牡丹 の検索結果:

★安永九年春・一月~三月

…笠志茶屋に休み(略)牡丹花や前へ行南折、又草をつみ黄昏に成ゆへ田のあせより螢沢橋江出、暮比帰廬 十日○八少前よりお隆同道つみ草に(略)殿中辻より山王山を下り田畑堤にて娵菜を摘、中里村へ入牡丹屋前(略)無量寺前より草を摘、三町はかり西の畷前後にて芹を取、七頃笠志方へ行、笠志迎に出、彼処にて弁当つかふ(略)仮山を廻り茶鄽の口ヘ出遠望、此頃桜花・桃季・辛夷満開(略)笠志前導草を摘ながら行、無量寺前より南行、石橋を渡り洞津侯長屋の間へ出暮時帰廬 十六日○九過よりお隆同道摘草(略)西門…

★安永八年春・一月~三月

…、笠志茶鄽へ行(略)牡丹屋へ行、牡丹満開仮山上の床机に休む(略)日暮里へ行(略)樹屋へより余楽寺前より行、青雲寺門へ入見晴し腰懸に休む(略)慈照院庭へ出表門へ行抜瑞応山禅寺へ立寄一覧、桟崎石橋へ出、千駄樹樹屋へ入植木を見、動坂治衛門へ立寄少休み(略)御鷹部や裏五平次庭へ行て見、富士裏より七頃帰る 二十日○九半頃より浅草参詣(略)神明内より千駄樹根津へかかり湯島男坂下(略)与力町広徳寺前より一町下瀬戸物屋脇へ出、三河屋に休み(略)太神宮前にて草花を買ハせ直に参詣(略)仁王門下(…

★安永七年四月~閏七月

…日○九半(略)西ケ原牡丹花屋へ行、坐敷客在賑し(略)百余種有、爛漫奪目(略)無量寺へ詣(略)和泉境へ出、建部館間(略)庚申塚へ(略)雑司谷近道を習ひ、直南行四達より西折、雷盆山の北へ出、旧年通りしねりま道より御鷹へや(略)梅塚寺坂(略)茗荷や(略)護国寺参詣、開帳巳閉帳故猫股橋にかかり、西門より暮前帰る 十九日○今日お浅(娘・阿佐子)着に就板橋休へ迎ひに出(略)和泉境より竹部わき野通り、板橋一里塚(略)染井を五半(略)四半過頃飯田へ(略)豊田本陣(略)前路を帰る(略)十二三町…

★安永六年四月~九月

…前より北郊閑歩(略)牡丹花や前より左折西原権左衛門へ行(略)夫より王子道へ出六時帰る 十五日○七すき東郊閑歩(略)富士裏より出御鷹部や北林中を出東覚寺中萩を見、田畑八幡祭の笛聞え人声賑也、日暮崖上より月出を望み青雲寺左側畔中の道より帰らんと一町余り行(略)引返し例の道より暮時かへる 廿日○明六前眠醒俄に思立六半より浅草参詣(略)富士前より行彼岸故六阿弥陀参多し、谷中門(略)屏風坂門(略)御堂うちより行田原町源水前越後獅子舞ひ児輩数十人跡につき行、浅草参詣甚少し(略)堂内参詣(…

信鴻のガーデニング安永五年1

…カン科)とする。 「牡丹」は、ボタン(ボタン科)とする。 「母子草」は、ハハコグサ(キク科)とする。 「菫」は、スミレ(スミレ科)とする。 「娵菜」は、ヨメナ(キク科)とする。 「雰嶋」は、キリシマ(ツツジ科)とする。 「躑躅」は、ツツジ(ツツジ科)とする。 「桑」は、クワ(クワ科)とする。 「五加」は、ウコギ(ウコギ科)とする。 「鉄せん花」は、テッセン(キンポウゲ科)とする。 「燕子花」は、カキツバタ(アヤメ科)とする。 「薇」は、ゼンマイ(ゼンマイ科)とする。 ○四月 …

安永五年一月~六月の楽しみ

…七前(略)妙喜坂より牡丹花屋へ(略)牡丹少し開く、門前より東行(略)中里より光明山円松寺を見る(略)東白髭明神前へ出(略)青雲寺北小門(略)諏訪明神西側茶や(略)青雲寺の門既鎖す故裏を廻り帰る(略)筋野田蛙声多し、御鷹部やにて六の鐘聞へ六過かへる 廿七日○九ツ時より浅草参詣(略)富士裏より田畑へ出(略)日暮へ行、見晴し腰掛に休む(略)遊人多し、感応寺内へ入山内より車阪弘徳寺を過て(略)広小路山下手前より竹町へ(略)広小路にて鉄せん花・燕子華買しめ、中町より油島参詣(略)根津に…

花壇綱目 序

…歌にも詠まれている。牡丹は、花の王者として最も優れ、馥郁高き香りを愛し、しかも李白④は「清平調」の詩で謡っている。菊は、隠逸の景気を醸し、陶潜⑤が弄び愛好した。蓮は、花の君子と褒めたたえられて、周茂叔⑥が詩に詠んでいる。千紫万紅色とりどりに咲く花は愛さずにいられない。 このほか世の中には、様々な楽しみや遊びを好む所で、気晴らしをしている。そうではあるが、琴を奏で詩を吟じ酒を嗜む。この三つで、琴は在野の身には相応しくない、詩は詠む才能がなく恥ずかしい、酒は限度があるものの好きな…

花壇綱目

…国では、本草書や菊や牡丹などの専門書は『花壇綱目』以前にも刊行されていたが、総合的なガーデニング技術書は作成されていなかった。中国の王路による『花史左編』(1618年)は、栽培法にも触れているが技術書より文学書の色彩が強い。陳淏子(陳淏)の『花鏡(秘伝花鏡)』(1688年)は,『花壇綱目』より20年遅れている。 『花壇綱目』がどれほど人気があったかは、寛文四年(1664)に水野元勝によって作成されて以降、延宝九年(1681)、元禄四年(1691)、享保元年(1716)と三度も…

★冬の物見遊山・安永三年十一月十二月

…花屋植木二軒へ立寄、牡丹花やを見、華や仁平次植溜を見、二平次出、直に前行仁左衛門庭を見、仮山甚幽深、夫より飛鳥山手前にて左折、西原源五衛門庭を見、仮山よし、山上に小亭有て小休み、植溜を見右行、畔道を又大道へ出(梅・槇・桂樹有直を聞しむ)薪屋甚八へ新助をやり立寄ん事を申つかハす、僕出道霜鮮にて大滑ゆへ春来へき由断るゆへ帰る、二町計過て前の僕来、主人の通し申ささるを甚呵し由追つきていふゆへ、重而行へき由申遣し、暮れ前帰る」。 十二月 「七日 快晴昼より雲出没乾風烈東に洞雲満七過少…

★祭礼と菊見を楽しむ、安永三年の九月十月

…二種貰ふ(雪下風・柿牡丹)○穴沢菊三種持参」。「五日 快晴○上邸にて上野か作りたる菊貰ひ、お隆へつかハす」とキクの遣り取りをしている。 信鴻は、出かけたついでに植木屋により植物を購入したことがあったが、八日は植木を求めて出かけたようだ。「八日 快晴○九過より珠成同道にて川東に遊ふ、供(略)天気大に晴れ春の如し、谷中通り感応寺のうち根岸茶やに休み、山伏松の方を石川近きといふ故由兵衛と二人東道へかかり、此方にてハ西道を行、金杉石橋を渡右折、二十間計にて石川等追つく、正燈寺の楓を見…

放屁男と開帳

…王子へ詣つ(略)七過牡丹花屋の前の水茶やにやすむ、行時比壮の花を見んと内へ入しに、門中大名奥方の供群居、門に紫幕を打、入へからさる故直に行、帰時も未かへらされハ無程帰るへけれハとて、四半時計那処に待つ、半下女唄うたひ左右二三町の間を歩く故いまたかへらさるを知る、供にとへハ洞津侯西台のよし、無程かしこを去り暮前帰る。 ○七比より、お隆、染井の花や・西原・飛鳥山遊行、供小枝・五味・上田・上村・庄左街門・文右衛門・折衛門・宗治・森右衛門・幾浦・喬松院・袖岡・住・八百・谷・苓・筆・石…

★正月の楽しみ(安永二年一月)

…鉢うへを求む(紅・白牡丹内・筆裡紅・白児) 廿五日 鍬浦姐砿馳城順炊剛もり東風暖気夜五過より小雨 ○成慶院より仏法僧三鳥掛物・白梅接穂・雷除呪貰ふ、お隆へ紅梅・柔紙来る ○駒込花屋弥三郎より鉢殖梅三株(陶朱公・俳梅・舞姫)海石榴四株(春宵・唐錦・関守・迦陵頻・岩根・松嶋)を貰ふ 廿六日 快晴暖昼より大にくもり八過村雨折々降る ○今井谷文来 鉢うへ梅三ツ、目六を進む、お隆へ盃を進む ○五加蔵鉢置西書紅筆二鉢を進む、七半過かへる、目六遣す ○駿河大谷屋より箪笥出来、届く ○花屋よ…

『花壇地錦抄』6草木植作様伊呂波分5

…記されている。 ・「牡丹」は、他の植物にも増して詳細な説明があり、関心の高さがわかる。ただ、「白水」(米のとぎ汁)を殺菌用に用いている節がある。そのような効果はない。 ・「布袋草」は、「消安草なり」と移植が難しいことを記している。 ・「唐蓮」は、実際に施した方法を説明し、中でも「鬼蜘のいとにて花の腰を二タまわりほどまきて置ハさかり久敷物也」の解説は面白い。 ・「ちくば草」(ナンバンギセル)は、「たね取りにくき物なり」とある。ナンバンギセルの種を収穫するのは、さほど難しいもので…

『花壇地錦抄』6草木植作様伊呂波分3

…対応するものだろう。 ふ 8品 「ふくじゆ草」はフクジュソウ、本文中の「福寿草」に対応するものだろう。 「ふやう」はフヨウ、本文中の「芙蓉」に対応するものだろう。 「風らん」はフウラン、本文中の「風蘭」に対応するものだろう。 「ふづ草 「風れい」はツルニンジン、本文中の「風鈴」に対応するものだろう。 「冬牡丹」はカンボタン、本文中の「冬牡丹」と同じ表記である。 「藤」はフジ総称名、本文中の「藤」と同じ表記である。 「ぶだう」はブドウ、本文中の「蒲萄」に対応するものだろう。

『花壇地錦抄』6 草木植作様之巻

…ろう。 ほ 7品 「牡丹」はボタン、本文中の「牡丹」と同じ表記である。 「ぼけ」はボケ、本文中の「木瓜」に対応するものだろう。 「布袋草」はクマガイソウ、本文中の「布袋草」と同じ表記である。 「星草」はホシクサ、本文中の「星草」と同じ表記である。 「鳳仙花」はホウセンカ、本文中の「ほうせんくわ」に対応するものだろう。 「ほととぎす」はホトトギス、本文中の「郭公」に対応するものだろう。 「鳳凰草」はホウセンカ、本文中の「鳳凰草」と同じ表記である。 へ 2品 「へくそかずら」はヘ…

『花壇地錦抄』5 草花秋之部

…忍草」は、シノブ(ウラボシ科)。 「忘草」は、ノキシノブ(ウラボシ科)。 「箱根草」は、ハコネソウ(ウラボシ科)。 ○冬草之部 「冬草之部」は5品あり、すべてに説明がある。「江戸版」「京都版」とも同数でほぼ同じである。これらを『牧野新日本植物図鑑』などから推測すると以下のようになる。 「水仙花」は、スイセン(ヒガンバナ科)。 「冬牡丹」は、カンボタン(キンポウゲ科)。 「寒菊」は、カンギク(キク科)・総称名。 「寒葵」は、カンアオイ(ウマノスズクサ科)。 「寒百合草」は不明。

『花壇地錦抄』4 草花夏之部

…(ナデシコ科)。 「牡丹石竹・京小袖・紫かのこ・郭公・武蔵野・江戸紫・つま白」は、セキチク(ナデシコ科)の変種と思われるが、ナデシコ同様に説明文だけからでは、セキチクの変種と断定することは無理がある。 ○葵のるひ 「葵のるひ」は7品あり、すべてに説明がある。「江戸版」「京都版」とも同数でほぼ同じである。これらを『牧野新日本植物図鑑』で確認できたのは、「小あふひ」だけである。 「小あふひ」は、ゼニアオイ(アオイ科)。 「葵のるひ」とされる「くれない・雪白・うすずみ・むらさき・源…

『花壇地錦抄』4 草花春之部・草花夏之部

…二重・かき色・仙臺・牡丹・るり八重」の7品は、キキョウ(キキョウ科)の変種と思われる。 ○がんひのるひ 「がんひのるひ」は8品あり、すべてに説明がある。「江戸版」「京都版」とも同数でほぼ同じでる。これらを『牧野新日本植物図鑑』で確認できたのは、以下の「松本せんおうけ・小倉仙翁花・黒節」の3品である。 ある。これらを『牧野新日本植物図鑑』などから推測すると以下のようになる。 「松本せんおうけ」は、マツモトセンノウ(ナデシコ科)。 「小倉仙翁花」は、オグラセンノウ(ナデシコ科)。…

『花壇地錦抄』3夏木

…・猩々長春・はと荊・牡丹荊・ちやうせん荊・ごや荊・山桝荊・箱根荊・唐荊・荊茨」の品名がある。以上13品の中で、『牧野新日本植物図鑑』で確認できたのは、「はまなす・長春・牡丹荊・山桝荊・荊茨」の5品である。 「はまなす」は、ハマナシ(バラ科)。 「長春」は、コウシンバラ(バラ科)。 「牡丹荊」は、トキンイバラ(バラ科)?。 「山桝荊」は、サンショウバラ(バラ科)。 「荊茨」は、サルトリイバラ(ユリ科)?。 なお、「はと荊」は、ハトヤバラ又はナニワバラ(バラ科)の可能性がある。『…

『花壇地錦抄』1牡丹

『花壇地錦抄』1牡丹 『花壇地錦抄』は、元禄八年(1695)に江戸近郊の染井の植木屋、伊藤伊兵衛(三之蒸)によって作成された園芸書である。資料として、『花壇地錦抄・草花絵前集』(平凡社東洋文庫・江戸版)、『近世歴史資料集成 第V期(第8巻)園芸【2】:『花壇地錦抄』、国立国会図書館デジタルコレクションの『花壇地錦抄』(京都版)と『花壇地錦抄前集』などを使用する。これら『花壇地錦抄』とされる書は、同じではなく違いがある。特に、国立国会図書館デジタルコレクションに公開されている『…

『花譜』の不思議

…・紫花地丁・丁子艸・牡丹イハラ・金沙羅・金罌子・野薔薇・平江帯・フシ・ホトトキス・茉莉・紫萼・ヲカカウホネ」の24種がある。「敦盛」アツモリソウ(ラン科)や「熊谷」クマガイソウ(ラン科)など、栽培の難しい植物が『花譜』に抜けたのは、益軒が栽培していなかったためだろう。 不思議なことは、現代であれば誰もが知っている植物、タンポポ(キク科)が記されていない。十七世紀には『四季草花図屏風』や『草花図屏風』などに描かれ、益軒も目にしていたと思われるが、庭に生育していなかったのだろうか…

花譜の植物名4

…と記される。 ・「草牡丹」・・・目録および本文にも仮名はない。「草牡丹」はクサボタン(キンポウゲ科)とする。 クサボタンの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)に記されていない。 花材としての初見は、『華道全書』1717年(享保二年)で「草牡丹」と記される。 ・「鉄線花」・・・目録に「テツセン」、本文に「てつせん」と仮名が振られている。「鉄線花」はテッセン(キンポウゲ科)とする。 テッセンの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『文明本節用集』(…

花譜の植物名2

…科)・総称名。 「秋牡丹」は、シュウメイギク(キンポウゲ科)。 「欝金」は、ウコン(ショウガ科)。 「通和」は、ツワブキ(キク科)。 「寒菊」は、複数種あるため同定できず不明。 「枇杷」は、ビワ(バラ科)。 「茶梅花」は、サザンカ(ツバキ科)。 「海紅花」は、(くれないのさざんわ)と振仮名がある。『牧野新日本植物図鑑』『樹木大図説』に記載無し。 「水仙」は、スイセン(ヒガンバナ科)。 「千日紅」は、センニチコウ(ヒユ科)。 「三波丁子」は、『牧野新日本植物図鑑』のセンジュギク…

『花譜』の植物名

…キンポウゲ科)。 「牡丹」は、ボタン(キンポウゲ科)。 「躑躅」は、ツツジ(ツツジ科)・総称名。 「紫藤」は、フジ(マメ科)。 「華鬘」は、ケマンソウ(キンポウゲ科)。 「榲桲」は、マルメロ(バラ科)。 「鈴掛」は、コデマリ(バラ科)。 「白及」は、シラン(ラン科)。 「燕子花」は、カキツバタ(アヤメ科)。 「鳶尾」は、イチハツ(アヤメ科)。 「石南花」は、シャクナゲ(ツツジ科)。 「美人蕉」は、ヒメバショウ(バショウ科)。 「粉團花」は、テマリバナ(スイカズラ科)。 「雪柳…

十七世紀の園芸植物分類

…春・夏・秋・冬・雑・牡丹・芍薬・菊・梅・桃・櫻・躑躅と12分類している。この分類法は、水野元勝のオリジナルであろうか。『本草綱目』の分類で花材などの植物に関連しそうな区分の草部は、草部一山草類上31種・草部二山草類下39種・草部三芳草類下56種・草部四隰草類下52種・草之五隰草類下73種・草之六毒草類47種・草部七蔓草類73種附19種・草部八水草類22種・草部九石草類19種・草部十苔類一16種・草部十一雑草類9種等。穀部は一~四、菜部は一~五、果部は六類、木部六類となっている…

十六世紀の植物名について2

…ノキ科)・・・種 ・牡丹 ボタン(ボタン科)・・・種名・・・ボタンの初見→蜻蛉日記971年 ★槙 マキ・・・総称名 ★薛 マサキ(ニシキギ科)・・・種名 ・幸椿 マタタビ(サルナシ科)・・・種名・・・マタタビの初見→本草和名918年頃 ・松 マツ(マツ科)・・・総称名・・・マツの初見→古事記712年 ・茉利花 マツリカ(モクセイ科)・・・種名・・・マツリカの初見→新撰類聚往来1500年頃 ・檀 マユミ(ニシキギ科)・・・種名・・・マユミの初見→古事記712年 ★万年草 マンネ…

『蛇録』

…二十七日。日。晴。観牡丹於山田晹之園。・・・」 その他、花に関連しそうな日記として、四月「十二日。土。晴。参寮。率妻孥往鶴見花月苑。・・・」がある。また、「七月一日。火。陰。放衛。率妻孥往小石川植物苑。・・・」。八月「二十四日。日。晴。蒸暑。與子女往植物園。・・・」。などがある。 『大正九年日記』 この年の鷗外の生活パターンは、ほぼ前年と同じである。『ペリカン』を訳載、『霞亭生涯の末一年』を連載など。 花についても、四月の一回だけ。 「十一日。日。晴。櫻花皆開。・・・」 この…

明治四十一~四十四年日記

…)。半陰。・・・天竺牡丹、月見草咲きはじむ。」 次は、九月までなく。 「八日(木)。雨。始て冷を催せり。木芙蓉盛に開けり。」 十月 「八日(土)。・・・紫菀の花盛んに開けり。」 「十六日(日)。陰。午後雨。・・・天竺牡丹二度咲の盛りなり。」 十一月 「四日(金)。晴。・・・槲の實落ちはじむ・・・」 槲はブナ科のカシワではなく、スダジイのことと思われる。 「六日(日)。晴。野菊盛に開けり。・・・」 「十二日(土)。晴。・・・所々紅葉を見る。」 「十三日(日)。好天気、妻茉莉と國…

『小倉日記』の植物

…「二十日。陰。後園の牡丹始て開く。」 五月、一時東京に行ったが小倉に戻る。「十五日。午前六時三十分小倉の寓に還る。後園の牡丹散り盡して芍薬始めて開く。」 「六月一日。陰暦の端午なり。戸々幟を建つ。・・・大分に向ふ。・・・沿路麥圃多く、又櫨樹の林を見る。・・・」櫨樹は、ハゼノキ(リュウキュウハゼ)。蠟を採るために植林したものであろう。 七月には花の記述はない。八月もないが、三日の日記に俳句が詠まれ、その中に「瓜」「細胡瓜」「蓮」などの名が見える。九月には、植物に関することは何も…

『花暦』5

…になった。たとえば、牡丹をイメージさせる天竺牡丹(ダリア)は嫌っていなかったが、改良の重ねられた派手なダリアはあまり好きになれなかったようだ。事実、花畑にはチューリップやバラなどが植えられた形跡はない。彼の嗜好は、斬新な花を選んでいたのではなく、外来種であっても江戸時代に馴染んだ花への郷愁を求めていたように感じられる。 鷗外は、西洋花を積極的に入れようとは思っていなかったようだ。そのことについては、『田樂豆腐』を読むとよくわかる。この小説には、鷗外を思わせる登場人物・木村に関…