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新たな遊びが増える中、江戸の遊びが制約される

…、団子坂あたりの造り菊は、有料(3厘)で見せるという新聞記事がでており、十一月には染井、浅草、目黒などで菊花壇や菊細工が観賞された。二の酉は、救急医の人力車が動かないほどの人出。浅草の歳の市は、1円以上の高値の羽子板がよく売れるという盛況で、仲見世から奥山まで群集して帰るのも難儀なくらいの混雑であった。もっとも、そんな雑踏でも、紛失物は銀の時計一個と三歳の迷子一人と大禍、まことに平穏な年の瀬であった。・じわじわと強まる政府の締めつけ このように書くと、庶民は、余暇を謳歌してい…

不景気が始まる明治八年

…千駄木では、無許可で菊花展を催したので、売上金5円を没収された上に、罰金を1円50銭も取られたという話もある。・女性が泳ぐ姿に話題が集まる 夏には、暑さを忘れる納涼活動が盛んに行われていた。七月、築地合引橋の游ぎ場は日増しに人の訪れが多くなり、時には妙齢の美女がお供の下女と一緒に川で泳いだという。島田髪にちりめんの肌着で泳いだということから、大きな話題となった。女性の水泳は、水泳場(水泳道場)が開設されてまだ間もないことから、東京では初めてかもしれない。当初水泳は娯楽というよ…

江戸の終焉・明治七年

…、十一月の浅草では、菊細工。十二月、浅草天文原で、諸芸人たちが吾妻能狂言や長唄、富本、清元、義太夫、常磐津などを興行。また、浅草寺の境内では、力持ちの会というような、江戸時代と同じ類のお楽しみが催されていたことからもわかる。 十一月恒例、浅草初酉の市は、早朝から往来引きも切らずという賑わい。十二月の浅草歳の市は、天気よく大勢の人が押し寄せるという江戸時代と変わらぬ盛況であった。─────────────────────────────────────────────╴ 明治七…

太陽暦が始まる明治六年

…と、芝山内茶店の庭に菊の造物がでるなど、他にもたくさんの見世物が出された。なお、それらの中には、この年、東京府が禁止した不具者の見世物もひそかに続けられていた。 暦が変わっても、七夕は七月七日に行われた。とはいえ当時の人にとっては、七夕は長らく秋の気配を感じる行事であったわけだ。それが季節外れの七夕に変わってしまって、おそらく気分ものらなかったのだろう。斎藤月岑は、『武江年表』に「短冊竹の上に立つる甚だし」と書いている。季節に対応した方がよいと考えられたのか、六月の日枝神社祭…

明治四年の東京庶民

…ものであった。秋は、菊の造り物(菊人形)、染井・巣鴨・団子坂に加えて、招魂社、麻布広尾の笑花軒にも飾られた。サクラの花見に比べると一度に訪れる客は少ないが、キクは開花期間が長いことから、数万人の来訪があっただろう。 五月になると、九段坂上の御薬園跡に、西洋の物産が市のように出て、これも大勢の人々が訪れた。招魂社の祭礼には、花火などのこれまでの出し物に加えて、競馬、曲馬などが催された。招魂社境内では、十一月にスリエ曲馬団が男女曲馬を興行している。もっとも、この曲馬興行は見物料が…

まだ江戸時代のような明治三年

…くの人が参詣した。・菊人形も復活 この年は、庶民の花見が盛況で、それに花火も盛んになり、祭礼の山車も続々復活している。庶民は、江戸時代のレジャーを取り戻そうとしているかのようである。特に、秋に入って巣鴨の「菊の造り物」が13箇所も復活したことは、以前にも増して遊んでやろうという庶民の心意気を反映しているようである。ただ、この時期に、東京の庶民がどうしてこんなに楽天的に遊んでいられたか、いささか不思議である。なぜなら、東京の米価は前年から引き続き、異常な値上がりを見せ、庶民の生…

東京庶民が始まる

…ませる 8月E五代目菊五郎が「梅照葉錦伊達織」を襲名上演する/日本演劇史年表 9月○改元、明治元年となる 9月B堀内妙法寺祖師開帳、参詣人多数 9月E歌舞伎界不況打開に、中村座と守田座が合併興業を行う 9月○市村座の策師参謀・河原崎権之助が惨殺 10月B御鳳輦(ホウレン)東京に着き、貴賤老稚児道路に輻輳して拝し奉る 11月Ⅹ興行場内の帯刀禁止/太政官日誌 11月B天皇、東幸を祝し東京市民に酒・鯣など下賜 11月B山下御門内薩摩侯陣営の稲荷社で祭礼、相撲見物もあって町人参詣し、…

幕末庶民の食糧事情

… 団子坂藪下の辺りに菊の造り物出る(忠臣蔵狂言の人形) 神田明神祭礼、神輿山車附祭等出る、16日雨、17日は参詣人多数 9月 市村座で『本朝廿四孝』若手揃いで大入り 10月 湯島天満宮祭礼、山車練物出て九日は群集するが、10日当日は雨天で渡らず 根津、千駄木藪下、巣鴨、染井の辺りに菊の造り物多く、見物人多数 回向院で勧進相撲 秋 麹町十三丁目裏続き福聚院境内で虎(外国産、大きさ五尺余)の見せ物出る 11月 朔日酉の祭参り、終日大雨で参詣人少数(三の酉は参詣多数) 12月 浅草…

世相を映す幕末の見世物

…細工にも影響を与え、菊細工や藁細工なども顔や手足は活人形を真似るようになった。戯れ唄、替え歌、狂歌はもとより、寄席で活人形の物真似を専門に見せるという芸人まで現れたくらいで、湯屋や髪結いでも活人形の話題で持ちきりだった。 ただ、万延年間(1860~61年)に入ると、やや人気にもかげりが出てきて、そのころから怪談仕立ての活人形が登場するようになった。蔓延元年五月には、松本喜三郎も時流にあわせたのか、両国回向院の境内で怪異まじりの活人形を興行している。 たとえば、場所は女郎屋の二…

ペリー来航と庶民

…10月 千駄木の邊、菊細工を見せる植木屋が六軒程出る 11月 三座芝居顔見世狂言、大火事で全焼し、春に延期される 11月 回向院で勧進相撲 ○浅草田町の福徳稲荷が大流行 ○この頃、朝顔が再び大流行する ☆この年のその他の事象 1月 ペリーが再び浦賀に来航 3月 日米和親条約が締結される 4月 伊勢町拍戸百川で卓袱料理始まる 5月 皇居造営に豪商が献金させられる 7月 日章旗を日本の総船印に定める 秋頃 千駄木藪下の植木屋と浅草奥山人丸社前にも瀧が作られ、水浴させる 11月 畿…

祭は庶民のものに

…内、牛御前境内などに菊細工 11月 回向院で勧進相撲 11月 浅草田圃鷲明神の酉の市、事ありて開帳ないが商人は例年通り出る ○浄瑠璃、薩摩座・結城座合同興行 ○内藤新宿正受院の奪衣婆(ダツエバ)へ願掛けに群集 ○投扇が流行る ☆この年のその他の事象 春頃 小金井の桜が植え継がれる ○種痘が盛んに行われる 嘉永3年1850年 2月 吉原揚場町の寄席で曲独楽興行中、大入りで二階が落ち死傷者が出る 春頃 浅草寺観音開帳(参詣人多数)を含め開帳5 3月 回向院で勧進相撲 3月 河…

開帳より見世物が目当て

…られる。 たとえば、菊細工は、当初は菊の花で兎や象、船などをつくる「形づくり」と呼ばれるものであったが、やがて「菊人形」が登場し、ブームを巻き起こしている。1845年(弘化二)には、細工を競う数、実に81軒。まだ花が咲かないうちから、江戸の町々を番付売りが「菊の番付四文」などと叫んで売り歩き、その版元が60数軒もあったという。 これほど人気を博した菊細工も、当初は、見苦しいと武士の評価はさんざんであった。しかし、菊人形は一時の徒花ではなく、江戸から明治時代にかけての園芸文化、…

信心に託つけた 遊びを見直す

…木屋で見せる作り物(菊人形等)に人気が集まったのは文化年間(1804~17年)である。また、寛政年間(1789~1801年)に登場した寄席も文化年間から大勢の人々が通いはじめた。 十九世紀は、地震や火事、疫病などが多く、政情が安定していたとは言えないが、逆にだからこそと、庶民の遊びは以前にもまして活発になっていった。当時の盛り場が庶民で賑わっていたことは、幕末期に浅草を訪れたアルミニヨンが「寺に通じる非常に美しい通りにわれわれが達した時には、無数の老若男女がぞろぞろと群れ歩い…

四季の行楽

…次いで人気のあるのが菊細工(菊人形)。巣鴨染井辺の植木屋を初めとして、団子坂や両国など色々な場所で観賞でき、多い年には家族の誰かが出かけるという程であった。 冬の行楽は、宗教関連の行事や市などには、相変わらず多くの庶民がでかけている。まず、初冬の十月は、白膠木(ヌルテノモミヂ)や紅楓(モミヂ)など紅葉狩りをかね、谷中天王寺、品川東海寺、鮫州海晏寺などへ参詣かたがた出かけるのが普通だった。 十一月には、酉の日に行われる鷲明神の祭礼、酉の市(酉の祭)がある。葛西花又村鷲大明神社(…

盛り上がる寄席

… 中村座で『助六曲輪菊』と玉川座『助六縁江戸桜』が菊五郎の助六・団十郎の助六とで張り合い大入り 3月 回向院で勧進相撲 6月 回向院での嵯峨清涼寺開帳を含め開帳2 6月 中村座で『再夕暮雨の鉢木』大入り大当たり 7月 浅草奥山で一田正七郎が籠細工見世物を出して大好評 8月 中村座で『いろは仮名随筆』大当たり 秋頃 両国にも籠細工やギヤマン灯籠に蘭船の作り物が出る 9月 水天宮、水難除け・安産の札を求め朝から殺到 11月 回向院で勧進相撲 ○葺屋町河岸で大坂下り谷川貞吉が「うか…

富籤に託した一攫千金の夢

…鴨染井周辺で35軒が菊細工を見せ、見物人が群集 秋頃 怪奇な噂話が競って作られ流行 9月 森田座で『男一疋達引安売』大入り大当たり 11月 回向院で勧進相撲 11月 市村座で『戻橋背御攝(セナニゴヒイキ)』12月中旬迄大当たり ○式亭三馬『浮世床』刊行 ○女義太夫が現われる ○東両国に小狐の見世物出る ☆この年のその他の事象 3月 隅田川土手や池上本門寺などで相次いで相対死(心中)発生 6月 蕎麦を食べると死ぬという流言が出て蕎麦屋の客足が落ちる 9月 米価下落 11月 日…

庶民を巻き込んだ園芸のバブル

…年、大田南畝が巣鴨の菊を鑑賞しに出かけたように、植木屋が一種の行楽地として注目されるようになった。そうなると、植木屋の方でも、菊の花で人物や鳥獣を形作って見世物にするなど、次々とアイディアを競うようになる。一八一二年(文化九)には、巣鴨、染井の植木屋が五十余カ所で菊細工(菊人形など)を披露している。 そしてこれら行楽地が目指すものは、明らかにビジネスであり、現代の遊園地経営と何ら変わりがなかった。それ以前の行楽地は、「功徳をいただく」とか「厄払いをする」といった宗教的な目的を…

江戸庶民の楽しみ 78

…山籠釣鐘』初演、瀬川菊之丞ら市村座と掛け持ち ○神奈川浦島寺開帳(開催地・開帳期間不明) ☆この年のその他の事象 5月 好色本の禁止。子供の草紙・絵本の内容規制 ○湯女風呂を根絶させるため、湯屋の新規開業を不許可 ★寛政三年1791年 1月 両国尾上町京屋で咄の会第五回を催す 2月 橘国二丁目駕籠屋二階で岡本万作が夜席を興行 3月 浅草寺開帳を含め開帳2 4月 大相撲興行が深川富岡八幡宮から本所回向院に移る 4月 中村座で『助六縁(ユカリノ)牡丹』大当たり(助六ナドノ衣装ニ…

江戸庶民の楽しみ 77

…2月 桐座で二世瀬川菊之丞十三回忌追善五変化上演 3月 中村座で『三ツ人形弥生雛形』羽左衛門大当たり 3月 相州江ノ島本宮岩屋弁財天開帳、江戸より参詣人多数 2月15日より 回向院にて、鎌倉稱名寺不動尊開帳 2月15日より 回向院にて、豆州八丈島為朝明神本地地蔵菩薩開帳 3月より 洲崎辨財天開帳 3月8日より 江之島下の宮辨財天開帳、江戸より參詣多し 3月 浅草妙音寺にて、二の江妙勝寺祖師開帳 4月 柳橋河内屋で烏亭焉馬が『太平楽之巻』を自演(落噺隆盛ノモト) 夏頃 両国に瓢…

安永四~六年

…月 森田座で顔見世『菊慈童酒宴岩屋』大当たり ☆この年のその他の事象を示す。 3月 大井来福寺、櫻樹を栽繼く 4月 浅草寺日音院内で富籤同様の籤取で疱瘡の守札を領布した者が江戸払い 4月 芝切通し時の鐘再興 4月 龜戸聖廟に、楼門建 ○大川中洲築立地へ家續、町名を三股富永町と号し、川辺に葦簀囲ひの茶店をかけ並べ、夏月納涼殊に繁く、絃歌昼夜に喧し ○恋川春町黄表紙『金々先生栄花夢』刊行(黄表紙ノ始メ) ○浅草寺境内石地蔵尊が流行りだす ○投壺の技が流行 ★安永五年1776年 1…

★天明四年冬・十月~十二月

…閑歩(略)妙義坂銀八菊を見る銀八出る、笠志に鄽上にて逢ひ道濯山より田畑村、安部侯御部屋隠居所にて溝口を遣し菊を見んと申遣せしに見せす、御鷹部屋裏道、植樹屋門内にて烟を弄し富士うらより暮時帰る 九日○八時より(略)西門より出、猫魔橋姥か床机に休み波切坂にて飴を伸すを見、護国寺薩埵拝す、塗中甚群集門外にて女乞食つく、爰にて鷹を遣ひ居るを大立留り見る容子、御岳飾物を見、雑司谷磴下にて拝す、寺々の飾物例の如し、別当飾物を見る時人叢中十二三の坊主五十許の町人の腰の財布の紐を切見付打擲す…

★天明四年秋・六月~九月

…見、老介坂四辻酒屋の菊を見、伊藤を笠志へ案内に遣し、留守の由直に休む、如貢在、瀧川へ蕎麦振廻に行し由、帰掛植樹やへ立寄菊壇を見、植菊を買ふ(略)暮頃表門より帰る 廿七日○七過よりお隆同道近隣の菊を見に行(略)西門より北行、加賀北脇四郎左衛門・弥三郎菊を見、又五郎辻より市左衛門菊、稲荷小路へ出左太郎菊を見、暮時西門より帰る 廿八日○九過よりお隆同道王子祭見物(略)笠志鄽にて小休(略)塗中賑し、権現の橋より内群集熱閙、権現拝し(略)笠志拝殿(略)見物一杯、右側は旗本衆らしき供十人…

★天明三年冬・十月~十二月

…二日○七頃より(略)菊花を見る(略)西門より(略)左太郎菊を見る(略)客少在、稲荷裏より権左衛門菊を見、表へ出弥三郎菊を見る、客多く酒呑居たり、四郎左衛門菊にて橡をかり茶を飲、和泉境より庄八庭へ行暫休む、明日太師へ出す植木荷こしらへ居たり、小菊買ハせ暮時帰廬 七日○七過よりお隆同道(略)路次より滝方江菊見に行 十日○四半過よりお隆同道浅草参詣(略)表門より(略)富士裏(略)不動坂(略)谷中門(略)瑠璃殿(略)車坂より(略)戸繋いせ屋に休む(略)薩埵拝し御手洗へ鰻放す、又伊勢屋…

★天明二年冬・十月~十二月

…り通へ出、四郎左衛門菊を見る(略)夫より左太郎菊を見、西門より晩鐘頃帰る 十三日○九つ時よりお隆同道浅草参詣(略)富士裏(略)三辻(略)瑞倫寺裏門(略)寮の飾物を見る、甚賑也、清水門より上野うち車坂より行、寺町鳥屋にて鸚鵡を見、戸繋伊勢屋に休み、薩埵拝し、御手洗へ鰻放し、三杜経蔵塔を見、又伊勢屋に休み(略)前路を帰る、根岸を池端とんとん庵案内に遣し、山下より行、池端木戸より七八間行、庵狭し(略)暮前起行 十九日○九過よりお隆同道浅草参詣(略)富士門(略)御手鷹町(略)いろはの…

★天明二年秋・七月~九月

…隆・熊蔵同道、巣鴨へ菊見に(略)西の門より出、左太郎菊を見る、今日漸々障子掛、華甚あしく莟かち也、稲荷前より権左衛門、市左衛門、夫より通りへ出、弥三郎方へ(略)四郎左衛門へ行、菊一番好、和泉境より庄八方へ行、爰にて弁当開き暮時帰る 九月の出来事として、暴風による新大橋や永代橋の倒壊がある。信鴻の日記にも、五日から七日にかけて大雨の降ったことが記され、「泉池水三分一溜りし」とある。八日も「寺町水出川の如し」、十一日になっても「馬場塗大にあしく、一町はかり下駄をはく」とある。それ…

★天明一年冬・十月~十二月

…にて樹木をみ(略)小菊かハせ、蓬莱屋に挿花会在、今日太師にて甚熟閙、池端通り(略)瑞林寺(略)谷中辻(略)御鷹部屋(略)六比奥口より帰る 五日○九半よりお隆同道雑司谷参詣(略)沙利場の橋にかかり、大学脇姥か床机に休む(略)波切不動(略)護国寺女坂より上り、左脇観音堂拝し、本堂へ参詣、今日開帳、裏門より出、御嶽堂飾物を見(略)雑司谷大かい賑也、直に拝し、坂下にて鼡つかひ角抵取らせ、猫行司するを立なから見、寮の飾物見る、例の如し、本堂に羅漢角低のからくり有、皆見るに足らす、別当寮…

★天明一年秋・七月~九月

…を帰る、茶屋に挿花大菊等会の札出る、瑞林寺表門へかかり領玄寺・末広稲荷参詣、祖君の交り玉ふ日亨上人の墓を見、瑞林寺内より谷中通、富士前にて(略)小菊かハせ、暮少前帰廬 十三日○四頃(略)六本木へ(略)土物店よりさすかい町(略)伝通院内寮の前より表門坂上より土峰(略)諏訪町よりとんと橋、牛込門外人を払ひ紀侯息女葬礼通る、番町通平河聖廟参詣(略)末の茶屋に休む(略)溜池端田町五丁目より檜館、六本木表門より入る(略)表門より出、飯倉より長井町光宝寺へ参詣、切通し増上寺前三島町神明北…

天明一年春・一月~三月

…大名の忍ひ(略)新橘菊や(略)三絃溝より西折、生駒わき中坂より湯鳥お清麟に休み(略)聖廟拝し西門より出、本郷(略)追分にて四谷鳶鳳巾買ひ、暮前帰廬 二月の出来事として、『武江年表』に「○二月十五日より、回向院にて、下總小金普化宗本寺一月寺迦如来不動尊開帳」がある。日記に記された通り、一月寺の開帳は「十一日廻向院へ着、虚無僧百余迎に出甚賑しく」と、大層な評判で賑わったとされている。 ★三月 朔日○九半頃より雛市へ(略)土物店より行(略)本郷四丁め(略)町中程より横町へ出東行、湯…

信鴻のガーデニング天明四年

…は、3日である。 「菊」は、キク(キク科)とする。 「霧島」は、キリシマ(ツツジ科)とする。 「さつき」は、サツキ(ツツジ科)とする。 ○六月 六月の日記には8日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、13日ある。収穫の記載は4日ある。それら日記に記された植物名は8、2種である。この年の新たな植物の種類はない。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、1日である。 「菊」は、キク(キク科)とする。 「霧島」は、キリシマ(ツ…

信鴻のガーデニング天明三年

…ヤメ科)とする。 「菊」は、キク(キク科)とする。 「花菖蒲」は、ハナショウブ(アヤメ科)とする。 「槙」は、総称名マキとする。 「自然薯」は、ヤマノイモ(ヤマノイモ科)とする。 ○六月 六月の日記には11日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、11日ある。収穫の記載は4日ある。それら日記に記された植物名は15、13種である。この年の新たな植物の種類は7種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、6日である。 「…