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新たな遊びが増える中、江戸の遊びが制約される

…の名所である大森村の梅屋敷が賑わい、彼岸の浅草は、天気がよいこともあって大賑わいだった。四月は花見に開帳。向島では、女装や高歌放吟で逮捕者がでるほどの騒ぎであった。州崎の浜には潮干狩りの人の群れができた。ハナショウブも人気があったと見えて、五月に向島の「八百松」と亀戸天神、六月に堀切・菖蒲園と向島・愛国園の花の便りが載せられている。七月の川開きは年々賑わいを増しているらしく、「両岸の提灯は何万という数が知れず、両国大橋は勿論、両側は爪もたたない見物」と花火の様子が記事になった…

江戸の終焉・明治七年

…近、府下第一群集し、梅桜植付け勝景を添えん2月H回向院の大相撲、給金トラブルで延期3月H上野東照宮境内で榊原健吉が剣術の奉納試合を行う3月H浅草松葉町本覚寺で京都本国寺の釈迦・白蓮の像の開帳3月○築地海軍兵学校寮で競闘遊技会(運動会)を催す3月H官立学校は日曜日を休日とする4月H湯島天神、臨時祭で活人形数多く、参詣人多し4月H回向院で上総国芝山村観音寺仁王像(賽銭一日25円)、荏原郡古川村子育薬師如来の開帳4月H吉原仲の町に、恒例のサクラが植えられる4月H上野東照宮参詣著しく…

太陽暦が始まる明治六年

…い2月B浜町一丁目に梅園、茶亭設け遊観客を招く/武江年表3月B浅草寺町経王眼病守護日朗上人像、上野慈眼堂、谷中大円寺瘡守薬王菩薩の開帳3月B上野花見の頃、山内茶屋舗、去年よりも多数出店する3月○数寄屋橋門櫓の取り壊し布告、以後、各城門櫓が取り壊される4月B深川永代寺で成田山、小石川白山大乗寺鬼子母神、愛宕下鏡照院本尊身代不動尊の開帳4月B大川端川口橋の西に池鯉鮒明神観音堂が営まれ参詣人多数4月B小網町二丁目小あみ稲荷祭礼、飾り物あり、参詣多数4月B新大橋西詰を菖蒲町と呼び、水…

…B浅草寺御蔵前で観世梅若能興行3月B浅草伝法院で博覧会3月B浅草三社祭礼、山車伎踊等出る3月B富士山北口、4月~8月まで女性の参詣許され、諸国より参詣人多数4月B高輪河岸の葦簾張茶店等その他残らず取払われる4月B芝金杉多聞院毘沙門天開帳4月○教部省より、人々の啓蒙を勧める「三条の教憲」発令5月B招魂社落成し祭礼、競馬・相撲・半蔵御門外で昼花火5月○祭礼の競馬に懸賞、袂時計・羅紗戒服・フランケットを各5/兵部省達5月B深川浄心寺で身延山久遠寺祖師七面菩薩、回向院で下総幸手宿の辺…

明治四年の東京庶民

…黴毒院が開設、遊女の梅毒検査実施8月B市谷八幡宮祭礼、山車11輌、伎踊練物等出て賑わう9月B神田大神祭礼、神輿と山車14輌神田橋御門入る(伎踊は入らず)見物群集する9月B牛込赤城社祭礼、神輿渡り・山車18輌・伎踊等出て賑わう9月B染井巣鴨団子坂に菊の造物あり9月B招魂社祭礼、競馬・相撲・菊花壇・飾り物等、参詣人多数9月B南御楽園が染井村植木屋の庭になる、菊花壇や盆種見せる9月B麻布広尾笑花軒で菊花の造物を見物させる9月○新貨幣御鋳造(一銭、半銭、一厘鋳造)布告10月B招魂境地…

徐々に始まる明治の東京

…は、正月早々、早くも梅の花が咲き、中旬には紅梅の開花のたよりも伝わっている。 戦いの後長らく閉じられていた上野山内だが、二月の中頃になってようやく参詣や花見などの立ち入りが許された。そうなると戦いの跡を一目見ようという見物人が、日を追って増えていった。また、下旬には、江戸城吹上御苑の拝観が許された。終日大勢の人々が訪れ、あまりにも多く集まり群衆の中のうち8人が死亡したとある。行楽シーズンに先立って、高輪泉岳寺で十一面観世音摩利支天の開帳、須田町二丁目広場では相撲興行が催された…

東京庶民が始まる

…月E五代目菊五郎が「梅照葉錦伊達織」を襲名上演する/日本演劇史年表 9月○改元、明治元年となる 9月B堀内妙法寺祖師開帳、参詣人多数 9月E歌舞伎界不況打開に、中村座と守田座が合併興業を行う 9月○市村座の策師参謀・河原崎権之助が惨殺 10月B御鳳輦(ホウレン)東京に着き、貴賤老稚児道路に輻輳して拝し奉る 11月Ⅹ興行場内の帯刀禁止/太政官日誌 11月B天皇、東幸を祝し東京市民に酒・鯣など下賜 11月B山下御門内薩摩侯陣営の稲荷社で祭礼、相撲見物もあって町人参詣し、酒下賜され…

お蔭参りとええじゃないか騒動

…月 守田座で『魁駒松梅魁曙幑(イチバンノリメイキノサシモノ)』大当たり 5月 回向院で陸奥金花山大金寺開帳(見世物一時参詣人多シ)を含め開帳2 6月 赤坂氷川明神祭礼、神輿のみを渡す 7月 芝薬王寺開帳 9月 中村座で勘三郎が芝居寿狂言興行大入り(前年カラ延期) 9月 神田明神祭礼、産子町職人が許可なく附祭を催し罰金 11月 雑司ヶ谷鬼子母神境内鷺明神で酉の祭始まる(以来年々賑ワウ) 11月 回向院で勧進相撲、五・六日目の見物人1万3千人 冬頃 調練場まで西洋風の太鼓を鳴ら…

幕末庶民の食糧事情

…にできた。また、浅草梅園院境内に栗ぜんざいの「梅園」ができている。そして、中ノ郷業平橋の手前に、庭内に湯滝のある料理茶屋「在五庵」が開店している。 ・安政二年三月、牛込に居酒屋が始めて開店する。十月の安政大地震が起きたが、「近頃、あらづきのくろ米の菓子を紅梅焼と名付けて売る家が多いが、これは香餅と言うところを誤ったのではないか」と記述がある。 ・安政四年には、日本橋に和菓子屋の「栄太楼」が開店している。 ・安政五年に、佃島の漁民が売り物にならない雑魚や貝を醤油などで煮つめて保…

外国人と幕末の庶民

…中は混乱なく、蒲田で梅林に立ち寄って梅花の塩漬けを買ったり、梅花を浸した湯を賞味したりしている。 江戸に入り、日本橋に近づくころには、沿道の両側に人垣ができていた。「見物の老少、面を以て垣とす」と、武江年表に記述があるように、見物人が多かったようだ。外国人を近くで見られると期待していたものの、ハリスは駕籠のなかで、見ることができなかった人の方が多かったのでないか。ハリスは、「私が駕籠の中から見あげたり、見おろしたりするとき、群集は男女の大きな塊りのように見えた」と日記に書き残…

世相を映す幕末の見世物

…のは赤い生地に「松竹梅」の名を模様にした粗末な着物で、これといった芸もなく、ただ小屋の中で臼を挽いて、麦こがしを売るだけ、というたわいのない見世物であった。 江戸の庶民は、老いも若きも女も男も、何が始まるだろう、何が見られるだろうと好奇心のかたまりであった。と同時に、寛大な気持ちも持ちあわせていた。最初からインチキくさいとわかってはいても、金を払って「なんだ、何でもないじゃないか」と笑って帰っていく。そんな馬鹿馬鹿しさを楽しむおおらかさを当時の人々は持ち合わせていた。 安政三…

ペリー来航と庶民

…木七面坂坂下紫泉亭、梅園を開き来訪多し 2月 回向院で勧進相撲 春頃 亀戸天神開帳を含め開帳8 閏2月浅草奥山に鯨細工の見世物、喝采を浴びる 4月 猿若町の結城孫三郎の繰芝居、不繁昌で休座となる 5月 夜毎に麦湯店の若い湯汲女の接待を禁止 夏頃 回向院での三河矢作村光明寺開帳を含め開帳3 6月 山王権現祭礼 6月 千駄木の植木屋六三郎の発案で、浅草奥山に遊観地を造り公開する 7月 佃島沖で合図烽火(ノロシ)調練(中島流火術名人ヲ偲ンダ)、水陸に見物人 7月 浅草本蔵寺での下…

開帳より見世物が目当て

…7月 市村座で『尾上梅寿一代噺』大当たり(松緑三十三回忌追善) 秋頃 目黒茶屋に、菊の作り物が置かれる 9月 神田明神祭礼 10月 吉原秋葉権現祭に山車練物多く出す 11月 回向院で勧進相撲 11月 市村座で『源家八代恵剛者』大当たり 11月 寄席の入口での籤引を禁ずる 12月 縁日や往還・広場での通行人相手の籤が禁止される ○浄瑠璃、薩摩座・結城座で興行 ☆この年のその他の事象 1月 市中各所に火災 3月 霊岸島の川浚い、埋立 ★弘化5年1848年 1月 回向院で勧進相撲 …

信心に託つけた 遊びを見直す

…歳里見八熟(ブサ)梅』大入り大当たり 5月 回向院での淡島大明神開帳(「海獣」ノ見世物出ル)を含め開帳2 6月 山王権現祭礼 8月 都々逸坊扇歌が寄席で都々逸を歌い流行する 9月 中村座で『貢十人切』評判よく大入り 10月 回向院で勧進相撲 10月 湯島天満宮祭礼に山車練物出て、見物人群集する 12月 町家での売笑や隠売女の取り締まり、好色本の店頭販売も禁止 ○浄瑠璃、結城座で興行 ☆この年のその他の事象 春頃 雑司ヶ谷感応寺境内に千本の桜が植えられる ○斎藤月岑『東都歳事…

四季の行楽

…福神参り、藪入り、観梅、開帳と続く。庶民は正月からあくせくと動き回るようなことはしない。三田村鳶魚によれば、江戸の正月はとてものどかなものだったようだ。特に町人の元日は、何もないと言って良いほど静かで、寂しいくらいであったと言っている。 まず初日の出、当時の建物は二階屋までしかなかったので、ちょっと小高いところに上がれば容易に日の出を見ることができた。名所と呼ばれる場所は、深川の州崎、芝高輪の海浜、芝の愛宕山、神田の明神、湯島天神、九段坂上などたくさんあった。が、それでも実際…

盛り上がる寄席

… 回向院での山城紀伊郡吉祥院開帳を含め開帳2 閏8 西両国で駱駝(ラクダ)二頭が見世物、群集する 閏8 高田南蔵院開帳 9月 赤城明神祭礼に5尺あまりの獅子頭2つが出て見もの 10月 回向院で勧進相撲 11月 河原崎座で『男山恵(トリタテ)源氏』梅幸・結城座で興行 ○浄瑠璃、薩摩座・結城座で興行 ☆この年のその他の事象 4月 吉原京町から出火、遊郭全焼 5月 文政一朱を新鋳 7月 閏8月まで水害が多発する 9月 品川御殿山の桜600本櫨60本 ○春から秋にかけて麻疹が流行

富籤に託した一攫千金の夢

…、これらは福禄寿松竹梅の札が、各一万枚、計六万枚発行されるという大掛かりなもので、この時の最高金額は六百両であった。 六百両という金が、今の金にしていくらぐらいになるのか、詳しくはわからないが、少なくとも数千万円にはなるはずである。寺門静軒は、『江戸繁盛記』に「当たれば」として「十年も人から雇われていた男が一朝にして錦を着て故郷に帰るように栄える。昨日鏡を質に入れた女が、今日はベッコウの櫛や、こうがいを頭につける・・・」と、大当たりをとった者が、一夜にして急変すると書いている…

庶民を巻き込んだ園芸のバブル

…が寺島村に花屋敷(新梅屋敷、現在の向島百花園)を開いている。 一八〇七(文化四)年、大田南畝が巣鴨の菊を鑑賞しに出かけたように、植木屋が一種の行楽地として注目されるようになった。そうなると、植木屋の方でも、菊の花で人物や鳥獣を形作って見世物にするなど、次々とアイディアを競うようになる。一八一二年(文化九)には、巣鴨、染井の植木屋が五十余カ所で菊細工(菊人形など)を披露している。 そしてこれら行楽地が目指すものは、明らかにビジネスであり、現代の遊園地経営と何ら変わりがなかった。…

十九世紀初頭

…年 1月 市村座で『梅桜松曽我(ハルキョウダイアイオイソガ)』大当たり大入り ☆この年のその他の事象 1月火事頻発 ★享和年間の関連事象の補足 ○ガラスに彩色絵を描き画面を動かすように仕組んだ「写し絵」が両国付近で興行し、評判となる ○煎茶の会が流行する ○浅草新鳥越、八百善の料理が人気 ○近江仁正寺藩五ノ橋邸内に百余種の桜が植えられる ★文化1年1804年 春頃 深川八幡開帳を含め開帳6 2月 華美な稲荷社の祭りを禁止 2月 初午祭に子供が太鼓を打ち鳴らすのはよいが、大…

江戸庶民の楽しみ 77

…上寺方丈焼失 ○浅草梅園院で源氏流生花千葉竜卜が一世一代の大花会を催す ★天明五年1784年の主な娯楽・行楽関連の事象 2月 桐座で二世瀬川菊之丞十三回忌追善五変化上演 3月 中村座で『三ツ人形弥生雛形』羽左衛門大当たり 3月 相州江ノ島本宮岩屋弁財天開帳、江戸より参詣人多数 2月15日より 回向院にて、鎌倉稱名寺不動尊開帳 2月15日より 回向院にて、豆州八丈島為朝明神本地地蔵菩薩開帳 3月より 洲崎辨財天開帳 3月8日より 江之島下の宮辨財天開帳、江戸より參詣多し 3月 …

★天明四年冬・十月~十二月

…、風神門前より東折小梅浄泉寺参詣(略)水戸侯舘わき甚賑也、浄泉寺本堂にて烟を弄し(略)御墳墓の鍵取寄直に参詣(略)水戸侯邸(略)珠数屋へ寄(略)伊勢屋へ行小休み、薩埵参詣群集也(略)榧八幡因幡地蔵参詣、又伊勢屋へ(略)帰路広小路(略)西中町へ入、田原町二丁目通り(略)車坂門(略)いろは(略)帰家暮時 二十日○四半時より森元町へ(略)小石川通り、一つ橋、大手より和田倉(略)西下、内桜田、虎門、西久保、土器町より森元町表門より入る、行平鍋・難卵・隅田川濁酒造ハす、九半前来る(略)…

★天明四年秋・六月~九月

…り帰る 六月半ばには梅雨も明けたようで、夜店の賑わいを十九日と廿七日に記している。その間も、夜店は賑わっていたものと推測する。ただ、浅草などの盛り場はまだ賑わいがないようだ。なおこの月のイベントとして、山王権現祭が催されている。 ★七月 三日○七過よりお隆同道日暮里へ涼に(略)富士裏(略)御鷹部屋の裏田畑村へ入、余楽寺の坂より道灌山日暮里佐倉屋へ行(略)庭の山へ行、佐くら屋にて田楽等云付、酒をのみ、六半前起行、笠森前、谷中通(略)千駄樹にて五の鐘聞え、半前奥口より帰る 十日○…

★天明四年夏・三月~五月

…町(略)伊勢屋に休む(略)薩埵拝し、渡辺伴僧に請て香炉寸法を聞(略)涅槃堂念仏暫く聞、榧八幡拝し因果地蔵へ詣、又伊勢屋に休み、江戸見坂より貰し金鍔焼を皆々喫(略)田原町にて(略)花火買遊し、柳稲荷(略)山下通、黒門(略)池端(略)池側を過て又細く道つく、古田侯門前(略)護国院を過、清水門より又細く道つく、東側酒やにて水を貰ひて足を洗ふ(略)富士(略)奥口より帰る 五月は、梅雨ということもあって天候も足場の悪い中、6日も出歩いている。さすがにどこも賑わっているとは記していない。

★天明四年春・一月~二月

…寄、角迎に出る、鉢植梅貰ふ、お隆甘露梅貰ふ、薄暮にたち加賀前にて挑燈つけ(略)六半頃帰路盧 十一日○九半過よりお隆同道雑司谷へ(略)西門より出る、原町の上の街より猫また橋(略)護国寺を拝し、御嶽より右道へかかり直に参詣、鳥居うちにて箸なと買ひ和泉屋に休む、客多し、料理云付梅鉢植を貰ふ、七半頃起行(略)前路を暮前帰る 十四日○九前より近辺閑歩(略)春木町(略)切通し伊勢屋みき新店に休み、中町江原屋へ立寄、上野板法華経を出させ見る(略)山下より車坂、覚成院前(略)谷中門を出て八の…

★天明二年冬・十月~十二月

…み(略)御墓へ参る、梅巌明日七回、其外不残参詣(略)又松竹庵へ帰り(略)高田道へかかる(略)本松寺へ参詣(略)穴八幡坂道普請(略)水稲荷裏門より入表へ出(略)雑司谷甚淋し、内陳参詣多故階下にて拝し、和泉屋にて(略)社前の鄽へ(略)護国寺内(略)猫また(略)原町(略)六過西門より帰る 十一月は、観劇2回を含めて8回も外出している。別録によれば、中村座も市村座も「大入」「近来の大入なり」となっている。しかし、市村座は十二月、借財のため困窮し休座している。 ★十二月 四日○九前より…

★天明二年春・一月~三月

…る故又同道、下男在て梅・椿等の枝を取貰ふ、路次も明る故庭を見(略)大門脇に氈を鋪、弁当開き酒飲み、庄屋前より草を摘み摘み西行、昌林寺観世音参詣、暮前前路を帰る、塗中草を摘、帰家暮時(略) 廿二日○八過より珠成・お隆同道西郊辺閑歩(略)西門より出、巣鴨町北行(略)又五郎辻より野へ出、大塚通りへ行、上の橘落板僑かかる、町裏の土堤にて娵菜等摘み、護国寺前へ山、観音参詣、此程三十三所薩埵山内に堂雄につき此比鍬初在、堂左右茶屋小野屋借り弁当開き田楽やかせ休み(略)帰掛堂左の堂へ参り、帰…

★天明一年冬・十月~十二月

…り(略)谷中上にて紅梅鉢植を求め、首振坂上、坂のうへにて谷五葉松を拾ふ、根有、奥口より六半頃帰る 廿日別録○中村座頑要 廿五日○九つ過より珠成同道湯島参詣(略)聖廟拝し、お清鄽に休む、町人女一人小女一人召連来る、お清云ふ、小女は春日町伊勢やりゑ女の由、植木を見、西門より出(略)霊雲寺地蔵参詣、西行、本郷二町目ヘ出、竹町へ(略)土物店より八半時帰る、 廿七日○九時よりお隆同道浅草参詣(略)富士の辻に町人数十人上下にて立居(略)片町辺の惣名主内海甚衛門隠居物故(略)御鷹部屋前(略…

天明一年春・一月~三月

…一月 元日に根岸から梅鉢植を貰うこと、三日の夜の賑やかなこと、十五日に万才福太夫の訪れることなどは、前年と変わらない。しかし、信鴻の湯島・浅草への初詣は十七日と、昨年にもまして遅い。なお、一月の出来事として、九日の日記にも書かれているように大火があった。『武江年表』には「○正月八日、新材木町和國餅の店より出火、両芝居その外類焼、霊巌島にいたる」とある。信鴻は、二月十五日に涅槃会参詣の途中で、再建中の芝居小屋を見ている。 十七日○九過より湯島・浅草参詣(略)本郷真光寺聖廟恵方に…

信鴻のガーデニング天明四年

…は、7日である。 「梅」は、ウメ(バラ科)とする。 「土筆」は、スギナ(トクサ科)とする。 「蕗臺」は、フキ(キク科)とする。 「山吹」は、ヤマブキ(バラ科)とする。 「嫁菜」は、ヨメナ(キク科)とする。 ○閏一月 この月の日記には5日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、7日ある。収穫の記載は4日ある。それら日記に記された植物名は7、5種である。この年の新たな植物の種類は2種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記…

信鴻のガーデニング天明三年

…は、3日である。 「梅」は、ウメ(バラ科)とする。 「土筆」は、スギナ(トクサ科)とする。 「萩」は、総称名ハギ(マメ科)とする。 「蕗臺」は、フキ(キク科)とする。 「福寿草」は、フクジュソウ(キンポウゲ科)とする。 ○二月 二月の日記には16日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、14日ある。収穫の記載は15日ある。それら日記に記された植物名は26、8種である。この年の新たな植物の種類は5種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植…