梅 の検索結果:

十八世紀後半の茶花その1

…。 ウメは、「紅梅」「白梅」などと記載されている。 オオヤマレンゲは、「大山蓮」と記載されている。 オミナエシは、「女郎花」と記載されている。 カキツバタは、「杜若」と記載されている。 カッコソウは、「郭公草」と記載されている。 カラマツソウは、「唐松草」と記載されている。 キキョウは、「ききやう」と記載されている。 キクは、「夏菊」「浜菊」「甲菊」「千年菊」「寒菊」などと記載されている。 キョウガノコは、「あわゆき」と記載されている。 キンシバイは、「金糸梅」と記載されてい…

和のガーデニング 5

…花形も一重から八重、梅芯咲など、種類も多い。 ★ユキワリイチゲ ユキワリイチゲは、ルリイチゲとも呼ばれ、キンポウゲ科の多年草である。草丈は10㎝程度、生育期間はある程度日の当たる場所であるが、休眠時は半日陰の場所が適している。土壌は壌土が適しているが、乾燥しなければ土質は選ばないようだ。この植物の特徴は、関東地方では、前年から葉を出し、四月には消えるというスプリング・エフェメラルである。 ユキワリイチゲは林床に生育する植物だが、かなりの日当たりの良い場所に生育している例もある…

華道書(花伝書)の花材と茶花その6

…として、「あはもり、梅ばち、風車、熊谷、鷺草」など、山野草が多いこともあげられる。以上から、『古今茶道全書二』は、花書の花材として少し変わった植物を記しており、茶道の茶花としても当時の茶会記の植物の使用状況を反映しているとは言い難い。 『當流茶之湯流傳集巻之三』は、『當流茶之湯流傳集』六巻ノ内の三で、茶席での花について記され、17の花之図がある。著者は、廣長軒(遠藤)元閑で元禄七年(1694)に刊行された。『當流茶之湯流傳集』は茶書であるが、著者はこの項について華道を意識して…

華道書(花伝書)の花材と茶花その5

…大いさにして花白く小梅のやうにて千重」と『抛入花伝書』から、「ユキヤナギ」とするが、漢方薬に「石莧」があるらしく、それはクマツヅラ科のイワダレソウだとされている。「高麗菊」は種を蒔くことから一年草か越年草であるが、インターネットで引くと、シュウメイギクの名が出てくる。もっとも、その根拠は不明である。 次に、『立華指南』の花材の初見や渡来時期について、『資料別・草木名初見リスト』『明治前園芸植物渡来年表』(磯野直秀)から検証して、「玉簪=タマノカンザシ」と「なつはせ=ナツハゼ」…

十八世紀前半の茶花その3

…の花と云は 正月 梅 元日草 ふく壽草 ふくいく草とも云 大ふくの茶花に祝用 椿花」とある。 この「茶花」の記載、茶の湯で使用する花との意識はあるものの、まだ明確ではないような気がする。 それは、同書の「出陣の花」の項で、「茶会の花は成ほとかろく水ぎはうしろへ見すかしきれい異風を専と生る也・・・」と「茶会の花」という表現もしているからである。著者は、「茶花」と「茶会の花」の関係をまだ曖昧にしている。 この言葉を使用したのは、華道の花との対比上から「茶花」や「茶会の花」と書いた…

十八世紀前半の茶花その2

…。 ウメは、「白梅」「薄紅梅」「綠蕚梅」「紅梅ノ一種」などと記載されている。このなかで気になるのは「綠蕚梅」、リョクガクバイは品種名で、他のウメは形状による記載である。 キクは、「寒菊」「野菊」「夏菊」などと記載されている。 ヤナギは、「水楊」「柳」などと記載されている。なお、「水楊」に「イノコロヤナギ」の振り仮名がある。これは、エノコロヤナギ、別名ネコヤナギであろう。 コブシは、「辛夷」「シテコブシ」などと記載されている。「シテコブシ」はシデコブシ、花の形状はコブシと異なる…

十八世紀前半の茶花その1

…。 ウメは、「紅梅」「白梅」「梅」などと記載されている。 キクは、「夏菊」「寒菊」「小菊」「黄菊」「白菊」などと記載されている。 コウホネは、「こうほね」「かうほね」などと記載されている。 カキツバタは、「杜若」と記載されている。 レンギョウは、「れんきやう」「連尭」などと記載されている。 キンセンカは、「金仙花」「金銭花」と記載されている。 ムクゲは、「むくけ」「木槿」などと記載されている。 ランは、「蘭」「紫蘭」と記載され、正しい名称はシランだと思われる。 セキチクは、「…

十七世紀後半の茶花・その1

…。 ウメは、「紅梅」「白梅」「梅ツホミ」などと記載されている。 コウホネは、「かうほね」などと記載されている。なお、「しとみおかかうほね」という記載が一例あり、よくわからないがこれもコウホネとした。 スイセンは、「水仙」と記載されている。 カキツバタは、「杜若」「かきつはた」などと記載されている。 シャクヤクは、「芍薬」「しやくやく」などと記載されている。 ランは、「蘭」「紫蘭」と記載され、正しい名称はシランだと思われる。 サザンカは、「山茶花」「ささん花」などと記載されてい…

茶花 十七世紀前半の茶花の捕捉

…しい茶花として、「草梅」を寛永二十年八月十三日に記している。この植物は、珍しいと指摘しており興味を持ったのだろう。この「草梅」は、たぶんキンポウゲ科のキンバイソウ(又はギンバイソウ)だろう。その他にもヤマツツジ(正保四年正月十二日)、ダンドク(正保四年十一月廿六日)、ヒイラギ(正保四年十一月廿六日)、コデマリ(慶安二年三月廿五日)など、新に登場した茶花の名が見られる。 『江岑宗左茶書』(千宗左監修)には、648の茶会記が記されているので期待したが、茶花が記された茶会記は散在し…

『古田織部正殿聞書』の茶花

…下学集1444年 ・梅=ウメの初見、懐風藻751年 ・桃=モモの初見、古事記712年 ・梔子=クチナシの初見、日本書紀720年 ・小米外之花・・・不明 ・海棠=カイドウの初見、下学集1444年 ・三旦花=サンダンカの初見、草花魚介虫類写生1705年 ・○桲(マルメロ)の初見、新刊他識編1631年(注・○はネットで表せない漢字) ・小毬(コデマリ)の初見、毛吹草1645年 ・木蓮花=モクレンの初見、本草和名918年頃 ・下野(繍線菊?)=シモツケソウの初見、枕草子1001年頃 …

十七世紀前半の茶花・古田織部正殿聞書の検討

…つじ)・木瓜・木犀・梅・桃・梔子・小米外之花・海棠・三旦花・○桲(マルメロ)・小毬(コデマリ)・木蓮花・下野・芽張柳・独垂・ひやうの柳・沙羅双樹・桜・庭桜・菊・百合・萩・蓮・杜若・蜀葵・岩藤・石竹・撫子・山吹・月季花(テウシュン)・小蓮花・春菊・高麗菊・高麗百合・蕙蘭・桔梗・水仙・萱草・姫萱草・苠・芍薬・牡丹・草牡丹・浜菊・罌子・高麗芥子・竜胆・釣鐘・○薇・華鬘・連書・花菖蒲・るかう・紫陽花・小車・鉄線花・野菊・風車・朝顔・筑紫撫子・蒲公英・旋華(ヒルカホ)・菖蒲・鳳仙花・馬…

江戸時代の椿 その22

… サザンクハ 茶梅 山茶ノ族ニシテ山林自生アルコトヲ不聞、園庭多ク栽テ愛玩スルコト山茶ノ如シ、花ノ大小、弁ノ狭潤、色ノ紅白等種々アルコト、山茶ノ如クナレドモ、葉差小ニシテ殆ト茶葉ノ如ク、花弁差薄シテ展開シ、実礎心蕋同形ナレドモ、雄蕋脚下ノ合併至テ微クシテ、筒様ヲナスニ至ラザルコト、ソノ殊標ニカカル、実亦同形ニシテ小ナリ 林氏前条下 Camellia Sasanqua(カメルリアササングワ) ナツツバキ シヤラ 往々山中ニ生ス、山茶ヨリ大木トナリ、外皮剥脱シテビランノ木ノ如ク、…

茶会記から見る椿と梅の使用

… 茶会記から見る椿と梅の使用 十七世紀前半の茶会記から見られる茶花の傾向から見ると、新しい茶花を茶会に取り入れるより、茶花の基本はツバキとウメ、という決まりをより浸透させた時代ではなかろうか。 茶の湯の花と言えば、真っ先にツバキとウメが思い浮かぶ。そのような茶花の選択は、なにも利休が決めたのではなく、利休以前から浸透していた。宗二や当時の茶人も、茶会にはツバキやウメを活けることが当たり前のような感覚になっていた。その過程を茶会記から探ってみたい。そこで注目した茶会記は、『天王…

十六世紀後半の茶花

…廿五日朝の茶会では「梅ヲむしり入れテ」、翌年正月十七日には「紅梅白梅、二本生テ・・・花瓶ノ花ヲのけて、むしりちらし候」などがある。茶花を2種活けることも多くなり、同年八月十五日には「客人之前ニ而菊ヲ活候、山吹ノ返花ト」など、宗及が茶花に興味を増していたいただけでなく、招かれた客人も面前で花を活けることに関心を向けるようになったのだろう。 さらに、天正年間(1573~1592年)に入り、ルールらしきものが成立し始めたようだ。『宗及自会記』、天正五年三月十日朝の茶会に「客之間ハ庭…

天文・天正年間年間までの茶花

…れたウメ。ウメは、野梅・紅梅・豊後という品種とは関係なく、「白梅」や「紅梅」など花の色に従ったり、「早咲き梅」というような記述が多い。そのため、以後に記される「ひはい」「天神」などを一括してウメという表示にした。 キンセンカは、「金仙花」「キンセンクワ」「金盞花」「金盞」などに加えて、「てうしゆん」や「長春」などの記載がある。「長春」はコウシンバラではないと思ったが、『天王寺屋会記』他会記p266(茶道古典全集)の注にしたがってキンセンカとする。(十一月、十二月に活けられてい…

茶花の初見

…天文十八年正月九日「梅」『天王寺屋会記』他会記 キンセンカ・・1549年・天文十八年二月十一日「金仙花」『天王寺屋会記』他会記 ツバキ・・・・・1549年・天文十八年二月十三日「うす色のつハき」『天王寺屋会記』他会記 カキツバタ・・1549年・天文十八年卯月七日「かきつハた」『天王寺屋会記』他会記 キキョウ・・・・1549年・天文十八年六月四日「きヽやう」『天王寺屋会記』他会記 ササ・・・・・・1549年・天文十八年六月四日「さヽ」『天王寺屋会記』他会記 チガヤ・・・・・15…

江戸時代の椿 その20

…中ごろの事にて、昔は梅をぞ申たんなる、そのときよにもはらめづるをおしたて、この花といはばいまつばきの事にぞあるべき、菊はそのかみはさのみうたにもよまざりければ、万葉集にもれぬとかさるにより、古今にそのかずいりたるとかや、さてこのつばきしなさまざまいできたるゆゑに、あまた名ありしがあれど、四の体をいですあるはその主により、又そのみづからの色かたちにより、又ことはりはたがひたれどもとより、いひつけたるにことつけていひ、其外事のたよりにつけてもいへり、これは花のあるじを名によびたる…

江戸時代の椿 その19

…海嘉榴(字域作椿)楊梅 又去島根郡云々海柘榴楠楊 又云和多々島周三里二百廿歩(有椎海柘榴) 又云久宇島周一里卅歩(有椿椎) 又云厓島周二百歩(有椿松) 又云附島周二里一十八歩(有椿松) 又云御島周二百八十歩高一十丈(有椿松栢) 又云葛島周一里一百十歩高五丈(有椿松小竹) 又云秋鹿郡云々推椿楠栢 又云楯縫郡云々海榴楠松 又云出雲郡云々椎椿松栢 又云山埼高卅九丈周一里二百五十歩(有椿松) 又云榊門郡云々椿槻柘楡 又云附島周二里一十八歩(有椿松) 又云御島周二百八十歩高一十丈(有椿…

江戸時代の椿 その18

…一三年(1842)に梅枝軒来鴬よって刊行された図集である。図集は500余点の草木図を季節ごとに配列し、和名と漢名を附した歳時記になっている。その中に、海石榴(ツバキ)と冬海石榴(フユツバキ)が下図のように記されている。 ・『古今要覧稿』その1 『古今要覧稿』は、文政頃より幕命によって、国学者屋代弘賢が亡くなる天保十二年までに編集した大辞典である。事物の起源を文献をもとに、考証し編纂したもので、植物については図も付されている。なお、屋代は一千巻を計画していたが、彼の死によって5…

天王寺屋会記の茶花

…う。次に多いウメは白梅が多いが、紅梅もかなりある。紅梅の赤色は、ツバキの赤色より淡い色で、花の大きさも小さいことから使用頻度が高かったのだろう。次に続くキクは、上位2種に比べ半数以下とかなり少ない。また記載名も寒菊、春菊、野菊、紫菊など様々で、同じ種類のキクではない。特に紫菊は、シオンかヨメナなどを指している可能性がある。 その他の茶花として、キンセンカ、キキョウ、シャクヤク、フヨウ、ススキ、アサヂ(茅)、フジ、ヤマブキ、ユウガオ、苗(稲の苗か)などがある。また、使用回数が1…

江戸時代の椿 その17

…かるべし又芸花譜の茶梅花はサザンクワなりこれを誤りてツバキに充る説もあり)」とある。 以上、『桃洞遺筆』に示された記述は、必ずしも史料に裏付けられたものではないようだ。どちらかと言えば、文献などから目に留まった部分を紹介した程度の資料である。ツバキについてさらに蒐集範囲を広げたものとして、後述する『古今要覧稿』がある。なお、『日本書紀』天武天皇四年(675年)に「○夏四月戊戌朔辛丑、祭龍田風碑・広瀬大忌碑。倭国添下郡鰐積吉事貢瑞鶏。其冠似海石榴華。是日、倭国飽波郡言、雌鶏化雄…

江戸時代の椿 その15

…部(巻の一)に、鶯、梅に次ぐ項目として紹介されている。 紹介されているのは次の五ヶ所である。 「向島 秋葉権現の門前より東のかたへ十四、五間もさきなる家に、二百種の異なる花をあつめ植たり。 平井聖天 西葛西領下平井村。渡しをわたりてむかふの河きし通り。いろいろの椿多し。 妙亀山総泉寺 橋場にあり。この処を古名石浜といふ。・・・この寺の奥庭に椿あり。・・・ 椿山同 関口の通り、上小橋を渡り、右のかたへ上る阪のうへ一円をいふ。今はたえたり。 上野下寺同 東叡山中屏風坂の手まへ、寺…

江戸時代の椿 その14

…、声いと高し、所々の梅やゝ咲そむ、葛飾の梅、二三本さかり、其外やゝさきばめり、柳青みわたり、壮りおそきは、やゝきばめり、本所辺の椿もかれこれみゆ、 八日、世間の梅さかりなり、柳もやゝめばりて、きばみわたれり、されど、花さき出たるにはあらず、又、花さかぬ糸柳は、葉出て青みわたれり、下寺どほりの椿、やゝさきぬ、 十一日、かつしかの梅、新樹はさかりなり、古木は二三分さけり、此ほど、わが岨の椿咲そめたり、 十九日、わが峰の紅梅、ぶんご、諸所に咲匂ふ、岨の連翹さきいづ、椿やゝさかりなり…

茶庭 22 小堀遠州その7

…使用回数の多い順に、梅・菊・椿・柳・スイセン・蓮・杜若・牡丹 ・桃 ・卯の花 ・朝顔 ・ほけ・藤・アジサイ・夕顔・しの花・やくも花・小車がある。『利休の茶花』の種類は『小堀遠州茶会記集成』の茶花の72%が同じで、かなり似ていると言えそうである。 金盞銀台 眼皮 さらに、『山上宗二記』に示された茶花とも比べてみよう。記されている花は、「白梅。妻(め)柳。薄色の椿。白玉椿。金盞銀台。水仙花。寒菊。芍薬 薄色の千葉(ただし赤芍薬無用なり)。うちの撫子。石竹。桔梗。夕顔。白き芥子。槿…

茶庭 21 小堀遠州その6

…スゲ・ユリ・ケシ・黄梅・ふし 4月・・スイセン・ツバキ・コウホネ・ボタン・ケシ・ヤマブキ・フジ・アヤメ・カキツバタ 5月・・ハス・コウホネ・ユリ・カンゾウ・アオイ・アジサイ 6月・・ハス・カンゾウ・オモダカ・蘭・赤むくげ・白ふし・黒ふし 7月・・ハス・コウホネ・アサガオ・サワギキョウ 8月・・サザンカ・コウホネ・アサガオ・サワギキョウ・キキョウ・蘭・杜若 9月・・ウメ・ツバキ・サザンカ・フクジュソウ・キンセンカ・キク・クチナシ・桜・水草 10月・・スイセン・ウメ・ツバキ・キク…

江戸時代の椿 その10

…海石榴鉢うへニツ・白梅一ツを賜ふ 廿五日 海石榴四株(春宵・唐錦・関守・迦陵頻・岩根・松嶋)を貰ふ 二月六日 花やより海石榴三鉢(濡ふれ・両雨紅・胡蝶仇介)を求む 廿七日 海石榴鉢置を進む 三月八日 つはき三鉢を求む(羅氈・百官・星くるま) 九日 六本木よりつはき二鉢被下(繻子・かさね・わひすけ) 十七日 桜・つはき・桃華、庭の花のよしにて貰ふ 十九日 つはき貰ふ 廿三日 六本木より海石榴たて花賜ふ 廿四日 つはき鉢植貰ふ○つはき二鉢を求む(緋車 出羽大輪) 廿五日 唐錦つは…

江戸時代の椿 その7

…、椿で36回(次いで梅が18回、菊が12回)である。ツバキ記載の中で、特に品種まで書かれたのは、妙蓮寺椿と本間彌椿くらいである。茶花としてのツバキは、品種より花の色が問われたのだろうか。 ・『用薬須知』 八代将軍吉宗が薬草の栽培を奨励されるなか、稲生和水の門下である松岡怒庵は、享保十一年(1726)に本草書『用薬須知』を作成した。その中に「椿根皮」が記されている。なお、「椿俗名 香椿ト呼フ・・・」とあるように、ツバキではない。また、その後宝暦九年(1759)版の『用薬須知後編…

江戸時代の椿 その6

…の如く、微毛あり、小梅の大きさほど、老い裂ると中に核が三、四顆ある、油を絞ると海石榴より多し、すべてその種の子は佳くなく、枝接がよい、大体、山茶花は冬が盛り、海石榴は春が盛りとなる(遠州に山茶花の大木があ、幹廻り三尺余、高さ三丈余)」とある。 また、『東洋文庫』の『和漢三才図会』(島田勇雄ほか訳)の注には、「山茶花 中華の山茶は日本のツバキ、日本の山茶花は中華の茶梅にあたるとされている。」と書かれている。 なお、『東洋文庫』の竹島惇夫の各部解説には、「本書では、ツバキは巻八十…

茶庭 14 古田織部その5

…ル木ハ惣テ植エズ。楊梅、枇杷、柑橘、柚、蜜柑、久年母杯一ツ植ウ可キ也。この文は判りにくい内容であるが、これは聞書に共通したものかもしれない」と述べている。確かに、「聞書」には、錯綜した記述がいくつかる。そのような記述を田中は、理解しようと努力しているように感じる。しかもある方向(利休に続く織部という)で、先入観に近いもの(路地にも織部の一貫した思想があるという)を持って「聞書」を読もうとしたようである。 「聞書」に織部の意を汲もうとすることが、必ずしも織部の路地への正確な理解…

江戸時代の椿 その3

…、 九月二十二日 梅椿之花団隋より来初見之 九月二十九日 植屋より早咲赤玉椿壱本、取寄之植也 寛文七年(1667)閏二月16日 椿も漸々咲 なお以上のツバキは、江戸と村上の両地方の記録である。 ★1670年代(寛文~延宝年間) 山茶花とトウツバキの渡来 ・『花譜』 寛文十二年(1672)頃から、貝原益軒(本草学者・儒学者)は『花譜』を書き始めたらしい。『花譜』の優れている点は、植物の性質だけにとどまらず、栽培方法にまで触れていることである。実際、益軒は自宅で植物を栽培していた…