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『尺素往来』に記された植物その2

茶花 37 茶花の種類その34 『尺素往来』に記された植物その2 ・「夏花者」 「岩藤」は、マメ科ニワフジとする。 「卯花」は、アジサイ科ウツギとする。 「停春」は、バラ科コウシンバラとする。 「芍薬」は、ボタン科シャクヤクとする。 「薔薇」は、総称名としてバラ科バラとする。 「防葵花」は、アジサイ科アジサイとする。 「下野花」は、バラ科シモツケとする。 「萱草」は、総称名としてカンゾウとする。 「蜀葵」は、『植栽史』では「蜀葵(からあふひ)」として「フユアオイ」とある。「蜀…

『尺素往来』に記された植物その1

茶花 36 茶花の種類その33 『尺素往来』に記された植物その1 次に、『山科家礼記』と同時期に書かれた『尺素往来』にも多くの植物名が記されている。『尺素往来』には、「前栽植物」(庭に植えられた植物名)があげられている。植物は、庭に限定されているものの、十五世紀に使用された植物であることは確かである。そこで、『山科家礼記』と対照させてみたい。なお、『尺素往来』は、室町時代後期に一条兼良によって編纂されたと言われている。具体的には、『群書類従 第九輯』「群書類従巻百四十一」(続…

『山科家礼記』に登場する植物・その2

茶花 35 茶花の種類その32 『山科家礼記』に登場する植物・その2 『山科家礼記』に登場する植物の種類を現代名と当時の名称を示すと以下のようになる。 ・アヤメ(アヤメ科)は、延徳四年1492四月十八日に「シヤウヒ」「アヤメ」とある。 ・イタドリ(タデ科)は、延徳三年1491八月廿四日に「せウイタトリノミ」とある。 ・イチハツ(アヤメ科)は、延徳四年1492四月十八日に「イチハツ」とある。 ・イワナシ(ツツジ科)は、延徳三年1491二月廿四日に「イワナシ」とある。 ・ウツボグ…

『山科家礼記』に登場する植物・その1

茶花 34 茶花の種類その31 『山科家礼記』に登場する植物・その1 『華道古書集成』をもとに、花材に使用される植物を十八世紀後半まで見てきた。そこで、『仙伝抄』を初めとする花道書全体で、花材の種類がどのように増えたかを整理したい。ただ、『仙伝抄』が成立する以前にも花が活けられていたことは確かで、その当時の花材となった植物についても把握しておく必要がある。そのような資料として、応永年間(十九年1412年)から記されている『山科家礼記』がある。『山科家礼記』は、山科家の家司大沢…

華道書(花伝書)の花材と茶花その9

茶花 29 茶花の種類その26 華道書(花伝書)の花材と茶花その9 『挿花千筋の麓』 前後2巻から成る『挿花千筋の麓』は、入江玉蟾の著作で、明和五年(1768)に刊行されている。花材のリストと共に後巻に図が示され、花材名も記されている。この書は、「挿花」とあるように茶席の花を考慮しているので、検討することにした。記されている花材を数えると110ほどあり、現代名で示せたのはそのうち100種である。 花材名についての解説で、「金せん花同名両種心得ちがいの事」という項目に、「金銭花…

十八世紀後半の茶花その3

茶花 27 茶花の種類その24 十八世紀後半の茶花その3 十八世紀後半の茶会記は、『茶会記の研究』によれば33程あるが、まとまったものとして見ることができたのは、「川上不白利休二百回忌茶会記」「酒井宗雅茶会記」程度である。この茶会記に記された茶花の記載された茶会記は、254会と十八世紀後半以前に比べかなり少ない。それでも、十八世紀後半の茶花を探る資料としては、十分参考になると判断した。 十八世紀後半の二つの茶会記から記された茶花は、83種である。十八世紀前半に比べて、茶花のわ…

十八世紀後半の茶花その2

茶花 26 茶花の種類その23 十八世紀後半の茶花その2 十八世紀後半の茶会記として、『茶会記の研究』によれば、播磨姫路藩第二代藩主・酒井宗雅(忠以)によって記された「酒井宗雅茶会記」がある。茶会は、江戸と姫路で217会催されたとされている。そこで、『酒井宗雅茶会記』(粟田添星)から、茶花が活けられた茶会を調べると129会あり、その中には花の名がでてこない茶会記が2会あり、したがって私が検討したのは127会となる。 登場する茶花の種類は46種、最も多いのはスイセン12%、つい…

十八世紀後半の茶花その1

茶花 25 茶花の種類その22 十八世紀後半の茶花その1 十八世紀前半までの茶会記を見てきて、十八世紀後半の茶会記でも、茶花の種類は大きくは変わらないだろう。使用される茶花の使用頻度は、同じような順になるだろうと思っていた。そのため、これ以上先に進めて、茶会記を見ることにあまり気乗りがしなかった。しかし、華道古書の花材を調べている中で、やはり十八世紀後半の茶花の調査を無視することができなくなった。 『茶会記の研究』によれば、十八世紀後半の茶会記は、33程存在することが記されて…

華道書(花伝書)の花材と茶花その6

茶花 23 茶花の種類その20 華道書(花伝書)の花材と茶花その6 『立花便覧』 『立花便覧』は、『華道古書集成』第二巻の『立華時勢粧』に次ぐ花伝書で、元禄八年(1695)に刊行されている。著者は、「立花便覧序」を書いた松領山であろうが、どのような人物であるかはわからない。 記されている花材を数えると145種ほどあり、現代名で示せたのはその内124種である。花材を現代名に該当させるにあたって、次のような疑問点のあったことを記す。「樫木」は、植物名をカシとしたが、堅い木、カシ類…

華道書(花伝書)の花材と茶花その5

茶花 22 茶花の種類その19 華道書(花伝書)の花材と茶花その5 『立華指南』 『立華指南』は、『抛入花伝書』に続いて『華道古書集成』第一巻に綴られたものである。貞享五年(1688)に刊行されたもので、著者は不明である。「頭書立華指南に就て」には「本所以後の花書にして本書に記載せる所を引用せるも多し」とある。これまでの華道古書と異なる点は、立華図にその解説が記されていることである。さらに、「花をならべらし少は畫工のあやまりもあらんか」「りんだうとみえず絵師のあやまりにや」な…

華道書(花伝書)の花材と茶花その4

茶花 21 茶花の種類その18 華道書(花伝書)の花材と茶花その4 『抛入花伝書』 『抛入花伝書』は、『立花正道集』とは年号では異なるものの、西暦では同年の貞享一年(1684)に刊行された花伝書である。本書は、貞享元年(1681)、中川茂兵衛蔵板と書かれ、十七世紀後半に成立したとある。著者は、十一屋太右衛門とされているが、確証はないようだ。書は三巻に分かれ、抛入花の成立から花材の説明に及んでいる。『抛入花伝書』の植物は、当時の花材すべてを記しているとは言えないが、かなりの部分…

華道書(花伝書)の花材と茶花その2

茶花 19 茶花の種類その16 華道書(花伝書)の花材と茶花その2 『百瓶華序』 『百瓶華序』は、『池坊専應口傳』に続いて『華道古書集成』に綴られたものである。タイトルの通り、慶長四年十月十六日に催された「百瓶華会」の序文で、慶長五年に書かれたものである。当時の花材を知る上で参考になるものと考え、調べることにした。なお、全文漢字であるため、正確に判読することが出来ず、以下に示す植物名には確定できないものがいくつかあることをお断りしておく。 『百瓶華序』には60種ほどの植物が記…

十八世紀前半の茶花その3

茶花 17 茶花の種類その14 十八世紀前半の茶花その3 華道と茶花 十八世紀に入り花卉園芸が盛んになったことを述べたが、立花(生花)はそれよりもう少し早く隆盛を迎えていた。立花(生花)と茶花の関係は、無論無関係ということはなく、互いに影響を与えていたと思われる。 これまで、茶花と立花(生花)との関係について触れてこなかった。その大きな理由は、華道(立花・生花)の成立から発展までの過程が複雑なため、その中で茶花をどのように位置づけるか定められなかったからである。まず、生花(現…

十八世紀前半の茶花その2

茶花 16 茶花の種類その13 十八世紀前半の茶花その2 「槐記茶会記」は『槐記』の中に記された茶会記である。『槐記』は、近衛家煕の侍医である山科道安が家煕の言行を集め、日記として綴ったものである。家熙は、後水尾上皇の孫にあたり、学識に秀でた当時を代表する教養人であった。その様々な芸道や知識を随時集録し、『槐下與聞』と題したものが『槐記』である。その中には、茶道や華道の奥深い洞察が記されており、当時の様相を伝えている。そこで注目したのが茶会であり、そこに登場する茶花についてで…

十八世紀前半の茶花その1

茶花 15 茶花の種類その12 十八世紀前半の茶花その1 十八世紀にはいると、花卉への関心はさらに高まり、園芸書が数多く刊行された。茶人がそれらの図書をどのくらい参考にしたかはわからないが、茶花の選定に少なからず影響を与えたものと思われる。茶花の種類が増えたのは、以前にも増して植物の情報が社会に浸透する十八世紀以降だろうと考えられる。そこで、十八世紀前半の茶会記から茶花の種類を探ることにした。 『茶会記の研究』の十八世紀前半の茶会記として、『伊達綱村茶会記』(十八世紀前半の茶…

十七世紀後半の茶花・その2

茶花 14 茶花の種類その11 十七世紀後半の茶花・その2 『茶会記の研究』(谷晃)をもとに、茶花の記載がまとまって登場しそうな十七世紀後半の茶会記を示すと、「三菩提院御記茶会記(149)」、「反古庵茶会(126)」、「仙叟会記(144)」などがあげられる。その他については、他の茶会記と重複したり、そもそも茶会数が少なく、茶花のある茶会はさらに少ないことから、個別に検討しても有為な結果は得られないと判断した。 たとえば、十七世紀後半の茶会記として、当時を代表する茶人、金森宗和…

十七世紀後半の茶花・その1

茶花 13 茶花の種類その10 十七世紀後半の茶花・その1 十七世紀後半、茶会は以前にも増して催されていたと思われるが、まとまった茶会記は少ないようである。『茶会記の研究』(谷晃)を見ると、茶花が二百以上登場しそうな茶会記は『伊達綱村茶会記』以外認められない。 そこでまず、『伊達綱村茶会記』を見ることにした。『伊達綱村茶会記』(酒井厳)は、仙台藩第四代藩主・伊達綱村の千三百余の茶会を記したものである。茶会記は、元禄六年(1693)から宝永二年(1705)までの茶会が16巻にわ…

茶花 十七世紀前半の茶花の捕捉

茶花 12 茶花の種類その9 十七世紀前半の茶花の捕捉 十七世紀前半の茶会記には、『小堀遠州茶会記集成』『古田織部茶書』に加えて『徳川実紀』に456会、『隔蓂記』261会、『江岑宗左茶書』648会、「有楽亭茶湯日記」97会などの茶会記が存在することが『茶会記の研究』(谷晃)に示されている。 『徳川実紀』(新訂増補『國史大系』38~52より)には456会の茶会があると『茶会記の研究』に記されている。そこで、慶長十年(1605)から慶安三年(1650)までを見ると、180程の茶会…

十六世紀後半の茶花の捕捉

茶花 11 茶花の種類その8 十六世紀後半の茶花の捕捉 十六世紀後半の茶会を記した茶会記について、これまで示したものの他にも茶花を記した茶会記があるかを調べてみた。『茶会記の研究』(谷晃)よれば、十六世紀には「松屋会記(856)(数字は記された茶会数)」「天王寺屋会記・自会記(1500)」「天王寺屋会記・他会記(1292)」「今井宗久茶湯日記抜書(84)」などの茶会記以外にも10以上の茶会記が記されている。 その中でこれまで触れなかった茶会記の中で、茶花を統計的に検討できそう…

『古田織部正殿聞書』の茶花

茶花 10 茶花の種類その7 『古田織部正殿聞書』の茶花 『古田織部正殿聞書 古織公聞書巻之二 聞書五』に記されている茶花について、その初見を示すと以下のようになる。資料としては、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)をもとに示す。 ・辛夷=コブシの初見、続詞花和歌集1165年頃。 ・茶山花(山茶花)=サザンカの初見、日葡辞書1603~4年 ・椿=ツバキの初見、古事記712年 ・五月躑(つつじ)=ツツジの初見、万葉集785年前 ・木瓜=ボケの初見、本草和名918年頃 ・木犀…

十七世紀前半の茶花・古田織部正殿聞書の検討

茶花 9 茶花の種類その6 十七世紀前半の茶花・古田織部正殿聞書の検討 十七世紀(慶長年間)に入ると、茶花の種類は少しずつ豊かになり60種を超えた。最も使用された植物が、ツバキとウメという事実に変わりはないが、その次の植物としてスイセンが多用されるようになり、逆に減ったのがキクである。この傾向についてはデータ数が少ないので、さらにデータを増やして検討する必要があるだろう。それでも、茶花の種類が変化していったことは確かで、フクジュソウ、オモダカ、サワギキョウ、タンポポ、エビネな…

江戸時代の椿 その22

…る。 「椿並に山茶花さしきの方 方地ば西北の方を遮り隔て東南の陽面を受たる山麓○岸塘○土蔵○築塀○屋舎などの間を去ること五六尺或は一丈許りにして西北に向ひたる片卸しの藁葺小屋を南流れに地上までも葺卸し其内にさしきの畝を設け立置きさて椿の一年物の穂に芽を五箇かけて二年物の枝をいささか付て剪口のただれざるやうに三寸許りに切放し葉一枚付て芽二箇を顕し少し斜にして芽を三箇を土中に杆入れ土の乾かざるように折々水を澆くべし、三十日許を歴て一本抜上げ見るへし、切口の皮の囲りより肉の巻上たる…

茶会記から見る椿と梅の使用

茶花 8 茶花の種類その5 茶会記から見る椿と梅の使用 十七世紀前半の茶会記から見られる茶花の傾向から見ると、新しい茶花を茶会に取り入れるより、茶花の基本はツバキとウメ、という決まりをより浸透させた時代ではなかろうか。 茶の湯の花と言えば、真っ先にツバキとウメが思い浮かぶ。そのような茶花の選択は、なにも利休が決めたのではなく、利休以前から浸透していた。宗二や当時の茶人も、茶会にはツバキやウメを活けることが当たり前のような感覚になっていた。その過程を茶会記から探ってみたい。そこ…

十六世紀後半の茶花

茶花 7 茶花の種類その4 天文年間から慶安年間までの約百年間に茶花が活けられた茶会は、一千回以上ある。それらの茶会で最も多く使用された花は、ツバキ、ウメである。次いでスイセン、キクと続く。この4種で全体の60%を占めている。特にツバキとウメが抜きんでて多く活けられ、この2種で40%を占めている。たぶん、茶会の花といえば、ツバキとウメという認識が浸透していたものと思われる。ツバキとウメが使用されたことについては別に数量的な視点から考察するとして、当時の茶会で、茶花がどのような…

慶長から明暦年間までの茶花

茶花 6 茶花の種類その3 慶長から明暦年間までの茶花 天正年間のあと、文禄年間にも新しい茶花が出現した可能性はあるが、茶会記からは見つからなかった。慶長年間に入り『松屋会記』慶長四年(1599)二月廿三日の茶会記に「白ボケ」が記されている。 ボケは、「木瓜」「ホケ」などと記載されている。 ハスは、「白れんけ」「白キ荷葉」「蓮」などと記載されている。 スゲは、「白すげ」「すけ」などと記載されている。 サザンカは、「山茶花」「さゝむ花」などと記載されている。 コブシは、「こふし…

天文・天正年間年間までの茶花

茶花 5 茶花の種類その2 天文年間までの茶花 まず最初に出現する茶花は、『天王寺屋会記』他会記・天文十八年(1549)正月九日の茶会記に記された「松」である。「松」はマツとしたが、正確を期すれば、マツにはアカマツやクロマツの他に、ゴヨウマツ、タギョウショウなどがある。以後の「松」と記されたマツは、野生種か園芸品種の詳細がわからないので、植物名はマツという表示にした。 次に、同日に活けられたウメ。ウメは、野梅・紅梅・豊後という品種とは関係なく、「白梅」や「紅梅」など花の色に従…

茶花の初見

茶花 4 茶花の種類その1 茶花の初見 「花は野にあるように」など、茶花には様々な決まりがあるように伝えられている。だがその大半は伝承によるもので、利休の没後かなり後になってから成立したような気がする。では、実際に茶花はどのように活けられていたかを知りたくて、図書館などで探してみたが、茶道の門外漢である私には見つからなかった。そこで着目したのが茶会記である。茶会記には、茶の湯で活けられた花が数多く記されている。それなのに茶花を論じる人は、『松屋会記』や『天王寺屋会記』などの茶…

古田織部茶書・宗湛日記・今井宗久茶湯日記抜書の茶花

茶花 3 古田織部茶書・宗湛日記・今井宗久茶湯日記抜書の茶花 古田織部茶書の茶花 『古田織部茶書二』(市野千鶴子)には、「織部茶会記」が掲載されている。その茶会記は、「目録」から見ると二つに分けられる。最初のグループは、『今井宗久茶湯書伐』(静嘉堂文庫所蔵本)と『宋及茶湯日記』(茶道古典全集第七・八巻)等、七つの茶会記を底本としたもの。その茶会記には、天正十一年十月十五日から慶長十九年十月廿九日までの98回が記されている。もう一つは、[古織会附](東京大学付属図書館所蔵旧南葵…

江戸時代の椿 その20

…雪面不随紅色作山茶山茶花有数種或花簇如珠或青蒂或粉紅或淡白所謂宝珠茶花海石榴茶躑躅茶花一捻紅千葉紅千葉白之類不可勝数也椿花亦然倭歌家有玉椿有白玉椿有紅椿有青椿有濱椿有山椿兵部少輔大伴家持八峯之椿発其花於詞林其後諷人韻士歴代吟賞焉故賀紫宸則鏡山之玉椿明照四海之天祝録椿洞則姑射之霊椿永待千世之春巨勢春野之霞色見之不飽音羽山岩之雲根生而有常以之敬神則勢州有椿宮社以之勤学則宋帝此木有椿誠是木部之犬年花中之巨麗者也頃歳椿花衆品佳色不一乃太平之時万物蕃多矣况況又大椿両八千之春秋以祝遠大乎…

江戸時代の椿 その19

…草綱目』参照) 諸色茶花 瑪璃茶産温州紅黄白粉為心大紅盤 実珠茶千葉攅簇殷紅若丹砂出蘇杭 焦蕚白実珠蕋似実珠蕋白九月開甚香 楊妃茶単葉花開最早桃紅色 正宮粉 賽宮粉花皆粉紅花 石榴茶中有碎花 海榴茶青蒂而小花 真珠茶淺紅色 菜榴茶有類山躑躅 躑躅茶色深紅如杜鵡 串珠茶亦粉紅 ?口茶花弁皆圓轉 莱莉茶色純白一名白菱 開久而繁亦畏寒 一捻紀白弁有紅點 照殿紅葉大而且紅 晩山茶二月方開 南山茶出慶州葉薄有毛実大如拳 泉州府志云山茶有数種花開丹葉而極大者曰日丹葉単而小者曰錢茶有類錢茶…