梅 の検索結果:

ペリー来航と庶民

…木七面坂坂下紫泉亭、梅園を開き来訪多し 2月 回向院で勧進相撲 春頃 亀戸天神開帳を含め開帳8 閏2月浅草奥山に鯨細工の見世物、喝采を浴びる 4月 猿若町の結城孫三郎の繰芝居、不繁昌で休座となる 5月 夜毎に麦湯店の若い湯汲女の接待を禁止 夏頃 回向院での三河矢作村光明寺開帳を含め開帳3 6月 山王権現祭礼 6月 千駄木の植木屋六三郎の発案で、浅草奥山に遊観地を造り公開する 7月 佃島沖で合図烽火(ノロシ)調練(中島流火術名人ヲ偲ンダ)、水陸に見物人 7月 浅草本蔵寺での下…

開帳より見世物が目当て

…7月 市村座で『尾上梅寿一代噺』大当たり(松緑三十三回忌追善) 秋頃 目黒茶屋に、菊の作り物が置かれる 9月 神田明神祭礼 10月 吉原秋葉権現祭に山車練物多く出す 11月 回向院で勧進相撲 11月 市村座で『源家八代恵剛者』大当たり 11月 寄席の入口での籤引を禁ずる 12月 縁日や往還・広場での通行人相手の籤が禁止される ○浄瑠璃、薩摩座・結城座で興行 ☆この年のその他の事象 1月 市中各所に火災 3月 霊岸島の川浚い、埋立 ★弘化5年1848年 1月 回向院で勧進相撲 …

信心に託つけた 遊びを見直す

…歳里見八熟(ブサ)梅』大入り大当たり 5月 回向院での淡島大明神開帳(「海獣」ノ見世物出ル)を含め開帳2 6月 山王権現祭礼 8月 都々逸坊扇歌が寄席で都々逸を歌い流行する 9月 中村座で『貢十人切』評判よく大入り 10月 回向院で勧進相撲 10月 湯島天満宮祭礼に山車練物出て、見物人群集する 12月 町家での売笑や隠売女の取り締まり、好色本の店頭販売も禁止 ○浄瑠璃、結城座で興行 ☆この年のその他の事象 春頃 雑司ヶ谷感応寺境内に千本の桜が植えられる ○斎藤月岑『東都歳事…

四季の行楽

…福神参り、藪入り、観梅、開帳と続く。庶民は正月からあくせくと動き回るようなことはしない。三田村鳶魚によれば、江戸の正月はとてものどかなものだったようだ。特に町人の元日は、何もないと言って良いほど静かで、寂しいくらいであったと言っている。 まず初日の出、当時の建物は二階屋までしかなかったので、ちょっと小高いところに上がれば容易に日の出を見ることができた。名所と呼ばれる場所は、深川の州崎、芝高輪の海浜、芝の愛宕山、神田の明神、湯島天神、九段坂上などたくさんあった。が、それでも実際…

盛り上がる寄席

… 回向院での山城紀伊郡吉祥院開帳を含め開帳2 閏8 西両国で駱駝(ラクダ)二頭が見世物、群集する 閏8 高田南蔵院開帳 9月 赤城明神祭礼に5尺あまりの獅子頭2つが出て見もの 10月 回向院で勧進相撲 11月 河原崎座で『男山恵(トリタテ)源氏』梅幸・結城座で興行 ○浄瑠璃、薩摩座・結城座で興行 ☆この年のその他の事象 4月 吉原京町から出火、遊郭全焼 5月 文政一朱を新鋳 7月 閏8月まで水害が多発する 9月 品川御殿山の桜600本櫨60本 ○春から秋にかけて麻疹が流行

富籤に託した一攫千金の夢

…、これらは福禄寿松竹梅の札が、各一万枚、計六万枚発行されるという大掛かりなもので、この時の最高金額は六百両であった。 六百両という金が、今の金にしていくらぐらいになるのか、詳しくはわからないが、少なくとも数千万円にはなるはずである。寺門静軒は、『江戸繁盛記』に「当たれば」として「十年も人から雇われていた男が一朝にして錦を着て故郷に帰るように栄える。昨日鏡を質に入れた女が、今日はベッコウの櫛や、こうがいを頭につける・・・」と、大当たりをとった者が、一夜にして急変すると書いている…

庶民を巻き込んだ園芸のバブル

…が寺島村に花屋敷(新梅屋敷、現在の向島百花園)を開いている。 一八〇七(文化四)年、大田南畝が巣鴨の菊を鑑賞しに出かけたように、植木屋が一種の行楽地として注目されるようになった。そうなると、植木屋の方でも、菊の花で人物や鳥獣を形作って見世物にするなど、次々とアイディアを競うようになる。一八一二年(文化九)には、巣鴨、染井の植木屋が五十余カ所で菊細工(菊人形など)を披露している。 そしてこれら行楽地が目指すものは、明らかにビジネスであり、現代の遊園地経営と何ら変わりがなかった。…

十九世紀初頭

…年 1月 市村座で『梅桜松曽我(ハルキョウダイアイオイソガ)』大当たり大入り ☆この年のその他の事象 1月火事頻発 ★享和年間の関連事象の補足 ○ガラスに彩色絵を描き画面を動かすように仕組んだ「写し絵」が両国付近で興行し、評判となる ○煎茶の会が流行する ○浅草新鳥越、八百善の料理が人気 ○近江仁正寺藩五ノ橋邸内に百余種の桜が植えられる ★文化1年1804年 春頃 深川八幡開帳を含め開帳6 2月 華美な稲荷社の祭りを禁止 2月 初午祭に子供が太鼓を打ち鳴らすのはよいが、大…

江戸庶民の楽しみ 77

…上寺方丈焼失 ○浅草梅園院で源氏流生花千葉竜卜が一世一代の大花会を催す ★天明五年1784年の主な娯楽・行楽関連の事象 2月 桐座で二世瀬川菊之丞十三回忌追善五変化上演 3月 中村座で『三ツ人形弥生雛形』羽左衛門大当たり 3月 相州江ノ島本宮岩屋弁財天開帳、江戸より参詣人多数 2月15日より 回向院にて、鎌倉稱名寺不動尊開帳 2月15日より 回向院にて、豆州八丈島為朝明神本地地蔵菩薩開帳 3月より 洲崎辨財天開帳 3月8日より 江之島下の宮辨財天開帳、江戸より參詣多し 3月 …

★天明四年冬・十月~十二月

…、風神門前より東折小梅浄泉寺参詣(略)水戸侯舘わき甚賑也、浄泉寺本堂にて烟を弄し(略)御墳墓の鍵取寄直に参詣(略)水戸侯邸(略)珠数屋へ寄(略)伊勢屋へ行小休み、薩埵参詣群集也(略)榧八幡因幡地蔵参詣、又伊勢屋へ(略)帰路広小路(略)西中町へ入、田原町二丁目通り(略)車坂門(略)いろは(略)帰家暮時 二十日○四半時より森元町へ(略)小石川通り、一つ橋、大手より和田倉(略)西下、内桜田、虎門、西久保、土器町より森元町表門より入る、行平鍋・難卵・隅田川濁酒造ハす、九半前来る(略)…

★天明四年秋・六月~九月

…り帰る 六月半ばには梅雨も明けたようで、夜店の賑わいを十九日と廿七日に記している。その間も、夜店は賑わっていたものと推測する。ただ、浅草などの盛り場はまだ賑わいがないようだ。なおこの月のイベントとして、山王権現祭が催されている。 ★七月 三日○七過よりお隆同道日暮里へ涼に(略)富士裏(略)御鷹部屋の裏田畑村へ入、余楽寺の坂より道灌山日暮里佐倉屋へ行(略)庭の山へ行、佐くら屋にて田楽等云付、酒をのみ、六半前起行、笠森前、谷中通(略)千駄樹にて五の鐘聞え、半前奥口より帰る 十日○…

★天明四年夏・三月~五月

…町(略)伊勢屋に休む(略)薩埵拝し、渡辺伴僧に請て香炉寸法を聞(略)涅槃堂念仏暫く聞、榧八幡拝し因果地蔵へ詣、又伊勢屋に休み、江戸見坂より貰し金鍔焼を皆々喫(略)田原町にて(略)花火買遊し、柳稲荷(略)山下通、黒門(略)池端(略)池側を過て又細く道つく、古田侯門前(略)護国院を過、清水門より又細く道つく、東側酒やにて水を貰ひて足を洗ふ(略)富士(略)奥口より帰る 五月は、梅雨ということもあって天候も足場の悪い中、6日も出歩いている。さすがにどこも賑わっているとは記していない。

★天明四年春・一月~二月

…寄、角迎に出る、鉢植梅貰ふ、お隆甘露梅貰ふ、薄暮にたち加賀前にて挑燈つけ(略)六半頃帰路盧 十一日○九半過よりお隆同道雑司谷へ(略)西門より出る、原町の上の街より猫また橋(略)護国寺を拝し、御嶽より右道へかかり直に参詣、鳥居うちにて箸なと買ひ和泉屋に休む、客多し、料理云付梅鉢植を貰ふ、七半頃起行(略)前路を暮前帰る 十四日○九前より近辺閑歩(略)春木町(略)切通し伊勢屋みき新店に休み、中町江原屋へ立寄、上野板法華経を出させ見る(略)山下より車坂、覚成院前(略)谷中門を出て八の…

★天明二年冬・十月~十二月

…み(略)御墓へ参る、梅巌明日七回、其外不残参詣(略)又松竹庵へ帰り(略)高田道へかかる(略)本松寺へ参詣(略)穴八幡坂道普請(略)水稲荷裏門より入表へ出(略)雑司谷甚淋し、内陳参詣多故階下にて拝し、和泉屋にて(略)社前の鄽へ(略)護国寺内(略)猫また(略)原町(略)六過西門より帰る 十一月は、観劇2回を含めて8回も外出している。別録によれば、中村座も市村座も「大入」「近来の大入なり」となっている。しかし、市村座は十二月、借財のため困窮し休座している。 ★十二月 四日○九前より…

★天明二年春・一月~三月

…る故又同道、下男在て梅・椿等の枝を取貰ふ、路次も明る故庭を見(略)大門脇に氈を鋪、弁当開き酒飲み、庄屋前より草を摘み摘み西行、昌林寺観世音参詣、暮前前路を帰る、塗中草を摘、帰家暮時(略) 廿二日○八過より珠成・お隆同道西郊辺閑歩(略)西門より出、巣鴨町北行(略)又五郎辻より野へ出、大塚通りへ行、上の橘落板僑かかる、町裏の土堤にて娵菜等摘み、護国寺前へ山、観音参詣、此程三十三所薩埵山内に堂雄につき此比鍬初在、堂左右茶屋小野屋借り弁当開き田楽やかせ休み(略)帰掛堂左の堂へ参り、帰…

★天明一年冬・十月~十二月

…り(略)谷中上にて紅梅鉢植を求め、首振坂上、坂のうへにて谷五葉松を拾ふ、根有、奥口より六半頃帰る 廿日別録○中村座頑要 廿五日○九つ過より珠成同道湯島参詣(略)聖廟拝し、お清鄽に休む、町人女一人小女一人召連来る、お清云ふ、小女は春日町伊勢やりゑ女の由、植木を見、西門より出(略)霊雲寺地蔵参詣、西行、本郷二町目ヘ出、竹町へ(略)土物店より八半時帰る、 廿七日○九時よりお隆同道浅草参詣(略)富士の辻に町人数十人上下にて立居(略)片町辺の惣名主内海甚衛門隠居物故(略)御鷹部屋前(略…

天明一年春・一月~三月

…一月 元日に根岸から梅鉢植を貰うこと、三日の夜の賑やかなこと、十五日に万才福太夫の訪れることなどは、前年と変わらない。しかし、信鴻の湯島・浅草への初詣は十七日と、昨年にもまして遅い。なお、一月の出来事として、九日の日記にも書かれているように大火があった。『武江年表』には「○正月八日、新材木町和國餅の店より出火、両芝居その外類焼、霊巌島にいたる」とある。信鴻は、二月十五日に涅槃会参詣の途中で、再建中の芝居小屋を見ている。 十七日○九過より湯島・浅草参詣(略)本郷真光寺聖廟恵方に…

信鴻のガーデニング天明四年

…は、7日である。 「梅」は、ウメ(バラ科)とする。 「土筆」は、スギナ(トクサ科)とする。 「蕗臺」は、フキ(キク科)とする。 「山吹」は、ヤマブキ(バラ科)とする。 「嫁菜」は、ヨメナ(キク科)とする。 ○閏一月 この月の日記には5日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、7日ある。収穫の記載は4日ある。それら日記に記された植物名は7、5種である。この年の新たな植物の種類は2種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記…

信鴻のガーデニング天明三年

…は、3日である。 「梅」は、ウメ(バラ科)とする。 「土筆」は、スギナ(トクサ科)とする。 「萩」は、総称名ハギ(マメ科)とする。 「蕗臺」は、フキ(キク科)とする。 「福寿草」は、フクジュソウ(キンポウゲ科)とする。 ○二月 二月の日記には16日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、14日ある。収穫の記載は15日ある。それら日記に記された植物名は26、8種である。この年の新たな植物の種類は5種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植…

信鴻のガーデニング天明二年

…は12日である。 「梅」は、ウメ(バラ科)とする。 「松露」は、ショウロ(ショウロ科)とする。 「土筆」は、スギナ(トクサ科)とする。 「蕗臺」は、フキ(キク科)とする。 「松」は、マツ(マツ科)類の総称名とする。 「桃」は、モモ(バラ科)とする。 ○二月 二月の日記には19日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、13日ある。収穫の記載は18日ある。それら日記に記された植物名は29、11種である。この年の新たな植物の種類は8種である。以下順に示す。な…

信鴻のガーデニング天明元年1

…録は6日である。 「梅」は、ウメ(バラ科)とする。 「唐橘」はカラタチバナ(ヤブコウジ科)とする。 「冬牡丹」は、カンボタン(ボタン科)とする。 「土筆」は、スギナ(トクサ科)とする。 「つはき」は、ツバキ(ツバキ科)とする。 「福寿草」は、フクジュソウ(キンポウゲ科)とする。 ○二月 二月の日記には22日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、19日ある。収穫の記載は18日ある。それら日記に記された植物名は28、11種である。この年の新たな植物の種類…

信鴻のガーデニング安永九年2

…を26日行っている。梅の実などの収穫は5日となる。 六月は、草刈りや手入れなどの作業が12日、採取は3日行っている。 七月は、作業が7日、収穫が6日と少なく、園中草払いとムカゴの収穫が主である。 八月は、収穫する日数が多く22日に増え、月初めはムカゴ、後半は栗拾いとなる。作業は18日で、草払いが大半である。 九月も収穫が26日と多く、この年は栗が豊作で椎も収穫している。月の後半には「初茸」が増え、「もみ茸」も加わる。収穫に忙しく作業は5日しか行っていない。 十月は、土筆摘みを…

信鴻のガーデニング安永九年1

…、11日である。 「梅」は、ウメ(バラ科)とする。 「土筆」は、スギナ(トクサ科)とする。 「蕗臺」は、フキ(キク科)とする。 「福寿草」は、フクジュソウ(キンポウゲ科)とする。 「赤根」は、フダンソウ(ヒユ科)とする。 「松」は、総称名マツ(マツ科)とする。 「万作」は、マンサク(マンサク科)とする。 ○二月 二月の日記には23日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、13日ある。収穫の記載は20日ある。それら二月の日記に記された植物名は41、13種…

★安永九年春・一月~三月

…樹を見る、渡都に命し梅紅白接分棒木を直を付させ(略)中町手打へ(略)湯島女坂(略)お清茶鄽に休む(略)聖廟参詣、開帳仮店普請最中(略)本郷より帰る(略)七半過帰廬 廿七日○九半比よりお隆同道野遊に出(略)表門を出銚子や鄽へ(略)和泉境より建部の間抜野へ出、四辻より(略)畝道にて娵菜・蒲公・田芹を摘、滝川寺へ入(略)崖下へ下り窟を拝し、土橋を渡り(略)向崖上の民家の前に床机貸り弁当遣ひ酒を飲(略)爰より日色翳故王子へ出、権現拝し崖上より流川を望み、飛鳥山磴道を登り蒲公を摘(略)…

★安永八年冬・十月~十二月

…む(略)太神宮前にて梅鉢うへ求めさせ(略)参詣夥し、君か蕃麦前(略)上野明王院もみの大樹を杣の梢にて伐を見る、人立有、観成院前(略)谷中口(略)酒井館前(略)七半比帰廬 二十日○九半より真崎へ行(略)谷中より瘡守稲荷参詣、感応寺うち芋坂(略)伶人町(略)戸田前(略)東河岸外石橋(略)土堤(略)白玉や江寄鄽(略)今戸町(略)真崎本道へ出仙石やへ行、上間西壁を障子に替へ庭を造り直す(略)団左衛門内通り聖天町浅草裏門より入、観音拝し、伊勢屋に休み(略)広徳寺前通り上野(略)千駄樹備…

★安永八年春・一月~三月

…(略)動坂植樹屋へ紅梅直を付させにやる(略)大師にて山内賑也、屏風坂門より出、山下より広小路へ出、中町にて絵半切・ひいとろ簪五本求め(略)女坂より男坂上伊勢屋に休む、少娘在ひいとろ簪一ツ遣る(略)地蔵拝し聖廟参詣、天沢寺前にて水飴求め、加賀前ひいとろ屋にて簪ニツ求め(略)帰廬の時七ツの鐘聞ゆ 十二日○九過(略)浅草参詣(略)春色暖和(略)土物店より湯島参詣、聖廟并地蔵拝し、男坂伊勢屋に休む、少娘在、中町より山下広徳寺前、塗中甚賑し、直に観音参詣御堂廻り(略)奥山太神宮側に芝居…

信鴻のガーデニング安永八年1

…ズキ科)とする。 「梅」は、ウメ(バラ科)とする。 「万年青」は、オモト(ユリ科)とする。 「くわりん」は、カリン(バラ科)とする。 「萱草」は、総称名カンゾウ(ユリ科)とする。 「桜」は、総称名サクラ(バラ科)とする。 「杉」は、スギ(スギ科)とする。 「土筆」は、スギナ(トクサ科)とする。 「つはき」は、ツバキ(ツバキ科)とする。 「沙羅双樹」は、ナツツバキ(ツバキ科)とする。 「野韭」は、ノビル(ユリ科)とする。 「なむしやもんしや」は、ヒトツバタゴ(モクセイ科)とする…

信鴻のガーデニング安永七年1

…て記す種はない。 「梅」は、ウメ(バラ科)とする。 「桜」は、総称名サクラ(バラ科)とする。 「水仙」はスイセン(ヒガンバナ科)とする。 「土筆」は、スギナ(トクサ科)とする。 「松」は、総称名マツ(マツ科)とする。 ○二月 二月の日記には20日間に植物名の記載がある。ガーデニング作業と思われる記述は、16日間ある。また、収穫の記載は17日ある。それらの中から、記された植物名は28で10種あり、この年の新たな植物の種類は6種である。以下順に示す。なお、信鴻が六義園に移って初め…

信鴻のガーデニング安永六年1

…て記す種はない。 「梅」は、ウメ(バラ科)とする。 「万年青草」は、オモト(ユリ科)とする。 「土筆」は、スギナ(トクサ科)とする。 「橘」はタチバナ(ミカン科)とする。 「柘植」は、ツゲ(ツゲ科)とする。 「萩」は、総称名ハギ(マメ科)とする。 「蕗臺」は、フキ(キク科)とする。 「福寿草」は、フクジュソウ(キンポウゲ科)とする。 「もみ」は、モミ(マツ科)。 「桃」は、モモ(バラ科)とする。 ○二月 二月の日記には25日間に植物名の記載がある。ガーデニング作業と思われる記…

★安永七年十一月~十二月

…賑也、太神宮前にて白梅求め内陣にて拝す(略)女四五人此方よりも見認し様成女なからたしかに誰とハ不認(略)出ながら数顧回看し予也と咡き出る(略)御手洗水へ鰻放し堂左へ(略)伊勢屋に休み(略)弘徳寺(略)山下より藤屋へ(略)中町通、湯島切通しより本郷通りを暮時帰る 十一日別録○森田座頑要 十四日○九半前より他行(略)肴たな大工店(略)湯島参詣、聖廟拝し伊勢屋男坂の鄽にハ武士客在故本店へ(略)中坂より石川表門前通り、長者町、三絃堀より鳥越・西福寺うら門へ入る、鞍岡寺中宝林院へ行、安…