菊 の検索結果:
…帰廬 十九日○亀戸へ菊見(略)四半前(略)土物店より行、本郷六丁目(略)湯島聖廟拝し男坂上伊せ屋(略)中坂より下り昌平橋(略)筋違外(略)小楼船あつらへ(略)柳橋(略)一ツ目橋際(略)四ツ目にて船留め(略)八過頃亀戸橋(略)鳥居西側端の茶屋(略)聖廟左側別当の路次(略)四方氈敷、三方皆竹筒へ大菊生け、見物四五十人有うちに雹松原と銘ある筒咲白菊珍らしき菊に見ゆ、直に聖廟拝し(略)船二乗夕餉(略)亀戸(略)常仙(略)船宿より挑灯つけ妻乞坂(略)五ツ少し前帰廬 廿一日○九半頃(略)…
…)阿部勢州内称の里の菊を見る、花壇三間計(略)与楽寺前より日暮し青雲寺(略)感応寺中より谷中門江入り車坂(略)寺町称念寺にて此比下野天拝の弥陀開帳の由参詣(略)三河屋に休む(略)塗中甚賑か也、直に浅草参詣(略)花川戸より並木本道(略)駒形堂観音を拝し(略)七過起行田摩町横町(略)山下(略)広小路(略)清水へ参詣(略)弁天(略)谷中門(略)六過帰廬 十二日○今日芭蕉忌(略)四半比より両国芭蕉翁開帳(略)谷中通り(略)池端にて九の鐘聞ゆ、弁天参詣(略)竹町へ出御徒士町、三絃講、萱…
…路をとり風神門にて夏菊買ふ、日出甚あつし、車坂下にて五の鐘聞へ五半頃帰廬 この年の七月は、「朔日田らしい。今朝も冷気」「二日 今朝綿入」「六日 今朝又冷気」と涼しかったようだ。そのためか、信鴻の出歩きも少なく、江戸の町も人出は少なかったのではなかろうか。それでも、『武江年表』には「七月朔日より、永代寺飛来八幡宮開帳」が記されている。また、市村座の「菅原伝授手習鑑」が大入りであった。信鴻は翌月観劇している。 ★八月 三日○五前より油島参詣(略)法住寺前にて五の鐘聞ゆ、笠守参詣土…
…不明。また、「あさみ菊」については、アサミコギク(キク科)があるものの確証はない。 「薄」は、ススキ(イネ科)とする。 ○十月 十月の植物名を記載した日は8日であるものの、ガーデニング作業と思われる記述は13日ある。収穫物の大半はハツタケで、収穫した日は7日ある。それらの中から、記された植物名は14、8種ある。新たな植物の種類はスイセン1種である。また、信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。 「水仙」はスイセン(ヒガンバナ科)とする。 ○十一月 十一月の植物名を記載した日は…
…、例の茶屋に休み、小菊求め(略)又女坂より中町通り上野へ入、御宮わきにて九の鐘聞ゆ、谷中口よりかへる(略)又不二裏より九過帰廬 信鴻の九月は、5回も出かけたが町中の注目する動向の記述は少ない。『武江年表』に記された話題は、以下の通りである。「○投壷の技行る」もあるが、詳細はわからない。 ○九月朔日より、音羽町九丁目田中八幡宮開帳 ○同日より卅日迄、飯田町世継稲荷、天満宮開帳 ○ 九月十九日より牛込赤城明神開帳 ★十月 十一日○七少前より菊見(略)庄八庭を見、和泉境より出、四郎…
…れあり、模様劍先嘉房菊、これは本町壹丁目奈良屋の隠居が仇名なり、其好みにて出来たる菊の小紋なり○夏より境町楽屋新道に女の力持でる、もとは大根畠の娼妓なりとぞ、力婦伝と云う草紙出る」との記述がある。 ★六月 六日○七半より(略)谷中へかかる、富士幟竿猶在、上野山内より宝光堂参詣、下向小蛇を跨く、黒門内道を作る、梅木に休む(略)薄暮起行、池端通り護国院角にて六の鐘闘ゆ、彼処より挑燈付る、酒井館にて六半拍子木聞ゆ、鷹部や脇にて鷹数本居え行逢ふ、六半過帰廬 十五日○山王祭礼に就、お永…
…「畑の芋」と「あたみ菊」がある。「畑の芋」は、ヤマノイモとは異なるようだが、サトイモやサツマイモとも異なるような気がするので、判断つかない。「あたみ菊」は、キクの品種らしいが詳細は不明。 ○十一月 十月の植物名を記載した日は9日であるものの、ガーデニング作業と思われる記述は21日ある。それらの中から、記された植物名は14あり、新たな植物の種類はない。 ○十二月 十二月の植物名を記載した日は11日であるものの、ガーデニング作業と思われる記述は9日ある。い。収穫物は「蕗臺」などで…
…の可能性もある。 「菊苗」は、総称名キク(キク科)とする。 「九輪草」は、クリンソウ(サクラソウ科)とする。 「杉葉」は、スギ(スギ科)とする。 「五加」は、ウコギ(ウコギ科)とする。 「山淑」は、サクショウ()とする。 「武蔵あふみ」は、ムサシアブミ(サトイモ科)とする。なお、『牧野新日本植物図鑑』によれば、「関西から西の海に近い地方の林内にはえる多年性草本」とあり、テンナンショウ属のマムシグサなどの植物ではなかろうか。 「くこ」は、クコ(ナス科)とする。 「雰嶋」は、キリ…
…ある。先月に引続き「菊」が多く記されている。新たな植物は以下の2種である。 「柊」は、ヒイラギ(モクセイ科)とする。 「柑」は、ミカン(ミカン科)とする。「柑」は「柑鉢うへ」から食べ物ではないと判断する。 以上、十月の日記に登場する植物は、キク・ススキ・ヒイラギ・マツ・ミカン・カエデの6種である。なお、植物名に不安があるのは、「あさみ菊」で、アザミとキクではないと思える。では、どのようなキクであるか、『花壇地錦抄』などから探ってみたがわからない。 ○十一月は、植物に関する記載…
…とウコギとする。 「菊」は、キク(キク科)とする。 「皀角」は、サイカチ(マメ科)とする。 「雰島」は、キリシマ(ツツジ科)とする。 「自然薯」は、ヤマノイモ(ヤマノイモ科)とする。 「えひね」は、エビネ(ラン科)とする。なお、「銀えひね」の他、「蝦根」などの記載もある。 「三葉」は、ミツバ(セリ科)とする。 「芹」は、セリ(セリ科)とする。 「チヤンチン」は、チャンチン(センダン科)とする。 以上、三月の日記に登場する植物は、アオキ・ウコギ・ウメ・エビネ・カイドウ・カエデ・…
…」の詩で謡っている。菊は、隠逸の景気を醸し、陶潜⑤が弄び愛好した。蓮は、花の君子と褒めたたえられて、周茂叔⑥が詩に詠んでいる。千紫万紅色とりどりに咲く花は愛さずにいられない。 このほか世の中には、様々な楽しみや遊びを好む所で、気晴らしをしている。そうではあるが、琴を奏で詩を吟じ酒を嗜む。この三つで、琴は在野の身には相応しくない、詩は詠む才能がなく恥ずかしい、酒は限度があるものの好きなだけに飲みすぎ乱れてしまう。好色と美食は、とりわけ害多く身を滅ぼす。豪邸や華美な服薫香も身分不…
…、中国では、本草書や菊や牡丹などの専門書は『花壇綱目』以前にも刊行されていたが、総合的なガーデニング技術書は作成されていなかった。中国の王路による『花史左編』(1618年)は、栽培法にも触れているが技術書より文学書の色彩が強い。陳淏子(陳淏)の『花鏡(秘伝花鏡)』(1688年)は,『花壇綱目』より20年遅れている。 『花壇綱目』がどれほど人気があったかは、寛文四年(1664)に水野元勝によって作成されて以降、延宝九年(1681)、元禄四年(1691)、享保元年(1716)と三…
…しみ 36 ★祭礼と菊見を楽しむ・安永三年の九月十月 九月、幕府は物価の下落を図るため、鋳銭座での鋳造を停止、真鍮銭も半減させた。江戸市中への影響がどの程度あったか、庶民の生活はさほど変化があったとは感じられない。たとえば、『武江年表』によれば「○九月朔日より、市ヶ谷八幡宮内茶の木稲荷開帳」「○九月廿日、眞土山聖天宮祭礼、産子の町より出し練物を出す」「○九月廿一日、小石川白山権現祭礼」と、楽しみは続いている。翌月のイベントとして、深川八幡の勧進相撲がある。また、「○大川橋始て…
…・ひよく」「花かみ・菊川」「豊後二・未開紅・和泉紅・式部紅・飛入紅」「寒紅梅」「真紅梅」「節分梅」「大垂小垂梅」「東橡梅」「白梅」などがある。種類数は、以上の32に加えて、一月廿四日に「駒込より接木梅十二種来」とあるように、実際に手にした数はそれ以上であったことは間違いない。 当時のウメの種類として、『梅品』松岡玄達(宝暦十年1760年)があり、梅品の品種60種が記されている。「早梅、紅梅、照水梅、消梅、緑萼梅、黄香梅,鶴頂梅、宮城梅、玉蝶梅、杏梅、冬梅、三品梅、臥梅、重葉梅…
…晴 ○段兵衛ニ庭前の菊花を貰ふ○森元町より樹木の柿貰ふ○朧月坡の芝を刈 十六日 快晴 ○芝を刈 十七日 陰七半過より小雨 ○吟哦亭の芝を刈、今日ハお隆不出 十九日 雲多北風つよし ○吟哦亭の芝を刈 二十日 快晴暖夕一挙雲時雨少夜より雨蕭々 ○吟哦亭の芝を刈 二十一日 雨蕭々暖五半頃より大澍雲冥々八過止くれ前晴宵より又雨 ○義範より菊花貰ふ○秋元老侯より園中の菊花手紙にて給ふ、即答 廿二日 雲多夕かたあつく袷を着東角黒雲たな引 ○初茸廿はかり取る○太隠嶺表庭の芝を刈 廿三日 秋…
…方雲散し夕照 ○上館菊を堀、清八持参、畑へ殖○松を作り雑木を裁る ○酷暑、妹背山花火あくる 十日 晴天淡暑八前雲出没南酉微雷五六勿止八過より巽より東へ幽走如十中六七八半頃止始終日色赫々 ○松をつくり雑木をきる○六半過より龍花庵へ詣、夫よりいもせ山にて花火上る 十一日 決晴烈暑 ○森衛門に夾竹桃を貰ふ○松をつくり雑木を切る 十二日 一面曇蒸暑微風自卯快晴少し暑薄し ○松を作り雑木をきる 十三日 南風雲はこひ空風はけし雲行駚し秋気色少し涼し昼より西風吹ゆへ大暑なから凌よし月清 ○…
…畝は「黄表紙評判記『菊寿草』(天明元年)に「草双紙と凧は大人の物になつたるもおかし」と記している。 さて、信鴻は凧を「鳳巾」「風巾」と記している。「凧」は、中国では使われていない。日本で作られた国字である。鎌倉時代までは「紙鳶」と書かれ、使われるようになったのは江戸時代になってからとされている。実際、触れ等の正式な文章には「紙鳶」が使用されていたようだ。また、凧をあげる季節といえば、正月を思い浮かべるだろう。しかし、信鴻は現在の5月に集中している。正月の風物詩としての凧揚げ、…
…植二を求む(花かみ・菊川) 廿五日 陰 ○交如天神へ行、梅鉢うへ六ツ求め来(豊後二・未開紅・和泉紅・式部紅・飛入紅) 廿六日 快晴大麗宵馭 ○八畳間東橡梅鉢を並ふ 廿七日 南風暖気 ○誠・せの、浅草辺へ行 ○千元浮世かゝみ・海石榴鉢置を進む ○夜莱駒出、垂桜造花を貰ふ、阿隆雛挾箱遣す 廿八日 花陰暖 廿九日 くもり寒し夕より繊雨夜更より雪屋根につもる 卅日 雨水くもり寒し ○・・・お隆も逢ひ、付きの者を定め、雛を見する 三月 朔日 雲あり 二日 雲多く冬より寒し 三日 朝快晴…
…鳥春錦絵』羽左衛門・菊五郎が大当たりする。 ・六月、江戸に大地震が起きる。 ・七月、浅草寺での鎌倉永谷貞昌院開帳を含め2開帳が催される。 ・秋頃、森田座で『春駒』『山かつ』が十月十六日まで大入りとなる。 ・十月、長谷川平蔵が盗賊改を命じられる。 ・十月、深川八幡で勧進相撲が催される。 ・冬頃、阿多福餅売り出され評判 ○川柳に「江戸っ子」という言葉が初登場する。 ○浅草寺町源空寺開帳(開帳期間不明)が催される。 ○深川永代寺に高野山を写す庭できる ○浄瑠璃宮古路薗八江戸に下り流…
…小普請山崎縫殿助の伜菊三郎、彼は白山神社で旗同心西山勇次らと争って負けたらしく、二刀を奪われて、大恥をかいた上に押込処分に処せられた。 これらはいずれも、勤務時間外に起きたものと思われる。わかるのは、武士の生活がいかにすさんでいたかということである。遊ぶとは言っても一時の憂さ晴らしにすぎず、前向きの遊び方ではなかったのだろう。 さて、こんな事件ばかり見ていると、江戸の町はどうしようもなく荒廃した場所のように思うかもしれないが、町人たちは闊達に遊んでいた。八代将軍吉宗から公認の…
…』、団十郎・宗十郎・菊之丞三人の三千両の顔見世となる。 ○牛込神楽坂行先寺開帳を含め3開帳(開帳期間不明)が催される。 ○上野風月堂(東京都台東区)が創業する。 ・延享五年(1748年)二月、上野不忍池が改修され、池之端新地が造成される。 ・三月、三田台町泉福寺開帳を含め3開帳が催される。 ・五月、中村座で『義経千本桜』四日目より大入り客止めとなる。 夏頃、目黒祐天寺開帳を含め5開帳が催される。 夏頃、中村・市村座で『菅原伝授手習鑑』が大当たりする。 ・七月、朝鮮人風の衣裳を…
…、市村座で『女雷神』菊之丞大当たりする。 春頃、上野清水堂観音開帳を含め4開帳が催される。 ・六月、山王権現祭礼が催される。 ・六月、諸大名の留守居役らが、茶屋などで遊興することを禁止する。 夏頃、浅草西福寺での京清水圓養院開帳を含め8開帳が催される。 ・七月、芝浜松町で草市が始まる。 ・七月、中村座で『吉例佐々木鐙 』が大当たりする。 ・七月、湯島社内での大阪天王寺開帳を含め4開帳が催される。 ・寛保四年(1744年)一月、疱瘡が流行する。 ・二月、中村座で芝居興行開始百二…
…月、吉原角町の名妓玉菊の三回忌に灯籠が出て、年中行事になる。 ・九月、風水害で両国橋流失する。 ・十一月、神田明神祭礼が催される。 ○撃鉦先生『両巴巵言(リョウハシゲン)』を刊行し、洒落本の始めとなる。 ○下野高田専修寺開帳(開催地・開帳期間不明) ・享保十四年(1729年)一月、中村座で団十郎の『矢の根五郎』が大入りを続ける。 ・四月、天一坊が獄門となる。 ・四月、法恩寺で近江錦織寺が開帳を催す。 ・五月、中国商人が移入した象を将軍らが見物する。 ・六月、山王権現祭礼が催…
… ・九月、中村座で『菊重金札ノ祝儀』の異見せりふが大当たりする。 ・十月、吉宗、吹上の御覧所で朝鮮人の馬の曲乗りを観覧する。 ・十一月、御殿山の上り口で繰芝居興行が催される。 ○上野厳高寺の開帳が催される。 町人が勢力を伸ばし、遊びの文化が飛躍的に発展した時期といえば、やはり「元禄」をおいて他にないだろう。が、それは幕府が町人の遊びを奨励したとか、寛大さを示したからというわけではない。むしろ、綱吉は、町人の台頭を快く思っていなかったらしく、治安維持の名目で舟遊びに関する規制や…
…る方法である。 ・「菊のるひ」は、他の植物にも増して栽培について詳しく述べており、当時の関心の高さを示すものであろう。 ・「深山しきみ」の記述に「分け木」がある。この「分け木」は、草花などの株分けに対応するものであろう。他の樹木では、株分けに対応する語として「分け木」を使っていない。なぜ「深山しきみ」だけに使ったか、特に意味があると思えない。 ・「百合草るひ」(ユリの類)は、本文に37品も紹介しているだけあって、詳しく解説している。当時は「ゆりの根」球根を、「玉・とち・れんげ…
…するものだろう。 「菊のるひ」はキク総称名、本文中の「菊のるひ」と同じ表記である。 ゆ 4品 「ゆつりは」はユズリハ、本文中の「ゆつりは」と同じ表記である。 「百合草るひ」はユリ総称名、本文中の「百合草るひ」と同じ表記である。 「ゆわう草」はクサレダマ、本文中の「ゆわう草」と同じ表記である。 「ゆきの下」はユキノシタ、本文中の「雪の下」に対応するものだろう。 め 0品、記入なし。 み 3品 「深山しきみ」はミヤマシキミ、本文中の「深山樒」に対応するものだろう。 「水葵」はミズ…
…じ表記である。 「寒菊」は、本文中の「寒菊」に対応するものだろう。「寒菊」は冬期に咲くキクの総称名。 「かんらい草」はハゲイトウ、本文中の「雁来紅」に対応するものだろう。 「からけいたう」はケイトウ、本文中の「唐鶏頭」に対応するものだろう。 「杜若るひ」はカキツバタ類、本文中の「杜若のるひ」に対応するものだろう。 「がま」はガマ、本文中の「蒲黄」に対応するものだろう。 「かるも」は本文中の「かるも」と同じ表記であるが、『牧野新日本植物図鑑』に該当する植物名は不明。 「かいるゑ…
…ゲ科)。 「しうめい菊」は、シュウメイギク(キンポウゲ科)。 「淡雪」は、オオバショウマ(キンポウゲ科)か。 「千日向」は、センニチコウ(ヒユ科)。 「小車」は、オグルマ(キク科)。 「野こま」は不明。 「弟切草」は、オトギリソウ(オトギリソウ科)。 「白頭草」は、ジャノヒゲ(ユリ科)・変種?。 「くわんをんさう」は、キチジョウソウ(ユリ科)か。 「ひごたい」は、ヒゴタイ(キク科)。 「姫ひごたい」は、ヒメヒゴタイ(キク科)。 「風鈴」は、フウリンソウ(キキョウ科)と思われる…
…ヒガンバナ科) ○夏菊のるひ 「夏菊のるひ」は20品あり、すべてに説明がある。「江戸版」「京都版」とも同数でほぼ同じである。これらは、「夏秋論・水揚妃・黄水揚・屋うくわ水揚・玉牡丹・砂金・たいしよくわん・小紫・宇治川・ありあけ・黄太白・きりん・黄一文字・ありま山・南京紫・ほつうけ・南禅寺・雪わり・黄兩面・黄正」の品名がある。以上の中で、『牧野新日本植物図鑑』で確認できた品名はない。 ○水草のるひ 「水草るひ」は26品あり、すべてに説明がある。「江戸版」「京都版」とも同数でほぼ…
…ムラサキ科)。 「春菊」は、ハルギク(キク科)?総称名?。 「紅黄草」は、コウオウソウ(キク科)。 「踊子草」は、オドリコソウ(シソ科)。 「おだまき」は、オダマキ(キンポウゲ科)。 「金風花」は、キンポウゲ(キンポウゲ科)。 「もじづり」は、モジヅリ(ラン科)。 「路宿草」は、サギゴケ(ゴマノハグサ科)。 「黄花鬘」は、キケマン(ケシ科)。 「布袋草」は、クマガイソウ(ラン科)。 「熊谷草」は、クマガイソウ(ラン科)とすると重複することになる。アツモリソウより花の色が薄いと…