菊 の検索結果:
…に人出があった。秋の菊人形、特に団子坂は混雑し、上野谷中口・根津口とも人、人、・・人で歩行困難。十一月の浅草の酉の市には、熊手売りが30内外、芋が57軒などが並び、早朝から大勢の老若男女がつめかけた。二の酉では、ただでさえ人出が多かったところに、急な雨で帰りを急ぐ群衆が小松橋に集中、数十人ものケガ人がでるという惨事があった。新聞は、その状況を説明するつもりか、散乱して残された下駄のことまで詳しく書いている。 この年のレジャー活動は、前年までの上昇傾向に水を差すようなことがしば…
…、活人形、軽業、造り菊の順である。興行内容と日数を見る限り、明治中期になっても手品、活人形など、市民の嗜好は江戸時代と大きな違いがないように思える。 また、見世物は、機械人形・蒸気船・電信器械・理化学器械などが登場したことからもわかるように、時代を先取りする場でもあった。当時の見世物は、「観物」と呼ばれ、上流階級からは卑しいものと思われていたが、庶民の意識は博覧会となんら変わるものではなかった。そのためか、明治二十三年に開催された上野公園で第三回内国勧業博覧会は、四カ月間に入…
…多し1月 明治座は、菊五郎で連日大入り2月Y初午祭と紀元節、強風で人出閑散2月Y初卯、小雪で亀戸でも参詣人ちらほら3月 川上一座の壮士役者が浅草座で時代物を興行する3月Y大森八景園の梅園、日曜に賑わう/読売3月Y浅草公園内、日清戦争パノラマ開業3月J前年の青梅線日向和田駅の開通により、吉野梅林に観梅客が多数訪れる/日本4月M向島、土手の歩行者10万人以上との記事4月Y浅草活人形が様変わり、七情の動作や意匠より仕掛け物が人気4月M義太夫は各席とも大入りであるが、一枚看板の綾之助…
…なお、同頁に団子坂の菊細工(菊人形)の開催日、出し物の紹介。植木屋「新籾」は、旅順口龍山砲台占領の場、土城子浅川騎兵大尉奮勇の場、それに弁天小僧菊五郎、五条大橋牛若弁慶立回り、二人道成寺などを菊人形に仕立てたもの。「種半」は川上音二郎一座が公演した威海衛占領を、「植安」が台湾戦争、「植惣」が台湾征討、「植梅」が大舞台仙台萩、「植重」が国性爺紅流し、「燻風園」が日清戦争大箱庭数個、と趣向を凝らしている。 ─────────────────────────────────────…
…頭海上月などを模した菊細工を開園。団子坂の菊人形も、薫風園では一種変わった日清戦争陶器人形大箱庭がつくられ、さらに、九連城占領の実況を再現する菊人形かつくられた。十一月には、神田明神の射的場で、李鴻章や北京城などの的が設けられ、矢が命中すれば景品がもらえるという趣向が注目された。戦争が始まったころは、レジャーに戦時色を盛り込もうとしていたが、そのうちレジャーも戦争に関連したレジャーを行うようになっていった。 芝居の内容も時流に乗り、九月に春木座で「日本大勝利」、新声館の人形芝…
…った。また、団子坂で菊人形の季節までのつなぎに桜人形などを催すとある。サクラやツツジ、オミナエシやナデシコなどの花を使って、東海道五十三次に見立てた見世物を出した。春の行楽シーズンには、大勢の人が繰りだすと予測したのだろう。向島の花見時には、言問い団子と桜餅の商いに関する記事があり、団子が一日3千食、餅が千食という見積もりをしている。運動会も活版所の職工が千余人も参加するなど、あちこちで開催された。このように東京市内及び周辺は、明治二十年代で最高の人出を記録したに違いない。 …
…記」は空前の大入り、菊五郎が使った「・・でガンス」という言葉が大流行する。芝居に行楽にと人々の行動は活発で、新聞には、梅見の屋形船の予約が多いという記事も、また初午の水天宮や上野公園の賑わい、佃沖や御台場の潮干狩り、サクラ・ボタン・フジ・ハナショウブ・アサガオ・ハスなどの花の便りが続いた。四月の学生の運動会は一日に10校も開催され、五月の藤見では「くず餅」が大人気。六月には、本所の東花園が東海道五十三次の盆景を出した。入谷の朝顔人形は、この年も大がかりな舞台が仕立てられた。盆…
…形・軽業・諸畜・造り菊・盆栽・器械人形の順であった。たぶん、明治年間で最も多くの見世物観客数があったのではなかろうか。十一月、残酷な見世物が禁止になった。 ─────────────────────────────────────────────╴ 明治二十二年(1889年)主なレジャー関連の事象 ─────────────────────────────────────────────╴ 1月H牛込神楽町毘沙門天初寅、開運小判の守札を出し雑踏を極め植木商人も非常に出たり/郵…
…の便り。七月の本郷・菊坂下の釣り堀では、数万匹のホタルが放たれた。猛暑であったことから、納涼場はどこも大繁盛で、花火もたびたび催された。 六月の氷川神社祭礼は、神輿が町内を練り歩き、新しい山車を含めて30余両が踊屋台などとともに出て、近年にない賑わいとなった。浅草公園不動堂大行院で京都広隆寺の聖徳太子が開帳。賑わいは開帳より聖徳太子の出迎えの方が大きかった。旗や山車などの他、石工職人約千名が大旗を押し立て、吹き流しや馬鹿囃子などを伴って、本願寺から銀座通りをぬけ浅草公園までの…
…わった。秋は、各地の菊人形に加えて、品川・海晏寺の紅葉も数十本植えましたこともあって見物客が多かった。このように江戸時代からの行楽活動を楽しむ人々がいる一方で、新しい行楽活動をする人たちもでてきた。 それは、新たに東京に住みはじめた人々や新しい教育を受けた人たちの活動である。これまでの遊びとは異質な組織や集団で行われ、庶民の遊びにも明治の形態が成立する。その代表格が学校を中心に形成された運動会であった。二月に、東京商業学校が飛鳥山で大運動会を開いた。三月にも、京橋の婦人洋服女…
…屋敷は例年どおり造り菊のイベントを行っている。 五月は行楽シーズン、浅草だけでなく、亀戸天神のフジ・大久保のツツジ・各花園のボタン、潮干狩りなどへ大勢の人が出かけた。なかでも、水天宮祝日の縁日には、午前十時までに守札が25万枚でたという。六月には、下谷金杉町の三島神社大祭をはじめとして、日枝神社大祭、庚申の帝釈天なども賑わった。七月の浅草公園は、納涼客を当て込んで、池中に舟を浮かべ影芝居や写絵などの趣向を凝らした。が、期待に反してそこそこの賑わいにしかならなかった。この年の夏…
…十月には、あちこちで菊人形や菊花壇が催され、団子坂は資金を奮発して力作が揃ったという。・奇妙な仕掛けの水族館、人気を集める 十月に開館した浅草水族館、どのようなものだったかというと、周囲を船板で囲い、正面に貝細工文字で書かれた水族館というと大額が掲げられていた。中へ入ると、乾魚、貝類などの陳列場があり、続いて洞門トンネル状に海岸の景色が出現し、岩石の間に数十個の養魚箱が組み込まれ、その中に様々な海魚が飼われている、というスタイルになっていた。前面は、ガラス張りのため、海魚が遊…
…記事がある。十一月の菊人形は、根津が「曾我の夜討ち」、団子坂が「奈良の大仏」の造り菊、浅草は二丈五尺の文覚の滝を造り無料で見せている。一の酉、浅草大鷲神社は快晴で大賑わい。二の酉も人出があって、初酉の倍近い売上げがあったと。 ─────────────────────────────────────────────╴ 明治十六年(1883年)の主なレジャー関連の事象─────────────────────────────────────────────╴ 1月Y各地の閻魔堂…
…奥山の花屋敷が催した菊人形は、日曜日の入場者が約5千人にも達する大盛況。徐々にコレラ発生以前に人々の気持ちが戻るかと思われた。が、十一月の初酉は、諸商人がところ狭しと店を並べたが、思ったよりは訪れず景気は回復していないようだ。二の酉も賑わいはあるものの、売上げは伸びなかった。さらに、十二月の歳の市、薬研堀不動の人出は例年より少なく、市商人も減少。浅草の歳の市には、年々不景気になるとまで書かれていた。この年は、東京府全体で約5千人がコレラで死んでいる。・ボートレースが恒例化 こ…
…月には、団子坂周辺の菊作りの見世物を有料にすることに、客の入りが悪くなるという理由から、料理茶屋などが反対、対する植木屋勢もただでは見せられないと大反発した。十一月、三田育種場の競馬で、見物人に切手を売出し、当選者に利益を出している。これは、今の馬券の始まりとも見れる。不景気を反映したものか、一攫千金を求めて、二日間に1万7800枚も入場券が売れたという。 十一月の浅草並木亭では、三遊亭円遊が自嘲的な囃子言葉とともに、大きな鼻をつまんで投げるようにして、手首を招き人形のように…
…0月Y久松座、世話物「大岡調名高本読」等を公演10月Y久松座、瓦斯灯の点火を誤り、引き幕を焦がす11月Y芝公園で蘭と菊などの縦覧会11月Y靖国神社の大祭、競馬と奉納相撲を興行11月 共同競馬会が設立、戸山学校で第1回共同競馬会が開催11月Y浅草酉の市、近年にない賑わい11月H浅草奥山、写真師の増加(37~38軒)で客引き競争⑱12月Y三田育種場で競馬、曲乗りの余興もあって賑わう12月Y新富座、半額にして大入り続き、興行を延ばす12月Y浅草観音の市、好天に恵まれ大勢の人で賑わう
…ケガ人10月L下谷金杉村の初音座、綱の上の踊り興行、芝居類似のかどで出頭を命令10月Y上野寛永寺の中堂棟上げ式、餅や銭を撒き盛大九段招魂社、かなりの人出で賑わう11月Y築地本願寺の報恩講、白連社中も参拝し賑わう神田の歳の市が賑わう11月Y天長節、日曜と重なり行楽地が賑わう、浅草の酉の市は大混雑する11月C根津裏門より駒込団子坂の菊人形、上等1銭~下等3厘11月C演劇類似の所作は興行差し止め⑳12月Y神田の歳の市が賑わう12月K好天に恵まれた浅草歳の市、大勢の人が繰りだし賑わう
…操り人形・名鳥茶屋・菊人形・足芸・大阪相撲・義太夫・新聞縦覧所・エレキテルなど数多くの興行が行われていた。秋葉原は、明治二十一年(1888)、駅及び鉄道用地になるまで、時には見世物小屋の取り払い命令を受けることもあったが、庶民の盛り場として栄えた。 七月の川開き、帝国大学の動物学教授として来日していたモースは、この当時の一大イベントを知人三人とともに見物した。夜になって出かけたので、墨田川についたころには、広い川も見渡す限りボートや遊覧船で埋まっていた。一艘の船がお客を求めて…
…、団子坂あたりの造り菊は、有料(3厘)で見せるという新聞記事がでており、十一月には染井、浅草、目黒などで菊花壇や菊細工が観賞された。二の酉は、救急医の人力車が動かないほどの人出。浅草の歳の市は、1円以上の高値の羽子板がよく売れるという盛況で、仲見世から奥山まで群集して帰るのも難儀なくらいの混雑であった。もっとも、そんな雑踏でも、紛失物は銀の時計一個と三歳の迷子一人と大禍、まことに平穏な年の瀬であった。・じわじわと強まる政府の締めつけ このように書くと、庶民は、余暇を謳歌してい…
…千駄木では、無許可で菊花展を催したので、売上金5円を没収された上に、罰金を1円50銭も取られたという話もある。・女性が泳ぐ姿に話題が集まる 夏には、暑さを忘れる納涼活動が盛んに行われていた。七月、築地合引橋の游ぎ場は日増しに人の訪れが多くなり、時には妙齢の美女がお供の下女と一緒に川で泳いだという。島田髪にちりめんの肌着で泳いだということから、大きな話題となった。女性の水泳は、水泳場(水泳道場)が開設されてまだ間もないことから、東京では初めてかもしれない。当初水泳は娯楽というよ…
…、十一月の浅草では、菊細工。十二月、浅草天文原で、諸芸人たちが吾妻能狂言や長唄、富本、清元、義太夫、常磐津などを興行。また、浅草寺の境内では、力持ちの会というような、江戸時代と同じ類のお楽しみが催されていたことからもわかる。 十一月恒例、浅草初酉の市は、早朝から往来引きも切らずという賑わい。十二月の浅草歳の市は、天気よく大勢の人が押し寄せるという江戸時代と変わらぬ盛況であった。─────────────────────────────────────────────╴ 明治七…
…と、芝山内茶店の庭に菊の造物がでるなど、他にもたくさんの見世物が出された。なお、それらの中には、この年、東京府が禁止した不具者の見世物もひそかに続けられていた。 暦が変わっても、七夕は七月七日に行われた。とはいえ当時の人にとっては、七夕は長らく秋の気配を感じる行事であったわけだ。それが季節外れの七夕に変わってしまって、おそらく気分ものらなかったのだろう。斎藤月岑は、『武江年表』に「短冊竹の上に立つる甚だし」と書いている。季節に対応した方がよいと考えられたのか、六月の日枝神社祭…
…ものであった。秋は、菊の造り物(菊人形)、染井・巣鴨・団子坂に加えて、招魂社、麻布広尾の笑花軒にも飾られた。サクラの花見に比べると一度に訪れる客は少ないが、キクは開花期間が長いことから、数万人の来訪があっただろう。 五月になると、九段坂上の御薬園跡に、西洋の物産が市のように出て、これも大勢の人々が訪れた。招魂社の祭礼には、花火などのこれまでの出し物に加えて、競馬、曲馬などが催された。招魂社境内では、十一月にスリエ曲馬団が男女曲馬を興行している。もっとも、この曲馬興行は見物料が…
…くの人が参詣した。・菊人形も復活 この年は、庶民の花見が盛況で、それに花火も盛んになり、祭礼の山車も続々復活している。庶民は、江戸時代のレジャーを取り戻そうとしているかのようである。特に、秋に入って巣鴨の「菊の造り物」が13箇所も復活したことは、以前にも増して遊んでやろうという庶民の心意気を反映しているようである。ただ、この時期に、東京の庶民がどうしてこんなに楽天的に遊んでいられたか、いささか不思議である。なぜなら、東京の米価は前年から引き続き、異常な値上がりを見せ、庶民の生…
…ませる 8月E五代目菊五郎が「梅照葉錦伊達織」を襲名上演する/日本演劇史年表 9月○改元、明治元年となる 9月B堀内妙法寺祖師開帳、参詣人多数 9月E歌舞伎界不況打開に、中村座と守田座が合併興業を行う 9月○市村座の策師参謀・河原崎権之助が惨殺 10月B御鳳輦(ホウレン)東京に着き、貴賤老稚児道路に輻輳して拝し奉る 11月Ⅹ興行場内の帯刀禁止/太政官日誌 11月B天皇、東幸を祝し東京市民に酒・鯣など下賜 11月B山下御門内薩摩侯陣営の稲荷社で祭礼、相撲見物もあって町人参詣し、…
… 団子坂藪下の辺りに菊の造り物出る(忠臣蔵狂言の人形) 神田明神祭礼、神輿山車附祭等出る、16日雨、17日は参詣人多数 9月 市村座で『本朝廿四孝』若手揃いで大入り 10月 湯島天満宮祭礼、山車練物出て九日は群集するが、10日当日は雨天で渡らず 根津、千駄木藪下、巣鴨、染井の辺りに菊の造り物多く、見物人多数 回向院で勧進相撲 秋 麹町十三丁目裏続き福聚院境内で虎(外国産、大きさ五尺余)の見せ物出る 11月 朔日酉の祭参り、終日大雨で参詣人少数(三の酉は参詣多数) 12月 浅草…
…細工にも影響を与え、菊細工や藁細工なども顔や手足は活人形を真似るようになった。戯れ唄、替え歌、狂歌はもとより、寄席で活人形の物真似を専門に見せるという芸人まで現れたくらいで、湯屋や髪結いでも活人形の話題で持ちきりだった。 ただ、万延年間(1860~61年)に入ると、やや人気にもかげりが出てきて、そのころから怪談仕立ての活人形が登場するようになった。蔓延元年五月には、松本喜三郎も時流にあわせたのか、両国回向院の境内で怪異まじりの活人形を興行している。 たとえば、場所は女郎屋の二…
…10月 千駄木の邊、菊細工を見せる植木屋が六軒程出る 11月 三座芝居顔見世狂言、大火事で全焼し、春に延期される 11月 回向院で勧進相撲 ○浅草田町の福徳稲荷が大流行 ○この頃、朝顔が再び大流行する ☆この年のその他の事象 1月 ペリーが再び浦賀に来航 3月 日米和親条約が締結される 4月 伊勢町拍戸百川で卓袱料理始まる 5月 皇居造営に豪商が献金させられる 7月 日章旗を日本の総船印に定める 秋頃 千駄木藪下の植木屋と浅草奥山人丸社前にも瀧が作られ、水浴させる 11月 畿…
…内、牛御前境内などに菊細工 11月 回向院で勧進相撲 11月 浅草田圃鷲明神の酉の市、事ありて開帳ないが商人は例年通り出る ○浄瑠璃、薩摩座・結城座合同興行 ○内藤新宿正受院の奪衣婆(ダツエバ)へ願掛けに群集 ○投扇が流行る ☆この年のその他の事象 春頃 小金井の桜が植え継がれる ○種痘が盛んに行われる 嘉永3年1850年 2月 吉原揚場町の寄席で曲独楽興行中、大入りで二階が落ち死傷者が出る 春頃 浅草寺観音開帳(参詣人多数)を含め開帳5 3月 回向院で勧進相撲 3月 河…
…られる。 たとえば、菊細工は、当初は菊の花で兎や象、船などをつくる「形づくり」と呼ばれるものであったが、やがて「菊人形」が登場し、ブームを巻き起こしている。1845年(弘化二)には、細工を競う数、実に81軒。まだ花が咲かないうちから、江戸の町々を番付売りが「菊の番付四文」などと叫んで売り歩き、その版元が60数軒もあったという。 これほど人気を博した菊細工も、当初は、見苦しいと武士の評価はさんざんであった。しかし、菊人形は一時の徒花ではなく、江戸から明治時代にかけての園芸文化、…