梅 の検索結果:

楽しみは大正を引き継いで

…る処なく彩旗掲げ燈松梅など賑かに見ゆ」。また、二日には、街中では凧揚げを見かけなくなったが、護国寺裏の空き地では子供達が盛んに「紙鳶」を飛ばしていたの見ている。 三日、岡本綺堂は歌舞伎座に出かけると、満員で補助席を出すほどの盛況ぶりだった。正月休みの賑わいは、震災後の最高であったらしく、成田詣など市外に足をのばす人も大勢いた。ちなみに、成田駅の乗降客は約2万8千人、賽銭は土間料を合わせると2万8千円、札の売行8万であった。 レジャーは正月が明けても引き続き盛ん。藪入りに合わせ…

大正時代の三大レジャー

…劇「トスカ」の初日、梅幸と幸四郎で一杯の入り 大勝館「銚子の五郎蔵」他大入御礼 真砂座「弘法大治郎」大入日延べ 帝劇「シーザー」初日から大入り7月 富士館「新馬鹿大将ボビー」他大入り日延べ8月 電気館「何が故」連日満員9月 有楽座「内部」芸術座の初日満員 電気館「宇良表」大好評 帝劇「マクベス」空前の盛観10月 常盤座の曽我廼家五九郎一座の喜劇が盛況 キリン館、天然色活動写真、連日満員 みくに座、小奈良、大入満員11月 帝劇「千本桜」他森律子で初日大入り 宮戸座「鎌倉山桜御所…

…票、三位うた沢の山田梅吉26万票、四位長唄の岡安喜三郎25万票、五位義太夫の竹本越喜美16万票と続く。また、部門別では、長唄、うた沢、義太夫、琵琶、浪花節、小唄、常磐津、清元の順。なお、二十三年前、都新聞が行った演芸投票で一位であった浪花節の鼈甲斎虎丸は約7万票と順位をだいぶ落とした。 この年まで、藪入りといえば浅草であったが、それが異変が招じた。浅草の人出は前年の半分、芝居はもちろん、映画も満員客止めが一つもなかった。小僧さんたちがどこへ行ったかというと、十五・十六日、暑さ…

大正十五年前期 娯楽の多様化が進む

…12読 本郷座「松竹梅湯島掛額」他連日売切れ御 礼 13読 本郷座、大入り祝いをかね十五・十六日に賑やかな稲荷祭り 13読 いま東京に長唄・生花・清元・琴などの女 師匠2千2百人 25読 東京に撞球場(ビリヤード)705軒、従業員1,400人 27読 人気を呼んでいる温泉遊園地、多摩川園 3月6朝 大東京「修羅八荒」満員御礼 8読 市村座「大山と家光」他満員御礼 9読 花見の取締り今年は厳重 10朝 春心地もなく寂れた浅草、正月以来客は減る一方 12永 荷風、帝国劇場で「アイ…

大正十三年後期 復興を感じさせるのは娯楽

…気 3読 帝国劇場で梅蘭芳こんども大入り 5朝 四大選手国際競技会が明治神宮競技場で開催、観衆3万人 6永 荷風、道玄坂・・帰途百軒店と称する新開 地を歩む。博覧会場内の売店を見るが如し 7朝 千代田館「ユイタバ・ラ」他連日連夜満員 10読 帝国劇場「伽羅先代萩」他連日満員 23朝 鶴見飛行場で自動車大競走会 24読 目黒競馬、最終日も賑やか 25朝 国技館大菊花園満員御礼真珠デー 27朝 三の酉、夥しい人出12月13朝 演技座大阪文楽座引越興行、連日満員 14読 本郷座「忠…

大正十三年前期 復興に追われ市内の娯楽は停滞

…したままであった。観梅列車の運行など春の行楽を誘う記事もあるにはあるが、震災前の生活を取りもどそうと必死の市民には遊びに出かける余裕などなかった。震災の恐怖やストレスは薄れても、大半の市民は、仕事に全力投球するのが精一杯という状況。それでも、二十二日に関東実業野球大会が早大球場で開催、上野の山に1万人程度の人が出かけた。また三十一日付の新聞(讀賣)には、市民の行楽を誘うかのように上野動物園で憩う人々の写真が掲載された。・四月「団体の少ない今年の花見」十五日付讀賣 サクラの開…

大正十二年前期 庶民は花見に盛り上がるが停滞

…日は「ぽかつく日曜に梅の名所大賑い」、この春久しぶりに郊外へ人が繰り出し、どこの停車場も記録破りとなったが、同紙面に芝公園の失業防止大会の記事がある。「失業防止の叫び」と題された写真には、行楽どころではない切羽詰まった市民が芝公園銅像前広場を埋めつくした。 三十一日付(東朝)「飛鳥山は露店禁止・・・飲料の定価も指定す」、伝染病防止や不良品販売防止と共に、暴利を取り締まるため「正宗四合九十五銭、同二合五十銭、ビール四十五銭、三矢、金線は二十五銭、並のサイダー二十銭以上は取っては…

大正十一年前期 不景気で不安な庶民娯楽

…日付東朝、 「暖かな梅日和」十三日付東朝 二月に入って、一月三十一日付(讀賣)「穴守の豆撒き」について予告はあったが、人出については特別多くはなかったとみえて記事にはならなかった。六日付「我に選挙権を 与えよの熱叫 盛んなりし普選デー 会衆数万に上る」と、芝公園で開かれた集会に紙面が割かれている。普選デー閉会後、民衆の大部分は会場にとどまっていた、するとアルコールの入った労働者が壇上に上がり、野次を飛ばし『これから高橋首相を訪問するが誰も従いてはならぬ』と言い捨て電車通りにで…

大正十年中期 不景気の中の庶民娯楽

…永井荷風は「天気再び梅雨の如し。」と日記(八月三日)に書いている。そのため、二十三日の両国川開きは中止。三十日午後には小雨であったが暑くないためか、「先帝祭 明治神宮賑う」と、浅草公園・両国・上野・新橋等も賑わい、近郊の海水浴場も月島海岸も水泳客で賑わった。降雨と出水で再々度の延期があった花火は、「今日の川開き お座敷ガラガラ」(三十一日付夕刊東朝)と書かれたくらいで、「川開きの鼻息 少し位の雨なら今夜決行」であったが、翌日の紙面(東朝)には川開きの賑わいや人出に関する記事を…

大正九年中期、メーデーは労働祭

…民のレジャー気運は、梅雨で落ち込んでいる以上の衰退ぶり。元気なのは、十七日付の新聞に紹介されている「市内四千の交換手、日光へ慰安旅行」のような会社あげての活動である。無法なシベリア出兵に巻き込まれてなくなった尼港殉難者大追悼会が、日比谷公園音楽堂前で催された。正しい情報が国民に伝えられていないこともあって、市民の関心は低かった。そのためか、そこにはシベリア出兵の意味がよく分からない東京府内の中学から大学等100余校の学生生徒が参加させられていた。・七月「去年の景気を夢と語る川…

大正九年前期 不景気であるが庶民は遊ぶ

…を賑わした。・三月「梅日和、人出に賑わう各公園」八日付万朝 三月、株式市場の大暴落に始まり、米や生糸相場なども下落、工場の廃業が続発、第一次世界大戦による好景気もこの頃まで。しかし、市民の行楽はまだ影響はないようで、七日の日曜には、市内や郊外も梅見の人が出た。彼岸には祭日(春季皇霊際)と日曜日が重なって、麗らかな春日和に行楽の人がどっと繰り出した。また同じ日に六十八団体が芝公園に集まって普選連合大会を行い、日比谷公園や上野公園でも集会や宣伝活動が行われていた。また、芝浦では埋…

大正八年後期、庶民の遊びは続いている

…月にも支那から名優・梅蘭芳を呼び、特等10円という驚くばかりの見物料を吹っ掛けた。ところが、観劇客は、高ければ素晴らしいものだという罠にまんまと引っ掛かり、巨額の利益を得た。これに味をしめた興行主は、九月はロシアから大歌劇団を招いて十五日間の興行。料金も特等12円・一等10円・二等7円・三等3円・四等1円と設定したので連日満員だと15万円を超える収入になる。当時、日本より遥かに物価の高かったロンドンでも最高で5円50銭程であり、ベルリンでは4円、米国ならさらに安いはず。いくら…

大正八年中期の庶民、まだ自由な感覚がある

…永 荷風、帝国劇場で梅蘭芳の楊貴妃を聴く 18読 夏祭り気分の浅草三社祭り 19読 三友館合同特別興行、馬・ダンス・独唱等連日満員 20読 大相撲夏場所、日曜日に負けぬ大人気八日目 24読 客足思わしからぬ夏場所十日目 27読 蔵前名物高工記念祭の素敵な人出6月1読 三越で江戸風俗展覧会 2朝 漁客三千名、玉川電車大繁盛 2朝 「織物問屋が率先して、雇人酷使の旧習を打破する日曜休日の実行へ」 2読 遊楽館「稲生武太夫」大好評の盛況 2芥 龍之介、弟と電気館で「呪いの家」を見る…

「熱狂的好景気」の大正八年前期の庶民娯楽

…がりの九日、水戸の観梅列車は振るわなかったが市内の日比谷・芝・上野公園にはかなり人出があり、浅草は押すな押すなの騒ぎ。十七日付「梅の日曜」の記事(讀賣)には、市川付近の国府台や中山、花月園や穴守などへと、行楽の人がさらに増加している様子を伝えている。 我が国初の試み、畜産工芸博覧会は、上野不忍池畔で三月十八日から五月末日まで催された。ハンブルグ門を真似た正門の会場には大仕掛けの牧場や十万点以上の畜産工芸品が展示された。牧場は二つに分かれ、左手に牛馬、右手に綿羊、背後には牧場の…

盛り上がりが続く大正七年前期の東京庶民

…・二月「きのう日曜の梅日和 各所の賑い」二十五日付讀賣 三日は節分会。浅草観音では十俵もの豆をまいて好景気。亀戸天神では赤鬼青鬼の問答で大いに笑わせた。豊川稲荷では河合武雄や釈迦ヶ獄、常ノ花の年男が人気を呼び、各地とも大いに賑わった。四日の初午、羽田穴守稲荷は早朝から参詣者がことに多く、境内では曽我の家の奉納芝居、里神楽などが演じられ、沿道の飲食店は大層な繁盛。その他、赤坂豊川・王子・笠守・鉄砲州などの各稲荷も参詣者が引きも切らず賑わいを極めた。 十一日、「憲法発布三十年祝賀…

遷都五十年に浮かれる大正六年前半

…がしい状態。郊外へは梅見客(観梅回遊切符1500枚売れる)がどっと繰り出し、それに伴い市内の電車は増発896台、乗車人員は67.7万人との記事(東朝)。この年の二月は比較的暖かであったのだろうか、森鴎外は、二十四日に娘の類と銀座に出かけ、「日比谷公園に憩う」と。翌日も「妻、茉莉、杏奴及類遊浅草」とある。・三月「行楽の中心は奠都博」十八日付讀賣 十五日から東京奠都奉祝博覧会開催。これは江戸奠都50周年を祝い、上野不忍池畔で約三カ月に渡って催されたもの。呼び物は、京都三条大橋を始…

戦争景気に踊らされる大正五年後半

…凝らしている。帝劇は梅幸と松之助の「實盛物語」他。歌舞伎座は羽左衛門の三役早変わり「牡丹灯籠」他。市村座は「国定忠治」。明治座は「横櫛お富」。映画は電気館の「百万弗の秘密」、これはチャップリン主演で大好評。続編が次々につくられ十七日封切りが続十三・十四編、二十七日から続十五・十六・十七編と上映された。 十五日は藪入り、休みをもらってた小僧さんたちは、絵看板が立ち並び、人寄せの音楽と呼び声が入り交じる中、氷サイダー、豆のアイスクリーム、パイナップルの切り売りなど流行りの食べ物に…

レジャー気運が高まる大正四年前半

…後に、少々早いが蒲田梅屋敷の様子をのぞきに、さらに川崎大師へと洒落込む者が多かった。 この年、連鎖劇というものが流行り出した。これには、演劇が主体で舞台で演ずることのできない部分を映画で見せるものと、もう一つ、映画の途中で演劇や踊り等をはさむものとがある。本郷座では演劇が中心で、筋書きを読まなくても見ていてわかるために、誠に重宝な手法であるとの評がある。浅草三友館では映画を主とし、「忠臣蔵」では、映画の合間に尾上松之助一派女優団が実演するという連鎖劇になっている。・三月「随所…

東京大正博覧会で賑わいを取り戻す大正三年前半

…ーは活発に 六月、梅雨に入り外出がおっくうになりがちだが、相撲や開帳などに人出がある。新聞では博覧会の盛況を伝えるが、市民の博覧会熱はとうに冷めていた。博覧会へ誘うイベントは、蛍狩りなど連日のように新聞に載せられている。しかし、入場者数は天候に左右され、晴れないとなかなか出かける気にはならない。 そんな中、森鴎外は、二十日小雨の中、娘の茉莉を連れて博覧会に出かけ精養軒で食事をした。 ──────────────────────────────────────────────…

大正二年は不景気、でも娯楽はそれなりに

…日付東朝)他 蒲田の梅屋敷の入園料が5銭だとか、越谷にすばらしい樹があるとか、ウメの便りが頻繁になっている。彼岸には六阿弥陀詣でにぎわう亀戸が紹介される中、二十日付で、百花園が売却されるという記事がある。百花園は明治年間に洪水のために何度も復旧工事を余儀なくされたが、そのために莫大な借金が残ってしまった。江戸時代からの茶代や今土焼などの販売だけでの経営では行き詰まった。それで、年頭から大人5銭・小人3銭の入園料を徴収するようになったが、それでも効果がなく、このような話がささや…

大衆レジャーが本格的になる四十五年

…が見られた。初午や観梅など、三月も引き続き大衆のレジャーは盛んで、陸軍記念日の余興に九段偕行社で行われた相撲には約3万人の見物があった。彼岸時には、一足早いヒガンザクラの上野や浅草観音などの盛り場に行く人々で、大賑わいだった。四月は、上野や飛鳥山などが花見で、何時もにましてに賑わい、水ゆるむ東京湾に大勢の潮干狩り客、ツツジ、ボタン、フジと花の便りに誘われて、人々はあちこちと出歩いた。 東京湾の潮干狩りは、非常に賑わい、市民レジャーに定着した。船を使うと少々高いが、大伝馬船を借…

盛んに遊ぶ四十三年

…末から亀戸天神、江東梅園、吉兵衛梅園、次郎梅園などのウメの便りを皮切りに、三月には墨田堤が7百余本の八重桜に2千基のガス灯が設置されるなど、続いた。四月になると、「気の早いサクラを求めて」と「さくらだより」が紹介され、「向島では六分~八分咲き」と大衆の行楽気分を盛り上げている。十日の向島・隅田川方面は、赤白の幔幕を張った花見船が四五十艘、言問団子屋下に繫がれた船では「手拍子揃えて花やかに・・」と、団子の売れ行きは一日5万個を超えるとか、賑わいを伝えはじめた。 また十日は、上野…

大恐慌四十二年の娯楽

…軒出店、江東、木の下梅園、臥龍梅探梅へも人出/読売1月 米国人エルジット夫妻が明治座で自転車曲乗りを昼夜二回興行、大入に付景品一等自転車1月 岡本小美根一座が宮戸座で源氏節芝居を興行、余興に梯子乗り、活動写真もあって満員2月M亀戸、深川、浅草等で様々な追儺式催す2月M憲法発布二十年祝賀会、日比谷公園に10万人余、山車や仮装行列、住吉踊りや娘手踊り等が出る2月M開盛座や演技座などで都新聞連載の天狗太郎を興行3月M都新聞の女義太夫投票で竹本綾乃助が19万票を獲得3月M三越子供博覧…

娯楽も戦時色の三十七年

…だす/毎日2月M臥龍梅、木戸銭5銭となり、実利主義との声2月 子供のあそびに「戦争ごっこ」流行2月 東京かるた会の第一回競技会開催3月E東京座で坪内逍遥の「桐一葉」が興行され好評/日本演劇史年表/国民3月M演技座や国華座など日露戦争もの上演し大入り3月M浅草公園に瀬戸物細工美術人形開設、日露戦争・満州の兵火・道成寺・紅葉狩等4月Yサッポロビール、吾妻橋にビヤガーデン開設4月M上野公園に軍国花見茶屋が設けられ、軍人無料、余興に江戸節や手踊りなどが催される4月Y花見時、天候に恵ま…

三十六年の娯楽に感じる忍び寄る戦争

…本新聞)6月 二代目梅ヶ谷藤太郎・常陸山谷右衛門が横綱を免許される、相撲の明治期黄金時代到来6月M浅草鳥越神社大祭、神酒所で争い6月M歌舞伎座で歴史活人画興行、七月も活人画と活動写真6月Y日本チャリネ、回向院で公演延長、7月神田和泉町、8月平河町等で興行7月M回向院で信州善光寺の開帳、日々数千人の参詣7月 東洋活動は、昼に真砂座、夜に市村座にて着色発声浮出し写真、評判良く興行する7月M藪入り、上野・入谷等賑わい、鉄道や一銭蒸気いづれも満員8月J日比谷公園、夏の夜間開放を十二時…

20世紀に入るも変わらぬ庶民の娯楽

…2万人の賑わい2月Y梅ほころぶ向島、令嬢の自転車隊現れる3月Y深川で女剣舞者の剣先で見物の少年が軽傷3月M上野花見茶屋、掛台料2銭、菓子3銭、ラムネ2.5銭、酒8-10銭、麦酒10-20銭4月X向島白髭前広場にて、第一回労働者懇親会が参加者三万人余で開かれる④/二六4月Y花曇りのなか、今を盛りの花見客どっと繰りだす4月F大久保のツツジ園に加藤清正の花人形などがでる/国民4月 歌舞伎座、大入でも団十郎の容体悪化延長なし5月M市ヶ谷新坂下に釣堀開業、一日30銭5月M靖国神社大祭、…

多様化が進む娯楽に三十二年頃から取締

…又帝釈天や亀戸の臥龍梅を見ようとする人で賑わった。次の日曜日は穏やかな日和だったため、各地の梅園などにさらに人が出た。花見の人出が多くなるにつれて、警視庁の取締りも厳しくなり、三月、異様な仮装行列や大騒ぎなどが禁止された。しかし、いざ花見シーズンに入ると、警視庁の訓示もどこえやら、どの行楽地も大変な賑わいで盛り上がっていた。たとえば、東京魚商組合は、大旗を押し立て、股引き半天に打ち扮した若者数十名が楽隊を連ねて上野公園に乗り込んだ。なかには、英国の議員が選挙に用いる魚形の紙帽…

二十九年の上流階層と庶民の遊び

… 六月の末になると、梅雨を逃れて日光、中禅寺湖へリゾートに出かけ、九月の半ば、東京が涼しくなるまで過ごしている。公使夫人という地位にふさわしく、中禅寺湖でハイキングや湖での舟遊び、男体山登山、日光見物などと実に優雅な夏休みを送っている。避暑地には、皇太子をはじめアーネスト・サトウなどの上流階級の人々も訪れたというから、別世界であった。日光から戻ると、在京外国人による東京演劇音楽協会のメンバーとして活躍し、自らも出演するという忙しい生活に戻る。十月以降も、観劇、花見、旅行、晩餐…

戦争に便乗した二十八年の娯楽

…惣」が台湾征討、「植梅」が大舞台仙台萩、「植重」が国性爺紅流し、「燻風園」が日清戦争大箱庭数個、と趣向を凝らしている。 ─────────────────────────────────────────────╴ 明治二十八年(1895年)の主なレジャー関連の事象─────────────────────────────────────────────╴ 1月X浅草講演六区に西洋幽霊、元旦より開場1月Y藪入り、明治座客止め、各座も大入/読売1月Y亀戸の初卯参り、花柳界の人多く…

二十七年には娯楽にも戦時気分が

…も亀戸、向島などへ観梅サイクリングの記事がある。五月に深川警察は小僧や大憎が自転車を乗り回すのでこれを取り締まる。七月には宮田自転車が起業一周年の販売広告を出している。十二月には、自転車は馬より早いという記事。以上のようにこの年は、自転車の記事がやたらと目につくが、実祭には、まだ一部の人しか乗ることができなかった。当時の自転車は、庶民には手の届かない高級品であり、八年後の明治35年でも自家用自転車は、府下にわずか4571台しか普及していなかった。 三月、松旭斎天一が木挽町の厚…