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日本流の自然保護

自然保護のガーデニング17 2002年(平成14年)6月30日(日曜日)毎日新聞朝刊の書評を示します。 日本流の自然保護 明治以降、西欧へでかけた日本人たちは、西欧の自然科学を驚異の眼差しを持って礼賛し、いわば盲目的に自然保護や森林の造成管理などの研究について学んできた。が、なぜ西欧で植物生態学などの学問が発達したのか、という背景には関心を持たなかった。さらに、日本より遅れている面や、劣る部分については、ほとんど見ようともしなかった。 西欧諸国の方が日本よりも自然を大切にし、…

自然を守った先人の知恵

自然保護のガーデニング16 自然を守った先人の知恵 入会利用は、村と村の争いを起こし、血なまぐさい戦いまで引き起こした。しかし、村の中での入会利用は、現代の我々が想像する以上に民主的かつ平等であった。それは、対外的には非常に厳しく対応したために、内部の権利者はしっかりと結束せざるをえず、結果的に内部の権利者たちの利用権についてはあまり差のないものとなった。また、利用規則は、「掟(おきて)」、「定(さだめ)」、「申合せ規約」などと呼ばれる「山仕法(やましほう)」によって、資源を…

人手の入らぬ土地はない

自然保護のガーデニング15 人手の入らぬ土地はない シーボルトは、「五月は、若々しい緑にもえて若いムギが丘をなした畑で希望にみちて立ち上がり、ほんの最近耕したばかりの畑を黄金の縁で飾っていた早熟のナタネは、色あせて重い茎を垂れる。勤勉な農夫は自然の繁殖力と競う。驚嘆すべき勤勉努力によって山の斜面に階段状の畑をつくりあげている。これは注意深く手入れされた庭園と同じで、外国の旅行者を驚かす千年の文化の成果である」と、『江戸参府随行記』に記している。 彼は、当時の日本の農業が西欧の…

世界一美しい江戸の自然

自然保護のガーデニング14 世界一美しい江戸の自然 幕末に訪れたスイス領事のルドルフ・リンダウは、江戸の町が数多くの公園や庭園で埋め尽くされているため、遠くから見ると無限に広がる一つの公園のような感じを受けるという見方を示した。いわく「江戸は庭園の町である」。つまり、江戸は当時、世界一の人口を抱えながら、ガーデニングを楽しむ国民性のおかげで、緑に囲まれた美しい都市を形成していたというわけだ。さらに、「広い、砂を敷いた気持ちの良い散歩道が、城を取り巻いており、文字通り水鳥が一面…

ガーデニングでつくられた自然

自然保護のガーデニング13 ガーデニングでつくられた自然 江戸は、当初から豊かな自然に恵まれていたのだろうか。家康が入国した当時は、城の東側一帯に潮のつかる低湿地が広がり、西南側に広漠とした葦原があったという記述がある。この描写には、多少、誇張があるかもしれないが、十八世紀以降に訪れた西欧人たちが目撃しているような、樹林に覆われた美しい自然環境ではなかったことはほぼ間違いないだろう。 江戸が改変したのは、家康が入国し、潮入り葦原を埋め立てて、町づくりをはじめてからのことである…

盛夏・東京オリンピックの草花

…しい。しかし、日本のガーデニング技術は世界最高であり、難問があればあるほど、それに対応する技術を世界に誇ることができる。日本の花は、「おもてなし」の主役として、様々な機会を通じ、その素晴らしさを外国の方々に感じていただく絶好の手段である。またこれをチャンスに、日本の「花」を世界にPRする機会でもある。 以前、外国人にバラ園を案内しようと提案したら、バラは自国でも見られるので、ぜひ日本の花を見てみたいと告げられた。考えてみれば確かにその通りだろう、わざわざ時間と多額の費用をかけ…

自然保護の研究を問う

自然保護のガーデニング12 2002年8月2日発行『週刊朝日』-「新書漂流29」の永江朗氏の書評を示します。 「日常的に具体的な自然に触れていない人」が圧倒的に増えてしまった日本。そのような中で 「日常的に具体的な自然に触れていない人が、自然保護を考えた場合は危険である。」 「日常的に具体的な自然に触れていない人」の自然保護の研究を問う。 自然保護の研究を問う 日本の生態学者は、植生や群落の遷移の調査は得意でも、緑化、森林造成にどのように役立てるかという視点が希薄である。オラ…

望まれる「わかりやすい自然」

自然保護のガーデニング11 望まれる「わかりやすい自然」 1993年、世界遺産に登録された白神山地のブナ林を見るために、秋田県の八森町側から入った。林道を進めど進めどなお、スギ林が続き、なかなか白神山地のブナ林に着かない。山の山頂部、尾根近くになるとそれまでのスギ林から一変、広葉樹の林に変わった。同行した友人は、「さすがに世界遺産に登録されるだけのことはある。立派な林だ」とつぶやき、「この太い木がブナか」と感嘆した。彼には申し訳なかったが、私は、それはブナではなくミズナラだと…

夏の草花

…趣が増す。 和のガーデニングとして、ナデシコの仲間であるイセナデシコを紹介したい。イセナデシコはセキチクの変種で、花びらが何本にも分かれ、細く伸び、垂れ下がるのが特徴である。今日では名前も忘れられてしまったナデシコだが、西洋種のナデシコが多い今日、江戸時代にはイセナデシコのような花が持てはやされた。花の好みは時代と共に変わるものだが、多彩な花色を持ち、幽玄の美を感じさせるイセナデシコ、鑑賞に値する植物としてもう少し注目されるようになって欲しい。 キキョウ キキョウはキキョウ科…

自然破壊を黙認した学者たち

自然保護のガーデニング10 自然保護に関心のある方には、ぜひ『天神崎』を読んでいただきたい。その『天神崎』の著者、中村豊秀氏との話で、意気投合したのは自然保護団体と学者についてである。『自然保護のガーデニング』は「自然保護団体の限界」の中で、以下のように『汚染された自然保護』を紹介している。 関心のある方には、ぜひ一読をお勧めしたい。自然保護団体としての水準をうらなうものとして、ジャ-ナリストの平澤正夫氏は著書『汚染された自然保護』(三一書房)で次の四つの原則を設定している。…

天神崎ナショナルトラストの嘘と実

自然保護のガーデニング9 天神崎ナショナルトラストの嘘と実 1974年頃から1985年頃にかけて、マスコミを賑わせた和歌山県・天神崎のナショナル・トラスト運動について、皆さんはどの程度ご存じだろうか。この運動について作家の中村豊秀氏は『天神崎』(国書刊行会)という本に著している。天神崎に住み、運動の大半を色々な角度から見聞し、取材した中村氏は、善意で始めたにもかかわらず犠牲が多く、得るものの少なかった運動の、マスコミ報道とはかけ離れた「真実」を伝えたいという思いが強かったよう…

自然保護のむずかしさ

自然保護のガーデニング8 自然保護のむずかしさ 尾瀬は日本の自然保護問題を象徴する場所である。戦前戦後にかけてのダム開発、その後の自動車道路観光開発、そして現在進みつつある過剰利用など、それぞれの時代の社会的な背景を如実に反映している。ここで、尾瀬の問題を、大きく四つに分けて見ていくことにする。 一つは、尾瀬をどのような方針をもって管理するかという基本的な問題である。 次に、尾瀬の自然環境を、適正な方向で維持管理できるか。 三番目は、過剰利用にいかに対応すべきか。 四番目は、…

初夏の草花

…がする。そこで、和のガーデニングとして薦めたい植物として、タツナミソウ、チョウジソウ、ヒメカンゾウ、さらにエビネを紹介したい。 エビネ エビネは、ラン科の多年草で、植物に関心がある人なら誰でも知っている植物である。ただ、大半は鉢植で、高価なエビネを鑑賞するというスタイルである。しかし、以下に示すエビネは、これまでの「貴重なエビネ」という概念にとらわれず、エビネの特性を活かしたより身近な植栽を提案したい。 ここで対象とするエビネは、いわゆる地エビネ (ジエビネ) やキエビネなど…

必要なのは持続的なふれあい

自然保護のガーデニング7 ・必要なのは持続的なふれあい 自然を大事にしようとか、保護しようとする気になるには、自然に自分から接しようとすることと、自然とのふれあいを持続させることが重要である。気まぐれや、他人から言われて自然と親しんだり、まして義務のように保護を強制されては、自然とのふれあいは長続きしない。そのためには、自然教育の取り組み方を、人間を主体にして、もっと身近な自然からはじめたらいいだろう。 たとえば、自然教育を子どもの「生きる力」を育むために行い、小動物を積極的…

混乱している自然とのふれあい

自然保護のガーデニング6 混乱している自然とのふれあい 自然とのふれあいは、国をはじめとして学校や地域でも積極的に進めようとしている。とはいえ、都会に住む人々にとって、山や海のような自然の豊かな地域に出かけることは、月に一回もあればいいほうである。そして、せっかく自然の中に入っても、そこでの遊びは、子どもは携帯ゲーム、大人はカラオケと、都市にいる時とほとんど変わらないケースが目立つ。自然とのふれあいに積極的というのは外見だけ。このような活動形態で本当に自然を知り、楽しんだこと…

長野冬季オリンピック滑降競技場設営問題

自然保護のガーデニング5 長野冬季オリンピック滑降競技場設営問題 自然保護は開発反対運動の手段に使われることがある。場合によっては、面子を立てるために一応自然保護を訴え、保護の困難さをほのめかし、開発してしまうようなケースもある。これも、対象とする自然に対する責任を取ることのできる人がいないからで、一歩間違うと自然保護運動に水を差すようなことになる。 さて、1998年2月、長野冬季オリンピックは、志賀高原の岩菅山が自然保護の問題で候補地が変更されるという経緯もあったが、とりあ…

・都市の自然はつくりもの

自然保護のガーデニング4 都市の自然はつくりもの 「都市の自然」という表現自体、ちょつと変だと思うが、都市の自然は人間の手によって造成されたり、管理されてきたと言っても過言ではない。東京についてみれば、戦前までは江戸時代とほぼ同じような生物が生息していたと言われている。では、その自然はどのような状況下にあったかと言えば、大半の植物は人手によって植えられたもので、各家庭や会社、学校、役所などで管理されていた。自然保護とはいうものの、まったく手を触れずに残しておいたのではなく、積…

1-3 和のこだわり

…クロマツの広場は和のガーデニングの見本である。松林に沿って歩けばわかるように、クロマツは二重橋へと向う人達の心を落ち着かせる。林は単純な景観の連続であるが、それゆえ目移りせずに進むように導く。松は古代から、不浄なものを清める木として崇められており、現代の人々にも通じるものがある。 多少植物の性質を知っている人なら、皇居前広場は地下水位が高く、クロマツの生育に最適ではないことに気づくだろう。また、全国的に猛威を振るっている松くい虫による枯損、その被害を防ぐことの難しいこともわか…

・ドングリ作戦

自然保護のガーデニング3 ドングリ作戦 皆さんも聞いたことがあるかもしれないが、山に落ちているドングリを拾い、空き地に蒔き、郷土の自然の森ををつくろうという活動がある。これは、ドングリ作戦、ドングリコロジーとも言われ、誰にでもわかりやすく、簡単にできる自然の復元法であると思われている。このアイディアは、日本の植物生態学者が思いついたとされている。いくつかの場所で実施されたらしいが、実際に森ができた例は聞いていない。 ここに紹介するケースは、千葉県にある大きな工場の空き地を緑化…

日本の気候風土とガーデニング

…1 日本の気候風土とガーデニング ・七十二候にも及ぶきめ細かい変化 世界で最も細やかな日本の四季、その被類なき美しさは体験した者にしかないとわからないであろう。日本の自然は日々移り変わり、行きつ戻りつしながら、他国にはない美しさを見せている。毎年同じことを繰りかえしているいるようだが、微妙に違う。そうした日本独特の趣、自然の移ろいを再現して見ませんか。 日本には、その時節ならではの季節を感じさせる花がたくさんある。その季節は、きめ細かく七十二候(本朝七十二候)に分けられ、微妙…

マスコミ主導の自然保護

自然保護のガーデニング 2 マスコミ主導の自然保護 自然保護が人々に浸透していくのは、四日市や水俣などの公害問題がマスコミを賑わし、都市公害による被害が人々に知らされていくのとほぼ時を同じくしている。都内でも公害病認定患者が二千人を超え、その七割が気管支喘息だという(1975年)。都市では、物質的に豊かになるにつれて、健康な生活環境への関心が高まっていった。収入も増え、欲しいものは大体手に入るようになって、ようやく逆に失ったものの多さに気がついた。それは林だとかため池だとか、…

和のガーデニング はじめに

和のガーデニング はじめに 環境緑化新聞への連載を2014年12月で終了することで、これまで記した内容を整理補足し、順序立てて示す。 はじめに 「和のガーデニング」を薦めようと決意したのは、ドイツの造園家を都内の公園に案内したことによる。夕方に近づいた昭和記念公園で、彼はカメラをバックにしまい、不満そうな表情をあらわにした。朝から見学したので疲れたためかと思ったが、そうではなかった。それは、午前中に見た日比谷公園を含めて、彼が期待した日本らしさを見つけることができなかったから…

和のガーデニング・補足1

補足1 昭和記念公園は、景観のつくり方、見せ方にいくつもの問題点がある。まず、最初の見せ場とな入口のカナールは、あけぼの口から緩やかな丘を登ると、遠くに噴水などが見える。さらに進み、入場門近くになると噴水・カナールは見にくくなり、門を潜り進むと噴水・カナールの美しい姿が展開する。景観を見せる手法としては一応考えられているが、その演出効果や景観構成には問題がある。 ①最初の丘の上から景観は、見せたいと思う噴水が、奥の方に見えることは見えるがインパクトが弱い。その理由は、噴水を取…

和のガーデニング・補足2

補足2 昭和記念公園は、180ヘクタールにおよぶ日本を代表する国営公園である。この公園は私の好きな公園の一つで、一日居ても楽しく飽きない魅力がある。これが市民公園であれば、何もいうことはない。が気になるのは、「昭和記念」という時代を冠していることで、その意味を本当に考えているのだろうか。昭和の時代を代表する公園(造園)に相応しいか、評価は国内だけでなく、世界に誇れる日本の公園(造園)であるかが問われる。東京には、同じように時代を冠した造園(公園)に、明治神宮がある。明治時代は…

自然保護のガーデニング ・自然と親しむには

自然保護のガーデニング 自然保護とガーデニング、一見、関連性の薄い活動に見えるかもしれないが、根っこの部分では間違いなくつながっている。との思いから書いた「自然保護のガーデニング」(中公新書ラクレ)、刊行されてからもう10年以上も経ってしまった。世間から忘れられてしまったかと思われたが、まだ細々ではあるが生きている。そこで、その断片を紹介したい。また、本には載せることのできなかった文章も紹介したい。 最初に示す文章は、2003年に西武学園文理中学校の入学試験問題に使用された文…

和のガーデニング 16

和のガーデニング 16 十一月の花としては、イソギク・カントウヨメナ・菊類・シロバナタンポポ・スイセン・ツワブキ・ナンバンギセルなど限られる。これらの植物は大半がキク科の植物である。イソギクは、草丈30~40㎝程の多年草で、花は、茎の先端に鮮やかな黄色い小花(5~6㎜)を散房状につける。葉は長さ4~8㎝で厚く、縁に白毛があるので白く縁取られているように見える。海浜という厳しい環境に生育することから、強靱で病害虫に強く、栽培しやすい。イソギクは大きな株を形成することもあり、地下…

和のガーデニング 9

和のガーデニング 9 和のガーデニングは、日本固有の貴重種を紹介したり、そのような種を保護から増殖することまでを目指している。貴重種を鉢植にして愛玩することは昔から行なわれているが、それより地植えにして生息域を広げることを目指したい。種の減少、さらには絶滅が危惧されている植物の多くは、いわゆる乱開発によって生息環境を奪われたことが大きな要因である。すでに市街化された住宅地であっても、かつて周辺に生息した植物なら、再現させることはそんなに難しいことではない。そのような植物として…

和のガーデニング 5

和のガーデニング 5 正確な生育生態を知ろう 十二月に入ると、草花の大半は枯れ、地上から消えてしまう。地面に何も無くなると、その上を知らずに踏みつけてしまうことがある。野草の路地植えが難しい理由の一つは、いつ芽が出るかという正確な情報が少ないことである。花の咲く時期や植栽摘期は、ある程度知られているが、生育期間全体についてはあまり関心が持たれない。何種類かの植物を植えた場合、発芽時期が異なることから、先に出た植物が繁茂し、後続の芽の成長を妨げたり、開花時に他の植物が覆ったりす…

和のガーデニング 4

和のガーデニング 4 日本らしい花で『おもてなし』 十一月は、十月から続くキクのシーズン。旧暦の九月九日は重陽の節句、菊の節句とも呼ばれている。昔は宮中はもとより、庶民の間でも様々な行事が行なわれていたが、現代では少々縁遠い節句になってしまったようだ。かつてはあちこちで飾られていた菊人形、都内でも三十箇所近くもあったが、今では谷中菊まつり、文京菊まつり(写真・湯島天神)、すがも中山道菊まつり、でしか見ることができなくなった。それでも、菊花を楽しむ催しは、新宿御苑をはじめ、各地…

和のガーデニング 3

和のガーデニング 3 ・時間の芸術(生育・開花時期の違いを活かした植栽) 日本庭園と盆栽、スケールはまったく異なるものの共通する部分は多い。さらに言えば、鑑賞に求める本質は同じではないだろうか。というのは、日本庭園も盆栽も、三次元の造形に留まらない時間の芸術だからであろ。双方とも、四季の変化はもちろん、時代を超えて存続することを前提に作られている。 なかでも注目したいのは、年間を通して観賞に堪えるという事。日本人なら当前のことと思うだろうが、四季折々に植物を楽しむということは…