梅 の検索結果:
…タチバナ(ヤブコウジ科)。 「仙蓼」は、センリョウ(センリョウ科)。 「深山樒」は、ミヤマシキミ(ミカン科)。 「やぶほそば」は不明。 「花丁子」は、『牧野新日本植物図鑑』にはないが、『樹木大図説』にオニシバリ別名ナツボウズ(ジンチョウゲ科)とハナチョウジ(ゴマノハグサ科)がある。 「梅嫌」は、ウメモドキ(モチノキ科)。 「やぶかうじ」は、ヤブコウジ(ヤブコウジ科)。 「墅雞隠」は、キジカクシ(ユリ科)。 「錦木」は、ニシキキ(ニシキギ科)。 「南天」は、ナンテン(メギ科)。
…つら)・五味子・江戸梅もどき・木天蓼・蒲萄・蓪草・絡石・凌霄・蓮翹・連玉・黄梅・忍冬・壁生草・百部桂」の品名がある。以上20品の中で、『牧野新日本植物図鑑』で確認できたのは、「野田藤・野ふぢ・白藤・ひめふぢ・土曜藤・○茘桂(まさきかつら)・五味子・江戸梅もどき・木天蓼・蒲萄・蓪草・絡石・凌霄・蓮翹・連玉・黄梅・忍冬・壁生草・百部桂」の19品である。 「野田藤」は、ノダフジ(マメ科)。 「野ふぢ」は、ヤマフジ(マメ科)。 「白藤」は、ノダフジ(マメ科)の白花。 「ひめふぢ」は、…
…壇地錦抄』2さつき・梅・桃・海棠・櫻 ○さつきのるひ・・・162品 サツキについては、「さつきのるひ」として品名が続く。「江戸版」「京都版」とも同数でほぼ同じである。『牧野新日本植物図鑑』には、サツキ(ツツジ科)以外の品名については詳細な種の記載はない。 ○さつき八木の事 ○つつじ五木の事 以上の二つは、前記の品名から再度記されている。 次に、『花壇綱目』には「さつき」の品名が記されていない。ただ、「躑躅」の品名の中に、『花壇地錦抄』の「さつきのるひ」に似た名前がいくつかある…
…モリ・一花艸・首蓿・梅バチ・萱艸・黄莎・金絲梅・熊谷・紅黄艸・澤桔梗・紫花地丁・丁子艸・牡丹イハラ・金沙羅・金罌子・野薔薇・平江帯・フシ・ホトトキス・茉莉・紫萼・ヲカカウホネ」の24種がある。「敦盛」アツモリソウ(ラン科)や「熊谷」クマガイソウ(ラン科)など、栽培の難しい植物が『花譜』に抜けたのは、益軒が栽培していなかったためだろう。 不思議なことは、現代であれば誰もが知っている植物、タンポポ(キク科)が記されていない。十七世紀には『四季草花図屏風』や『草花図屏風』などに描か…
…」と記される。 ・「梅茂登岐」・・・目録に「ムメモトキ」、本文に「むめもどき」と仮名が振られている。「梅茂登岐」はウメモドキ(モチノキ科)とする。 ウメモドキの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『お湯殿の上の日記』(1572年)とある。 花材としての初見は、『替花伝秘書』1661年(寛文元年)で「梅嫌」と記される。 ・「椿」・・・目録に「チン」、本文に「ちん」と仮名が振られている。「椿」はチャンチン(センダン科)とする。 チャンチンの初見は、『資料別・…
…られている。 ・「臘梅花」は、目録では「カラムメ」、本文では「らふ・・」とある。また、「錦荔枝」は、目録では「レイシ」、本文では「つるれいし」とある。他にも、「平地木」は、目録では「タチハナ」、本文では「やまたちはな」とある。現代では、同じ植物を指していないが、当時は同じ植物と認識されていたのであろうか。 ・目録では「柳」とあり、本文には「楊柳」とある。同じ植物と認識していたのであろう。 ・「巻栢」は、目録に「イワヒハ」と振仮名とともに記されているが、本文にない。 2 紹介植…
…ワ(バラ科)。 「茶梅花」は、サザンカ(ツバキ科)。 「海紅花」は、(くれないのさざんわ)と振仮名がある。『牧野新日本植物図鑑』『樹木大図説』に記載無し。 「水仙」は、スイセン(ヒガンバナ科)。 「千日紅」は、センニチコウ(ヒユ科)。 「三波丁子」は、『牧野新日本植物図鑑』のセンジュギクと思われるが、確定できない。 「臘梅花」は、ロウバイ(ロウバイ科)。 「迎春花」は、オウバイ(モクセイ科)。 「蘭草」は、フジバカマ(キク科)。 「菖蒲」は、セキショウ(サトイモ科)。 「巻栢…
…などを使用する。 「梅」は、ウメ(バラ科)。 「山茶花」は、ツバキ(ツバキ科)。 「福寿草」は、フクジュソウ(キンポウゲ科)。 「金盞花」は、キンセンカ(キク科)・『牧野新日本植物図鑑』によれば、別名ホンキンセンカ 「山礬花」は、ジンチョウゲ(ジンチョウゲ科)・なぜ「山礬花」とするか不明、「山礬」をハイノキ(ハイノキ科)とする例がある。 「杏花」は、アンズ(バラ科)。 「辛夷花」は、コブシ(モクレン科)。 「小櫻」は、ヒガンザクラ(バラ科)・「小櫻」をヒガンザクラとする例は少…
…雑・牡丹・芍薬・菊・梅・桃・櫻・躑躅と12分類している。この分類法は、水野元勝のオリジナルであろうか。『本草綱目』の分類で花材などの植物に関連しそうな区分の草部は、草部一山草類上31種・草部二山草類下39種・草部三芳草類下56種・草部四隰草類下52種・草之五隰草類下73種・草之六毒草類47種・草部七蔓草類73種附19種・草部八水草類22種・草部九石草類19種・草部十苔類一16種・草部十一雑草類9種等。穀部は一~四、菜部は一~五、果部は六類、木部六類となっている。『花壇綱目』は…
…葉集785年前 ・楊梅 ヤマモモ(ヤマモモ科)・・・種名・・・ヤマモモの初見→新撰字鏡900年頃 ・夕顔 ユウガオ(ヒルガオ科)・・・種名・・・ユウガオの初見→枕草子1001年頃 ◎庭柳 ユキヤナギ(バラ科)・・・種名・・・ユキヤナギの初見→花譜1698年 ・柚柑 ユズ(ミカン科)・・・種名・・・ユズの初見→枕草子1001年頃 ・榕 ユズリハ(トウダイグサ科)・・・種名・・・ユズリハの初見→万葉集785年前 ・百合草 ユリ(ユリ科)・・・総称名・・・ユリの初見→古事記712年…
…撰字鏡900年 ・庭梅 ニワウメ(バラ科)・・・種名・・・ニワウメの初見→詞林采葉抄1366年 ・庭桜 ニワザクラ(バラ科)・・・種名・・・ニワザクラの初見→散木奇歌集1128年 ★岩藤 ニワフジ(マメ科)・・・種名 ・人参 ニンジン(セリ科)・・・種名・・・ニンジンの初見→新撰字鏡900年 ・蒜 ニンニク(ユリ科)・・・種名・・・ニンニクの初見→山科家礼記1472年 ・膠木 ヌルデ(ウルシ科)・・・種名・・・ヌルデの初見→日本書紀720年 ◎馬藺 ネジアヤメ(アヤメ科)・・…
…撰字鏡900年頃 ・梅 ウメ(バラ科)・・・総称名・・・ウメの初見→懐風藻705年前 ・瓜 ウリ(ウリ科)・・・総称名・・・ウリの初見→日本書紀720年 ・漆 ウルシ(ウルシ科)・・・種名・・・ウルシの初見→日本書紀720年 ・榎 エノキ(ニレ科)・・・種名・・・エノキの初見→日本書紀720年 ◎○ エノコロヤナギ(ヤナギ科)・・・種名・・・ネコヤナギの初見→桜川1674年 ・○ エビネ(ラン科)・・・種名・・・エビネの初見→『山科家礼記』1491年 ★槐 エンジュ(マメ科)…
…に行く電車はなく、青梅で乗り換えが必要です。青梅行きの特別快速は1時間に1本しかなく、御獄から滝本(ケーブルカー乗り場)へのバスもスムーズに乗れないこともあります。ケーブルカーの乗車時間は6分と短いものの、混雑すると30分待つことがあります。それでも、レンゲショウマは最高に素晴らしいです。 ケーブルカーを降り、そのまま真っ直ぐ進むと、「レンゲショウマまつり」の幟や飾りがあって、左手に「レンゲショウマの群落地入り口」の看板が見えます。そこから階段を登ると、人が一人歩くのがやっと…
…九年二月十一日には「梅御会アリ一種一瓶面々御持参之間御方沙汰あり」と、花の種類が記されている。ただ、これを生花と言えるものか、以後も瓶に花を挿した記述はあるものの判断に迷う。なお、日記は応永十九年で切れ、寛正四年から続く。記述として、「立花」「たてはな」などがあるものの、いけばなの様相を示すような描写はない。また日記は、文明十三年(1492)に切れ、文明十八年(1486)から再び始まる。生花らしき様相が推測できるのは、長享二年(1488)年からとなる。久守は、植物を良く知って…
…た新しい花材は、「金梅草」「山しやく薬」「山茶科」「天南星」4種である。 「金梅草」は、キンポウゲ科多年草キンバイソウとした。 「山しやく薬」は、ボタン科多年草ヤマシャクヤクとした。 「山茶科」は、リョウブ科落葉小高木リョウブ科とした。 「天南星」は、サトイモ科のテンナンショウと思ったが、図からウラシマソウとした。 ★『生花正傳記』に記された新しい花材は、「すみれ」1種である。 「すみれ」は、スミレ科多年草スミレとした。 ★『佛花抄』に記された新しい花材は、「かんし」「みかん…
…十四日。日。晴和。看梅於荒木虎太郎家。・・・」 四月 「七日。日。陰。朝率妻子看花於上野。」 「十日。水。雨。・・・紀尾井町伏見宮邸。賞花。」 八月 「十日。土。晴。・・・睡蓮開。」 スイレンが咲いた。たぶん観潮樓の庭であろう。以後の日記には、目黒植物園など出かけた先での花はもちろん、自宅の庭の植物についても、何も書かれていない。ところで、観潮樓の庭は、当時どのようになっていたか。その辺のことは、類の『鷗外の子供たち』の「二 父、鷗外のこと」に詳しい。 「庭から離れの西をまわ…
…、小雨が降り始めた。梅雨だから仕方ないと、蕎麦を食べて止むのを待つことにした。蕎麦の味はまあまあ、値段は観光地価格。白川郷の店は、日本人より外国人に視点を合わせて経営しているようだ。回りを見ると、食べているのは外国人だけ。この量では明らかに不足、さらに何かを食べなければならない。雨が切れて、であい橋から集落の方へ歩き始めると、行き交う人はすべて外国人。最近は日本人も自撮りをするが、撮り方を見れば一目瞭然。長い自撮り棒、頻度が多いだけでなく、他人の存在など眼中にない。 観光客の…
…ひに 折りてそ見つる梅の初花」 と、詠んでいる。庭にウメでも咲いたのであろうか。この頃の鷗外の関心は、花より茉莉、杏奴の二人の娘の方にあったと見え、開花を日記に記すのは四月に入ってからである。 四月 「十日(日)。陰。悪路。櫻花盛りに開く。・・・」 浅草松山町正覺寺に赴く途中で、満開のサクラが目に入ったのだろうか。 「十九日(火)。半陰。・・・櫻多くは散れり。・・・」 以後、六月まで開花の記述はない。 六月 「十九日(日)。半陰。・・・天竺牡丹、月見草咲きはじむ。」 次は、九…
…な一度にさく。しかし梅や櫻は一本もない。一番多いのは杏の花だ。これはおとうさんはごぞんじのとほり支那では艶な花としてあるのだが赤いのが一ぱいさいたところは中々きれいだ。草ではおきな草といふ紫の花が一番多くさいている。此中におきな草を一りん入れてある。・・・」 五月二十日 饗庭與三郎宛 「御書状花いろいろ入りしまゝ花恙なく到着いたし候。・・・高粱の穂を・・・大抵おやじが犂の方をやり子供が種をまき候。・・・當地草花はすみれたんぽぽの外おきな草といふ紫の花のみ其外は見あたらず候。」…
…是日天氣晴朗、苑内の梅花皆開く。又南の縁近き処には、金盞花の蕾を破れるあり。」。さすがに九州だけあって、ウメの開花が早い。 「二十四日。宮川漁男来りて、松村任三氏の牻牛兒苗辨を借す。初め予所謂現の證據を福岡に得て謂へらく。是れ牻牛兒苗なりと。今此文を見てそひ非なるを知る。乃ち左に基概要を抄す。『ゲラニウム』Geranium 属にたちまち草あり、俗に現の證據と云ふ。・・・」。「現の證據」とは、ゲンノショウコ(フウロウ科)のこと。また、「たちまち草」は、すぐに効き目が現われる草、…
…い。 最初の「大森に梅開く」は、自庭のウメの開花を待ちこがれていたことを反映している。その二日後に、自庭での開花を確認しているように、数日前から観察していたのだろう。その後、一月以上花の記述はない、それは、毎日のように庭を見ていたが、降雪が多く花が咲かなかったからだと思われる。三月の半ば過ぎに花畑のヒヤシンスが咲くと、庭の花は続々と咲きはじめた。 開花の記録は、五十三種におよんでいる。明治三十一年当時、日記に自庭の花暦を記した人は、おそらく他にはいないだろう。ご隠居の身分で、…
…日(水)。風。大森の梅開くと聞く。」と、花の便りを待ちわびていたようで、花暦を付けるぞという意気込みが感じられる。 「四日(金)。・・・是日向嶋の梅開くと聞く、吾家御園の梅も亦数枝綻び初めたり。」 咲いたのは、三畳のそばにある紅梅であろう。なお、北側の出入り口の近くにもウメが植えられている。鷗外の庭は、向嶋(以前住んでいた向島小梅村)のウメと同じ頃咲くと考えてよいのでは。 ウメの開花は早かったが、その後はあまり暖かくならず、三月は十六日までに五回も雪が降っている。そのためか、…
…前に住んでいた向島小梅村のことであろう。 四月十八日 棣棠 「棣棠」は、バラ科落葉低木のヤマブキ(山吹)。棣棠は漢名。 四月十八日 海棠 「海棠」は、ハナカイドウ(カイドウ)であろう。海棠は漢名で、正確には垂絲海棠。ハナカイドウは、バラ科の落葉樹。植えてあった場所は、土蔵の南面、東側の庭である。 四月十九日 石楠花 「石楠花」はシャクナゲ、杜鵑花とも書く。鷗外は、この花が気に入っていたと見えて、自庭だけでなく日比谷公園などで咲いていたことも後の日記に書いている。当時はまだ、西…
…・一頁 二月十五日 梅 『花暦』に登場するの最初の花は、ウメである。バラ科の落葉樹、紅梅であろう。 この年は、寒かったようで、開花が遅い。明治三十一年の日記によると、二月四日に咲いている。ウメの花は、積算気温によって咲く。暖かい年では一月に咲いたという記録もあるが、年によって差が大きい。 ウメの木は、敷地の北側や東側などに、何本かあったよう だ。その中でも、「三畳のすぐ脇にある紅梅には一時ひどく 虫がついて父を心配させ、人を呼んで葉に薬をかけてやった事もある。」(娘・杏奴『晩…
…六月になって、隣地の梅林(十九番地)を買い、敷地を三百二十坪(1,056㎡)に広げた。 長男・森於菟の「観潮樓始末記」(『父親としての森鷗外』)によると、「この土地は根津権現の裏門から北に向う狭い道で団子坂上に出る直前の所で、東側は崖になって見晴しがいい。根津に近い方は土地がひくく道の西側は大きい邸の裏手に面し、当時昼なお暗く藪下道といわれていたが、団子坂上に至る前はしばらく上り坂になってその先はとくに景勝の地を占めているのである。父の買い入れた土地には初めから、三間と台所か…
…ぜられた。当初は、小梅村から通勤した。同十一年、東京府足立郡の郡医を嘱託され、橘井堂医院を開業した。翌十二年一家は小梅から千住一丁目十九番地に引っ越した。なお、鷗外が明治十四年東京府に提出した開業免状下附願の住所がこの番地である。 妹・喜美子の『森鷗外の系族』(「千住の家」)によれば、その家の様子は、「小路を這入つて厭になる程行くと門につき当る。黒板塀で取廻した屋敷であつた。・・・平屋ながら屋根が高く天井の上に物を置くやうになつてゐた。」 また、「千住の家は町からずっと引込ん…
…している。 ②向島小梅村・亀井邸の下屋敷 明治五年、鷗外は父に伴われて上京、向島小梅村・亀井伯爵邸の下屋敷に住む。まもなく小梅村87番に転居する。下屋敷には庭園があり、『名園五十種』(近藤正一著 博文館)によれば、亀井伯爵向島別墅の庭園は「森々として立てる木立を負うた優びやかな富士形の芝山それを背景にして前にはひろびろと水を湛た池を控へたる純粹の林泉式の大庭園で池の周圍は松檜などを其処此処に植込める芝生である。・・・」とその詳細が写真とともに記されている。 鷗外は、庭園につい…
…断した。 「金絲梅」は「くさやまぶき」と仮名が付され、キンポウゲ科のヤマブキソウとした。 「薺蒿」は「よめがはぎ」と仮名が付され、キク科のヨメナとした。 「白芷」は「よろいぐさ」と仮名が付され、セリ科のヨロイグサとした。 「羅生門草」は、シソ科のラショウモンカズラとした。 「壺盧子」は「なりひさご」と仮名が付され、「瓠爪」ともあり、ウリ科のヒョウタンとした。 「瑠璃草」は、ムラサキ科のルリソウとした。 以上の植物について、初見や渡来時期を『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀…
…蘭花)、ロウバイ(臘梅)などの新しい花材が記されている。これだけ多くの種を揃えた花伝書は、十八世紀に入ってからはなく、特異な存在である。 では、『生花百競』の花材は、十八世紀後半の茶会記に記された茶花をどの程度反映しているかを見ると、33%と半数にも満たない。使用頻度10位までには8種入っているものの、20位までを見ると13種と、決して多いとは言えない。『生花百競』は茶花を中心に図示しているようだが、入江玉蟾の好む山野草と十八世紀後半の茶花とは異なる種の方が多い。 『瓶花群載…
…として、「あはもり、梅ばち、風車、熊谷、鷺草」など、山野草が多いこともあげられる。以上から、『古今茶道全書二』は、花書の花材として少し変わった植物を記しており、茶道の茶花についても当時使用されていた植物を記しているとは言い難い。 『當流茶之湯流傳集巻之三』 『當流茶之湯流傳集巻之三』は、『當流茶之湯流傳集』六巻ノ内の三で、茶席での花について記され、17の花之図がある。著者は、廣長軒(遠藤)元閑で元禄七年(1694)に刊行された。『當流茶之湯流傳集』は茶書であるが、著者はこの項…