茶花 の検索結果:

信鴻のガーデニング天明元年2

…、7日である。 「山茶花」は、サザンカ(ツバキ科)とする。 ○十一月 十一月の日記には4日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、9日ある。収穫の記載はない。それら日記に記された植物名は8、6種である。この年の新たな植物の種類は2種である。以下順に示す。なお、信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、2日である。 「桑」は、クワ(クワ科)とする。 「水仙」は、スイセン(ヒガンバナ科)とする。 ○十二月 十二月の日記には7日…

『菱屋薩披茶会記』の茶花

『菱屋薩披茶会記』の茶花 『菱屋薩披茶会記』は、金沢の家柄町人、菱屋薩披が記した上下二冊の茶会記である。薩披の本名は荒木彦次、菱屋は屋号で道具商である。茶会記は、「薩披が招かれて出席した茶会を主とした百数十の中より。多賀宗乗を主とした当時の宗和流の茶道の指導的な立場にあった人々の催された茶会記」とされている。 ここに取り上げるのは、文政七年(1824年)から天保十二年(1841年)まで、『石川郷土史学会々誌』に掲載された茶会記である。茶会記は、「菱屋薩披茶会記の中宗和流関係の…

信鴻のガーデニング安永七年2

…キ科)とする。 「山茶花」は、サザンカ(ツハキ科)とする。 「椎」は、総称名シイ(ブナ科)とする。スダジイと思われるが確証はない。 「松露」は、ショウロ(ショウロ科)とする。 「初茸」は、ハツタケ(ベニタケ科)とする。 ○九月 九月の日記には18日間に植物名の記載がある。ガーデニング作業と思われる記述は、10日間ある。また、収穫の記載は13日ある。それらの中から、記された植物名は33で10種あり、この年の新たな植物の種類は3種である。以下に示す。なお、判断に迷う記述として、「…

信鴻のガーデニング安永六年2

…キ科)とする。 「山茶花」は、サザンカ(ツハキ科)とする。 「蜀鷄檜」は、チャボヒバ(ヒノキ科)とする。 「譲葉」は、ユズリハ(トウダイグサ科)とする。 「りんこ」は、リンゴ(バラ科)とする。 ○十一月 十一月の植物名を記載した日は6日であるものの、ガーデニング作業と思われる記述は11日ある。それらの中から、記された植物名は7、3種あり、全てこれまでに記され新たな植物の種類はない。当然ながら、信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。 ○十二月 十二月の植物名を記載した日は5日…

★安永七年八月~十月

…由、植木を見(略)山茶花を買しめ、中町通、広小路春目野に休む、鄽嫗在、池端通り(略)吉祥閣前へ出、谷中通り世尊院まへより土物店へ出、松悦かた(略)七時帰廬 信鴻の日記から、八月も浅草をはじめ、江戸の盛り場は賑わっていたと思われる。『武江年表』には、「○八月廿五日、龜戸天満宮祭祀、御輿行列古例の如く、又産子町々出し練物等出で賑ひ大方ならず、基後中絶」とある。 ★九月 朔日○四半頃より六本木へ(略)白山(略)馬場(略)水遺橋(略)小川町(略)飯田町橋を渡り九段坂(略)御厩谷、平河…

★雨の種類(安永二年九月・十月)

…小菊鉢うへ、造酒に山茶花貰ふ 廿四日 くもる ○四半頃米杜来、庭の菊花貰ふ○米杜に菊鉢植貰ふ○花垣山芝を刈 廿五日 陰勝昼快晴 ○今日より普請場の樹根ほり○花垣山を刈る、お隆初入岡を刈 廿六日 秋雲あり天気好昼より一面陰り八前より小雨次第に森々夜沛然九比より快晴 ○園中の池の堀へき所を縄張 廿七日 快晴次第に北風烈々 ○花垣山の芝を刈 廿八日 大寒快晴次第にうす陰宵蕭雨少 ○花垣山の芝を刈○九年母鉢殖を仙橘に貰ふ○かむ来、庭を見せる 廿九日 快晴 ○妹背山の芝を焼○芝を刈、水…

江戸庶民の楽しみ 庶民の遊びが始まる前

…ハス、水仙、梅などの茶花を挿した茶会を正月廿五日、二月九日、五月十三日、六月二日、十月十八日、十二月十四日の茶会記に記す。 ○喧嘩口論・博奕を禁止する。 ・慶長八年(1603年)二月、江戸に幕府が開かれる。 ○女歌舞伎(演劇というより踊りが主であった)が上演される。厳密には念仏踊りや風流踊りといったもので、この時の観客も武士を想定したものとされている。この頃には、麹町と神田鎌倉河岸に10数軒、柳町20軒など各地に遊女屋散在していた。 この年江戸町割を命じたという。神田の山を崩…

『花壇地錦抄』3夏木

…るが、植物名は花材や茶花として記されていない。 その他の品名は、ヤマモミジなどの変種(園芸種)と思われるが、品名の説明文だけではわからない。 伊藤伊兵衛は、「楓類」について『増補地錦抄』(宝永七年1710)で「歌仙楓号」に36品、『公益地錦抄』(享保四年1719)「後出歌仙もみち集」に36品、『地錦抄附録』(享保十八年1733)に28品記している。さらにこれら3冊を合わせて、『歌仙百色紅葉種』をまとめている。『増補地錦抄』には、「青葉・赤地錦・朝霧・飛鳥川・嵐山・うらべ・奥州…

『花壇地錦抄』2さつき・梅・桃・海棠・櫻

…。これら中で、花材や茶花として登場する植物名から、ニワウメ(こうめ)を選択した。 「黄梅」は、説明に「格別」とあり、オウバイ(モクセイ科)ではない。 「梅のるひ」にまとめられた植物は、当時の人達の観察や印象から判断されたものであろう。この分類は、現代の植物分類『牧野新日本植物図鑑』では科の異なる植物がいくつも含まれている。なお、ここに判断した現代名について、異論はあるだろうが、花伝書や茶会記に記された頻度から推定している。特に「小梅」は、複数の名称があり迷うところである。また…

伝統園芸の時代背景

…に政治的な動向に逆らわず、時流にのって園芸は独自の展開を見せた。築城は規制されていたが、庭園の造成はおとがめなしで、関心を庭や花に向かわせた。特に「生類憐みの令」などは、狩や釣などを制約したために、植物への愛好を自ずと押し進めた。また、生花や茶の湯への制約はゆるやかで、見せ物にしても植物の珍奇さは見逃された。 以上のような社会情勢を踏まえ、園芸が展開した事象を「園芸書」の成立、「花道書」「茶書」、実際に生けられた茶花「茶会記」、造営された庭園、その他関連することなどを記した。

『花譜』の不思議

…花」、「山茶」は「山茶花」、「石榴」は「石榴花」、「辛夷」は「辛夷花」、「空木」は「卯木」、「木槿」は「槿花」、「茶梅」は「茶梅花」、「瑞香」は「山礬花」、「紫荊」は「紫荊樹」、「下ツ毛」は「下毛」、「十姉妹」は「錦帯花」、「繍毬花」は「粉團花」、「木瓜」は「櫨」など、植物名の表記が異なる。当時使用されていた名称を優先するなら、『花譜』で「垂絲櫻」と記したものを『大和本草』で「垂絲海棠」とする必要があるか。必ずしも一貫した方針が見えないように感じる。『花譜』と『大和本草』とで…

花譜の植物名5

…見は1605年、「山茶花」と『古田織部茶書』(慶長十年十月十日付)に記されている。花材としては1694年で、『當流茶之湯流傳集』に「茶山花」と記されている。サザンカは益軒にとって珍しく、紅色の花が特に気に入っていたために記したのではなかろうか。 ・「東浦塞牽牛花」 この植物には、目録に「カンボチヤアサカホ」、本文に「かぼちやあさかほ」と仮名が振られている。『牧野新日本植物図鑑』には記載されていない。インターネットで「カンボジアアサガオ」を検索すると、濃い藍色の花のアサガオがあ…

花譜の植物名4

…は『山科家礼記』で、茶花としての初見は、『松屋会記』1630年(寛永七年)で「エヒネ」と記される。 ・「荒世伊登宇」・・・目録に「アラセイトウ」、本文に「あらせいとう」と仮名が振られている。「荒世伊登宇」はアラセイトウ(アブラナ科)と思われる。 アラセイトウの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『草木写生』(1660年)とある。 花材としての初見は、『源氏活花記』1765年(明和二年)で「紫羅蘭花」と記される。 ・「仙臺萩」・・・目録に仮名が振られ「・・…

花譜の植物名3

…安永二年)である。 茶花としての初見は、『隔蓂記』1649年(慶安二年)に「小手鞠」記される。 「鈴掛」は、コデマリ(バラ科)と推測する。 ・「雪柳」・・・目録および本文にも仮名はない。貝原益軒の偏した『大和本草』には「漢名知らず」とある。「雪柳」はユキヤナギ(バラ科)と思われる。 ユキヤナギの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『花譜』とある。「雪柳」の表記は、1698年(元禄十一年)に刊行された『花譜』が最初らしい。 ただ気になるのは、ユキヤナギは、…

『花譜』の植物名

…メ(バラ科)。 「山茶花」は、ツバキ(ツバキ科)。 「福寿草」は、フクジュソウ(キンポウゲ科)。 「金盞花」は、キンセンカ(キク科)・『牧野新日本植物図鑑』によれば、別名ホンキンセンカ 「山礬花」は、ジンチョウゲ(ジンチョウゲ科)・なぜ「山礬花」とするか不明、「山礬」をハイノキ(ハイノキ科)とする例がある。 「杏花」は、アンズ(バラ科)。 「辛夷花」は、コブシ(モクレン科)。 「小櫻」は、ヒガンザクラ(バラ科)・「小櫻」をヒガンザクラとする例は少ない。 「垂絲櫻」は、シダレザ…

十七世紀の園芸植物分類

…植物名を知る 花材や茶花の名前をどのようにして知ったのか。現代であれば、植物図鑑やインターネットで容易に調べることができる。十六世紀に生きた人たちは、わかりやすい植物図鑑や書籍を見ることはできなかった。植物の名は、周りの人から教えてもらうことが多かったものと思われる。 それでも、植物名を知る方法としては、絵巻物や文献の記載を頼りにすることもできただろう。なかでも、絵巻物には植物が描かれていることが多く、最古の絵巻物とされている『絵因果経』(奈良時代に制作)にも竹や樹木が描かれ…

十六世紀の植物名について2

…る。ここでは、花材や茶花として使用されないと思われる植物(和布ワカメなど)は除いている。 また、知識不足で読めない漢字や現代名を確定できない植物も省いている。たとえば『尺素往来』の「盧橘」、現代名としてナツミカンとする記述がある(『植栽史』)。『新日本植物図鑑』『樹木大図説』で「ナツミカン」を調べると、該当する植物名にあたらない。インターネットで引くと、『デジタル大辞泉』などに確かに「ナツミカン」とある。さらに調べると、「盧橘」は金柑や枇杷の異称もある。「盧橘」が「ナツミカン…

十六世紀の植物名について

…世紀に記された花材と茶花の植物名を調べている中で、当時の名前を記した資料を参考に見直したい。その資料として、『尺素往来』『古本節用集』『新撰類聚往来』を調べる。 『尺素往来』 『尺素往来』は、文明十三年(1481)以前の成立したとされている。参考にした資料は、『群書類従 第九輯』「群書類従巻百四十一」(続群書類従完成会:発行)に編纂された『尺素往来』と早稲田大学図書館『尺素往来 / [一条兼良] [撰]』の『尺素往来』である。この2書は、記されている植物数は114と同数である…

十六世紀以前の花材と茶花

十六世紀以前の花材と茶花 花材と花伝書 『花道古書集成』『続花道古書集成』に記された花伝書の成立時期を見ると、『仙傅抄』が1445年で、次が一世紀後に『池坊専應口伝』(1543年)、『続華道古書集成』の『花伝書』(1567年)となる。さらにその次は、1650年の『花傳集』、1661年に『替花傳秘書』と続く。この間も約一世紀の間隔がある。 十五世紀の情況は、『山科家礼記』に使用された花材が記され、『花王以来の花伝書』など、「立花」成立当時の様子を知ることができる。十六世紀に入っ…

十六世紀以前の花材

…生花の花材、さらには茶花を加えて、日本人がどのような花を飾ってきたかを知りたい。そのような資料として、花伝書は最も適していると考えられる。「生花」が成立した当時の花材(http://blogs.yahoo.co.jp/koichiro1945/28191858.html)については、『仙傳抄』『山科家礼記』にまとまって記されている。この2書を十五世紀の花材とすると、114種となる。『山科家礼記』には、花材に使用された以外の植物があり、それらも実際は使用されていた可能性は十分に…

「いけばな」成立期の花材

…ていないこと、花材や茶花という植物の視点からは何とも判断しがたい。 『山科家礼記』 『山科家礼記』は、山科家の家司大沢久守が記した日記で、久守は立花の名手とされている。記されたのは応永十九年(1412)から明応元年(1492)まで、なお、欠落している部分がある。生花に関連しそうな記述は、応永十九年二月十一日には「梅御会アリ一種一瓶面々御持参之間御方沙汰あり」と、花の種類が記されている。ただ、これを生花と言えるものか、以後も瓶に花を挿した記述はあるものの判断に迷う。なお、日記は…

『花道古書集成』全五巻の花材の呼称名2

…のと判断した。 「山茶花」は、大半の花道書でツバキ科のサザンカを指している。しかし、『生花百競』『挿花四季枝折』『古流挿花湖月抄』『生花草木出生傅』では、ツバキの別名として記している。 「杜若」は、大半の花道書でアヤメ科のカキツバタを指している。しかし、『生花枝折抄』には「杜若」と記して、「やぶしやうが」と仮名が振られている。「ヤブショウガ」という植物を探したが、そのような名の植物は存在せず、それに近い植物として、ツユクサ科のヤブミョウガがあり、それであろうと思われるが確定で…

『花道古書集成』の花材の呼称名1

…紀の茶会記に記された茶花が85程であることから、立花にはそれ以上の植物が花材として活けられていたことがわかる。 花材の植物は519を数えているが、その中には総称名(通称名、当時は自明であった植物名)がいくつかある。そのような花材として35、「アオイ、イチゴ、ウリ、カイドウ、カエデ、カシ、カンゾウ、キク、ギボウシ、コケ、サクラ、ザクロ、シダ、ショウマ、タケ、タケノコ、タデ、ツタ、ツツジ、ツバキ、テンナンショウ、ナデシコ、ノイバラ、ハギ、フジ、ホトトギス、マキ、マツ、ミカン、ミズ…

初秋の草花

…や姿が日本的であり、茶花や生花にも多用されていることから、キバナアキギリと一緒に植えても違和感は感じられない。キバナアキギリだけでも見る人を和ませる魅力はあるが、ピンクと黄色の組合せにするとさらにメリハリが出て、庭の主要な植栽、花壇としても見応えがある。さらに、他の混植植物として、アキギリの紫色の花に対しては、シロヨメナとの組合せも薦めたい。 シオン シオンは、キク科の多年草で、草丈は1~2m程と高い。花は枝分かれした茎の先に、淡青紫色の3㎝位の花をいくつも付ける。野草の中で…

『花道古書集成』第五巻の花材

…半の茶会記に記された茶花と対照させると、含まれるものは40%ある。使用頻度11位までの茶花は全てあり、23位までも18種含まれている。したがって、花材数が60種しかない中で、『活花圖大成』は十八世紀後半の茶花を比較的反映していると言えよう。 『生花出生傅圖式』 『生花出生傅圖式』は、『華道古書集 第一期第五巻』の『生花出生傅(第四巻古流挿花湖月抄と同じ)』に次ぐ書である。五大坊卜友によって作成され、刊行時期は記されていない。花材は、四季に分けた百図の中に50程記され、46種を…

『花道古書集成』第四巻の花材

…検討(現代名の確定、茶花との考察などは、花材数が50程より少ない場合は原則として)を省く。 『生花枝折抄』 『生花枝折抄』は、 安永二年(1773)、千葉竜卜の著によってが刊行された。この書では、書院並びに茶席の花材についても触れており、「活花に用いる草木名寄」として一覧が紹介されている。 『生花枝折抄』には280ほどの花材が記されており、そのうち229の現代名を確定した。それまでの華道古書の中では最も多くの花材が記されており、それまでの花材の大半を網羅しているかに思えたが、…

『花道古書集成』第三巻の花材

…半の茶会記に記された茶花と対照させると、含まれるものは35%と半数には満たない。それでも使用頻度11位(10位2種あり、以下同)まで中では10種あり、23種(16位8種あり、以下同)まででは17種ある。上位23種から見る限り、十八世紀後半の茶花をある程度反映していると言えそうだ。 『抛入花薄』 『抛入花薄』は、千葉一龍によって明和四年(1767)に刊行された。書は上下2巻に分かれ、85程の花材が記されている。そのうち、75種を現代名に対照させた。花材の種類としては、特別新しい…

『花道古書集成』第二巻の花材

…半の茶会記に登場した茶花の70%をカバーしている。十七世紀後半に登場した茶花で、『立花秘傳抄』に記されていない植物は、アサガオ、アブラナ、ウツギ、カザグルマ、テッセン、ナツツバキ、ハシバミ、ハンノキ、ヒイラギ、ヒルガオ、フクジュソウ、ボケ、マメ、ミズアオイ、ミツマタ、ムクゲ、モミ、ロウバイである。茶花の使用頻度上位20位までと比べると、『立花秘傳抄』の花材は10位のアサガオと13位のウツギと16位のフクジュソウ以外をカバーしている。『立花秘傳抄』も十七世紀後半に使用された茶花…

『花道古書集成』第一巻の花材その2

…半の茶会記に登場した茶花の71%をカバーしている。十七世紀後半に登場した茶花で、『抛入花傳書』に記されていない植物は、アブラナ、エノコログサ、カザグルマ、サザンカ、シュウカイドウ、スゲ、ハシバミ、ハンノキ、ヒイラギ、ヒルガオ、マメ、ミズキ、ミツマタ、ロウバイである。この中で茶花として比較的使用されているサザンカがないものの、他の植物は茶花としての使用頻度は低く、シュウカイドウを除けば一度しか登場しない植物である。使用頻度の高い種類を見れば、『抛入花傳書』は茶花の使用動向をかな…

『花道古書集成』第一巻の花材その1

…の献立などとともに、茶花が記されている。茶花は、当日咲いていた植物である。茶会記の具体的な記載を示すと、以下のようになる。 『松屋会記・久好茶会記』1586年(天正十四年)卯月廿日、「花シヤウフ」と記す。 『小堀遠州茶会記集成』1628年(寛永五年)卯月廿六日朝、「あやめ」と記す。 『片桐石州会之留』1672年(寛文十二年)五月十六日、「菖蒲」と記す。 『伊達綱村茶会記』1705年(宝永二年)四月十五日晩、「菖蒲」と記す。 『学恵茶会記』1717年(享保二年)四月十一日晩、「…