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『花壇地錦抄』1牡丹

…青実実の先に色あり、菊とじとも重輪白とも云」 「児牡丹」綱は「白の八重咲き小輪なり」 ・「高麗」錦は「大りんかさね少し、内に色あり」 「高麗牡丹」綱は「大輪なり」 ・「飛入」錦は「弐重うす色にて赤とび入りあり」 「飛入」綱は「弐重薄色に赤飛入有」 ・「黄牡丹」錦は「単色の花の色」 「黄牡丹」綱は「壱重かううの花の色」 ・「白牡丹」錦は「八重二重しろしじく付のトコロに紫色なり」 「白牡丹」綱は「八重二重白花」 ・「唐牡丹」錦は「大りん五重内に付少しあり」 「から牡丹」綱は「大輪…

花譜の植物名5

…もしれない。 ・「夏菊」「寒菊」 「夏菊」「寒菊」には、序文および本文にも仮名は振られていない。『牧野新日本植物図鑑』にはナツギクの記載はない。「夏菊」の説明で「其品種四十種ほどあり」とあるように、夏期に咲くキクを総称しているものだろう。したがって、キクとして総称名とする。 「寒菊」は、『牧野新日本植物図鑑』によれば「アブラギクから園芸化してできたもの」とある。益軒の記した「寒菊」が園芸品種であるとの確証はなく、「夏菊」と同様、冬期に咲いている菊を指しているものと推測する。 …

花譜の植物名4

…(安永二年)で「孩兒菊」と記される。 ・「白粉花」・・・目録に「ヲシロイ」、本文に「をしろいはな」と仮名が振られている。「白粉花」はオシロイバナ(オシロイバナ科)とする。 オシロイバナの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『花譜』(1698年)とある。 花材としての初見は、『生花枝折抄』1773年(安永二年)で「紫茱荊」と記される。 ・「鹿鳴草」・・・目録に「ハギ」、本文に「はぎ」と仮名が振られている。「鹿鳴草」はヤマハギ(マメ科)と推測されるが、総称名…

花譜の植物名2

…(アオイ科)。 「丈菊」は、ヒマワリ(キク科)。 「龍胆草」は、リンドウ(リンドウ科)。 「赬桐」は、ヒギリ(クマツヅラ科)。 「紫苑」は、シオン(キク科)。 「睡蓮」は、スイレン(スイレン科)。 「白粉花」は、オシロイバナ(オシロイバナ科)。 「午時紅」は、ゴジカ(アオギリ科)。 「鹿鳴草」は、ハギ(マメ科)。 「木芙蓉」は、フヨウ(アオイ科)。 「木犀」は、モクセイ(モクセイ科)・ギンモクセイ。 「女郎花」は、オミナエシ(オミナエシ科)。 「獨頭蘭」は、シュンラン(ラン科…

『花譜』の植物名

…345による。 「夏菊」は、キク(キク科)・総称名。 「石榴花」は、ザクロ(ザクロ科)・総称名。 「蜀葵」は、タチアオイ(アオイ科)。 「錦葵」は、ゼニアオイ(アオイ科)。 「黄蜀葵」は、トロロアオイ(アオイ科)。 「五月菊」は、コンギク(キク科)。 「鷹爪」は、レダマ(マメ科)。 「合歡」は、ネムノキ(マメ科)。 「蓮」は、ハス(スイレン科)。 「百日紅」は、サルスベリ(ミソハギ科)。 「鳳仙花」は、ホウセンカ(ツリフネソウ科)。 「風蘭」は、フウラン(ラン科)。 「百合」…

十七世紀の園芸植物分類

…、『花壇地錦抄』の「菊」について調べた例から示す。『花壇地錦抄』には、「夏菊のるい」として20品、「菊のるい 末より冬初」として230品、合計250品が記されている。『花壇綱目』には79品、『花壇地錦抄』と同じであると思われる品名が32品ある。この数を多いというか少ないと判断するのは難しいが、他の書(花伝書)『茶之湯三傳集』や『花の巻』に比べると倍以上多い。十七世紀後半には多分三百以上の品名があったものと推測され、それらが種々の機会に編纂されて記されたものであろう。その記され…

十六世紀の植物名について2

…麗集818年 ・秋冥菊 シュウメイギク(キンポウゲ科)・・・種名・・・シュウメイギクの初見→文明本節用集1500年頃 ・棕櫚 シュロ(ヤシ科)・・・種名・・・シュロの初見→本草和名918年頃 ・薑 ショウガ(ショウガ科)・・・種名・・・ショウガの初見→新撰字鏡900年頃 ・菖蒲 ショウブ(サトイモ科)・・・種名・・・ショウブの初見→蜻蛉日記971年 ・芝蘭 シラン(ラン科)・・・種名・・・シランの初見→毛吹草1645年 ・沉丁花 ジンチョウゲ(ジンチョウゲ科)・・種名・・・ジ…

十六世紀の植物名について

…の前栽植物には、「霜菊・春菊・夏菊・野菊・眞菊」などキク類であることがわかっても現代名で確定することのできない名前がある。また、「金態・玉態・金徽草」等、不明な名称が10以上ある。記された名前から、現代名にできたのは94である。その中には、『草木名初見リスト』の記述より前に記されている植物名(「庭柳・玉柳」等)があり、再度の検討が必要である。 『古本節用集』 『古本節用集』は、国立国会図書館デジタルコレクションによれば、「文安元(1444)年以後文明(1469-87)頃までに…

『続華道古書集成』全五巻の花材1

…草」「もちすり」「濱菊」「こんきく」「細針」「ささゆり」「弁慶草」「夏はせ」の10種である。 「仙台萩」は、マメ科の多年草センダイハギしとた。 「るかう」は、ヒルガオ科サツマイモ属つる性多年草ルコウソウとした。 「丁子草」は、キョウチクトウ科多年生草本チョウジソウとした。 「もちすり」は、ラン科ネジバナ属多年草ネジバナとした。 「濱菊」は、キク科常緑多年草ハマギクとした。 「こんきく」は、キク科シオン属多年草コンギクとした。 「細針」は、ウマノスズクサ科多年草サイシンとした。…

大正四年~六年日記

…(水)。晴。・・・與妻歩不忍池上。 十月二十三日(火)。晴。與妻、杏奴、類遊植物園。 十一月十一日(日)。晴。・・・予與妻及二女國技館(菊見)・・・ なお、鷗外は、この他にも椿山荘や上野動物園に出かけている。そこでも、当然何らかの植物は目にしているだろう。また、天気のよい日には、小石川や本郷など近在を散策し、江戸川、神田明神、諏訪神社などを訪れている。一月は九日間、二月は半月以上、三月から八月まで毎月十日以上散歩をしている。こうした傾向は、前年の八月頃から見られることである。

『花道古書集成』全五巻の花材の呼称名2

…紅葉」、「萱草」、「菊」、「ぎぼうし(玉簪など)」、「苔」、「櫻(さくら)など」、「石榴」、「歯朶、しだ」、「升麻」、「竹」、「蓼」、「蔦」、「躑躅」、「椿」、「撫子」、「萩」、「藤」、「ほととぎす」、「まき」、「松」、「蜜柑」、「水木」、「もくせい」、「桃」、「柳」、「ゆり」、「蘭」などの呼称も、類似する同じような植物を指しているものと思われる。 異なる植物を同じ名前(漢字)で示す例 それに対し、明らかに異なる植物を同じ名前(漢字)で示している例がある。そのような例を『仙傅…

『大正二年日記』

…、十一日(火)には観菊会のため赤坂離宮に出かけた。 ガーデニングとは直接関係ないが、十二月二十五日の日記には、「・・・夜樅の木に燭火を點してNoël の祭の眞似をなす。」とある。この樅の木はどこから入手したのだろうか、息子の類(『鷗外の子供たち』「茉莉の結婚・父の死」)によれば、「冬は植木屋が来てビールの空箱に樅の木を植えて洋室にはこぶと、すぐにクリスマスが来た。」とある。当時の新聞を見ると「我家のクリスマス」という記事(23日付読売新聞)はあるが、家族でクリスマスの行事を楽…

『明治四十五年・大正一年日記』

…見附けた。桔梗や、濱菊や、射干や待宵草が咲いてゐる。併し花が咲いていて札を立てて無いのもある。札が立ててあつて、草の絶えてしまったのもある。ある草が自分の札の立ててある所から隣へ侵入してゐるのもある。門にゐるお役人と同じように、花壇を受け持つてゐるお役人も節力の原則を研究してゐるものと見える。草苅女と見える女が所々をうろついてゐるが、それを指圖をしているような人は一人も見えない。暫く苗床の間を廻って見ても、今頃市中で売つてゐる西洋草花は殆ど一種も見當らない。木村はいよいよ失望…

明治四十一~四十四年日記

…・母と於菟と國技館へ菊を看にゆく。・・・妻と茉莉と連れ立ちて出で、團子坂の菊を看、・・・」 この年の菊人形は、東京中の話題をさらった。国技館や団子坂などに見物客が殺到。国技館では、名古屋黄花園が四十日間にわたり、電気仕掛けの菊人形(経費四万円)を興行した。開園は朝八時から夜の十一時までと長く、入場料は大人二十銭、小人十銭というから、庶民にとって決して安い値段ではなかった。 団子坂では大人十銭と国技館に比べて割安。舞台がせり出し、七段八段もと場面を替え、義太夫の出語りまでつくと…

『書簡に見られる花』

…寒いが晴れた日は丁度菊の頃の日和のやうで好い心持がする。昨晩など満月だから庭に出て長く見て居た・・・」 十一月十五日 佐々木信綱宛 「・・・(九月の櫻花とは今年九月末東京にかへり花咲きぬとの事をいふ何日頃なりや)・・・」 明治三十八年 四月十五日 森於菟宛 「おとろへの秋ならなくにまづ黄ばむ青柳の芽をもてはやすかな」 四月十五日 森於しげ子 「・・・けふはじめて柳の木の少し靑く見える。又草の芽も少し出て来た。・・・」 四月二十五日 森しげ子宛 「・・・こちらも草がだんだん靑く…

『小倉日記』の植物

…日曜日に丁る。後圃の菊始て開く。南の縁端に兀座して日暮に至る。 菊畑や暮れのこる白のところゞゝゝ・・・」。この菊は、十一月二日に出した、母、森峰子への手紙によれば、 「十月二十八日。・・・四五日雨勝なりしが今日は晴天にて小春びよりの氣に御座候庭の菊は雨にたゝかれ好き花は皆痛み申候。・・・」とある。 十一月 「三日。・・・寺は長濱の東の丘上に在り。宮本武藏の碑を観る。不老菴に入り、村醪を酌みて還る。此邉の海岸には橐吾の野生して花を開くもの多し。」の「橐吾」は、キク科のツワブキ。…

『明治三十一年日記』1

…植木屋の別名(柳宗元・種樹郭橐駝伝『角川漢和中辞典』より) 「五日(金)。紅蜀葵開く。・・・」 紅蜀葵はモミジアオイ。花畑で咲いていたものと思われる。 「二十日(土)。萩開く。 「二十一日(日)。芙蓉開く。 ハギ、フヨウが咲きはじめ、花畑はそろそろ秋の花となる。 ・九月 「八日(木)。向日葵開く。」 花畑でのヒマワリの開花の記録をもって、明治三十一年の観潮樓の花暦は終了する。 花の記述としては、十月に 「二十日(木)・・・青山御所を過ぐ。園丁の菊を養ふを看き。微雨。」がある。

住まいの変遷(根岸から千朶山房)と植物3

…んな所に茶園鷗、と思われるかもしれないが、『明治庭園記』に「江戸旗本屋敷上地に付て、庭園破壊し、桑茶植附の事」にも記されているように、明治二年、東京府による殖産振興策として茶の栽培が奨励されていた。 『吾輩は猫である』の中には、庭の植物名がいくつか登場する。アオギリ、キリ、サザンカ、ヒノキなどの樹木と、枯菊が散見されとあるが、この程度の植物では、漱石の庭は、鑑賞に耐えうる庭とは思えない。しかし、猫にとっては、葉を繁らせたアオギリが蝉取り場となり、まさに“我が輩の庭”であった。

鷗外ならではの関心事(『伊澤蘭軒』)

…である。 ・巣鴨の造菊 「その六十七」に、「菊の詩は巣鴨の造菊を嘲つたものである。武功年表に據れば、巣鴨の造菊は前年文化九年九月に始まつて、十三年に至るまで行はれた。」とある。菊人形の流行に触れるとともに、当時、武士の中には造菊に不快感を示していたことを記している。 ・当時の花の好みについて 「その百二十五」には、「石蒜は和名したまがり、死人花、幽霊花等の方言があつて、邦人に忌まれてゐる。しかし、英国人は其根を傅へて栽培し、人盆の價往々数磅に上つてゐる。」と紹介している。「石…

森鷗外の作品と植物1

…とも云ふ。劉寄奴は今菊科のはんごうさうに當てられ、おとぎりさうは金絲桃科の小連翹に當てられてゐる。」と記している。このような植物に詳しい文章を書くことは、鷗外でもなけれとてもできないと思われる。これこそが鷗外の鷗外たる所以、彼しかない持ち味の一つと言ってよい。 植物への探求心は、「その二百九十五」に繰りひろげられている。 「・・・わたくしは進んで楸の何の木なるかを討ねた。 此問題は頗る困難である。設文に據れば楸は梓である。爾雅を撿すれば、稻、楰、櫰、槐、榎、楸、椅、梓、等が皆…

『花道古書集成』の花材の呼称名1

…とする。 キクは、「菊、きく、寒菊、隠君子、紫毬、かはらよもぎ、百夜草、契草、星見草、あさ菊、小きく」の他にも春菊、夏菊など様々な名で記されているが、詳細な種名が判別できないため、総称名としてキクとする。 ギボウシは、「葱花、ぎぼうし、珠簪、玉簪、銀賓珠、玉簪花、大菊大蘭、白靍仙、葱草、銀法師、ぎんぼうし、蔥花、擬法珠、玉替、玉替花、きほうし、蔥鳳花、葱鳳花、紫萼、銀宝子」とある。詳細な種名が判別できないため、総称名としてギボウシとする。 コケは、「苔」とある。種名が判別でき…

世界一美しい江戸の自然

…ある家の庭で、見事な菊の品種を見つけたので、自分のコレクションのためにぜひそれを数種手に入れたいと思った。幸いにも以心伝心で、相手方は適当な代価を払えば、好きなだけ取ってもよいという。やがて、花を背負った農夫の子供が、神奈川に帰るフォーチュンの後ろを、とぼとぼついて歩く姿が見られた。このようにガーデニングは江戸の町中だけでなく、近郊の農家でも楽しまれていたことがわかる。 また、品川の郊外に出かけた時の光景については、丘や谷間が続いており、起伏がある谷間の平地では、周囲の丘から…

『花道古書集成』第五巻の花材

…。花材名としての「春菊」は、数多く記されており、シュンギクである可能性があるものの種名を確定することができず不明としていた。「春菊」は、春に咲くキク類を指しているもので、必ずしも「茼蒿」を指すものでない。その他にも、「夏菊」「寒菊」等も同様であると判断している。 「宝釋艸」は、ユリ科のホウチャクソウとした。 「燕麦」は、イネ科のカモジグサとした。 『抛入花薄精微』と十八世紀後半の茶会記に記された茶花と対照させると、含まれるものは27%と低い。また、使用頻度11位までの茶花は8…

『花道古書集成』第四巻の花材

…とした。 「孩兒菊」は「ちやらん」と仮名が付され、センリョウ科のチャランとした。 「沙参」は「つりかねくさ」と仮名が付され、キキョウ科のツリガネニンジとした。 「絡石」は「ていかかつら」と仮名が付され、キョウチクトウ科のテイカカズラとした。 「続断」は、マツムシソウ科のナベナとした。 「酸棗」は「なわしろぐみ」と仮名が付され、グミ科のナワシログミとした。 「地楡」は「のこぎりくさ」と仮名が付され、キク科のノコギリソウとした。 「貝母」は、ユリ科のバイモ(アミガサユリ)とした。…

『花道古書集成』第三巻の花材

…「金盞花 一名長春菊・・・」とある。この解説が正しければ、金銭花はゴジカ、金盞花がキンセンカということになる。これまで、「金銭花・金盞花」をキンセンカとして区別していなかったが、どうやら分ける必要がありそうだ。ただ、気になるのは、当時、誰もが正確に使い分けていたという点だが、その辺についてはもう少し検討しなければなるまい。 『挿花千筋の麓』の花材を十八世紀後半の茶会記に記された茶花と対照させると、含まれるものは35%と半数には満たない。それでも使用頻度11位(10位2種あり、…

『花道古書集成』第二巻の花材

…をノコンギク、「我妻菊」をアズマギクと現代名にできたが、残りの「秋菊、あさ菊、寒菊、しん菊、夏菊」は、現代名を確定できなかった。また、この書の特徴として、「あはもり、梅ばち、風車、熊谷、鷺草」など、山野草が多いこともあげられる。以上から、『古今茶道全書二』は、花書の花材として少し変わった植物を記しており、茶道の茶花についても当時使用されていた植物を記しているとは言い難い。 『當流茶之湯流傳集巻之三』 『當流茶之湯流傳集巻之三』は、『當流茶之湯流傳集』六巻ノ内の三で、茶席での花…

『花道古書集成』第一巻の花材その2

…の花材についても、夏菊類(なつぎくたぐひ)、秋菊、柑類花(かうるゐのはな)、躑躅之類など、個別の種の名ではないものがある。また、キクの園芸品種名「その他の40種」についても、属名である「キク」としてまとめているので除いた。さらに、岡菘(おかこうほね)など不明な植物名がある。 以上から、『抛入花傳書』に記された花材の173種を現代名した。これら『抛入花傳書』に示された植物は、十七世紀後半の茶会記に登場した茶花の71%をカバーしている。十七世紀後半に登場した茶花で、『抛入花傳書』…

『花道古書集成』第一巻の花材その1

…はガンピ。 「寒菊」「菊」などのキクの花材名が記されている。「寒菊」は、種名としてカンギクという名はあるが、現代名の種と同じ植物であるかどうか疑わしい。以後の花伝書にも、「春菊」「夏菊」「秋菊」などの花材が登場する。これらについても、明らかに種を決定できるもの以外は、総称名として科名のキクとする。 「百合」は、種が不明なため総称名のユリとする。 「瓜」は、種も属も不明なため総称名のウリとする。 「岩躑躅」は、『日本庭園の植栽史』(飛田範夫 京都大学学術出版会)によると「サツキ…

続華道古書集成の植物 第五巻

…がある。 「繡線菊」は、「シモツケ」と仮名があることからシモツケとした。 「蒴藋」は、「ニワトコ」と仮名があることからニワトコとした。 「午鞘子」は、「ムラサキシキブ」と仮名があることからムラサキシキブとした。 なお、花材の植物名について、推測はできても確定しなかった例として、「柞」「夏黄梅」をある。 「柞」は、これまでコナラとしてきた。しかし、『生花實躰 はしめくさ』の記述の中では、ナラなどの木を総称していると思われるので、現代名を確定しない。 「夏黄梅」は、キソケイを指す…

春の草花

…クザキイチリンソウ(菊咲一輪草)とも呼ばれる。芽を出す時期は、ニリンソウより多少遅いようだが、アズマイチゲよりは早い。なお、アズマイチゲとキクザキイチゲは良く似ていて、芽が出た頃は葉だけでは見分けにくい。強いて言えば、キクザキイチゲの方が、草丈も葉も一回り大きいことくらいか。違いは根茎と花で、キクザキイチゲの根茎はアズマイチゲより太く長い。花の色は、キクザキイチゲは淡紫色(白や薄いピンクもある)だか、アズマイチゲは白色だけである。また、花びらの数は同じだが、アズマイチゲの方が…