菊 の検索結果:

信鴻のガーデニング天明二年

…デ(カエデ科)。 「菊」は、総称名キク(キク科)とする。 「雰島」は、キリシマ(ツツジ科)とする。 「黄山蘭」は、キンラン(ラン科)とする。 「山椒」は、サンショウ(ミカン科)とする。 「砂参」は、総称名シャジン(キキョウ科)とする。 「忍冬」は、スイカズラ(スイカズラ科)とする。 「杉」は、スギ(スギ科)とする。 「躑躅」は、ツツジ(ツツジ科)とする。 「鳥頭」は、トリカブト(キンポウゲ科)とする。 「南天」は、ナンテン(メギ科)とする。 「藤」は、フジ(マメ科)とする。 …

信鴻のガーデニング天明元年1

…がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、23日ある。収穫の記載はない。それら日記に記された植物名は44、9種である。この年の新たな植物の種類は5種である。以下順に示す。なお、信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、3日である。 「蕣」は、アサガオ(ヒルガオ科)とする。 「菊」は、総称名キク(キク科)とする。 「雰島」は、キリシマ(ツツジ科)とする。 「杜鵑花」は、サツキ(ツツジ科)とする。 「花菖蒲」は、ハナショウブ(アヤメ科)とする。

信鴻のガーデニング安永九年1

…は、6日である。 「菊」は、総称名キク(キク科)とする。 「桜」は、総称名サクラ(バラ科)とする。 「芹」は、セリ(セリ科)とする。 「蒲公」は、タンポポ(キク科)とする。 「鳥頭」は、トリカブト(キンポウゲ科)とする。 「南天」は、ナンテン(メギ科)とする。 「唐桑」は、ハナズオウ(マメ科)とする。 「彼岸桜」は、ヒガンザクラ(バラ科)とする。 「藤」は、フジ(マメ科)とする。 「桃」は、モモ(バラ科)とする。 「娵菜」は、ヨメナ(キク科)とする。 ○三月 三月の日記には2…

★安永九年冬・十月~十二月

…過より珠成同道隣村の菊を見る(略)西門より出左太郎菊を見、四郎左衛門にて諸侯忍見物来、弥三郎ハ奥方客有門を鎖、市右衛門菊を見、稲荷にて休み、入相頃帰る 十三日○九半頃(略)雑司谷へ(略)猫また橋、大学舘裏(略)護国寺内より群集、観世音拝し裏門を出、塗中大熱閙、茗荷屋・福山二階翠簾掛り諾侯の奥方来られし様子(略)鬼子母神大に込合故横より内陣へ廻る、ハ紫千年堂へ行道大に込合行かれさる故右側の水茶屋に少休み(略)九郎僧立花を見(略)和泉屋離亭上間へ行、客大に込合(略)三辻より(略)…

★安永九年秋・七月~九月

…石にて不二・三保或ハ菊花等を蒔く、中町より広徳寺(略)戸繋いせ屋に休む、参詣賑たり、直に拝し鰻を放し(略)山下に掛り彼処へ行蕎麦を喰(略)池端通り(略)谷中観成院不動(略)暮過帰る 廿七日○九半前(略)真崎へ行んと思ひし(略)上野谷中通へかかり薬研溝江行、六弥陀わき茶屋に(略)松坂屋脇より小倉侯裏長老町、桑名侯三辻より新橘薬研溝、参詣甚淋し、長谷川町白菊へ(略)村松町より行、せい方へ(略)七半前起行、芝居前にかかる、中村ハ七段目、市村ハ浄瑠璃也、巳前松屋に在し男に逢、新材木町…

★安永八年冬・十月~十二月

…より行、首振坂宇平次菊を見、門前にてかば中菊を買ハせ直に預け、谷中門より入(略)常行堂に太師在ゆへ群集、車坂より下り浅草外繋伊勢屋に休み直に参詣(略)参詣多し、並木へ下り西福寺表門より入る(略)宝池院墓を拝し裏門より新堀浄念寺橋渡り立花表門通、竹町横丁(略)広小路植樹を見、松・八ツ手を買ハせ(略)藤やへ入る(略)植木ハ直に植木や屋敷へ持込せ(略)今日咀英蓬莱屋にて挿花会ゆへ行(略)池の端通りより穴稲荷参詣、観音拝し山内へ入る、太師群集、谷中門より出、首ふり坂にて預けし菊もたせ…

★安永八年秋・七月~九月

…穴沢を残しおもと・小菊買ひ予ハ先へ帰る(略)神明より雨降出九時帰廬 旧暦の七月はまだ暑い時期である。出かけたのは、現代の九月に入ってからである。浅草や湯島などの人出はあまり感じられず、信鴻の行動も午前(十時頃)に出て午後三時前に帰宅している。 ★八月 朔日○七少過(略)谷中通り、大円寺(略)開運大黒拝す(略)谷中門を入清水参詣、山王にて暫眺望、中町通、女坂より男坂上の伊勢屋へ(略)今日少し参詣(略)暫休み地蔵・聖廟拝す、花表左側に札を建、上野新田大炊之介義重公尊、本尊、千手観…

★安永八年夏・四月~六月

…白仙翁為朝百合・薩摩菊・姫百合求め池の端通りを帰る(略)夕風涼しく桟崎妙法寺前水茶屋にて袷を着、鄽の小団扇二つ買、暮過帰廬 九日○八半より一ツ目弁天に此程金兵衛安置せし金昆羅参詣(略)不動前(略)本郷通り湯島(略)昌平橋(略)旭山茶屋(略)柳原通り両国見晴し水茶屋三間目に休み、直に丸屋(略)一ツ目橋を渡り弁天へ(略)堂上の僧に金毘羅安置の所を尋ね(略)拝し丸屋へ(略)金毘羅開扉せしやと尋ぬ(略)拝す(略)廻向院へ(略)金魚買ハせ帰る、両国(略)新橋(略)長者町、御成小路へ出、…

信鴻のガーデニング安永八年1

…ギの3種である。 「菊」は、総称名キク(キク科)とする。 「擬法珠」は、ギボウシ(ユリ科)とする。 「杜鵑花」は、サツキ(ツツジ科)とする。 「下野花」は、シモツケ(バラ科)とする。 「菖貰」は、セキショウ(ショウブ科)とする。 「千両」は、センリョウ(センリョウ科)とする。 「蘇鉄」は、ソテツ(ソテツ科)とする。 「橘」は、タチバナ(ミカン科)とする。 「劉寄奴」は、ヒキヨモギ(ゴマノハグサ科)とする。 「未央楊」は、ビヨウヤナギ(オトギリソウ科)とする。 「筍」は、マダケ…

信鴻のガーデニング安永七年1

…ラン科)とする。 「菊」は、総称名キク(キク科)とする。 「赤南木」は、シャクナゲ(ツツジ科)と推測するが確信はない。 「石竹」は、セキチク(ナデシコ科)とする。 「茶蘭」はチャラン(センリョウ科)とする。 「荵摺草」は、ネジバナ(ラン科)とする。 「姫百合」は、ヒメユリ(ユリ科)とする。 「風蘭」は、フウラン(ラン科)とする。 「筍」は、マダケ(イネ科)とする。 「箭竹」は、ヤダケ(イネ科)とする。 ○六月 六月の日記には10日間に植物名の記載がある。ガーデニング作業と思わ…

信鴻のガーデニング安永六年1

…9日ある。収穫の記載は、3日に減っている。それに対して、ガーデニング作業と思われる記述は12日ある。それらの中から、記された植物名は13あり10種である。新たな植物の種類は5種である。以下順に示す。また、信鴻が六義園に移って初めて記す種は、シダレヤナギの1種である。 「菊」は、総称名キク(キク科)とする。 「紫蘇」は、シソ(シソ科)とする。 「垂柳」は、シダレヤナギ(ヤナギ科)とする。 「石竹」は、セキチク(ナデシコ科)とする。 「木犀」は、総称名モクセイ(モクセイ)とする。

★安永七年十一月~十二月

…伝通院内より例の通、菊堂方へ(略)牛込門より御厩谷・平河二丁メより獣店、珠成等狼・猪・鹿・狐・河獺等を見(略)紀侯門(略)赤坂門より河岸、田町二丁日、氷川脇、南部坂(略)市兵衛町(略)六本木西門八半頃暗く(略)皆雨具なく手傘徒跣に(略)長井町(略)稲荷前中川(略)猿屋へ案内に遣し直に行、酒を呑、湯豆腐等(略)通町より帰る 十七日○九半前(略)浅草の市へ(略)谷中通(略)車坂より出、広徳寺前去年程の込合也(略)御堂前より熱閙、大神宮門より甚込合直に観音参詣(略)込合中を奥山へ出…

★安永七年八月~十月

…帰廬 十九日○亀戸へ菊見(略)四半前(略)土物店より行、本郷六丁目(略)湯島聖廟拝し男坂上伊せ屋(略)中坂より下り昌平橋(略)筋違外(略)小楼船あつらへ(略)柳橋(略)一ツ目橋際(略)四ツ目にて船留め(略)八過頃亀戸橋(略)鳥居西側端の茶屋(略)聖廟左側別当の路次(略)四方氈敷、三方皆竹筒へ大菊生け、見物四五十人有うちに雹松原と銘ある筒咲白菊珍らしき菊に見ゆ、直に聖廟拝し(略)船二乗夕餉(略)亀戸(略)常仙(略)船宿より挑灯つけ妻乞坂(略)五ツ少し前帰廬 廿一日○九半頃(略)…

★安永六年十月~十二月

…)阿部勢州内称の里の菊を見る、花壇三間計(略)与楽寺前より日暮し青雲寺(略)感応寺中より谷中門江入り車坂(略)寺町称念寺にて此比下野天拝の弥陀開帳の由参詣(略)三河屋に休む(略)塗中甚賑か也、直に浅草参詣(略)花川戸より並木本道(略)駒形堂観音を拝し(略)七過起行田摩町横町(略)山下(略)広小路(略)清水へ参詣(略)弁天(略)谷中門(略)六過帰廬 十二日○今日芭蕉忌(略)四半比より両国芭蕉翁開帳(略)谷中通り(略)池端にて九の鐘聞ゆ、弁天参詣(略)竹町へ出御徒士町、三絃講、萱…

★安永五年七月~十二月

…路をとり風神門にて夏菊買ふ、日出甚あつし、車坂下にて五の鐘聞へ五半頃帰廬 この年の七月は、「朔日田らしい。今朝も冷気」「二日 今朝綿入」「六日 今朝又冷気」と涼しかったようだ。そのためか、信鴻の出歩きも少なく、江戸の町も人出は少なかったのではなかろうか。それでも、『武江年表』には「七月朔日より、永代寺飛来八幡宮開帳」が記されている。また、市村座の「菅原伝授手習鑑」が大入りであった。信鴻は翌月観劇している。 ★八月 三日○五前より油島参詣(略)法住寺前にて五の鐘聞ゆ、笠守参詣土…

信鴻のガーデニング安永五年2

…不明。また、「あさみ菊」については、アサミコギク(キク科)があるものの確証はない。 「薄」は、ススキ(イネ科)とする。 ○十月 十月の植物名を記載した日は8日であるものの、ガーデニング作業と思われる記述は13日ある。収穫物の大半はハツタケで、収穫した日は7日ある。それらの中から、記された植物名は14、8種ある。新たな植物の種類はスイセン1種である。また、信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。 「水仙」はスイセン(ヒガンバナ科)とする。 ○十一月 十一月の植物名を記載した日は…

平穏な安永四年六月~閏十二月

…、例の茶屋に休み、小菊求め(略)又女坂より中町通り上野へ入、御宮わきにて九の鐘聞ゆ、谷中口よりかへる(略)又不二裏より九過帰廬 信鴻の九月は、5回も出かけたが町中の注目する動向の記述は少ない。『武江年表』に記された話題は、以下の通りである。「○投壷の技行る」もあるが、詳細はわからない。 ○九月朔日より、音羽町九丁目田中八幡宮開帳 ○同日より卅日迄、飯田町世継稲荷、天満宮開帳 ○ 九月十九日より牛込赤城明神開帳 ★十月 十一日○七少前より菊見(略)庄八庭を見、和泉境より出、四郎…

安永五年一月~六月の楽しみ

…れあり、模様劍先嘉房菊、これは本町壹丁目奈良屋の隠居が仇名なり、其好みにて出来たる菊の小紋なり○夏より境町楽屋新道に女の力持でる、もとは大根畠の娼妓なりとぞ、力婦伝と云う草紙出る」との記述がある。 ★六月 六日○七半より(略)谷中へかかる、富士幟竿猶在、上野山内より宝光堂参詣、下向小蛇を跨く、黒門内道を作る、梅木に休む(略)薄暮起行、池端通り護国院角にて六の鐘闘ゆ、彼処より挑燈付る、酒井館にて六半拍子木聞ゆ、鷹部や脇にて鷹数本居え行逢ふ、六半過帰廬 十五日○山王祭礼に就、お永…

信鴻のガーデニング安永四年2

…「畑の芋」と「あたみ菊」がある。「畑の芋」は、ヤマノイモとは異なるようだが、サトイモやサツマイモとも異なるような気がするので、判断つかない。「あたみ菊」は、キクの品種らしいが詳細は不明。 ○十一月 十月の植物名を記載した日は9日であるものの、ガーデニング作業と思われる記述は21日ある。それらの中から、記された植物名は14あり、新たな植物の種類はない。 ○十二月 十二月の植物名を記載した日は11日であるものの、ガーデニング作業と思われる記述は9日ある。い。収穫物は「蕗臺」などで…

信鴻のガーデニング安永四年1

…の可能性もある。 「菊苗」は、総称名キク(キク科)とする。 「九輪草」は、クリンソウ(サクラソウ科)とする。 「杉葉」は、スギ(スギ科)とする。 「五加」は、ウコギ(ウコギ科)とする。 「山淑」は、サクショウ()とする。 「武蔵あふみ」は、ムサシアブミ(サトイモ科)とする。なお、『牧野新日本植物図鑑』によれば、「関西から西の海に近い地方の林内にはえる多年性草本」とあり、テンナンショウ属のマムシグサなどの植物ではなかろうか。 「くこ」は、クコ(ナス科)とする。 「雰嶋」は、キリ…

信鴻のガーデニング安永三年2

…ある。先月に引続き「菊」が多く記されている。新たな植物は以下の2種である。 「柊」は、ヒイラギ(モクセイ科)とする。 「柑」は、ミカン(ミカン科)とする。「柑」は「柑鉢うへ」から食べ物ではないと判断する。 以上、十月の日記に登場する植物は、キク・ススキ・ヒイラギ・マツ・ミカン・カエデの6種である。なお、植物名に不安があるのは、「あさみ菊」で、アザミとキクではないと思える。では、どのようなキクであるか、『花壇地錦抄』などから探ってみたがわからない。 ○十一月は、植物に関する記載…

信鴻のガーデニング安永三年1

…とウコギとする。 「菊」は、キク(キク科)とする。 「皀角」は、サイカチ(マメ科)とする。 「雰島」は、キリシマ(ツツジ科)とする。 「自然薯」は、ヤマノイモ(ヤマノイモ科)とする。 「えひね」は、エビネ(ラン科)とする。なお、「銀えひね」の他、「蝦根」などの記載もある。 「三葉」は、ミツバ(セリ科)とする。 「芹」は、セリ(セリ科)とする。 「チヤンチン」は、チャンチン(センダン科)とする。 以上、三月の日記に登場する植物は、アオキ・ウコギ・ウメ・エビネ・カイドウ・カエデ・…

花壇綱目 序

…」の詩で謡っている。菊は、隠逸の景気を醸し、陶潜⑤が弄び愛好した。蓮は、花の君子と褒めたたえられて、周茂叔⑥が詩に詠んでいる。千紫万紅色とりどりに咲く花は愛さずにいられない。 このほか世の中には、様々な楽しみや遊びを好む所で、気晴らしをしている。そうではあるが、琴を奏で詩を吟じ酒を嗜む。この三つで、琴は在野の身には相応しくない、詩は詠む才能がなく恥ずかしい、酒は限度があるものの好きなだけに飲みすぎ乱れてしまう。好色と美食は、とりわけ害多く身を滅ぼす。豪邸や華美な服薫香も身分不…

花壇綱目

…、中国では、本草書や菊や牡丹などの専門書は『花壇綱目』以前にも刊行されていたが、総合的なガーデニング技術書は作成されていなかった。中国の王路による『花史左編』(1618年)は、栽培法にも触れているが技術書より文学書の色彩が強い。陳淏子(陳淏)の『花鏡(秘伝花鏡)』(1688年)は,『花壇綱目』より20年遅れている。 『花壇綱目』がどれほど人気があったかは、寛文四年(1664)に水野元勝によって作成されて以降、延宝九年(1681)、元禄四年(1691)、享保元年(1716)と三…

★祭礼と菊見を楽しむ、安永三年の九月十月

…しみ 36 ★祭礼と菊見を楽しむ・安永三年の九月十月 九月、幕府は物価の下落を図るため、鋳銭座での鋳造を停止、真鍮銭も半減させた。江戸市中への影響がどの程度あったか、庶民の生活はさほど変化があったとは感じられない。たとえば、『武江年表』によれば「○九月朔日より、市ヶ谷八幡宮内茶の木稲荷開帳」「○九月廿日、眞土山聖天宮祭礼、産子の町より出し練物を出す」「○九月廿一日、小石川白山権現祭礼」と、楽しみは続いている。翌月のイベントとして、深川八幡の勧進相撲がある。また、「○大川橋始て…

柳沢信鴻のガーデニング1773年の植物

…・ひよく」「花かみ・菊川」「豊後二・未開紅・和泉紅・式部紅・飛入紅」「寒紅梅」「真紅梅」「節分梅」「大垂小垂梅」「東橡梅」「白梅」などがある。種類数は、以上の32に加えて、一月廿四日に「駒込より接木梅十二種来」とあるように、実際に手にした数はそれ以上であったことは間違いない。 当時のウメの種類として、『梅品』松岡玄達(宝暦十年1760年)があり、梅品の品種60種が記されている。「早梅、紅梅、照水梅、消梅、緑萼梅、黄香梅,鶴頂梅、宮城梅、玉蝶梅、杏梅、冬梅、三品梅、臥梅、重葉梅…

★雨の種類(安永二年九月・十月)

…晴 ○段兵衛ニ庭前の菊花を貰ふ○森元町より樹木の柿貰ふ○朧月坡の芝を刈 十六日 快晴 ○芝を刈 十七日 陰七半過より小雨 ○吟哦亭の芝を刈、今日ハお隆不出 十九日 雲多北風つよし ○吟哦亭の芝を刈 二十日 快晴暖夕一挙雲時雨少夜より雨蕭々 ○吟哦亭の芝を刈 二十一日 雨蕭々暖五半頃より大澍雲冥々八過止くれ前晴宵より又雨 ○義範より菊花貰ふ○秋元老侯より園中の菊花手紙にて給ふ、即答 廿二日 雲多夕かたあつく袷を着東角黒雲たな引 ○初茸廿はかり取る○太隠嶺表庭の芝を刈 廿三日 秋…

★花火(安永二年五月・六月)

…方雲散し夕照 ○上館菊を堀、清八持参、畑へ殖○松を作り雑木を裁る ○酷暑、妹背山花火あくる 十日 晴天淡暑八前雲出没南酉微雷五六勿止八過より巽より東へ幽走如十中六七八半頃止始終日色赫々 ○松をつくり雑木をきる○六半過より龍花庵へ詣、夫よりいもせ山にて花火上る 十一日 決晴烈暑 ○森衛門に夾竹桃を貰ふ○松をつくり雑木を切る 十二日 一面曇蒸暑微風自卯快晴少し暑薄し ○松を作り雑木をきる 十三日 南風雲はこひ空風はけし雲行駚し秋気色少し涼し昼より西風吹ゆへ大暑なから凌よし月清 ○…

★凧揚げ(安永二年閏三月・四月)

…畝は「黄表紙評判記『菊寿草』(天明元年)に「草双紙と凧は大人の物になつたるもおかし」と記している。 さて、信鴻は凧を「鳳巾」「風巾」と記している。「凧」は、中国では使われていない。日本で作られた国字である。鎌倉時代までは「紙鳶」と書かれ、使われるようになったのは江戸時代になってからとされている。実際、触れ等の正式な文章には「紙鳶」が使用されていたようだ。また、凧をあげる季節といえば、正月を思い浮かべるだろう。しかし、信鴻は現在の5月に集中している。正月の風物詩としての凧揚げ、…

★安永二年二月・三月

…植二を求む(花かみ・菊川) 廿五日 陰 ○交如天神へ行、梅鉢うへ六ツ求め来(豊後二・未開紅・和泉紅・式部紅・飛入紅) 廿六日 快晴大麗宵馭 ○八畳間東橡梅鉢を並ふ 廿七日 南風暖気 ○誠・せの、浅草辺へ行 ○千元浮世かゝみ・海石榴鉢置を進む ○夜莱駒出、垂桜造花を貰ふ、阿隆雛挾箱遣す 廿八日 花陰暖 廿九日 くもり寒し夕より繊雨夜更より雪屋根につもる 卅日 雨水くもり寒し ○・・・お隆も逢ひ、付きの者を定め、雛を見する 三月 朔日 雲あり 二日 雲多く冬より寒し 三日 朝快晴…