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盛んに遊ぶ四十三年

…雑したのは、四つ目の牡丹園らしく、4千人も訪れた日もあり、この牡丹園のシーズン中の入園者数は4万人以上(最大集中率を10%以下と想定)あったと推測できる。また、九月の水天宮も、信者にとって一代に二度と逢い難き戌年戌の日ということで、開門の十二時には黒山をなす人だかりであった。あまりにも多くの人々が押し寄せたため、大混乱となり重傷者9名もでるほどであった。・浅草にルナパーク開園 九月、浅草公園にルナパークが開園した。二十年近く続いた日本パノラマ館は、活動写真が始まると、見渡すだ…

二十五年頃から庶民演劇に変化が

…七月に初演された怪談牡丹灯籠も三遊亭円朝の作で、これまでとは違う流れが認められる。この年注目を集めた興行としてアームストンの大曲馬があったが、これを取り込んだ『八雲烟技芸晴能』が春木座で上演されている。また、寄席でも前年プロになったばかりの快楽亭ブラックなどの外国人が高座に上がった。話題といえば娘義太夫の竹本綾之助が、熱狂的な人気を得て当時の新聞紙上を賑わした。 ─────────────────────────────────────────────╴ 明治二十五年(189…

遊びに明治の色彩が強くなる明治十六年

…Y王子道上駒込の百色牡丹見ごろ6月 東京大学予備門、陸上運動会開催6月T戸山学校競馬場で天覧競馬開催6月Y薬師如来の縁日に痴漢出没、6人ケガ6月Y日枝神社の大祭、山鉾花山車手踊り等十数両以上の盛大、見物人山をなす7月Y馬喰町の子供相撲、八日間で2千人を超える観客7月Y川開きに吉原の芸者、大茶船で影芝居催す7月Q深川八幡宮の祭礼、久しぶりに復興/東京横浜毎日8月Y辻相撲が流行、芝や浅草まで広がり若者熱中、近所の住民は迷惑顔8月Y夕涼み客で近年にない人出8月Y今年の祭礼はどこも大…

江戸の終焉・明治七年

…賑わい、近傍の茶亭に牡丹園5月H千住駅の稲荷社祭礼にて、山車等ありて近郷までも賑わえり5月H芝栄町金地院で本尊正観世音并に駿河大岩村臨済寺の摩利支天の開帳5月E沢村座、桟敷代金を初めて円単位で表示、上等一円85銭6月H回向院開帳、貝細工・桃太郎人形・熊芸・猿軽業・力曲持・怪談人形等、70日間の賽銭6657円6月H浅草須賀神社祭礼、参詣者群集する6月H浅草寺地内及び北東中町等で9月中旬まで、夕刻から麦湯店を出す7月H回向院で嵯峨清涼寺釈迦開帳、瀬戸物細工・曲馬・活人形等、賽銭…

幕末庶民の食糧事情

…に病気が流行するが、牡丹餅を晦日までに食べればうつらないという噂が流れ、牡丹餅が大量に売れた。夏には、庭に池が作られるなどいささか趣のある蕎麦屋「松下亭」が入谷にできた。また、浅草梅園院境内に栗ぜんざいの「梅園」ができている。そして、中ノ郷業平橋の手前に、庭内に湯滝のある料理茶屋「在五庵」が開店している。 ・安政二年三月、牛込に居酒屋が始めて開店する。十月の安政大地震が起きたが、「近頃、あらづきのくろ米の菓子を紅梅焼と名付けて売る家が多いが、これは香餅と言うところを誤ったので…

ペリー来航と庶民

…り大入り客留 7月 牡丹餅を食べれば、流行病にかからぬとの噂で牡丹餅が大量に売れる 閏7 芝金杉正伝寺開帳 閏7 延びた山王権現祭礼、23日に執行 8月 牛込赤城明神境内で、百日芝居興行 8月 外神田御成道大久保熊次郎屋敷の鎮守・儀明稲荷・寶珠稲荷・子安稲荷社へ願掛け成就すると、日毎に参詣者増える 8月 八代目市川団十郎が大坂で自殺し死絵が多数つくられる 9月 芝明神社で曲馬見世物でる 10月 千駄木の邊、菊細工を見せる植木屋が六軒程出る 11月 三座芝居顔見世狂言、大火事で…

四季の行楽

…を求め、木下川薬師の牡丹(ボタン)、三囲稲荷の杜菖花(カキツバタ)、亀戸天満宮の藤(フジ)などへと訪れる人は、この時期少なくない。また、杜鵑帰(ホトトギス)は、初音の里・小石川白山の辺(文京区)など九箇所も紹介されている。が、出かけた人は、春の「鶯」と同様に風流人に限られた。 五月晴れは、梅雨のあいまに見られる貴重な晴れ間。蒸し暑い季節には、納涼、船遊山、螢狩りなどがある。船遊山は、両国より浅草川が第一で、多くの船宿があった。納涼の舟遊び、川遊びとして川開きの期間(五月二十八…

庶民の元気を示す見世物

…もの、また、玉蜀黍、牡丹の花、闘鶏、狆、荒神、周倉と關羽などは江戸向けの新作である。中でも、關羽は絢爛たる錦の戦袍をまとった、身の丈が実に二丈二尺(約6.6m)もある堂々たる作品であった。見世物場には、細工物が敷地いっぱいに配置され、見物客は場内をぐるぐる回りながら見るようになっていた。 六月末には、大体できあがったので、七月十日を初日とする挿絵入りのビラが、湯屋や髪結所に配られた。もっとも宣伝をする必要がないくらいに、巷での前評判は高まっていた。作っている最中から、人々は江…

江戸庶民の楽しみ 78

…『助六縁(ユカリノ)牡丹』大当たり(助六ナドノ衣装ニオ咎メ) 6月 吹上御所で上覧相撲 6月 回向院で下総山桑村持明院開帳 6月 堺町河岸に駝鳥(ダチョウ)の見世物が出る 8月 麻布本村氷川明神祭礼、山車練物出す 9月 市村座で『好色懺悔色葉襠』半四郎が大当たり 9月 神田明神祭礼、当年より御座独楽回し始まる 11月 河原崎座で『御影講法の鉢木』大当たり 12月 神田社の歳の市始まる ☆この年のその他の事象 1月 混浴禁止令 3月 山東京伝の洒落本が出版取締令に触れて手鎖…

★天明四年夏・三月~五月

…閑歩(略)妙喜坂より牡丹屋へ行(略)笠志方に暫休む、如貢田楽御出し賑也、平塚前迄行、無量寺裏門明たる故内に入庭より出、如来拝し門外に老嫗五はかりの児を負ひ物を請ふ故、銭を遣す、洞津侯門前に在、むすめ失せ孫を養ふ由、飴をもやる(略)西側の庄屋の橡を貸り帯を仕直す、主婆戸を明け休へき由云、此辺にて摘草、娠菜殊に多し、三葉・芹もつみ(略)前路を暮時帰る 十七日別録○同座頑要 十八日別録○同座頑要 廿三日○九時よりお隆同道浅草参詣(略)千駄木(略)日長原に倒者道者らしきうつ伏有、柳稲…

★天明四年春・一月~二月

…へ笠志を呼に遣ハし、牡丹屋前より道々草を摘行(略)光明院前つみ草多く暫爰にて休み日暮里へ行、青雲寺門前にてお隆摘草するゆへ二三人にて先へ行、此程大幟か建し翁反故塚を見る、銘ハ東江か書也(略)佐倉屋にて如例弁当、入相前起行、後の坂より道高山を行(略)余楽寺坂道を下り草を摘みく田畑より日暮帰る 十五日○九過よりお隆同道神田明神へ(略)春木町(略)聖廟参詣、松か根二階へ(略)森田屋へ(略)本郷五丁メ(略)竹町(略)浄心寺坂を下り円乗寺お七か墓を見る(略)正観音・稲荷拝し白山権現参詣…

★天明三年夏・四月~六月

…日○七過よりお隆同道牡丹花屋へ(略)妙喜坂手前に稲付大黒や平八引越在、今日一六の日ゆへうけに来る者不絶、牡丹屋半ハ散落見物あり、庭の山を廻る、笠志新宅にて休み晩鐘にて起行、暮前帰る 八日○七過より仏生会に参詣(略)表門より出る(略)富士脇材木屋河内やみせをかり襲着、吉祥寺へ行、中門にて来る人に問ヘハ灌仏済し由ゆへ引返す、常徳寺地蔵灌仏会江参詣、養源寺も同し、僧衆休息すへき由いふ、帰掛松悦方へ穴沢立より尋しに不残留守のよし由ゆへ円通寺脇植木屋へ寄植樹を見、橡側にて烟を弄し帰る …

★天明三年春・一月~三月

…(略)暮前起行(略)牡丹舖前毎度立寄し民家脇にて草をつむ、向反畝に病犬らしき物在、昨日も飛脚を噛したと聞たる故早々たち山王山より帰る この年の正月は、「如例年礼」を受け、お隆達と羽子板をするなど、いつもの年と同じように十五日に「万歳来る」となっている。また、あまり寒くなかったと見えて、悪路にめげず浅草や雑司ヶ谷などへ出かけている。そして、出かけた先で摘み草をし、その翌日には本格的に摘み草に出かけている。江戸の盛り場は、そこそこの人出があったものと推測される。 ★二月 四日○八…

★天明二年夏・四月~六月

…甚少し、吉原旭如来・牡丹餅地蔵尊等在、聖廟込合故下にて拝し、男坂右見晴しの茶屋に暫休み同朋町より三絃講(略)西福寺南の橋より西福寺南門より入り、宝池院墓を外より拝し(略)焰魔堂に(略)第六天内より両国へ出、廻向院へ行、開帳陸奥金花山弁財天・不動尊等あまた霊宝在、参詣少く四五十人はかり、本堂拝し戸繋四間めに休み(略)一つめ弁天・金毘羅参詣、裏門より入表門へ出、丸屋へ舟云つげ、丸屋向柏や貸坐敷(略)川上遊船多し(略)柳橋川口に舟を掛、楠屋蕎麦を金兵衛に与へ皆々酒を呑(略)内川通過…

★天明二年春・一月~三月

…略)坂下にて娵菜摘、牡丹屋東の民家此ほと行し家へ行、三葉芹・蒲公取(略)無量寺前後畔道にて摘草、伊勢参宮人二人甚労れし容子にて名主の宿を問ふ故、所似を尋れハ、二人乍ら鹿島辺の者にて伊勢より中橋の人中里村の十二三の長吉と云者四人連にて下向、作夜中橋に三人乍らとまりしに、今暁中里の者御秡を持逐電ゆへ中里村へ来り尋しに、吉衛門子長吉と云老ハ此辺になき由云故、西原返を尋れ共知さる由、所の者来り交語数回、上中里の方へ行、笠志方にて弁当つかひ、暮過挑灯、にて帰る 十五日○四半頃より(略)…

天明一年春・一月~三月

…植を見、動坂花屋にて牡丹・桃求させ、樹大次る故後剋堀に遣へき由穴沢約し、八半前帰盧 十日○九半頃よりお隆同道摘草に(略)和泉前通り少し先へ行、辻番より同道、御用舘より滝野川道、行々娵菜・芹を摘、未延す、滝川寺(略)弁天杜(略)谷へ下り又崖道を登り、崖上にて腰掛茶屋に休み、弁当不残つかひ酒を飲、寺を出又摘草、滝不動前東南行(略)西原源五衛門庭を見(略)酒機嫌にて(略)笠志鄽上へ(略)幕過門より帰る、帰廬暮過 十二日○四過より六本木へ(略)土物たなより白山前(略)伝通院(略)牛込…

信鴻のガーデニング天明元年1

…ジ科)とする。 「冬牡丹」は、カンボタン(ボタン科)とする。 「土筆」は、スギナ(トクサ科)とする。 「つはき」は、ツバキ(ツバキ科)とする。 「福寿草」は、フクジュソウ(キンポウゲ科)とする。 ○二月 二月の日記には22日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、19日ある。収穫の記載は18日ある。それら日記に記された植物名は28、11種である。この年の新たな植物の種類は3種である。以下順に示す。なお、信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物…

信鴻のガーデニング安永九年1

…ヤメ科)とする。 「牡丹」は、ボタン(ボタン科)とする。 「薯豫」は、ヤマノイモ(ヤマノイモ科)とする。 ○五月 五月の日記には24日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、26日ある。収穫の記載は5日ある。それら日記に記された植物名は48、18種である。この年の新たな植物の種類は8種である。以下順に示す。信鴻が六義園に移って初めて記す種は、グミとムギ総称名の2種である。また、植物を遣り取りした記録は、4日である。 植物名を決めるのに迷った記述として、…

★安永九年夏・四月~六月

…お隆同道近郊へ(略)牡丹見に當行し由、直に牡丹花屋へ行(略)牡丹真盛也、障子に穴してのそく様予ゆへこなたはかり牡丹を見、引返し帰る時玄関へ数人駆出見る者多し、今日無寺如来供養結願故参詣、如来・観音拝し(略)表門へ出、笠志茶鄽(略)蒲公を摘(略)坐舗にて弁当遣ひ休む(略)暮少前傘・合羽にて起行(略)暮少過帰廬 八日○七過よりお隆・お浅同道日暮里へ(略)表門より(略)町裏反畝より富士裏御鷹へ屋後ろ田畑村へ入、石仁王前より日暮青雲寺門へ入、舟繋松(略)佐倉屋茶屋へ行、法華寺にて踊有…

★安永九年春・一月~三月

…笠志茶屋に休み(略)牡丹花や前へ行南折、又草をつみ黄昏に成ゆへ田のあせより螢沢橋江出、暮比帰廬 十日○八少前よりお隆同道つみ草に(略)殿中辻より山王山を下り田畑堤にて娵菜を摘、中里村へ入牡丹屋前(略)無量寺前より草を摘、三町はかり西の畷前後にて芹を取、七頃笠志方へ行、笠志迎に出、彼処にて弁当つかふ(略)仮山を廻り茶鄽の口ヘ出遠望、此頃桜花・桃季・辛夷満開(略)笠志前導草を摘ながら行、無量寺前より南行、石橋を渡り洞津侯長屋の間へ出暮時帰廬 十六日○九過よりお隆同道摘草(略)西門…

★安永八年春・一月~三月

…、笠志茶鄽へ行(略)牡丹屋へ行、牡丹満開仮山上の床机に休む(略)日暮里へ行(略)樹屋へより余楽寺前より行、青雲寺門へ入見晴し腰懸に休む(略)慈照院庭へ出表門へ行抜瑞応山禅寺へ立寄一覧、桟崎石橋へ出、千駄樹樹屋へ入植木を見、動坂治衛門へ立寄少休み(略)御鷹部や裏五平次庭へ行て見、富士裏より七頃帰る 二十日○九半頃より浅草参詣(略)神明内より千駄樹根津へかかり湯島男坂下(略)与力町広徳寺前より一町下瀬戸物屋脇へ出、三河屋に休み(略)太神宮前にて草花を買ハせ直に参詣(略)仁王門下(…

★安永七年四月~閏七月

…日○九半(略)西ケ原牡丹花屋へ行、坐敷客在賑し(略)百余種有、爛漫奪目(略)無量寺へ詣(略)和泉境へ出、建部館間(略)庚申塚へ(略)雑司谷近道を習ひ、直南行四達より西折、雷盆山の北へ出、旧年通りしねりま道より御鷹へや(略)梅塚寺坂(略)茗荷や(略)護国寺参詣、開帳巳閉帳故猫股橋にかかり、西門より暮前帰る 十九日○今日お浅(娘・阿佐子)着に就板橋休へ迎ひに出(略)和泉境より竹部わき野通り、板橋一里塚(略)染井を五半(略)四半過頃飯田へ(略)豊田本陣(略)前路を帰る(略)十二三町…

★安永六年四月~九月

…前より北郊閑歩(略)牡丹花や前より左折西原権左衛門へ行(略)夫より王子道へ出六時帰る 十五日○七すき東郊閑歩(略)富士裏より出御鷹部や北林中を出東覚寺中萩を見、田畑八幡祭の笛聞え人声賑也、日暮崖上より月出を望み青雲寺左側畔中の道より帰らんと一町余り行(略)引返し例の道より暮時かへる 廿日○明六前眠醒俄に思立六半より浅草参詣(略)富士前より行彼岸故六阿弥陀参多し、谷中門(略)屏風坂門(略)御堂うちより行田原町源水前越後獅子舞ひ児輩数十人跡につき行、浅草参詣甚少し(略)堂内参詣(…

信鴻のガーデニング安永五年1

…カン科)とする。 「牡丹」は、ボタン(ボタン科)とする。 「母子草」は、ハハコグサ(キク科)とする。 「菫」は、スミレ(スミレ科)とする。 「娵菜」は、ヨメナ(キク科)とする。 「雰嶋」は、キリシマ(ツツジ科)とする。 「躑躅」は、ツツジ(ツツジ科)とする。 「桑」は、クワ(クワ科)とする。 「五加」は、ウコギ(ウコギ科)とする。 「鉄せん花」は、テッセン(キンポウゲ科)とする。 「燕子花」は、カキツバタ(アヤメ科)とする。 「薇」は、ゼンマイ(ゼンマイ科)とする。 ○四月 …

安永五年一月~六月の楽しみ

…七前(略)妙喜坂より牡丹花屋へ(略)牡丹少し開く、門前より東行(略)中里より光明山円松寺を見る(略)東白髭明神前へ出(略)青雲寺北小門(略)諏訪明神西側茶や(略)青雲寺の門既鎖す故裏を廻り帰る(略)筋野田蛙声多し、御鷹部やにて六の鐘聞へ六過かへる 廿七日○九ツ時より浅草参詣(略)富士裏より田畑へ出(略)日暮へ行、見晴し腰掛に休む(略)遊人多し、感応寺内へ入山内より車阪弘徳寺を過て(略)広小路山下手前より竹町へ(略)広小路にて鉄せん花・燕子華買しめ、中町より油島参詣(略)根津に…

花壇綱目 序

…歌にも詠まれている。牡丹は、花の王者として最も優れ、馥郁高き香りを愛し、しかも李白④は「清平調」の詩で謡っている。菊は、隠逸の景気を醸し、陶潜⑤が弄び愛好した。蓮は、花の君子と褒めたたえられて、周茂叔⑥が詩に詠んでいる。千紫万紅色とりどりに咲く花は愛さずにいられない。 このほか世の中には、様々な楽しみや遊びを好む所で、気晴らしをしている。そうではあるが、琴を奏で詩を吟じ酒を嗜む。この三つで、琴は在野の身には相応しくない、詩は詠む才能がなく恥ずかしい、酒は限度があるものの好きな…

花壇綱目

…国では、本草書や菊や牡丹などの専門書は『花壇綱目』以前にも刊行されていたが、総合的なガーデニング技術書は作成されていなかった。中国の王路による『花史左編』(1618年)は、栽培法にも触れているが技術書より文学書の色彩が強い。陳淏子(陳淏)の『花鏡(秘伝花鏡)』(1688年)は,『花壇綱目』より20年遅れている。 『花壇綱目』がどれほど人気があったかは、寛文四年(1664)に水野元勝によって作成されて以降、延宝九年(1681)、元禄四年(1691)、享保元年(1716)と三度も…

★冬の物見遊山・安永三年十一月十二月

…花屋植木二軒へ立寄、牡丹花やを見、華や仁平次植溜を見、二平次出、直に前行仁左衛門庭を見、仮山甚幽深、夫より飛鳥山手前にて左折、西原源五衛門庭を見、仮山よし、山上に小亭有て小休み、植溜を見右行、畔道を又大道へ出(梅・槇・桂樹有直を聞しむ)薪屋甚八へ新助をやり立寄ん事を申つかハす、僕出道霜鮮にて大滑ゆへ春来へき由断るゆへ帰る、二町計過て前の僕来、主人の通し申ささるを甚呵し由追つきていふゆへ、重而行へき由申遣し、暮れ前帰る」。 十二月 「七日 快晴昼より雲出没乾風烈東に洞雲満七過少…

★祭礼と菊見を楽しむ、安永三年の九月十月

…二種貰ふ(雪下風・柿牡丹)○穴沢菊三種持参」。「五日 快晴○上邸にて上野か作りたる菊貰ひ、お隆へつかハす」とキクの遣り取りをしている。 信鴻は、出かけたついでに植木屋により植物を購入したことがあったが、八日は植木を求めて出かけたようだ。「八日 快晴○九過より珠成同道にて川東に遊ふ、供(略)天気大に晴れ春の如し、谷中通り感応寺のうち根岸茶やに休み、山伏松の方を石川近きといふ故由兵衛と二人東道へかかり、此方にてハ西道を行、金杉石橋を渡右折、二十間計にて石川等追つく、正燈寺の楓を見…

放屁男と開帳

…王子へ詣つ(略)七過牡丹花屋の前の水茶やにやすむ、行時比壮の花を見んと内へ入しに、門中大名奥方の供群居、門に紫幕を打、入へからさる故直に行、帰時も未かへらされハ無程帰るへけれハとて、四半時計那処に待つ、半下女唄うたひ左右二三町の間を歩く故いまたかへらさるを知る、供にとへハ洞津侯西台のよし、無程かしこを去り暮前帰る。 ○七比より、お隆、染井の花や・西原・飛鳥山遊行、供小枝・五味・上田・上村・庄左街門・文右衛門・折衛門・宗治・森右衛門・幾浦・喬松院・袖岡・住・八百・谷・苓・筆・石…