一万二千枚は八時半に売り切れ 23日T 後楽園で凱旋ニッポン感謝報告会に会衆五万人 29日a 浅草帝国館等「残菊物語」他連日満…
…多摩川園の「躍進日本菊花大会」に観衆二万 9日Y 全日本陸上競技大会第一日、三万観衆 11日A 米国女子野球団、賑々しく入京 12日A 日本劇場「エノケンの西遊記」他満員御礼 13日a 事変下のお会式、参詣者十五万余の殺到を予想 17日ro 後楽園の職業野球の合間に紛れて撮影 18日ka 昨今九段坂上招魂社祭礼にて地方より上京するもの夥しく九段付近雑遝甚しと云う 20日A べったら市、日本橋大伝馬町の大通り賑やか 20日A 靖国神社臨時大祭「敬虔な人波・二百万」夜半まで参拝者…
…礼 2日A 国技館の菊大会「輝く皇軍」、大人60銭3a浅草電気館等「美しき鷹」他満員御礼 4日Y “軍国調多摩川園菊花大会”秋晴れにどッと繰り出た行楽群、一万三千人 5日y 日比谷映画劇場「ラプーブの大学生」他満員御礼 13日a 非常時のお会式、正午に既に八万 22日a 新宿映画劇場「海の魂」他連日満員御礼 24日ro 九段を通ると招魂社のお祭りで賑やかだ 25日Y 六大学リーグ戦、早慶戦で閉幕 28日a 「歓喜・帝都に爆発!昼の旗行列に続いて夜は感激の提灯行列」 29日a …
…の国技館や多摩川園の菊人形、展覧会などが催され、また四日から二十五日の千秋楽までロッパの有楽座『ハリキリボーイ・河内山』が満員。市民レジャーは九月より活気を取り戻したが、前年ほどの盛り上がりは感じられない。 ───────────────────────────────────────────────昭和十一年(1936年)十一月、国会議事堂完成⑦、日独防共協定締結(25)、明治節等久しぶりのイベントに市民レジャーは盛り上がる─────────────────────────…
… 4日Y 多摩川園の菊花天国、六万人の入場 4日ka 夜半より酉の市なりと云う 13日a 国技館、菊花大会カルケットデー、60銭 16日a 帝都座等「大菩薩峠」満員御礼 17日a 浅草帝都館等「せめて今宵を」他満員御礼 19日Y 巨人軍最終戦万連勝す、月曜にもかかわらず観客は相当につめかけた 23日a 浅草電気館等「暁の麗人」他満員御礼 27日Y 多摩川園の菊花天国、福引デー大繁昌 29日a 新納御誕生奉祝、二重橋前には旗行列の波 景気の改善を反映して、結婚式が増え、東京駅か…
…気 10日Y 日比谷菊祭、入場料30銭 11日Y 日米野球第三戦、六万大観衆ただ夢心地 18日a 浅草電気等「修羅時鳥」他満員御礼 21日y 帝展淋しく店閉い、入場者二十万人割る 24日y 歌舞伎座で東北凶作義援コロンビア実演大会、会員券3~1円 26日A 日比谷新音楽堂で全日本柔道選士権大会 二日、ベーブ・ルースをはじめとする大リーガー選抜チームが来日。日比谷新音楽堂で歓迎会、神宮球場の第一戦から「六万観衆」が興奮して観戦。ただ、試合内容は、日本選手は三振の連続、八回まで外…
…戦役二十五周年記念」菊大会、開館 13日Y お会式の人出 三十五万人、賽銭泥棒3百余人 17日A 「帝展不景気混雑記」1枚の招待券で六十人入場など午前中に六千人突破 17日A 「近郊各地の紅葉便り 臨時列車が増発」 19日A 「早慶戦始まる」粉擾の解決未だし 20日y 中山競馬三日目天気に恵まれ大入り 23日ki 靖国神社大祭へ・・すこぶる賑わっていた 30日A 明治神宮鎮座祭体育大会始まる 31日A 明治神宮賑わう 市民レジャーも不景気を反映する記事が多い。十二日の池上のお…
…二日には、庭を掃き「菊花紅葉正に佳なり」と日記に書いている。この頃具合がすぐれなかった岡本綺堂は、植木屋を入れたり、花壇の整理をさせるなど、荷風よりもガーデニングに熱を入れた。愛好者が多いのだろう、釣りや園芸はしばしば新聞に紹介されている。 三日の明治節は日曜と重なり、秋晴れ、市内から日光、筑波、箱根、房総、奥多摩、湘南方面に数万の人々が出かけた。市内は、明治神宮参拝者が「三十数万」や「体育競技最終日の外苑に十万近い観覧者」A④などの人出で賑わった。そのため、新宿駅は夕方に乗…
…ヶ谷、栗拾いは小机・菊名、鴻巣・本宿・桶川など。ただ、日曜は雨になりせっかくの案内も役立たず。郊外の賑わいは次の日曜と十七日に延びた。 十二日のお会式は賑わい、池上電車が輸送できぬくらいの「人出五十万」人。その日の事件は、賽銭泥棒35人、迷子25人、泥酔30人、風俗壊乱27人、スリ2人と、雑沓した様子が伝わってくる。十四日の日曜、綺堂は混雑した新宿の布袋百貨店を覗き、どこも人出が多かったらしいと、日記に書いている。 東京朝日新聞主催の「国際水上競技大会」は、十三日の玉川プール…
…T 国技館の日本八景菊花大会、三万五千の大入 17日T 連休で「秋を慕いて 各駅の繁盛」 17日A 帝展が初日、一万五千人が入場 24日A 神宮球場の慶明戦、3対3の引き分けで満員の盛況 26日ka 荷風、人形町の夜店を見歩く 30日Y 上野池之端の新日本殖産博覧会、大人気 30日ka 観艦式とやらにて市中賑なり 30日Y 日本館「天界の魔王、十巻」モンロー・サルスベリー氏実演満員御礼 31日Y 観艦式に三十万の人出、迷子36人スリ3件 市民レジャーは、引続き活発である。池上…
…西郷諸氏や俳優の尾上菊五郎、帝劇の森律子などのほか、外国大使館員や学生、藝妓……と、様々な人々が滑っていた。一方、約11m四方のスケートリンクの階上では、一杯五銭のコーヒーを飲みながら他の人がスケートするのを見物していた。 作家・有島武郎の「観想録」には、大正五年七月十五日に二人の子供を連れてローラースケート場に出かけたことが書かれている。といっても彼らが実際にすべったわけではなく、最初、日比谷公園に出かけたところ、子供達がまったく元気がなくなったため、急きょスケート場に連れ…
…に流行ったジオラマや菊人形などは衰退した。それらに変わって飛行ショーや自動車競走など新しい趣向の興行が登場した。そうなると、国技館の樺太展のように納涼園に入場したものの、展示を見るだけではなく自らアイススケートもするという、見世物とは明らかに性格の異なるものに変わっていった。 祭もレジャーとして大きく変わった。「祭」は、季節の変わり目にあたる日に、神霊を迎え奉る、神に奉仕するところに原義があった。明治時代から徐々に宗教色が薄れ、大正時代には本来の意味すら問われなくなった。明治…
…日より日比谷音楽堂で菊五郎一派の野外舞踏11月 まっさきに明く仮小屋の宮戸座12月 浅草の野外劇 お堂を取巻く幾万人 予想外の人気に活気立つキネマ界大正十三年(1924年)1月 天幕劇場、新国劇で満員御礼 興行界記録破りの大景気 オペラ館「ベッスリア女王」他満員御礼2月 オペラ館「金色夜叉」満員御礼3月 電気館「嬰児殺し」他大好評満員に付日延べ 大東京「清水次郎長」他満員御礼 演技座、澤正の「松永弾正」他連日満員御礼4月 演技座澤正の「松永弾正」連日満員御礼5月 帝国館「大乱…
…た。恒例、国技館の大菊花園も満員続き。 十二日の池上本門寺のお会式は、前年より人出が多く30万人になるだろうと。ただ、不景気を反映してか賽銭泥棒が多く、午後九時までに十八人も捕まった、ということはそれ以降もいたのだろう。迷子は5人。 十四日の上野は、愛玩動物鑑賞会などあって午前中に3万人も詰めかけ賑やかであった。二十三日からは靖国神社大祭で朝から大混雑。二十四日は秋晴れの日曜ということもあって、郊外に出かける列車は満員。三十一日は大祭、朝からすがすがしい観兵式日和となり、明治…