菊 の検索結果:
…木屋で見せる作り物(菊人形等)に人気が集まったのは文化年間(1804~17年)である。また、寛政年間(1789~1801年)に登場した寄席も文化年間から大勢の人々が通いはじめた。 十九世紀は、地震や火事、疫病などが多く、政情が安定していたとは言えないが、逆にだからこそと、庶民の遊びは以前にもまして活発になっていった。当時の盛り場が庶民で賑わっていたことは、幕末期に浅草を訪れたアルミニヨンが「寺に通じる非常に美しい通りにわれわれが達した時には、無数の老若男女がぞろぞろと群れ歩い…
…次いで人気のあるのが菊細工(菊人形)。巣鴨染井辺の植木屋を初めとして、団子坂や両国など色々な場所で観賞でき、多い年には家族の誰かが出かけるという程であった。 冬の行楽は、宗教関連の行事や市などには、相変わらず多くの庶民がでかけている。まず、初冬の十月は、白膠木(ヌルテノモミヂ)や紅楓(モミヂ)など紅葉狩りをかね、谷中天王寺、品川東海寺、鮫州海晏寺などへ参詣かたがた出かけるのが普通だった。 十一月には、酉の日に行われる鷲明神の祭礼、酉の市(酉の祭)がある。葛西花又村鷲大明神社(…
… 中村座で『助六曲輪菊』と玉川座『助六縁江戸桜』が菊五郎の助六・団十郎の助六とで張り合い大入り 3月 回向院で勧進相撲 6月 回向院での嵯峨清涼寺開帳を含め開帳2 6月 中村座で『再夕暮雨の鉢木』大入り大当たり 7月 浅草奥山で一田正七郎が籠細工見世物を出して大好評 8月 中村座で『いろは仮名随筆』大当たり 秋頃 両国にも籠細工やギヤマン灯籠に蘭船の作り物が出る 9月 水天宮、水難除け・安産の札を求め朝から殺到 11月 回向院で勧進相撲 ○葺屋町河岸で大坂下り谷川貞吉が「うか…
…鴨染井周辺で35軒が菊細工を見せ、見物人が群集 秋頃 怪奇な噂話が競って作られ流行 9月 森田座で『男一疋達引安売』大入り大当たり 11月 回向院で勧進相撲 11月 市村座で『戻橋背御攝(セナニゴヒイキ)』12月中旬迄大当たり ○式亭三馬『浮世床』刊行 ○女義太夫が現われる ○東両国に小狐の見世物出る ☆この年のその他の事象 3月 隅田川土手や池上本門寺などで相次いで相対死(心中)発生 6月 蕎麦を食べると死ぬという流言が出て蕎麦屋の客足が落ちる 9月 米価下落 11月 日…
…年、大田南畝が巣鴨の菊を鑑賞しに出かけたように、植木屋が一種の行楽地として注目されるようになった。そうなると、植木屋の方でも、菊の花で人物や鳥獣を形作って見世物にするなど、次々とアイディアを競うようになる。一八一二年(文化九)には、巣鴨、染井の植木屋が五十余カ所で菊細工(菊人形など)を披露している。 そしてこれら行楽地が目指すものは、明らかにビジネスであり、現代の遊園地経営と何ら変わりがなかった。それ以前の行楽地は、「功徳をいただく」とか「厄払いをする」といった宗教的な目的を…
…山籠釣鐘』初演、瀬川菊之丞ら市村座と掛け持ち ○神奈川浦島寺開帳(開催地・開帳期間不明) ☆この年のその他の事象 5月 好色本の禁止。子供の草紙・絵本の内容規制 ○湯女風呂を根絶させるため、湯屋の新規開業を不許可 ★寛政三年1791年 1月 両国尾上町京屋で咄の会第五回を催す 2月 橘国二丁目駕籠屋二階で岡本万作が夜席を興行 3月 浅草寺開帳を含め開帳2 4月 大相撲興行が深川富岡八幡宮から本所回向院に移る 4月 中村座で『助六縁(ユカリノ)牡丹』大当たり(助六ナドノ衣装ニ…
…2月 桐座で二世瀬川菊之丞十三回忌追善五変化上演 3月 中村座で『三ツ人形弥生雛形』羽左衛門大当たり 3月 相州江ノ島本宮岩屋弁財天開帳、江戸より参詣人多数 2月15日より 回向院にて、鎌倉稱名寺不動尊開帳 2月15日より 回向院にて、豆州八丈島為朝明神本地地蔵菩薩開帳 3月より 洲崎辨財天開帳 3月8日より 江之島下の宮辨財天開帳、江戸より參詣多し 3月 浅草妙音寺にて、二の江妙勝寺祖師開帳 4月 柳橋河内屋で烏亭焉馬が『太平楽之巻』を自演(落噺隆盛ノモト) 夏頃 両国に瓢…
…月 森田座で顔見世『菊慈童酒宴岩屋』大当たり ☆この年のその他の事象を示す。 3月 大井来福寺、櫻樹を栽繼く 4月 浅草寺日音院内で富籤同様の籤取で疱瘡の守札を領布した者が江戸払い 4月 芝切通し時の鐘再興 4月 龜戸聖廟に、楼門建 ○大川中洲築立地へ家續、町名を三股富永町と号し、川辺に葦簀囲ひの茶店をかけ並べ、夏月納涼殊に繁く、絃歌昼夜に喧し ○恋川春町黄表紙『金々先生栄花夢』刊行(黄表紙ノ始メ) ○浅草寺境内石地蔵尊が流行りだす ○投壺の技が流行 ★安永五年1776年 1…
…閑歩(略)妙義坂銀八菊を見る銀八出る、笠志に鄽上にて逢ひ道濯山より田畑村、安部侯御部屋隠居所にて溝口を遣し菊を見んと申遣せしに見せす、御鷹部屋裏道、植樹屋門内にて烟を弄し富士うらより暮時帰る 九日○八時より(略)西門より出、猫魔橋姥か床机に休み波切坂にて飴を伸すを見、護国寺薩埵拝す、塗中甚群集門外にて女乞食つく、爰にて鷹を遣ひ居るを大立留り見る容子、御岳飾物を見、雑司谷磴下にて拝す、寺々の飾物例の如し、別当飾物を見る時人叢中十二三の坊主五十許の町人の腰の財布の紐を切見付打擲す…
…見、老介坂四辻酒屋の菊を見、伊藤を笠志へ案内に遣し、留守の由直に休む、如貢在、瀧川へ蕎麦振廻に行し由、帰掛植樹やへ立寄菊壇を見、植菊を買ふ(略)暮頃表門より帰る 廿七日○七過よりお隆同道近隣の菊を見に行(略)西門より北行、加賀北脇四郎左衛門・弥三郎菊を見、又五郎辻より市左衛門菊、稲荷小路へ出左太郎菊を見、暮時西門より帰る 廿八日○九過よりお隆同道王子祭見物(略)笠志鄽にて小休(略)塗中賑し、権現の橋より内群集熱閙、権現拝し(略)笠志拝殿(略)見物一杯、右側は旗本衆らしき供十人…
…二日○七頃より(略)菊花を見る(略)西門より(略)左太郎菊を見る(略)客少在、稲荷裏より権左衛門菊を見、表へ出弥三郎菊を見る、客多く酒呑居たり、四郎左衛門菊にて橡をかり茶を飲、和泉境より庄八庭へ行暫休む、明日太師へ出す植木荷こしらへ居たり、小菊買ハせ暮時帰廬 七日○七過よりお隆同道(略)路次より滝方江菊見に行 十日○四半過よりお隆同道浅草参詣(略)表門より(略)富士裏(略)不動坂(略)谷中門(略)瑠璃殿(略)車坂より(略)戸繋いせ屋に休む(略)薩埵拝し御手洗へ鰻放す、又伊勢屋…
…り通へ出、四郎左衛門菊を見る(略)夫より左太郎菊を見、西門より晩鐘頃帰る 十三日○九つ時よりお隆同道浅草参詣(略)富士裏(略)三辻(略)瑞倫寺裏門(略)寮の飾物を見る、甚賑也、清水門より上野うち車坂より行、寺町鳥屋にて鸚鵡を見、戸繋伊勢屋に休み、薩埵拝し、御手洗へ鰻放し、三杜経蔵塔を見、又伊勢屋に休み(略)前路を帰る、根岸を池端とんとん庵案内に遣し、山下より行、池端木戸より七八間行、庵狭し(略)暮前起行 十九日○九過よりお隆同道浅草参詣(略)富士門(略)御手鷹町(略)いろはの…
…隆・熊蔵同道、巣鴨へ菊見に(略)西の門より出、左太郎菊を見る、今日漸々障子掛、華甚あしく莟かち也、稲荷前より権左衛門、市左衛門、夫より通りへ出、弥三郎方へ(略)四郎左衛門へ行、菊一番好、和泉境より庄八方へ行、爰にて弁当開き暮時帰る 九月の出来事として、暴風による新大橋や永代橋の倒壊がある。信鴻の日記にも、五日から七日にかけて大雨の降ったことが記され、「泉池水三分一溜りし」とある。八日も「寺町水出川の如し」、十一日になっても「馬場塗大にあしく、一町はかり下駄をはく」とある。それ…
…にて樹木をみ(略)小菊かハせ、蓬莱屋に挿花会在、今日太師にて甚熟閙、池端通り(略)瑞林寺(略)谷中辻(略)御鷹部屋(略)六比奥口より帰る 五日○九半よりお隆同道雑司谷参詣(略)沙利場の橋にかかり、大学脇姥か床机に休む(略)波切不動(略)護国寺女坂より上り、左脇観音堂拝し、本堂へ参詣、今日開帳、裏門より出、御嶽堂飾物を見(略)雑司谷大かい賑也、直に拝し、坂下にて鼡つかひ角抵取らせ、猫行司するを立なから見、寮の飾物見る、例の如し、本堂に羅漢角低のからくり有、皆見るに足らす、別当寮…
…を帰る、茶屋に挿花大菊等会の札出る、瑞林寺表門へかかり領玄寺・末広稲荷参詣、祖君の交り玉ふ日亨上人の墓を見、瑞林寺内より谷中通、富士前にて(略)小菊かハせ、暮少前帰廬 十三日○四頃(略)六本木へ(略)土物店よりさすかい町(略)伝通院内寮の前より表門坂上より土峰(略)諏訪町よりとんと橋、牛込門外人を払ひ紀侯息女葬礼通る、番町通平河聖廟参詣(略)末の茶屋に休む(略)溜池端田町五丁目より檜館、六本木表門より入る(略)表門より出、飯倉より長井町光宝寺へ参詣、切通し増上寺前三島町神明北…
…大名の忍ひ(略)新橘菊や(略)三絃溝より西折、生駒わき中坂より湯鳥お清麟に休み(略)聖廟拝し西門より出、本郷(略)追分にて四谷鳶鳳巾買ひ、暮前帰廬 二月の出来事として、『武江年表』に「○二月十五日より、回向院にて、下總小金普化宗本寺一月寺迦如来不動尊開帳」がある。日記に記された通り、一月寺の開帳は「十一日廻向院へ着、虚無僧百余迎に出甚賑しく」と、大層な評判で賑わったとされている。 ★三月 朔日○九半頃より雛市へ(略)土物店より行(略)本郷四丁め(略)町中程より横町へ出東行、湯…
…は、3日である。 「菊」は、キク(キク科)とする。 「霧島」は、キリシマ(ツツジ科)とする。 「さつき」は、サツキ(ツツジ科)とする。 ○六月 六月の日記には8日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、13日ある。収穫の記載は4日ある。それら日記に記された植物名は8、2種である。この年の新たな植物の種類はない。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、1日である。 「菊」は、キク(キク科)とする。 「霧島」は、キリシマ(ツ…
…ヤメ科)とする。 「菊」は、キク(キク科)とする。 「花菖蒲」は、ハナショウブ(アヤメ科)とする。 「槙」は、総称名マキとする。 「自然薯」は、ヤマノイモ(ヤマノイモ科)とする。 ○六月 六月の日記には11日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、11日ある。収穫の記載は4日ある。それら日記に記された植物名は15、13種である。この年の新たな植物の種類は7種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、6日である。 「…
…デ(カエデ科)。 「菊」は、総称名キク(キク科)とする。 「雰島」は、キリシマ(ツツジ科)とする。 「黄山蘭」は、キンラン(ラン科)とする。 「山椒」は、サンショウ(ミカン科)とする。 「砂参」は、総称名シャジン(キキョウ科)とする。 「忍冬」は、スイカズラ(スイカズラ科)とする。 「杉」は、スギ(スギ科)とする。 「躑躅」は、ツツジ(ツツジ科)とする。 「鳥頭」は、トリカブト(キンポウゲ科)とする。 「南天」は、ナンテン(メギ科)とする。 「藤」は、フジ(マメ科)とする。 …
…がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、23日ある。収穫の記載はない。それら日記に記された植物名は44、9種である。この年の新たな植物の種類は5種である。以下順に示す。なお、信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、3日である。 「蕣」は、アサガオ(ヒルガオ科)とする。 「菊」は、総称名キク(キク科)とする。 「雰島」は、キリシマ(ツツジ科)とする。 「杜鵑花」は、サツキ(ツツジ科)とする。 「花菖蒲」は、ハナショウブ(アヤメ科)とする。
…は、6日である。 「菊」は、総称名キク(キク科)とする。 「桜」は、総称名サクラ(バラ科)とする。 「芹」は、セリ(セリ科)とする。 「蒲公」は、タンポポ(キク科)とする。 「鳥頭」は、トリカブト(キンポウゲ科)とする。 「南天」は、ナンテン(メギ科)とする。 「唐桑」は、ハナズオウ(マメ科)とする。 「彼岸桜」は、ヒガンザクラ(バラ科)とする。 「藤」は、フジ(マメ科)とする。 「桃」は、モモ(バラ科)とする。 「娵菜」は、ヨメナ(キク科)とする。 ○三月 三月の日記には2…
…過より珠成同道隣村の菊を見る(略)西門より出左太郎菊を見、四郎左衛門にて諸侯忍見物来、弥三郎ハ奥方客有門を鎖、市右衛門菊を見、稲荷にて休み、入相頃帰る 十三日○九半頃(略)雑司谷へ(略)猫また橋、大学舘裏(略)護国寺内より群集、観世音拝し裏門を出、塗中大熱閙、茗荷屋・福山二階翠簾掛り諾侯の奥方来られし様子(略)鬼子母神大に込合故横より内陣へ廻る、ハ紫千年堂へ行道大に込合行かれさる故右側の水茶屋に少休み(略)九郎僧立花を見(略)和泉屋離亭上間へ行、客大に込合(略)三辻より(略)…
…石にて不二・三保或ハ菊花等を蒔く、中町より広徳寺(略)戸繋いせ屋に休む、参詣賑たり、直に拝し鰻を放し(略)山下に掛り彼処へ行蕎麦を喰(略)池端通り(略)谷中観成院不動(略)暮過帰る 廿七日○九半前(略)真崎へ行んと思ひし(略)上野谷中通へかかり薬研溝江行、六弥陀わき茶屋に(略)松坂屋脇より小倉侯裏長老町、桑名侯三辻より新橘薬研溝、参詣甚淋し、長谷川町白菊へ(略)村松町より行、せい方へ(略)七半前起行、芝居前にかかる、中村ハ七段目、市村ハ浄瑠璃也、巳前松屋に在し男に逢、新材木町…
…より行、首振坂宇平次菊を見、門前にてかば中菊を買ハせ直に預け、谷中門より入(略)常行堂に太師在ゆへ群集、車坂より下り浅草外繋伊勢屋に休み直に参詣(略)参詣多し、並木へ下り西福寺表門より入る(略)宝池院墓を拝し裏門より新堀浄念寺橋渡り立花表門通、竹町横丁(略)広小路植樹を見、松・八ツ手を買ハせ(略)藤やへ入る(略)植木ハ直に植木や屋敷へ持込せ(略)今日咀英蓬莱屋にて挿花会ゆへ行(略)池の端通りより穴稲荷参詣、観音拝し山内へ入る、太師群集、谷中門より出、首ふり坂にて預けし菊もたせ…
…穴沢を残しおもと・小菊買ひ予ハ先へ帰る(略)神明より雨降出九時帰廬 旧暦の七月はまだ暑い時期である。出かけたのは、現代の九月に入ってからである。浅草や湯島などの人出はあまり感じられず、信鴻の行動も午前(十時頃)に出て午後三時前に帰宅している。 ★八月 朔日○七少過(略)谷中通り、大円寺(略)開運大黒拝す(略)谷中門を入清水参詣、山王にて暫眺望、中町通、女坂より男坂上の伊勢屋へ(略)今日少し参詣(略)暫休み地蔵・聖廟拝す、花表左側に札を建、上野新田大炊之介義重公尊、本尊、千手観…
…白仙翁為朝百合・薩摩菊・姫百合求め池の端通りを帰る(略)夕風涼しく桟崎妙法寺前水茶屋にて袷を着、鄽の小団扇二つ買、暮過帰廬 九日○八半より一ツ目弁天に此程金兵衛安置せし金昆羅参詣(略)不動前(略)本郷通り湯島(略)昌平橋(略)旭山茶屋(略)柳原通り両国見晴し水茶屋三間目に休み、直に丸屋(略)一ツ目橋を渡り弁天へ(略)堂上の僧に金毘羅安置の所を尋ね(略)拝し丸屋へ(略)金毘羅開扉せしやと尋ぬ(略)拝す(略)廻向院へ(略)金魚買ハせ帰る、両国(略)新橋(略)長者町、御成小路へ出、…
…ギの3種である。 「菊」は、総称名キク(キク科)とする。 「擬法珠」は、ギボウシ(ユリ科)とする。 「杜鵑花」は、サツキ(ツツジ科)とする。 「下野花」は、シモツケ(バラ科)とする。 「菖貰」は、セキショウ(ショウブ科)とする。 「千両」は、センリョウ(センリョウ科)とする。 「蘇鉄」は、ソテツ(ソテツ科)とする。 「橘」は、タチバナ(ミカン科)とする。 「劉寄奴」は、ヒキヨモギ(ゴマノハグサ科)とする。 「未央楊」は、ビヨウヤナギ(オトギリソウ科)とする。 「筍」は、マダケ…
…ラン科)とする。 「菊」は、総称名キク(キク科)とする。 「赤南木」は、シャクナゲ(ツツジ科)と推測するが確信はない。 「石竹」は、セキチク(ナデシコ科)とする。 「茶蘭」はチャラン(センリョウ科)とする。 「荵摺草」は、ネジバナ(ラン科)とする。 「姫百合」は、ヒメユリ(ユリ科)とする。 「風蘭」は、フウラン(ラン科)とする。 「筍」は、マダケ(イネ科)とする。 「箭竹」は、ヤダケ(イネ科)とする。 ○六月 六月の日記には10日間に植物名の記載がある。ガーデニング作業と思わ…
…9日ある。収穫の記載は、3日に減っている。それに対して、ガーデニング作業と思われる記述は12日ある。それらの中から、記された植物名は13あり10種である。新たな植物の種類は5種である。以下順に示す。また、信鴻が六義園に移って初めて記す種は、シダレヤナギの1種である。 「菊」は、総称名キク(キク科)とする。 「紫蘇」は、シソ(シソ科)とする。 「垂柳」は、シダレヤナギ(ヤナギ科)とする。 「石竹」は、セキチク(ナデシコ科)とする。 「木犀」は、総称名モクセイ(モクセイ)とする。
…伝通院内より例の通、菊堂方へ(略)牛込門より御厩谷・平河二丁メより獣店、珠成等狼・猪・鹿・狐・河獺等を見(略)紀侯門(略)赤坂門より河岸、田町二丁日、氷川脇、南部坂(略)市兵衛町(略)六本木西門八半頃暗く(略)皆雨具なく手傘徒跣に(略)長井町(略)稲荷前中川(略)猿屋へ案内に遣し直に行、酒を呑、湯豆腐等(略)通町より帰る 十七日○九半前(略)浅草の市へ(略)谷中通(略)車坂より出、広徳寺前去年程の込合也(略)御堂前より熱閙、大神宮門より甚込合直に観音参詣(略)込合中を奥山へ出…